エピローグ:七日目
「ん、ん……」
温かい眩しさに目を瞬かせ、唸り声を漏らしながら目を開ける。
目の前にあるのは小さな膝。
黒いローブから右に伸び、そのまま地面に──いや、馬車の床に着いていた。
「預咲さん!」
と、僕を呼ぶ声に顔を上げると、目の前に少女が居た。
髪をこちらに垂らして、目の端にあるランプの灯りも遮り影を作っていた。
「──り、あ……」
僕が掠れた喉でその人の名を呼ぼうとすると、目を見開く少女。
「エリア、様?」
「……はい、エリアです。よかった、本当に」
と、複雑気に笑い掛け、安堵した様に溢すエリア様。
ぽたりと、その時頬に何かが落ちた。
「エリア様、泣かないで……」
手を伸ばし、頬を伝う涙を指で拭う。
「うぅふぅ……! 心配、したんですから!」
途端ポロポロと涙を流し、僕の頬にも伝ってくる。
「ごめんなさい、心配かけて……。リリスも、ごめんね?」
「ええ」
僕は首を動かしてリリスにも謝った。
リリスはとても優しく返事を返してくれた。
「どうして……」
「え?」
嗚咽を押し込んだ様な声に再度上を向く。
エリア様は怒っている様な、悲しんでもいる様な表情で。
「どうして! 頼らないんですか!」
と、そう強く言って。
「頼って下さいよ……仲間じゃないですか」
仲間?
「そんなもの、なった覚えないですけど……」
「じゃあ今! 今なりましょう!?」
僕の手を握り、そうお願いするエリア様。
「今、ですか……いいですよ」
僕は二つ返事で了承し、今度はリリスの方を向く。
「リリスも、なろ?」
リリスは数秒黙ると、そっぽ向き。
「どうしても、と言うのなら……」
「どうしても」
「……分かりました」
リリスはそっぽを向いたまま、そう了承してくれた。
「じゃあ! 今日から私達は仲間です!」
「はい」
「……はい」
エリア様の元気な言葉に、僕の返事とそっぽ向いたリリスの返事。
「これからは、頼りにして下さいね!」
さっきの涙は何処へやら、満面の笑みでそう言うエリア様に思わず苦笑い。
「ええ……。今後は、戦力外でも扱き使います」
「そ、そうゆう事言ってるんじゃないですけど……」
意図が違かったか、どこか微妙な表情で返される。
──仲間、か……
「そういえば、なんですけど。あれからどうなったんですか?」
「あ、えっと。それはですね」
エリア様は呟き、リリスの方を見る。
「まず、あなたは気絶してました」
「うん」
僕に合わせてくれてるのか、いつもよりゆっくりめなリリスの説明に小さく頷く。
「それから、悪魔も。正確にはもう絶命してましたけど」
「そう」
僕が……
「そして、悪魔が出た事は言ってません。また用事が増えそうですし、混乱を招くと思ったので」
僕はリリスの説明に内心頷く。
たぶん、いい判断だと思う。
「じゃあ、今は?」
「馬の震えが止まったので、再度出発しました。夜明けと共に着くでしょう」
夜明けと共に……
馬車内はランプで照らされているが、外から漏れてくる光は少ない。
今が夜中である事は何となく察せる。
「一応悪魔は埋めておきました。それから、これをどうぞ」
そう言うなり、懐から何か取り出すと僕のお腹の上に乗せてくるリリス。
「これは?」
「お土産です。あの悪魔の一番硬い部位です。加工すればいい物になるでしょう」
「ははは……」
思わず乾いた笑いが漏れる。
こんな嬉しくないお土産は初めてだ。
僕は手でそれを転がしながら眺める。
紫色の水晶の様に煌く半透明の物体。
形は湾曲する円錐型で鉱石の様にゴツゴツしてる。
手の平よりずっと大きい。それに重い。
「痛ッつつ」
僕は左手でそれを抱えつつ、右手を突いて起き上がった。
「あ、預咲さん! まだ安静に……」
途端わたわたしだしたエリア様に、僕は床に足を着けて居住まいを正すと。
「エリア様」
僕はエリア様の方を向く。
「はい……」
雰囲気で察したか、エリア様も真剣な表情になる。
そして、僕はその胸の内を明かした。
「僕、決めました。この世界に居ます」
「え?」
あまりに予想外の発言だったか、戸惑った様に声を漏らすエリア様。
「だって、天界に行っても、天国で暮らすか転生かの選択なんでしょう?」
「ええ、まあ……」
「だったら、ここに居ます」
僕はいまだ混乱中のエリア様にはっきり告げると。
「だったら、ここで出会った人達と……。一緒に居たいです」
そう説明し。
「この世界に居たいです」
その素直な気持ちを、エリア様に真っ直ぐ見つめて言った。
「そう、ですか……。まあ、反対はしません。天界の許可もありますし」
「ありがとうございます」
何も言わず承諾してくれたエリア様に一つ礼を言う。
話もひと段落し、場に穏やかな空気が漂う。
「それから、リリスにも」
しかし、僕からはまだ一つある。
