20:赤の感情
夜。
虫の音が幾重にも重なって響く中、月明かりだけを頼りに歩いていた。
僕は立ち止まり月を見上げる。
真ん丸の満月が灯火一つない地を照らしていた。
この世界の月は本当に明るい。
「アズサ、行きますよ」
「あ、ああ。うん」
と、前を歩くリリスに呼ばれ、月から目を離して歩きだす。
馬車で少し寝ると傷が綺麗さっぱりとまでは言わないにしても、大分治っていた。
今では松葉杖もギプスも使わなくて済んでいる。
赤眼の悪魔の話は殆ど耳に入ってこなかったが、これも僕が精神なんたらなお陰なのだろうか?
「ないですねぇ」
と、そうリリスが呟いた。
今僕達は十人程の人達が、余裕を持って寝れる空間を探している。
リリスの言葉はそれを指しての事だろう。
休息地点はちゃんと予定してたらしいが、ここらに来てからめっきり馬が怯えて動かなくなったらしい。
ここらには魔物が全く居ないらしいので、空間を見つけてはそこで寝る事となったのだ。
と、目の前の木々がだんだん広け。
「お、ここなんてどう?」
僕は辺りを見渡して提案した。
青い雑草が生い茂り、木々が開けて空間ができている。
そしてまただんだんと木々が狭くなり、向こうに道が続く。
「んー、でも。なんだか嫌な気が……」
と、エリア様が珍しく否定的な事を言う。
嫌な気?
「大丈夫でしょう」
僕がエリア様の発言を疑問に思う中、そう気軽に──いや、楽観視した時だった……
僕達と反対側の道から、ソイツは現れた。
図太い足に、見上げる様な体躯。
後ろの尻尾は半ばから無く、上体は爛れ、左の指先も数本千切れてる。
丸っこいの頭には二本のツノが生え、黒い瞳が覗く。
「グウゥゥ……。我ガ、主ヲ」
それは悪魔だった。
それも、あの時の。
「ひぇっ!?」
悪魔を目の前に素っ頓狂な悲鳴を上げるエリア様。
悪魔の再来に締め付けられる様に胸が苦しく、途端息も荒くなる。
一言で表現すれば、焦っていた。
ど、どうすれば──
「リリス……」
呟き、隣に居るリリスの方を見る。
護衛も居ないこの場で頼れるのはリリスしか居ない。
「む、無理です……。昨夜で魔力を使いきりました」
しかしリリスは揺れる瞳で悪魔を見据え、消え入りそうな表情で言ってきた。
そんな……
どうするんだ? どうすればいいんだ?
何かないかと見渡すが、目に入ったのはわなわなと震えるエリア様のみ。
──僕が、行くしかないのか……?
悩んでる時間なんてない!
僕は一歩前へ踏み出ると、二人を庇う様に立つ。
「リリス! エリア様を頼む!」
僕は後ろを振り返らずになるべく大声で言った。
「逃げろ!!」
何か紛らわす様に、僕は叫んだ。
「えぇ!? そんな、無理ですよ! い、一緒に逃げましょう!? 預咲さん!」
エリア様が反対してくるが時間がない。
「リリス、早く!」
「……分かりました。エリア様、行きますよ」
「は、離して下さい! リリスさん! み、見捨てるんですか!?」
一瞬の間の後、大人しく従ってくれるリリスに抵抗をしているのだろうエリア様の声が聴こえてくる。
まだいずれかの抵抗を試してるのだろうが、その声もだんだんと遠くなり、そして最後に──
「アズサ、せめてもの援助です」
そう言ってリリスが何か唱えると、背後から白い光が漏れてきた。
とても強い光量とは言えないが、影が伸び、月明かりが申し訳程度に照らしていた地面を明るくする。
「アズサ、必ず……」
リリスが何か言いかけたが、言うのを躊躇する様に言葉を途切れさせた。
「必ず! 戻って来てください!」
「エリア様……」
そして、それを繋がんと叫ぶエリア様。
僕はそれについ、振り返ってしまった。
エリア様は引き止めるリリスに半ば乗り上げ、これだけは伝えようという表情であった。
それはきっと、僕と同じ様な意志。
誰にも止められない。
どんなに危険でも、倒れそうに怖くとも、逃げれない──
「待っててください、迎えに……」
そう、きっとまた。
「会いにいきますから」
僕は一言だけ。そう返事した。
この気持ち伝われ、と。
「あ……」
エリア様は顔を呆けさせ、途端脱力する様にリリスから降りた。
僕はもう振り返る事はせず、ただ遠くなっていく足音を聴いていた。
「ありがとう」
そう呟くと、僕は悪魔に対峙した。
「気が利くんだな、意外と」
二人が去った後、理解してるか分からないが悪魔にそう語り掛ける。
それとも、リリスのトラウマか?
