92:女神降臨
大変ありがたい事に浴場まで貸してもらえた。
この世界に湯に浸かる習慣はあまり無いからとてもありがたかった。
ロビアから始まって山脈を通り王城へと着く、その間全ての疲れを洗い流すかの様だった。
いっそこの為に旅をしてたのかもしれない。
そう思ってつい長風呂した後、用意されていた無難な寝衣を選んで袖を通し、時間的にもそろそろ寝る頃だと部屋で寛いでいた時に。
部屋の扉が控えめにノックされた。僕は扉を開ける。
「あら、マリン。どうかしたの?」
と、そこに居たのはマリンだった。
可愛らしい白のネグリジェ姿で華奢な肩が露出する。
髪はしっとりと濡れていて、ほのかな石鹸の香りと共に湯上がりである事を知らせる。
それは紅潮した頬からも分かった。
「え、えーと。その。は、話いいですか?」
「もちろん。おいで」
僕はマリンを部屋に招き入れる。
椅子に座ってマリンにもベットへ腰かける様促したが、マリンは動こうとしない。
椅子が良かったかと立ち上がってみたが、それでもない様子。
何やら真剣な様子を酌み、僕は座ることなくマリンと向かい合った。
「あ、あの。改めて、ありがとうございました」
と、そう言ってマリンは頭を下げた。
「あ、アズサさんが皆んなを引っ張って……は、無いと思いますけど。皆んなの気持ちを動かして、私も動かされて。ここまで来れたんだと思います」
マリンはそんな気持ちを吐露し。
「私の呪いが解けたのはアズサさんのお陰です! ……あと皆んなのお陰です!」
目を瞑る程、必死に伝えようとしていた。
「上手く言えないんですけど、本当にアズサさんのお陰とも思って居ますし、皆んなさん一人一人のお陰だとも思ってるんです。誰が欠けても私はここに来る事ができなかったと思います」
一度冷静になってそう話し、僕の目を見上げ。
「だから、ありがとうございます」
もう一度、改めて頭を下げた。
マリンのこれ程までに真っ直ぐな気持ちと目線は初めての様な気がした。
それは呪いが解けたからなのか、僕にはいっそ関係の無い事の気がした。
「うん。来た甲斐があったよ。お礼はこれからの笑顔で返してね」
僕はそれに微笑んで返した。
「は、はい」
そうか細く応じるマリンの頬が更に紅潮して見えた。
「マリン、大丈夫? 逆上せてるんじゃない?」
「え!? いや、これは」
慌てた様に両手で頬を挟むマリン。体温を確認する様に指の背でも触れる。
「だ、大丈夫です」
「そう? 無理しないでね?」
こくこくと頷くマリンの頬は紅潮したままだった。
「皆んなにはお礼言ったの?」
「は、はい。一人一人回って、エリィさんは居なかったけど、一応アズサさんが最後で……」
それを機に、マリンは視線を下に泳がせたまま黙ってしまう。
話は終わった様だが、まだ何かあるのかと僕が視線を向け続けたまま待っていると。
「あ、あと……もう一つあって」
次第、弱々しい声で言ったマリン。
「え、えと。アズサさん、その」
マリンは何度も言い澱む様に言葉を転がしてから。
「だ、ダメじゃないです!」
「え……と。何が?」
ついに言ったその言葉は、音量調整をミスしたろう事の他にも、主語が無くて僕は呆然と問い返した。
「そ、その。とにかく、ダメじゃないんです!」
「そ、そうなの?」
何の改善も無く強調されては合わせる他ない。
「あ、あ、あの。あと、アズサさんだけしてもらってないって言うか。い、いや序でみたいな言い方じゃないんですけど、やっぱりして欲しいのかも知れないみたいな」
「え、えーと。ごめん。何の話?」
「そ、それは、えと」
視線を漂わせるマリン。途端、ぱっと明るく顔を上げ。
「あ! そ、そうだ! リシアさんから聞きましたよ! ほら、竜と会敵した時の事。て、て、て事は、アズサさんもその、後私だけって事ですよね?」
そう期待と興奮に満ちた目で見るマリン。
「こ、これはほら。お互いにその、完全無欠にしたい的な?」
言葉の勢いだけはぐいぐいと来るマリン。
「えー、とー」
僕からは何も話が進んでおらず、当然当惑してしまう。
「す、すみません……やっぱ、なんでもないです」
と、途端冷静になった様に肩を落とし、マリンはすごすごと帰って行った。
な、何だったんだ?
◯
全く持って謎な事に、この城で約十日の日数が経った。
何やら魔王さんからのお願いらしく、快適に過ごせる身としては願ったり叶ったりなのだが。
……後で請求とか来ないよね?
