120:少年との邂逅
それは唐突だった。
リリスの泊まっていた宿の部屋の、机の上に置かれていた。
煌々と輝く様な美しい羽根。そして一通の置手紙。
リリスの視界にそれが入り、直ぐに意識を乗っ取った。
今回もまた、指示の内容は実に不可解だった。
曰く、とある神の召喚をせよ、と。
神の名は『エリア』。リリスの住んでいた教会が崇拝する女神だ。
座標と日時を指定された召喚。意図や用途の説明はない。
本当にそれだけだった。
神の召喚など、私の知る限りでは先代バティン様が神々の当てつけに行った一例しか知らない。
それも主の羽根を触媒にして漸く成功したそうだ。
私に同じ事ができるのか?
いや、まさかその為の召喚陣か。
あの召喚陣を作らせたのは、よもやこちらが本題なのか?
と、部屋の扉がノックされ、直ぐに紙を引き裂いた。
意識をリリスへと返す。
一時的に意識を失っていたリリスは少し困惑した様子だったが、ノックに気づくと扉を開けた。
『あら、もう。またこんなに散らかして~』
リリスの散らかった部屋を見て、宿の店主はそうボヤく。
リリスは片付けが苦手だ。紙は燃やすのが最良だったが、勝手にこの店主が処分するだろう。
世話焼きで人の良い店主だ。
にしても、リリスの意識を乗っ取る事は今までも幾度かあったが、それらは全てリリスに身の危険が及んだ時に限る。
こうして平時で意識を乗っ取ったのは初めてであった。
自分の内に何かが居る事は自覚しているだろうリリスが、そして人と関わる事を恐れているリリスが、その変化にどう対応するかは大凡分かる。
『序でに洗濯するけど、他にない? 後から出さないでよ?』
『……今日は、洗濯はいいです』
案の定、リリスは宿を変えた。
〇
「神の召喚って……マジっすか?」
リリスの視界を覗いていたらしいリリンがそう問う。
私が意識を乗っ取った所で、この体に居る以上、この体が知覚する情報は共有されてしまう。
急な出来事だった事もあり、今回ばかりは私のミスだ。
「そうだ」
「い、一体どうやって? この体に入ったまま行うんですか?」
「それが最良だ。召喚ができるくらいの陣なら既に用意している。しかし何度も意識を乗っ取って、その度リリスが妙な方向に行ってしまわぬかが問題だ。今回私は極力出ず、飽くまでリリス自身に、リリスの意思として召喚を行ってもらう」
先ずはルンバスまで行かなければならないのだ。
その間ずっと意識を乗っ取っるにはまだ負担が大きい。
「せ、洗脳とか、誘惑系ですか?」
「ほう。貴様にしては頭が回ったな」
「一応、淫魔の端くれですので……」
控え目に笑うリリン。
精神に干渉する魔法には、本人も気付かぬほどに思考を誘導する魔法がある。
それでリリスの思考を、どんな手段を使ってでも女神エリアに会いたいとする気持ちで埋め尽くす。
「で、でも、リリスちゃんの魂には『天賦の加護』が掛かってるんですよ? これが類稀に見る強力な加護である事は私にも分かります。その、流石にバティンさんでも……」
「ふん。貴様誰に物を言っている。……とは言いたいが、実際貴様の指摘は正しい。この『加護』の主神は低く見積もっても『主教』クラスの神だろうな。さすがに私でも骨が折れる」
主教。
九段階ある宗教の階級の上から三番目で、信者数五百万人以上を指す。
少なくともそれ程の神が、リリス一人の為に『恩恵』を与えたかのような神聖力だ。
「しかし幻覚系や誘惑系の魔法は掛けられる側にも、掛かろうと言う意思があると掛かりやすい。これを見たいと言う意志と、魔法の波長が合うとその者は術に掛かる。人は見たい物を見、聞きたい音を聞き、信じたい事を信じる」
意識の中で坐禅を組み、早速魔法の準備をした。
「リリスも女神エリアには会いたいと思っている筈だ。今回はそれを利用する」
〇
魔法は上手く掛かった。
リリスは女神への気持ちを日に日に募らせている様だ。
「あの~、バティンさん」
「何だ?」
「よ、良ければ魔法を教えてくれればなぁ~、なんて」
「何故私が貴様の修行に付き合わんといけんのだ」
「で、ですよね〜」
肩を落としたリリン。
どうやら私の行った『思考を誘導する魔法』に感銘を受け、リリンはここ最近幻惑や魅了系の魔法を練習していた。