僕は今度はリリスの方へ向くと。
「大事な、話しがあるんだ。言おうか迷ったけど。リリスには、知ってて欲しかったから」
そう、少し大仰に煽りつつも、決して褪せないであろうその話を。
「実は、僕。異世界から来たんだ」
「えぇ!?」
遂にそれを話した僕に、隣から大層驚いた様な声が届いた。
「な、何でエリア様が驚くんですか」
「い、いや、だって。言っちゃうんだなーって思って」
あ。
エリア様の言葉に、一瞬鳩が豆鉄砲でも食らったかの様に頭が真っ白になる。
「だ、ダメでした? 罰とか下ります?」
「い、いえ。そうゆう訳では」
複雑気に話すエリア様に僕はほっと胸を撫で下ろす。
よかった。
下手に天界から目をつけられたら面倒そうだ。
「驚いた?」
僕はリリスに向き直り、その内心を問う。
「まあ。多少、察してはいたので」
と、さすがはリリス。どうやら気付いてたらしい。
「さっきの会話もそうですが。いろいろと、世間知らず過ぎたので」
「ご、ごめん」
いろいろと今までの迷惑含め、負い目から小さく謝る。
そんな僕を見てリリスは一度目を瞑り肩を竦めた。
と言うかリリスの反応からして、こっちでは異世界の存在は一定の認知があるのかもしれない。
「だから。まあ、その。話は、一応終わりなんだけど」
そこら辺の模索はまた今度にして、僕はその先まで話す。
「世間知らずで、沢山迷惑掛けると思うから、さ。ごめんね、ってゆうのと」
自分でも言いながら、少し躊躇い間を置いて。
「改めて、よろしくね」
リリスに向かって、そう笑い掛けた。
あ、今後とも一緒に行動する事前提に言ってしまったが……
まぁ、いっか。
仲間だし。
「ええ、お願いします」
リリスは、特に何か言うでもなく、そう微笑み──
「ああ!」
僕は声を上げてリリスを見た。
「どうしました?」
疑問顔を作るリリスに、僕は。
「いーやー! リリスの笑顔、初めて見たなーて!」
ほんの一瞬だけのでき事を自覚の無い様子のリリスに告げた。
途端、目を丸くするリリス。
そしてそっぽを向いて、それっきり黙ってしまう。
「あれー? もしかして、照れてんの? リリスぅー? リリスさー、げぶぅ……!」
顔を覗いてからかっている最中、急に襟首を引っ張られ唸り声が出る。
僕が何事かと振り向くと、そこにはほんの少し眉を寄せて、不機嫌気に頬を膨らませたエリア様が居た。
何事かと目で問うと。
「近付き過ぎです!」
との事。
「あははー、ごめんなさい。リリスも、ごめんね?」
首を摩りながら謝る。
エリア教の教義には、男女での不純な接触の禁止とかがあるのかな?
「ん……着きましたか」
と、リリスが窓を眺めながら言う。
「やっとここまでか」
僕も虚空を見つめながら呟く。
ここまで長かった……
僕は今までの六日間を振り返り、少しだけ感慨深くなる。
草の生茂る地平線の先から暁光差し込み、馬車内を照らす。
「ここからは早いですよ。もう森に入るだけですから」
エリア様が夜明けと共にそう言った。
今までの長い帰路が、もう終わろうとしていた──
◯
「アズサ、行きますよ」
「あ、ああ。うん」
リリスに呼ばれ、僕は木々の天井から目を離すと二人を追いかけた。
ここはクリューの森。
建物十階分はあろうかと言う巨大な木々が生い茂り、遥か上からの木漏れ日で根っこの道が照らされる。
──この世界に来て、もう七日目である……
「ねぇ、リリス。あの悪魔、結局なんだったんだろうね」
「さぁ」
僕は前を歩くリリスに問うも、リリスは肩を竦めて暈すのみ。
そういえば、エリア様がこっそり帰ろうとする理由も結局分からず仕舞いだな。
面倒くさいの一点張りだったが、どうもそれじゃあ矛盾するし……
「痛っつつ」
「大丈夫ですか?」
僕が悪魔に殴られた腹を摩ると、リリスが心配そうに駆け寄ってくる。
「大丈夫、結構治ってるみたいだがら」
僕は少し平気そうに動いてみせる。
リリスはまだ少し心配そうにしつつも、二人でエリア様を追いかける。
「あれー? ここらの筈なんですが」
と、そう言って、建物一つ分はあろうかと言う巨木の根元を念入りに調べるエリア様。
そのエリア様の手には金色のペンダントを持っている。
なんでも、あれが天界への魔法陣の場所を示してくれると。
「あ! 逆さまだった!」
と、そう言うなり、ペンダントの向きを変えてうろちょろしだすエリア様。
僕らはそれを遠巻きに見ながら。
「ねぇ、リリス。この旅に協力してくれてよかったの?」
僕はリリスを見上げて訊いた。
僕は最近、これを疑問に思わずにはいられなかった。
リリスが協力してくれた理由は確か神々を敵に回したくないとかそんな理由だった。
だが、それじゃあ何でエリア様を召喚したって話だし、神さまってもんを舐めてる訳じゃないが、逃げれば何とかなりそうだ。
