106:魔王の娘は我が儘娘
その時ハッとリリスの意識は覚醒した。
じっとりと汗をかいているのを自覚する。
起きたてには眩い空と外の空気。視界に入る樹冠。
リリスは手を突き上体を起こした。体に掛けてあった布が落ちる。
周囲には誰も居らず、鳥の囀りと共に自分が最後の起床である事を知らせた。
◯
今朝は雲一つない澄んだ空である。
登り切らない日の光では肌寒い時期だ。
緑に囲まれ若干の勾配のある地で野営するのは山脈の旅を思い出した。
「おはようリリス」
ちょうどいい岩の上で朝食の準備を進めているとリリスがやってきた。
顔を洗って髪に櫛だけ通した様な寝起きのリリスだ。
「どうも」
と、いつもの眠たげな目で淡白に応じる。
今日は取り分け寝起きが悪そうだ。
食材を切る僕の隣に落ち着き、桶の水で野菜を洗って手伝ってくれた。
「そういえば、昨夜は満月でしたね」
「え? ああ、うん。それがどうかした?」
唐突な話題に僕は聞き返す。
「いえ、別に」
と、リリスは視線を手元にそれだけ応えた。
僕はその姿を目に据える。
「月が好きなの? 今度皆んなで月見でもする?」
「いえ……。どちらかと言うと、苦手です」
そうリリスは少し気落ちした様に返した。
リリスが否定的な事言うなんて珍しい。
「食事を摂ったら行くか。帝国は魔物がよく出るらしいからな。早く次の街に着きたい」
と、火を焚べていたクレナが言った。
「うん。にしても大丈夫かな? エリィ達は。エリア様に言われてる手前放ったらかしにはしたくないけど」
「大丈夫だろ。感だがあいつらは執拗いぞ。何なら先に帝都で待ってるかもしれん」
確かに有り得そうだな。
「それより帝国の首都よ! 魔王陛下のお使いで行くとは言え楽しみね!」
と、マリンとスープの味付けをしていたリシアが嬉しそうに言う。
「ティアちゃんと帝国の御偉いさんとの顔合わせが目的らしいけど、何で僕らに一噛みさせるんだろうね? 僕らアルヘイムの使者どころか国民でも無いのに」
「さぁ。魔王の考えてる事なんて分からないわよ」
「そのティア姫も結局クロム殿が面倒を見ているしな。何なんだろうな」
僕らは暫し頭を悩ます。
まぁ、考えても仕方ないかぁ。
◯
エルドラド帝国北東部。
僕らの今居る場所だ。
魔王さんに案内された陣を潜ると森に出て、最寄りの町にて確認すると実際にエルドラド帝国国内であった。
問題は入国許可証だったが、それも魔王さんが一筆書いてくれてなんとかなってる。
権力でゴリ押しだ。
まぁともかく、今は用事を果たすべく帝都のある南西方面へと向かっている。
「お前達遅いのだー!」
と、新しく門をくぐった町にて、そう元気の良い少女の声が掛けられた。
振り返ると両手を上げたティアちゃんが一人で居た。
「てぃ、ティアちゃんか。びっくりした。クロムさんは?」
僕の言葉にティアちゃんはキョロキョロと周囲を見回すと。
「いつの間にか居なくなったのだー!」
「ほ、放任主義なんだね」
「でもきっと見守っているのだー! そう言う男なのだー!」
相も変わらず元気良く言う。
「これからお前達と行動する事にしたのだー!」
「え? いいけど、クロムさんは?」
「クロムは見守るだけなのだ! 私一人なのだ!」
少女一人のお守りをする事自体は構わないが……
逆にいいのか? 王族のお嬢さんを僕らの様な浮浪者に預けて。
「えーと、せめてクロムさんと話付けたいんだけど」
「クロムは見守るだけなのだ!」
「そ、そう」
良い笑顔で言い切られて返答に困ってしまう。
まぁ、いいか。ダメなら接触があるだろう。
そう適当に考えていると。
「あむっ」
「痛ってぇ!?」
二の腕に鋭い痛みを覚えて僕は声を上げた。
ティアちゃんが僕の二の腕に噛み付いていたのだ。
「ちょ、ちょ……! い、痛い! は、離して!」