最も、掛ける対象が居ないので、成長が確認できずに本人は不完全燃焼の様だ。
仮に私に掛けたとしても、リリンと私では格が違う。
下級悪魔程度の行う幻惑や魅了の魔法に悪魔君主が掛かるなど、道理に反している程にバカげた事だ。
どれだけ練習しようと、私がリリンの幻惑や魅了に掛かるなど、一生無いだろうな。
〇
ついに指定された日時へとなった。
灯りを出す魔法で照らされた洞穴の最奥。
リリスにはまるで自身の力で召喚できたかの様に幻覚を見せ、実際は私が一時的に意識を乗っ取り、女神エリアを召喚した。
余りに魔力を込めた魔法故、終わった後も陣のスペルが幾つも浮かんで弾けていた。
『うぅ、それは……え?』
そして、私は。
「なっ、なんだ……この、祝福の数は」
召喚に巻き込まれた様子の、その燃える様に赤い髪と瞳を持つ少年の魂に、釘付けとなっていた。
その少年の魂には六つもの祝福が掛かっていたのだ。
それは異常の一言に尽きる。
そもそも幾つも掛けられる物じゃないが、少年の魂は特別だった。
「『ええぇぇ!? ちょ、何ですかこれぇ!?』」
リリスとリリンの声がハモった。
と言うか、リリスがリリンの影響を受けたのだろう。
「しゅ、しゅふくっ、『祝福』ってやつですよね? これぇ? わ、分かるのは『戦神の祝福』だけですけど……。む、六つ? 六つも掛かっている?」
「その……様だな」
事態が飲み込めないまま、私はリリンに応じた。
魂に掛かった『祝福』や『加護』の種類の特定は、魂が視れる者が見分ける他ない。
そして例え視えたとして、それを判別するには今まで視た事ある物に限る。
戦乱の世は『牧羊犬』で蔓延っていた故、私も幾度か『祝福』を視る機会があった。
私が視て分かるのは三つ。『戦神の祝福』と、『豊穣の祝福』と、『天賦の祝福』である。
そしてその三つとも少年から確認している。
残る三つの『祝福』に関しては、戦乱の世で視た事はあるが名前が分からない物と。
「私が見たことすら無い祝福だと?」
とある『祝福』に関しては、視た事すら初めてだった。
恐らくは余程珍しい祝福。
そして驚いたのはそれだけでは無い。
他の名前が分からない二つの内の一つに関して、戦乱の世で視たと言ってもそれは四百年前の『氷の時代』では無い。
あの二百年前の革命時、それも彼の革命家、ハルバルト・ライナーに掛かった『祝福』と同一の物であった。
革命家ライナーに掛かった『祝福』は未だ不明だ。私も当時に初めて視て、そしてこれは二度目だ。
この『祝福』は一体何なのか。
これもまた、余程珍しい『祝福』なのだろう。
「バティンさんですらですかぁ? 凄いですねぇ。一体何なんでしょうかぁ」
と、リリンが私の呟きに反応し、話は戻る。
「可能性があるとしたら、『天秤の祝福』だ。あれは恐らく私も見れていない」
革命家ライナーの『祝福』に関して、『天秤の祝福』であると言う俗説があるが、それは『天秤の祝福』を視た事がある先代バティン様が明確に否定していた。
つまり消去法で、視た事すらない『祝福』が『天秤の祝福』である可能性は高まる。
「天秤の祝福? 何ですかそれ」
「とても珍しい祝福だ。だがその名と性能は反比例して広く知られている。その性能とは」
私自身、それを言い淀んだ。
「曰く……〝未来予知〟」
「なっ」
顔を驚きに染めるリリン。
「『天秤の牧羊犬』となった者は未来を知る神の奇跡を得る事となる。それは夢だったり、五感にない感覚的な物だったりもする。だがこの祝福を得た者はいずれその効果を実感する時が来ると言う。誰かが『何故分かったのか?』と聞くと、皆口を揃えてこう答えるらしい」
一拍置き、私はそれを言った。
「曰く──『何となく』……とな」
◯
「にしても貴様、あの魂が視えるのか?」
「へ? そ、そう言えばそうだ」
洞穴を進むリリスの視界を眺める中、ふと疑問に思って問うた。
普通格上の魂は靄が掛かった様になって視えなくなる。
格の差が広がるにつれ、それは濃くなっていく。
信じられない事に、少年は人の魂でありながら、祝福などとは関係なく、私よりも格が上の魂だった。
とは言えその差は殆ど無い様で、祝福が掛かっている事もその種類も視る事ができた。
