118:フィットネア領
我々が住んでいた地獄と座標を同じくする地上は元々何もない地だったが、我々の気配で魔物が寄り付かないのを良い事に、徐々に人が集まりだしていた。
村ができ、町となり、都市が出来上がった。
その地上の名は、フィットネア領と名付けられた様である。
そして、バレてしまった。
我々悪魔教の悪魔がこの地の地獄に住み着いていると。
経緯は謎である。
どこからバレたかは分からない。
だが我々の存在に気づいた者は、かなりの変わり者の様であった。
「天界からの使者殿はこう仰せです。『知った。あなた方がこの地に居る事は。移民が数の勝った途端に我が物顔で居座るのは有史以前からの人の性でしょうが、それにしても今まで上手くやって来れたのに何故藪をつつく様な真似ができましょうか。私は共存共栄の道を探りたいと思っております。我々はいつでも握る手を準備し、待っております』……と。この言葉はこのフィットネアの地を管轄する神による物だそうです。そして、それはその神、独断の様です」
そう、フェイズが言った。
フェイズには天界から来た使者の相手を任せていた。
そう。我々の存在に気づいた者とは天界の住民その者だった。
だが、その者、フィットネアの地を管轄する神とやらは事を荒げる事を嫌った。
私としても好都合である。
私は『管轄の神』とやらの手を取った。
〇
平和であった。
この地に魔物が寄り付く事は無く、フィットネア領は平和の代名詞かの様に謳われた。
そして我々としても、天界に手引きされて討伐隊が組まれる様な事はなく、平和に過ごせていた。
管轄の神とやらの独断である為、これが天界の総意ではないだろうが、この地には神と悪魔が和解した、真の平和を実現できていた。
無論、フェイズを始め、悪魔共には不満のある者も多かった。
天界の罠であると思う者も少なくない。
だが私の決定は絶対である。
バティンの名とその地位を継いだ時点で、彼らの主は私なのである。
そしてその意思や決定は、先代バティン様の代理でもあるのだ。
そのまま数十年の時が経つ。
そしてある日の事だ。
あのお方から、更なる指示が届いた。
〇
その置手紙と、煌々と輝く様な橙色の羽根を持って、私は立ち尽くしていた。
その指示の内容が実に不可解であったからだ。
しかし二百年振りに見るその羽根はあの頃と変わらず美しく、そしてその羽根一つでありながら圧倒的な存在感を持っていた。
これ一つで大魔法の触媒にすらなり得ると思えた。
そんな存在がおいそれと居ていい筈が無い。
これはやはり間違いなく、あのお方の持つ羽根。
我が君。我が主。
悪魔教創設者にして、顔も知らない我ら悪魔教の絶対支配者。
悪魔が崇拝する悪魔の長。
あのお方が望んでいるのなら、我らは盲目的に従うのみ。
何故か? 人間も神の望みに盲目的に従うだろう。悪魔にとっての神とはあのお方なのだ。
指示の内容は、地上にて強力な召喚系の魔方陣を作れとの事だった。
私はウルヘス付近の洞穴にて、その陣を作成した。
これが後に、あの少年を召喚する事となる陣である。
〇
「む?」
陣を作成して数年後の事。
私は唐突に召喚を受けた。
ある程度の空間の室内。恐らく地下だろう。窓は無く、光源は魔法で作られた明かりのみ。
周囲には私に対して様々な感情を向けている大人が十数人。
興味、敬意、焦燥、驚き。そして全ての根底に、恐怖。
私を指定した召喚の気配に抵抗せず身を任せてみたら、一体こいつらは何なのか。
と、そう思っていると、一人の男が一歩前に出た。
「貴様があのバティンだな? 見ろ。我らは同じ悪魔教の一員だ」
そう言って男は胸元に彫られた悪魔教の印を見せた。
「そこに居る小娘は悪魔との相性が頗る良い。土産だ。先ずはその肉体に入ってみるといい」
男の言葉に背後を見る。
分かっては居たが、そこには幼女が紐に縛られ横たわっていた。