後ろに回ったリリスに大人しく剥がされるティアちゃん。
二の腕にはくっきりと歯型が付き、左右の犬歯の位置から刺し傷の様に血が滲んでいた。
「やっぱり美味いのだ!」
血の広がった歯を見せて笑うティアちゃん。
その残りも味わう様に口の中で舌を動かす。
慌ててマリンがリュックから救急箱を取り出した。
「きゅ、急に噛まないでよ……痛いよ」
「美味しかったのだ! 褒めて遣わす!」
全然話聞いてないな。
呆れながらマリンから大人しく包帯を巻かれる。
「帝国に来て3日は経つ訳だけど、その間どうしてたの? ひ、人攫いとかしてないよね?」
「そんな事しないのだ。我は真なる吸血鬼。日光も血を飲む事も克服してる。鬼の系譜として本能的に欲するだけなのだ。お前ら人間と同じ食事で事足りる」
じゃあ今のは趣向品程度の感覚で飲んだのか。
まぁ、絶対に必要よりはそちらの方がいいが。
「うん。今日はこれで満足じゃ」
「そ、そりゃ良かったよ。ほんと」
僕は何だか疲れて言う。
その頃にはマリンによる手当ても終わっていた。
「やはりこれだけ美味い血を放っておくのは惜しいのだ。胃もたれしない程度に飲むのだ」
「や、嫌だよ。一緒に行くのはいいけど、血は吸わないでね?」
「嫌だ。血も吸う」
「吸っちゃダメ」
「やっ!」
「めっ!」
「やーなの!」
「めーなの!」
「んー! あむっ」
「痛った! こら早速!」
何か、先が思いやられるんですけど。
◯
カンカンと軽快な音が蒼穹の下に響いた。
徒歩で次の町へと移動している最中、女子組の為の休息中に僕とクレナは木刀で打ち合っていた。
「腕上げたな」
と、クレナが木刀を下げて言う。
「へへ」
僕は緩んだ笑みで応じた。
「これがアルディ陛下の言ってた前世還りの感覚か。正直嫉妬してしまうな。こんな簡単に腕を上げられては。まぁ、前世での鍛錬も含めて今のアズサなら、それも正当な努力の結果か」
と、クレナはそう評した。
やはりこっちの世界の死生観と言うか、輪廻に関する考えは独特だな。
僕は『あの人』の事以外じゃあまり前世の自分の事で実感が無いけど。
「その点レベル……は、適用されるのかな? アルディ陛下の話じゃ大分独特な身体の強化の仕方だったと思うが」
「ああ、うん。本来の力がどうとかね。レベルはどうだろうね? この体で適用されるのかねぇ」
クレナの言葉に僕は間伸びして応じる。
「そう言えば、クレナのレベルは幾つなの?」
「俺か? 多分15だな」
「えっと」
「同年代じゃ上の方だな。俺のランクはD−だから、その中で言えば低い方だが。技術で埋め合わせしてる」
「なるほどー。やっぱランクごとの平均レベルってあるの?」
「そうだな。レベルを基準にランクを決める場合もある。例えばD−以上となると、最低でも15は必要だな」
「レベル15でランクD−ってすごいんじゃない? しかもこんな若くしてと言うか」
「そうかもな。俺は基本単独だから周りは分からないが。だがまぁ、自分の歳の数と同じレベル数だと良いと聞くな。それよりも更に三つも上だと勤勉にレベル上げをした結果だと、よくレベルの上下の話になると持ち出されるな」
「へぇー」
僕は関心して頷く。
「レベル15以下はとても上がり易いって話だ。俺もこれからが本番だろうな」
と、クレナはそう言っていた。
「そう言ったレベルとかってさ、組合の方で測れるの?」
「ああ、そうだな。分かるのは主に種族、レベル、魔力量、闘気量、魔力適性、闘気適性と言った所だな」
「適性? 何それ」
「何と言うか、才能?練度?を、数値化した物と言うか。正確には身体が魔力や闘気にどれだけ慣れているかを表してるんだ。どれだけ円滑に身体を流れているか、と思えば分かりやすいかもな」
「なるほどぉ」
僕の体にレベルが適用されるとして、一体どれくらいなのだろ?