だが、リリンの方は下級悪魔。どう考えても、少年の魂を視る程のレベルに達していない。
考えられる理由としては大凡三つ。
格上の魂すらも視る事を可能にした技術。
魔眼などと呼ばれる特殊な瞳。
そして、とある例外。
「貴様、私の魂が視えるか?」
「いえ、全く……いや、やっぱちょっと視えるかも」
「……チッ」
「酷い」
悲しそうにするリリン。
非常に不本意ながら、私は彼女の例外になりつつある様だ。
忌々しい事この上ない。
しかし、同族かつ十年の時を過ごしたのだから、それはもう仕方ないと言ってもいいだろう。
「もしかして、リリスちゃんが視えてるから、その視界を共有する私にも見えたのかな? って言うか、リリスちゃんが魂視えてる事も今判明したんですけど」
「うむ。あの反応は間違いなく視えていたな」
「ですよね。私てっきり、リリスちゃんは視えてなくても、私が種族的に魂が視える悪魔だから、私にだけ視えているのかと思ってました」
「不本意ながら、貴様と同じ勘違いをしていた」
結局、リリンは考えられる三つの理由ではない様だ。
逆に、それはリリスの方だった。
「いやだとすると、何故リリスちゃんは魂が視えるのでしょう?」
「私の影響ではなかろうか。種族的に魂が視える悪魔を宿しているのだ。何かしらの変化はあるかも知れない」
「なるほど~」
強いて当てはめるとすると、〝格上の魂すらも視る事を可能にした技術〟と言う事かも知れない。
「って、神も種族的に魂が視えるんですよね!? 私達が居る事バレてないですか!?」
「騒ぐな。そんな事疾うに対策している。魂を偽装する技術によって、リリスの『天賦の加護』諸共隠した」
「ちゃ、ちゃんと私も隠してくれてますよね?」
「たった今から追い出してやろうか?」
「じょ、冗談です!」
◯
リリス、女神、少年が街を練り歩いている間、私は只管に思考を続けていた。
無論、この状況についてである。
少年のみならず、リリスも女神も、少年が召喚に偶然巻き込まれた様に思っている様だが、本当にそうだろうか?
この場では私が一番状況を俯瞰して見れる立場だろう。
何せリリスの思考を誘導し、この状況を作り出したのは私なのだから。
しかしその私も、主の命に従ったに過ぎない。
その命は女神召喚の日時指定のみだったが、そのタイミングで本当に偶然、六つもの『祝福』を受けた少年が居たとでも言うのか?
まず間違いなく、偶然に見せかけた少年の召喚が本命と見て間違いないだろう。
では、主はこれ以上何をお望みだ?
この少年を殺す事か? それとも守る事か?
女神はどうする?
我ら悪魔教の因縁の相手たる神々。
主が望んでいるのは女神の暗殺……では、ない筈だ。
そんな指示は無かった。
そもそも私としても、百年近い神との和解を実現できているこの地で、問題など起こしたくない。
そうだ。この地の『管轄の神』はどうしている?
奴に相談してみるべきか?
いや、私は一体私は何を考えているんだ。これは悪魔教の首領であるあのお方からの指示で動いているのだぞ。
いや、そうだ。待て。そもそも時期を見計らった様に少年が女神と共に居たのは何故だ? そんな事は、天界に協力者が居な、けれ、ば……
不可能なのでは?
その言葉が、頭を埋め尽くした。
同時にある可能性が過った。その協力者こそが、この地の『管轄の神』である可能性だ。
不幸な事に、それを肯定する材料があった。
そもそも『管轄の神』と手を取った時の事だ。我々がこの地に住んでいる事がバレ、向こうから接触してきた。
そして、どこからバレたかは分からなかった。
それがもし、『深部』の方々からの御膳立てであったなら……?
我々の居場所を知っていたのは『深部』の方々だけだ。
そうなると……
そうなるとだ。
よもや、そうなのか? 本当に、そうなのか?
悪魔教『深部』は、天界との何かしらの繋がりがある、と言うのか?
──私には、分からない……。ずっとだ。『深部』のお方々が、何を考えているのか……
唐突に、あの日の言葉が過った。
(バティン様……今なら貴方の気持ちが、よく分かります)
そして、同時に思い出した。
あの日の約束を。
きっとこの続きを考えるのが、先代バティン様から託された、私の役目であった。