墨の様な黒髪を持つ幼女である。意識はない様だ。
周囲の者共はこちらを警戒している。
魔法の準備をしている気配。
これは恐らく精神干渉系。それも支配や弱体化が主である。
大方、この幼女に入った途端に封じ込め、あわよくば力だけ扱き使おうと言う魂胆だろう。
舐められたものだ。
別に、悪魔教は悪魔教同士で強力し合っている訳ではない。
司令塔である『深部』を崇拝、中心とし、その指示に従っているだけだ。
どこにどんな悪魔教が居て、何をしているかなんて全く知らない。
それで言えば、妙な下級悪魔と共に来たグゼンもそうだ。
まぁ、あいつの事情は少々特殊な様だが。
そしてこの幼女、確かに悪魔との相性は頗る良い様だ。
今はまだ無理だろうが、いずれは私の力にも耐え得る器となるだろう。
悪魔にとっての最高の状態とは、血肉の肉体への受肉をした状態だ。
結局これが一番良い。だが、悪魔としての位が高ければ高い程、自身の存在に耐え得る体を探すのが難しくなる。
パターンは大体三通りある。レベル的に鍛え上げられた肉体か、自身と波長の合う肉体か、そもそも悪魔との適正の高い肉体か。
この幼女は最後のパターンだ。
それもその筈。何やらこの幼女の肉体には既に下級悪魔が住んでいる。
それもかなり深い繋がりだ。よもや生まれた時から宿しているのだろうか。
精神の汚染に耐えられているのは、この幼女の魂に『天賦の加護』が掛かっているからだろう。
ステータスもレベル1状態の幼女とは思えない程に高い。
下級悪魔が数年住み着いただけでこれほどの成長具合。実に興味深い。
これが今後私、悪魔君主が住み着いたらどうなる?
この体の成長は恐ろしい事になりそうだ。
この体の成長を待ち、いずれ改めてこの体を支配するのは非常に魅力的な案だ。
そもそもこれは、よもやあのお方が差し向けてくれた事なのか?
あのお方が私の忠義を認め、私にこの肉体を用意してくれた……のやも、知れぬ。
座標からして、恐らくここが神の威光の届かぬ地などと呼ばれている地なのは分かっている。
あのウルヘスの付近に作った陣を利用すれば、別の大陸への移動も可能である。
あの陣を作ってたった数年後の出来事だ。これはやはりあのお方が私の為に用意してくださった体に違いない。
「どうした? 気に入らなかったか?」
と、男が問う。
問題はこいつらだ。
別に黙ってこの幼女を連れ去ってもいいが、悪魔教徒は徹底的に切り捨てるのが悪魔教の、いや『深部』のやり方である。
念の為、この場の者は皆殺しにした。
いつの間にか魔法の明かりは消え、周囲には闇以上に空間を黒く塗りつぶす、夥しい量の血が撒き散らされていた。
幼女の縄を解き、私はその肉体へと入り込んだ。
〇
「げーー! マジで来たぁ!」
幼女の肉体の中に入るなり、そう声が響いてきた。
正確には声ではなく、思念により声を象った特殊な周波数である。
同じく、それはその者の姿ですら象る。
濃ゆく明るい紫色の髪と瞳。露出の多い黒いドレス。尖った耳。牡牛の様な黒い角。蝙蝠の様な黒い翼。若い女の体。
典型的な淫魔がそこに居た。
「何だ貴様は」
先客が居る事は分かっていたが、その態度も含めて私は言った。
「あ。す、すみません! 命だけはぁ~! どうかぁ~!」
「うるさい。黙れ」
沈黙。
「返事ぐらいしろ」
「は、はい」
体の硬いまま応えた淫魔。
最も、思念によってそう見えるだけ。
「口振りからも察するに、貴様はやはりこの幼女の体に長年憑いてるのだろう? 色々と事情くらいは聞かせてもらうぞ」
「あ、は、はいぃ。分かりましたぁ」
と、そんな会話をしていた時だ。
幼女が目覚めた様である。
この体に入っている以上は、外界からの情報はこの幼女の知覚する物に限られる。
閉じられていた瞳が開けられ、外の様子を映し出した。