その他の能力値も少し気になる。
今度機会があったら測ってみるのもいいかもな。
◯
ティアちゃんが加わってから五日目。
班に分かれて僕とクレナで買い出しをしていた時の事。
「痛って! もう! ティア!?」
「わっはっはー! 油断する方が悪いのだー!」
手に鋭い痛みを覚えて僕はその元凶の名を呼ぶ。
僕は今しがた噛まれて血の滲む手を抑えながら、街を走り回るティアちゃんを眺めた。
この様にティアちゃんに噛み付かれる日々が続いていた。
つい呼び捨てになるくらいにはこのやり取りも慣れた光景になってしまっている。
由々しき事態だ。
にしてもこれでマリンやリリスとほぼ同年代か。
言っては何だが、こう、なんと言うか……
「にしてもクソガキだな」
「え、クレナ!?」
隣を歩いていたクレナの発言にぎょっと驚く。
「そ、そういう事言う人だったんだ」
僕の戸惑った視線に気づくと、クレナは一度態とらしい咳払いの仕草をし。
「国王陛下の御息女として接している以上、最低限の礼節を期待してしまっていた」
そう真面目に語る。
「肩の力抜きな。近所の子供みたいなもんだよ」
僕はその分適当に言った。
「子供は苦手なんだ」
「確かに苦手そー。ほら、笑ってみてよ。にー」
「にー」
「あっはは! めっちゃ下手じゃん!」
クレナは不服気な顔をしていた。
◯
宿屋の一室を借りて皆んなで寛いでいた時の事。
「うぅ。治りが早いのがせめてもの救いだな」
僕は床に座って腕に巻いた包帯を取りながら唸った。
傍には最早僕専用に成りつつある救急箱が置いてある。
「良い香りがするのだ。食欲が唆られるのだ」
「今日はもうダメ! 本当にダメ!」
「んー! けちっ」
血の匂いに釣られたらしいティアちゃんだが、僕が強めに言うと不服げに唸って悪態ついていた。
取った包帯には血の点が幾つか付いていて、ここ数日で噛み付かれた回数を物語っていた。
傷自体は塞がってるので実際こんなもんじゃないが。
この程度の傷なら昼間過ごしてるだけでも治るらしい。
いや、これは僕の治癒力が上がってるのかも知れない。
「リリスさんって、神聖術も使えるんですよね?」
と、僕の方をじっと見ていたマリンが言った。
「ええ。何度も言うように、私のは不完全ですが」
そのリリスの応えを聞いて、マリンは僕の腕の方へと視線を戻した。
「うーん。僕には効かないと思うよ? 僕の体って皆んなと違うし」
マリンの考えてる事を察して言う。
僕は生物的な血肉の体じゃないから、治癒系は効かないのだ。
それにリリスの治癒力は非常時用だろう。
「ってぇ!?」
とその時、背後からの軽い重みと共に、首筋に鋭い痛みが走る。
「ティア!? ダメだって! 離れて!」
何度も感じたこの湿り気のある温もりと、皮膚が圧迫され、同時に二箇所鋭く太い物がぶっ刺される痛み。更に体内の血が抜かれていく感覚。
僕にしがみ付いていたティアちゃんはリリスに剥がされていった。
首根っこ掴まれた猫の様にリリスから手綱を握られたティアちゃん。
ただ顔は満足気だ。
「もう! ティアちゃん? 急に噛み付かないでよ。って言うか噛まないでよ」
僕はティアちゃんの方を向いて詰めるが。
「美味いのだ〜」
そう本人は夢見心地な様子で間伸びして呟くのみ。
「はぁ」
全く反省も後悔も無い様子に溜め息つく他ない。
僕は自分で適当にガーゼを当てる。
「噛んだまま吸われた感じしたんだけど、どうなってるの?」
「吸血鬼の牙には穴が空いているのだ。これにより噛むだけでも気圧差で血が口内に噴き出るのだ」
なんつー嫌らしい仕組みだ。
「へぇ〜。ちょっと見せてよ」
「あっ」
話に興味を持ったらしいリシアが無防備に晒されたティアちゃんの口内を覗く。
「言われてみれば? かしら」
と、そう首を傾げていた。
ティアちゃんは口を閉じ。
「人間から直接飲む血がこんなに美味いとは知らなかったのだ! お前達のも吸わせろ!」
到頭仲間まで巻き込む宣言をしたティアちゃん。
流石にこれは黙ってられない。
「いや、それは流石に横暴が過ぎるよ。とにかく何でも貰える物と思ったらダメ!」
「何故なのだ?」
「な、何故って……人は其々を尊重し合う様にできてるの。奪い合う世の中じゃ疲れちゃうよ」
「でも世の中は奪い合いじゃ無いのか?」
本当にそう思ってる顔で問われた。