コイツはリリスに挑む覚悟はないらしい。
二人と話す内に、自然と緊張は解けていた。
僕は剣の柄頭に軽く指を触れさせる。
「……覚悟決めよう」
僕は金属の擦れる音を響かせ剣を抜く。
「僕は、お前を倒す……!」
そして、そう宣言した。
瞬間、悪魔が向かってくる!
途端緊張で心臓が張り詰めるのを自覚しつつ、半ば転げる様な形で右へと避けた。
距離を取り、体制を整えると張り詰めていた息を吐く。
遅い。
この悪魔は、前回の時よりずっと。
また悪魔が腕を振るのをしゃがんで避け、更に追撃が来るもまた右へ無理やり飛んで避ける。
──やはり遅い。赤眼の悪魔より、ずっと……!
荒く息を吐きながら、悪魔と距離を取り状況を確認する。
闇雲に逃げ回った結果、悪魔との位置関係は完全に真逆になり、逆光によってシルエットとなった悪魔へ眩しさに目を細める。
虫の音も鳴り止み、自身の息遣いだけが場に渡った。
落ち着け。
短距離とは言え、全力で動いたため息が荒い。
緊張による息苦しさもあるだろう……
いや、緊張の方が大きいか。
「よし、行くぜ……」
僕は呟くと、茂る雑草を踏みしめ悪魔へ駆け出した。
と、悪魔が右手を大きく振りかぶる。
急遽進む方向を変え、悪魔の左手側を抜ける。
デカい図体を無理やり動かし、僕をその場で追う悪魔。
僕は動かす事だけに専念していた足を止め、悪魔へと振り返る。そして、剣を高々と掲げ。
──そこで僕はハッと正気になる……
今、僕は何をしている?
斬る? 何を?
コイツを……?
僕が剣を上げた状態で固まる中も、悪魔が構わず腕を振るう。
僕は慌ててそれを避け、剣を眼前に構える。
そして気付く。
剣が、震えていた。
なんで! なんで今震える!?
「はっ!?」
悪魔の方へ視線を戻すも、もう遅い。
「ぐッ、ああッ!」
──ああ、そうか……
僕は強烈な威力の拳で飛ばされる中、今ので理解した。
コイツは、僕を倒そうとなんかしてない。
コイツは最初から──
僕は転がるのが止まると、剣を土にザッと音を立てて刺し、杖の様にして震える足でよろよろと立ち上がった。
「どうやら……覚悟がなかったのは僕の方らしい」
痛みに顔を顰めつつも、手足を恐怖で震わせつつも、理解してるかも分からないが、僕は言わずにはいられなかった。
「覚悟決めよう、俺は──」
そして剣を構え、最後の宣誓をした。
「お前を殺す!」
──それはきっと、赤の感情……
瞬間、背後の光が最後の力を使う様に眩い光を発した。
悪魔が光に目を瞬く中、僕は悪魔へ走り出した。
もう、震えは無い。
僕の感覚の中で、音までも光に染まっていく中。僕は僕自身も光に飲まれながら、悪魔のある一点目指して剣を振り上げた!
「グふッ!」
心臓を突かれ、吐血する悪魔。
「消エ、ナイ……! 光ガァ……」
やがてその悪魔は、目の輝きを光に色褪せる様に曇らせ──パタリと……剣を突き立てたまま仰向けになって倒れた。
そして光が消え、闇が戻ると共に僕もそれを真似る様意識を手放した。