「ひぇっ! い、いつの間にこんな……! これバティンさんがやったんですか!? 何て惨い!」
幼女の瞳から伝わる外の様子。惨たらしい死体の数々に淫魔は騒いだ。
次いで啜り泣く声と、外の視界がボヤけ、手で覆われる。
「何だ? 泣いたのか?」
「そりゃ泣きますよ。この子まだ四歳なんですから」
四歳か。産まれてたったの四年。不思議な感覚だ。その儚さと言ったら、最早尊みすら感じる様だ。
『こ、これは……!』
と、外から男性の驚愕する声が渡った。
扉が開き、人影と共に光が一条差す。
『君が……やったのか?』
恐る恐る問う男性の声。
幼女は変わらず泣き続けていた。
『ふはっ。ふはは!』
唐突に男性は吹き出す様に笑う。
『素晴らしい!』
その声音は歓喜に満ちていた。
『君は唯一にして最高の成功体だ!』
男性は興奮した様子でその幼女へ語りかける。
そして、不意に表情と声音を落し。
『──リリス……』
と。男性は言う。
『悪魔の子〝リリス〟。今日からの、君の名だ』
男性はそう幼女へ言った。
「リリス……。この幼女には名が無かったのか?」
「いえ……いや、ないですね。DN452番が名前でなければですけど」
そう皮肉的に言った淫魔。
なるほど……
「貴様が責任者か」
私は幼女の意識を乗っ取り、幼女の口でそう言った。
相手には幼女が急に泣き止んだ様に見えただろう。
「くっ。こ、これはこれは……。あなたがバティンか」
そう一瞬慄いたものの、男は虚勢を張って応えた。
「責任者かと訊いたのだ。訊いた事のみ答えよ」
男に動揺が走る。
この惨状を前にして、男は答える事を躊躇った様だ。
「まぁ、いい。幾つか聞きたい事はあるが、適当な事情はそちらが勝手に喋れ。どうやらこの体が限界の様だ」
意識を乗っ取ったはいいものの、やはりまだこの体が耐えられない様で、私は早々にも幼女の中に精神を沈めた。
代わりと幼女が、いやリリスが意識を戻し、少しはマシになった様子で息をひくつかせていた。
『ん? な、なんだ? もう終わりか? 大方、力の大半はここの者共を殺すのに使ったと言った所か。我らの中でも最も戦闘力のある者を集めたからな。そもそも召喚された時点でも、さぞ抵抗に体力を消費した事だろうしな。いや、ここはその上で蹂躙した事を褒めるべきか……』
身の安全を確認した途端、その男は饒舌に語り出した。
こいつは一体何を言っているんだ?
いや、どうでもいい。こんなのの相手をまともにしては疲れてしまう。
隣では淫魔がひやひやとこちらの様子を窺っていた。
『さぁて、リリス。行こうか』
外では男が言って、リリスの手を取っていた。
〇
『いやはや実に素晴らしい。今日を祝日にしたい程だ。よもやここまで上手く行くとは。百年前より始まったこの実験に君は終止符を打ったのだ。思えば悪魔を集める事すら最初は手こずり、その後は魂の定着が上手く行かず……しかしここで私が機転を利かせ、母体その物を悪魔憑きにしてしまう事や、ストレス緩和の為、無断での実験への参加など──』
リリスは男に手を引かれ、昼の外を歩いていた。
極北の地なだけあり、こちらは極寒の様である。
時期的に雪こそ見当たらないが、乾燥した空気が目に見えるかのような静けさだ。
そして男はリリスにこれまでの実験の歴史や、その間の苦労、そして最後には必ず自身の実績を語っていた。
相手が物静かな子供である事を良い事に、男の口は止まる事を知らない。
「どうでもいい」
「は?」
唐突に話を遮った為、男は不意を突かれた様に零した。
リリスの体に多少の無理をさせてでも、男の話は聞くに堪えなかった。
「どうでもいいと言ったんだ。貴様の話は諄く、一方的だ」
リリスの、いや今は私の瞳を見て、その男は私が再度意識を乗っ取った事を理解したのだろう。
段々顔が引きつり出していた。
「もういい。酷い時間の無駄だったな」
私は長々と詠唱を始める。