立場上歴史の事は深い理解を持ってるだろう事を察する。
「分かったよ。世の中が奪い合いだとしても、気心の知れた隣人とまで奪い合いをしては切りが無いでしょう? 僕らと一緒に居たいなら、僕らを尊重してくれないと、僕らもティアちゃんを尊重できないよ?」
僕は真っ直ぐにティアちゃんを見返して言う。
紫水晶の綺麗な瞳の少女はそれに言葉を詰まらせた。
「それに人間やお前じゃなくて預咲だよ。雨斗預咲って名前がちゃんとあるの。ティアちゃんも魔族って括られて呼ばれたくないでしょ?」
畳み掛けて言った言葉に、ティアちゃんは暫しの反芻する様な表情で間を空けた。
「分かったのだ。アズサ」
そしていつもの元気が有り余る様子とは少し違う、真面目な様子で応えた。
意外と聞き分けが良くてほっとする。
「家名があるなんて初耳だな」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
と、クレナから言葉が飛んで応じる。
「ま、名前が分かればそれでいい」
そう瞼を下ろして肩を竦めていた。
と、考え込んでいた様子のティアちゃんが顔を上げ。
「これからは一日三回に我慢するのだ! それもアズサからしか吸わないのだ!」
「え? 話聞いてた?」
宣ったそれに不安が残るばかりだった。
◯
「それにね? ティアちゃん。人の体液には色んな菌とか抗体が含まれてるの。その血が混ざったりでもしてごらん? 感染症って言って病気になっちゃう場合もあるんだよ? だから無闇矢鱈と人に噛みついちゃダメなんだよ?」
「そんなの知ってるのだ。散々クロムから聞かされてるのだ」
草原と山々の風景広がる郊外を歩いて移動中での事。
僕はティアちゃんへ懇々と言い聞かせていた。
「魔族の人達と比べてどうかは分からないけど、人間はこの感染症で死んじゃう事だってあるの。そう言った意味でも噛み付くってのは」
「んー、うるさいのだぁー!」
到頭焦れた様に叫ぶティアちゃん。
この子はあれだ。堪え性が無さ過ぎる。
少し呆れ諦め気味な気持ちになっていた時に。
「前方注意!」
クレナの言葉が響き、各自陣形を組んだ。
非戦闘員は中央に、前衛の僕とクレナは剣を抜いて前に立つ。
草原の先を見ると猪の様な動物が居るのが見えた。
「雑食猪か……面倒な。あいつは人も食うぞ」
クレナの言葉に緊張が走る。
遠目からでもかなり大きい。
100メートル以上距離があって、向こうがこちらに気付いてるかは微妙だった。
猪と言うからには愚直に突っ込んで来そうだ。
守らなきゃいけない人が居る今ではある意味それが一番厄介かもしれない。
できればやり過ごしたいが。
「おお! あれが魔物かぁ! すごいな!」
と、途端機嫌が直ったらしいティアちゃんが興奮した様子で言う。
「ばっ……! ティア姫、ここはご静粛にお願い致しますっ」
思わぬ身内の失態、と言った具合にクレナが焦って言う。
それが要因かは不明だが、ともかくその猪は僕らに気付き向かって来た。
それも速い。ものの十秒もしない内に距離を詰めてきた。
「くっ。アズサ、俺に続け」
一瞬苦渋の表情を見せたが直ぐに冷静さを取り戻した様に言って、猪へとクレナは向かった。
それも真正面からだ。
クレナが考え無しに向かうとは思えないのと、単純に背中越しなのに安心して僕も続く。
そしてと打つかってしまうかと思われた寸前、クレナは猪の頭上を飛んで宙返りした。
それも猪の脳天から剣を突き刺している。
猪はクレナを頭突きするつもりだったのか、それとも剣が刺し込まれた反射だったのか、一度頭を大きく上へ空振った。
クレナは猪の向こう側で余裕に着地する。
早速戦闘は終わったかと思われたが、猪は寧ろ興奮した様に頭をぶんぶんと振っていた。
剣を振り落とそうとしてる様だ。
(こいつマジか。脳天に剣ぶっ刺さってるんだぞ!?)
深々と刺し込まれた剣は確実に頭蓋を貫き脳へと達してる筈だった。
が、猪は一種昂揚した様子で暴れていた。
僕はそれに引きつつも斬りかかる。
狙うは目だ。
「くっ!」
が、猪は前駆を上げて僕に伸し掛かる様な形で被さって来た。
剣を横に猪の大きな前脚を受け止める。腕から全身に伝わる重圧。鋭い爪が紅の刀身と金切り音を響かせる。
──何で猪の癖に鉤爪なんだよ……!
