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09 平和荘 (5)

 つまり松本さんと話したときのあの違和感は、すべて気のせいなんかじゃなかったってことだ。そうとわかると、今度は自分が違和感を持ったことが不思議に思えてきた。だって日本人らしい顔で、日本の名前を名乗り、ごく自然な日本語を話してる人に、どうして「日本人っぽくない」なんて感じたんだろう。そんな繊細な感覚を自分が持っていたらしいことに、びっくりだ。


 そして、ふと気づいてしまった。私、この住人の中で唯一の本物の日本人じゃない? いや、日本人に本物やニセモノがあるのかって聞かれると困るんだけど。でもとにかく、日本生まれの日本育ちで、日本の国籍を持っているのって、この中じゃ私だけ。


 ジョージは普通にアメリカ人だし、メアリーとザイームは日本語が流暢なだけで外国人だし、日本で生まれ育ったと言ってもステファンはフランス人だし、見た目が日本人で、日本語を話していても松本さんはブラジル人だ。


 いつも日本人としては疎外感があったので、これはとても新鮮な感覚だった。


 そして、そんな人たちが集まって話しているのが日本語というところが、何だか面白かった。そう言えばステファンは「異界の狭間みたいな場所」とか言っていたけど、そういう意味だったのかな。異界というか、小さな国連みたいだ。


 そんなことを頭の中で考えながら食事をしていたら、ステファンの紹介はまだ終わっていなかった。


「あともうひとりいるんだ。名前は、アンドリュー・ダルトン。千紘ちゃんと同い年で、同じ学校に通うことになってるんだけど、千紘ちゃんはたぶん──」


 ステファンが言い終わる前に、「ごめん、遅くなった!」と言いながら部屋に飛び込んできた人がいた。それを見てステファンは口もとに笑みを浮かべて、入ってきた人のほうを手で指し示す。


「彼が、アンドリュー・ダルトン」


 私は、アンドリューの顔を見てあっけに取られた。だって、知っている顔だったから。


「え、北川君……?」

「うん、これからもよろしく」


 アンドリュー・ダルトンこと北川君は、笑顔で挨拶しながら食事の席についた。その様子を呆然と眺めていたら、またひとつ、おかしなことに気づいてしまった。この人、目が青い。前はこんな色じゃなかったはずなのに。


「あれ? カラーコンタクト?」

「そうだよ。もう必要ないから、外した」

「え、外した?」

「うん、こっちが地の色なんだよ。明日、髪の色も戻してくる」


 なんと、地毛は金髪なのだそうだ。私と一緒じゃないの。中学では校則で髪の染色や脱色を禁止していたから、地毛がウェーブのある金髪の私は地毛証明書を提出させられていた。それを回避するために黒染めしていたらしい。まつげと眉毛まで染めてたという念の入れようだ。染色禁止なのに。ずるい。髪だけ黒くて目が青いと悪目立ちしそうだから、目の色も変えたそうだ。いや、確かに溶け込んでたけどさあ。


 顔立ちが日本人離れしていても、色を合わせただけであんなに溶け込めるものとは。私なんて、地毛証明書を出しただけでなく、ウェーブが目立たないよう結んでいたのに。


 納得できない思いを抱えて、心の中で中学時代のあれこれに呪詛を吐いている間に、ステファンが北川君の事情を説明してくれた。


 北川君は、二重国籍だった。日本とイギリスの国籍を持っていると言う。日本の名前が北川雅人で、イギリスの名前がアンドリュー・ダルトン。パスポートも二つ持っていて、日本のパスポートとイギリスのパスポートで名前が違うのだそうだ。


「ステファンに頼まれて転校したんだけど、たいして役には立たなかったね……」


 私が伯父に引き取られた後、伯父に接触を拒否され続けたステファンは、私を近くで見守る役目を北川君に託したらしい。それで北川君はこちらの学校を休学して、私と美奈のいた中学に転校してきていた。


「よくご両親が許してくれたね」

「日本にいないからね。割と放任なんだ」

「じゃあ、ひとり暮らしだったの?」

「いや。あっちの中学は下宿だったよ」


 今どき下宿とは、珍しい。普通に下宿と言ったら、たいていはアパートなどでのひとり暮らしのことだろう。でも北川君の言う下宿は、古式ゆかしい下宿、すなわちホームステイのことだった。


 あちらでは、受験のための願書さえ出していないそうだ。中学を卒業したら、こちらの学校に戻ると決まっていたから。下宿の荷物は、昨日のうちにまとめておいた。今日は荷物を発送して、下宿先に挨拶してから、電車でこちらに戻って来たのだと言う。


 それはそうと、中学で不愉快な男子コンビに絡まれているとき、北川君がそれとなく助けてくれた気がしたのは、気のせいじゃなかったらしい。ただし、何とかしたいと北川君が思っても、彼が助けられるときは限られている。だって、いつも一緒にいるわけじゃないから。


 彼は美奈を中心とした女子グループの動きも、何となく察していたそうだ。うかつに近づきすぎるとよけいにこじれるだろうと思って、あまり積極的には動けなかったと謝られた。


「あれくらいしかできなくて、ごめん」

「ううん。それでも結構助かってたよ。ありがとう」


 むしろ苦手意識を持っていた、こちらこそごめん。北川君と私がお互いに謝罪し合っていると、ステファンから事情の説明を求められた。二人でそれぞれ説明すると、ステファンの表情が険しくなっていく。彼は眉間にしわを寄せたまま、むっつりと吐き捨てた。


「学校もそんなにひどかったのか。進学を待たずに転校させればよかったな」


 進学のタイミングで伯父の家を出ようと計画したのは私だから、ステファンは何も悪くない。途中で転校しようとしたら、伯父と真っ向から衝突することになって、もっとずっと面倒くさかったんじゃないかと思う。


 私の擁護を聞き流し、メアリーはステファンの「学校も」という言葉に反応した。


「学校もってことは、家でも何かあったの?」

「ああ。千紘ちゃんは伯父さんの家で、経済的虐待と心理的虐待を受けてたんだよ」


 ステファンの使った「虐待」という強い言葉にびっくりしたけれども、それと同時に「そうか、あれは虐待だったのか」と納得する気持ちもあった。伯父の家から逃げられてよかった。もう両親のことを馬鹿にするような言葉を聞かなくていい。学校で男子コンビにしつこく絡まれることもなくなる。


 伯父に勝手にマンションを引き払われて持ち物を処分されたことや、たびたび伯父が私にひどい言葉をかけていたことをステファンが説明すると、メアリーは鼻の上にしわを寄せて「最低!」と吐き捨てた。わかってもらえた気がして、うれしかった。私にはそれで十分だ。だから私は笑顔をつくって、話題を変えた。


「でも、もう関係ない人たちですから。それより、このシェアハウスのことについて教えてくださいよ。朝ご飯はどうすればいいんですか? 食事の当番とかあります?」


 朝食も夕食も、自分で作る必要がないと聞いて驚いた。ブラウニー・アンに頼んでおけばいいと言う。そう言えば、洗濯物もブラウニー・アンに頼むよう言われてたっけ。たぶんブラウニー・アンに頼むと、ハウスキーピングを請け負っているところに連絡が行って、誰かが派遣されてくるんじゃないかと思う。


 私の想像していたシェアハウスとは何か違うけど、自分で食事の用意をしなくていいのはありがたかった。

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