エリア様も何だかんだここまで来れた訳だし。
僕の問いにリリスは数秒黙ってしまう。
だが一度、リリスはエリア様の方を確認すると。
「本当は、もうちょっと居たかったので」
僕はその話の出だしに首を傾げた。
「あなたを巻き込んでしまい、焦ったというのもありますが……。あの人を召喚した理由も、ただ会いたかっただけです」
リリスはこちらを見ずにそう語る。
淡々と話してはいるが、リリスにしては感情が篭ってる様にも聴こえた。
「言ってなかったですが、私は教会育ちなんです。エリア教の」
そう、リリスの口からは初めて聞く話をする。
「なので、私の側には常に神エリアが居ました。親も居らず、数少ない教義が支えになった事だってあります」
リリスはその時を思い出す様に言う。
「しかし、皆んなは居ないと言う」
リリスは呟くと、上から差す木漏れ日を見上げた。
「居る筈だと、自分に言い聞かせました。いえ、居て欲しいと。居ると証明したいと」
そして、リリスは振り返り。
「すごく、会いたいと思いました」
その理由を語った。
「変でしょうか?」
数秒の間の後。下を向いて、不安げに問うリリス。
会いたい、か……
「いや、変じゃないよ。会いたいって気持ちは、すごく原始的で、大切な物だと思うから」
この時僕は、本当にただの感想しか言えなかった。
「あ! ありましたよ! 魔法陣! こっちです!」
と、巨木の根元を指差すエリア様。
会いたいねぇ。
僕とリリスは、ゆっくりとそこへ近付いて行く。
──僕は……
僕だったら、どうするだろうか?
もし、どうしても会いたい人が居たら?
リリスみたいに、会おうとするだろうか?
不意に、一輪の花が目に止まった。
白い花弁が汐らしく垂れ、また白い雄蕊と雌蕊が顔を覗かせている。
僕は木の根から雄々しく生えたそれを、しゃがんで掴むと──
「おおっ!」
エリア様がペンダントを翳すと同時、窪んだ根っこがうねりだし路を作った。
「開きましたね」
エリア様はそう呟くと、その道を通って行く。
僕とリリスもそれに続き付いて行く。
道の先は小さな部屋になっていたらしく、中には円形の模様描かれ、それは眩く光っていた。
あの時と同じ、青色だ。
「お別れですね……。なんだか、すごく長かった様にも感じます」
エリア様は模様の前で止まると、こちらを向かずにそう話す。
「預咲さん。本当に、よろしいんですね?」
「ええ」
と、こちらを向いて訊いてくるエリア様に僕は大きく頷く。
「では、私は止めません。こちらの世界で、好きに生きて下さい」
エリア様もそう言って頷く。
こっちの事はよく分からないが、リリスも居てくれる。
「また、会えますよね?」
「はい」
不安気に訊いてくるエリア様に一人返事する。
確かに、立場上あんまり気軽に会える訳でもないのだろう。
「わっ」
と、リリスがエリア様に抱きつき、エリア様も驚き声を漏らす。
「リリスさん……」
エリア様は優しい表情でリリスの頭を撫でた。
その様はまるで少し甘えん坊な女の子が、母親の寛容に包まれる様その物で。
「あの、エリア様。よかったら、これ」
僕はそれを邪魔してしまいそうで。否、そんなのは言い訳だ。
僕は今の今まで拒絶されそうで怖くて出せなかったそれを、名前も知らないその真っ白な花をエリア様へと差し出した。
案の定か、エリア様は目を見開いて花を見つめ、口を半ばで開けて固まった。
「す、すみません! 手近なものでっ。これすぐそこで拾ってきた物で、どうせなら花屋さんとかの方がよかったんでしょうけど。で、でも、この花。凄く──」
僕は慌てて言い繕いながらも。でも、これだけは言おうと。
「エリア様に、似合ってるなって……思って」
エリア様は俯いた。
自信を無くし、差し出した花が小さく揺れた。
少し下がって。
「嬉しい」
ボソッと零したその言葉に、はたと止まる。
「嬉しいです。預咲さん」
エリア様が顔を上げた。
まさに、女神の様な微笑みを湛えて。
「ありがとうございます」
今度はにっと犬歯まで見せて、笑顔でお礼を言ってきた。
「よ、よかったです」
それに見惚れてしまったのは、もちろん秘密である。
「また、必ず」
いずれ満足したのか、リリスはエリア様から離れ。
「はい、いつか」
それに頷き、エリア様は言葉半ばに模様へと足を踏み入れると。
「──また会いましょう……」
最後にそう約束し、微笑んだ。
模様は一層の輝きを放ち、眩さに目を閉じた。
──僕は、もし誰かと『また会いましょう』と約束していたら、会おうとするだろうか……?
リリスの様に、クレナの様に。
どんなに遠くても。どこに居るかも分からなくとも。
世界すらも、違くとも。
──いや、きっと……
光も収まり目を開けた頃、そこには既に誰も居なかった。