そう内心で悪態つきながら、覗かせた並ぶ牙を見て、猪の体を横に流す。
「私も混ぜろ! お前達だけ狡いぞ!」
「なっ! ティア! 来ちゃダメだ!」
声に思わず振り返ったが、ティアちゃんの事はしっかりとリリスが襟首を握っていた。
だが猪の方はそれに反応して皆んなの方へ駆け出した。
その距離は瞬く間に縮まる。
パァンッと発砲音が響いた。リシアが猟銃で撃った音だった。
弾は猪に命中した様で、衝撃に転ぶがまたすぐに起き上がり駆け出そうとした。
「くっそぅ!」
その間に飛び乗って捕まえるので精一杯だった。
一抱え以上ある猪を力の限り抑え込む。腕の中で暴れる猪。
そしてクレナが追いつき、猪の脳天に刺さった剣を更に蹴り込んだ。
猪はそれにびくりと体を震わせて、体の節々を痙攣させながら力を失くしていった。
漸く絶命した様だ。
「無茶するな。怪我は無いか?」
クレナの手を取って立ち上がる。
全員無事な様でほっとする。
放り投げてしまっていた相棒を拾った。大事に肌身離さずとか言っておいてかなり雑な扱いだ。
ごめんよ相棒。
と、クレナも猪の頭を踏んで剣を引き抜きながら、猪の死体を眺めていた。
「こいつは雑食猪かと思っていたが、特徴からして狼猪獣か」
「雑食猪の変異種ね。しぶとい訳だわ」
そう呟くクレナとリシア。
よくよく見れば猪の牙がある癖に狼の様な体躯をしていた。
全長は二メートル近くあり、それぞれのいいとこ取りの魔物と言った感じか。
「一応、E+の魔物らしいぞ」
これでE+か。
僕の強さはDらしいが、魔王さん、僕を過大評価し過ぎじゃないか?
いや、それか圧倒的経験不足を体の強さと前世還りの剣技で補ってると言った所か。
「番いで狩をするらしいから討伐依頼はDで出るらしいがな」
「え? 番い?」
と、僕はその言葉に聞き返し、クレナも言われてハッした様に表情を強張らせた。
そしてその時になって茂みの方から飛び出る影に気付いた。
無論、狼猪獣だ。狼猪獣は真っ直ぐにティアの方へと飛び掛かって居た。
一、二秒の時間が引き伸ばされた様に感じる。
どうやら最初っからこいつらの狩場に入っていたらしい。
的確に非戦闘員を狙う狡猾さも持ち合わせている。
そんな思考も隅に場を睥睨する。
リリスがティアを後ろに引っ張り、僕は反射的に剣を狼猪獣のある一点目掛けて振り上げた。
横から胸部に刺さる剣。狼猪獣の勢いは止まらず鉤爪がティアの前腕を斬りつけた。
地面に倒れる狼猪獣。僕はすぐに剣を突き立てる姿勢で体重と力を込めより深くへと刺し込んだ。
殺す殺す殺す殺す殺す。絶対に今ここで殺す!
踠く様に脚を動かす狼猪獣。こちらを睨む目と合った。
そして狼猪獣は次第に力を失い、白目を剥いて絶命した。
漸く緊張を解く事ができ、僕は余計な力を脱力した。
と、場に誰かの啜り泣く声が渡った。
「ひっく、えっぐ……痛いよぉ。パパぁ」
それはティアちゃんの声だった。
手に大きく爪で引っ掻かれた傷を付け、血を垂らしている。
ティアちゃんは時折りひくつきながら涙を流していた。
すぐにマリンがリュックを漁って救急箱を取り出す。
「り、リリス、使い時じゃない?」
僕は神聖術とやらの事を指して言った。
「いえ、魔の系譜には逆効果かと」
「そ、そうなんだ」
現状、魔法の様な力で癒してあげる事はできないと。
大人でも辛い様な深い傷だ。
マリンが優しく包帯を巻いてあげた後も、ティアちゃんは泣き続けていた。
「ティアちゃん。もう大丈夫だよ」
なるべく安心させられる様言ったが、ティアちゃんは首を横に振る。
「ごべんなざいっ。こんなに痛いって、知らなくて」
そして紡いだ言葉は泣き言では無くそんな謝罪だった。
小さな身に余る痛みであろうに、そこから気付いて更に素直に謝る事ができたのは単純に凄い事だと思った。
「いいよ、怒ってないから。よしよし、気づけて偉いね」
僕はティアちゃんの頭を撫でた。
「これは持論だけど、痛みを知るとその分人に優しくなれるんだ」
僕は膝を突いて視線を同じにする。
「それが反発する悪い方向に行く人も居るかもしれないけど、ティアちゃんには、人の痛みと優しさを知って、それに寄り添ったり与える人になってほしいんだ」
そしてそう諭した。
「ティアならできるよね?」
「……ん」
僕の問いかけたそれに、ティアちゃんは小さく頷いていた。
それからティアちゃんが僕に噛み付く事は無くなった。