まるで一つの歌の様に長い。
省略できる箇所は省略しつつも、基本は丁寧に言葉をなぞる。
超遠距離からの自身の召喚。空間系と召喚系に深い理解が無ければ不可能な所業だ。
「なっ。ま、待って!」
男が焦った様に手を伸ばす。
しかしそんな事には構わず、私は最後魔法の核となる一節を詠んだ。
「『逆召喚』」
〇
眩い光が満ちた。
気づくと洞穴の奥だ。地面には私の作成した巨大な陣がある。
(いい加減限界か。無理をさせてしまったな)
「『灯り』」
最後にこの場を照らす灯りを作り、意識をリリスに返した。
「ど、どこですか? ここ……」
リリスの内に戻るや、既に慣れた様子の淫魔が問うてくる。
リリスの視界はキョロキョロと周囲を把握し、後、ゆっくりと外を目指して進み出していた。
「リニア大陸南東部、サングマリア・ルス王国フィットネア領、ウルヘス付近……の、洞穴だ」
「なっ。たた、大陸を移動した!?」
私の言葉に驚愕する淫魔。
「これが〝俊敏なるバティン〟……さんの、力」
そしてそう呟く。
「そう言えば、何故貴様私の事を知っている。あの悪魔教徒共の話を聞いていたのか?」
「あ、は、はい。そうです。機関の人同士が話してるのを聞いて……この子は理解してないでしょうけど」
「そちらだけ知っているなど気に食わんな。貴様、名は?」
「り、リリンです」
と、自信無さ気に答えた淫魔。
「ふん。大層な名だな」
「うぅ……一応、親に付けてもらった立派な名です」
リリンはそう肩を小さくする。
「そうか」
そんな会話をする間も、リリスは外を目指して歩いている。
光はリリスについて行き、道を照らし続けた。
「いや、あの。それより、こんな所に来てどうするんですか?」
「決まっておろう。リリスの成長を待ち、いずれはこの体を頂く。その際貴様には出てってもらう。それかリリスが悪魔憑きとバレた時には貴様を差し出す。貴様は保険だ」
「そ、そうですか……。成長を待つだけなら、別にあの場所でも良かったと思いますけど。寧ろ色々やってくれるかもと言うか」
と、そう言いづらそうにするリリン。
確かにリリスの成長を待つだけならあそこでもいいだろうが。
「あそこは『気に食わない』……。それだけだ」
私はその簡潔な理由を告げた。
「ふふっ。ま、賛成ですけど♪」
と、色々と面倒な事は吹っ飛ばした様に、リリンは機嫌良く笑みを零した。
『熱い……』
外ではリリスが呟き、次々に服を脱いでいた。
段々と日の光が差し込んでくる。
「ん? こっちももう昼だったか」
ついに洞穴を出ると、そこは眩い正午の日の光が差し、青い草木の茂る林の中であった。
時期的に夏。
リリスには慣れない気候だろう。それも真昼だ。
こちらの方が西だが、向こうは白夜の時期だったのだろう。
リリスは暫し茫然としてしまっていたが、次第にそれ以外の選択肢も無く、奥へと歩き出した。
服を脱ぎ捨てていくリリス。ついには最低限身を隠す分だけとなったが、それでも汗を拭っている。
いずれ林からも顔を出した頃、遠くの道を走る何台かの馬車が見えた。
それを木の側から眺めていたリリス。
と、どれかの馬車が速度を落としたのを皮切りに、その馬車の群は止まりだす。
いずれその中の一台から一人の男が降りてきて、リリスに近づいて来た。
中年の男性。灰色の髪と瞳。
青と白を基調とした祭服。
聖職者である事は一目で分かる。
『おお、何と可哀想に。こんな幼子が』
その男はリリスの様子を見て、酷く悲痛気な表情をした。
『これも女神エリアのお導き……お嬢さん、名前は分かりますか?』
男は膝を突くとリリスと視線を同じくし、そう問う。
『リリス……』
『リリスか……そうか。いい名だ』
男は立ち上がり、リリスへと手を差し伸べた。
『私は隣町でエリア教の司祭をしているゼニスと言う者です。お嬢さん、良ければ一緒に来ませんか?』