あとエリィを全く見かけないのも謎だ。多分グレンに顔見せに行ってるんだろうけど。
そんな風に疑問が続いたある日、いつもの様にロビーの様な空間で皆んなと寛いでいた時の事。
コンコンッと、扉をノックする音が聞こえ、皆が扉の方を向いた。
僕もリリスから単語を教わっていたが顔を上げる。
「あ、えっとぉ……どうもぉ」
そうおずおずと挨拶しながら入ってきた少女。
その少女は美しい薄桃紫の銀髪を肩口で揃え、瞳の色は桃紫色。祭服の見た目と着物の特徴を合わせた様な格好をし、それは所々髪色と同じ刺繍が入っていた。
それは紛れも無い、女神エリアであった。
「わっ」
と、リリスが真っ先に抱き付きに行き、軽い驚き声がエリア様から漏れる。
驚いた顔もすぐに慈愛に満ちた顔付きに変わり、エリア様はリリスの頭を撫でた。
「え、エリア様!? ど、どうしてここに」
僕は信じられない思いで立ち上がる。
「あ、ははは。実は君た……預咲く……さん達の旅路をずっと見守ってたんですけど。ほら、ここに天界を行き来する魔法陣があるって話じゃないですか? それでちょちょっと、ね?」
なるほど。魔王さんは天界と交流があるから。
久々の再会で舌筆に尽くしがたい物が込み上げる。
「ずっと会いたかったです」
「私もですよ」
僕の言葉にエリア様はそう微笑んで返した。
「あ、今のは気持ち的な意味で」
と、謎に付け加えていた。
リリスは抱擁をやめると、エリア様と手を繋いで隣に落ち着いた。
その頃には皆んなも近くに集まって来ていた。
「あ、どうも。クレナさん。あの時の依頼振りですね」
と、エリア様に話しかけられ、半ば呆然としてたらしいクレナはハッとその場に跪いた。
「お久しぶりです。女神エリア様。私の様な一介の者まで覚えてくださるとは至極の幸福で御座います。先の件は私の愚鈍さにより女神様とは露知らず、大変なご無礼を致しました」
「ええ!? ちょ、ちょっとそんな畏まらないでくださいよ! 一緒に旅した仲なんですし!」
それにわたわたと慌て出すエリア様。
旅まで一緒にしてないと思うが……まぁいいか。
「あ、ちょっと。マリンさんもリシアさんも続かなくていいから!」
三人を落ち着かせるのに割と時間が掛かった。
◯
「えーと。改めて紹介すると、女神エリア様です。この前言ってたもう一人の仲間の人ね」
「ど、どうも〜」
僕はエリア様を背後に手を向けて紹介した。
それに軽くエリア様も応じる。
反応は三者三様と言った様子だった。
「まさか本当にねぇ」
そう感心深そうに言ったリシア。クレナは今更驚いた様子は無いが、マリンは目を丸くしていた。
「逆にエリア様。あれからできた僕らの仲間です。クレナとその妹のマリン。そしてリシアです」
僕は振り返ってそれぞれ紹介する。
「お初にお目にかかりますわ。女神様」
「あ、はは。え、エリアで大丈夫です」
胸に手を当ててお辞儀したリシアに、エリア様はぎこちない笑顔で目を泳がせている。
意外とグイグイ来られると参っちゃうタイプなのかな?
でもまだリシアは大人しくしてるけど。
「あ。そ、そうだ。お二人とも、再会できて良かったですね」
「ありがとうございます」
エリア様に言われ、クレナも同じ様にお辞儀した。
一人話が分からない様子のマリン。
「女神エリア様はかつて一緒にマリンを探してくれたんだぞ?」
「えぇ!? そ、そんなっ。畏れ多ぃ」
クレナに説明されたそれにマリンは小さくなっていた。
んー。まぁ、天界に帰らない為の言い訳に依頼を受けた事は黙っておくか。言わぬがあれだ。ほらあれ。
「あ! じゃ、じゃあもしかして私達を保護?管理?してた女神様って、エリア様の事? そう言えば、家には紫髪の女神様の肖像画があった様な」
と、マリンは思い出す様に顔を仰ぐ。
その言葉に期待の篭った様な視線がエリア様に集まった。
それにエリア様は苦笑いなのかよく分からない微妙な表情で全員から目を逸らす。
「え、えーと。違いますね」
うわぁ。気まず。
「まぁ、エリア様があの地を管理する何て面倒な事しませんよね。そもそも自分の教会の場所もよく分かっていませんでしたし」
「あ、預咲さん? いつの間にそんな背後から刺す様な言動を……」
「うーん。割と初期からでは?」
「言われてそんな気もしてくるのが悲しい」
エリア様はそう大仰に胸が痛んだと手で抑えていた。
とにもかくにも、僕らは久々の再会を果たし、会話に花を咲かせたのだった。




