04 卒業式 (4)
教室を出た後は、まっすぐ裏門に向かった。門のところには背の高い男がひとり、人待ち顔で立っている。待たせているのは私なので、小走り気味に近づいて「お待たせ」と声をかけた。
「ああ、千紘ちゃん。大丈夫、そんなに待ってないよ。それより、卒業おめでとう」
「ありがとう」
この男はステファン・キュヴィエという名前の弁護士で、私の後見人となっている人だ。母は、自分の身に何かあったときのために、後見人を指名しておいてくれたそうだ。だから本当は、進学先を決めるのに伯父の許可なんて必要ない。
ステファンは、生まれも育ちも日本という、少し変わったフランス人だ。日本生まれで日本育ちだけど、両親ともフランス人だからフランス国籍。子どもの頃から散々ガイジン扱いされてきたと聞いて、勝手にものすごく共感した。歳は四十過ぎで、父とは仕事の付き合いがあったらしい。
県外受験できたのは、担任の先生ともうひとり、このステファンのおかげだ。
実を言うと、特待生枠で合格したのは本当だけど、特待生に生活費が支給されるというのは嘘。でも、ステファンからはそう言えと言われていた。実際の生活費はステファンから渡されることになっている。いずれにしても伯父の懐が痛まないのは変わらないから、それほどひどい嘘ではない、はずだ。
私がステファンと出会ったのは、伯父の家に引き取られて半年ほど経ち、進路について真剣に考え始めた頃のことだ。学校帰りの私をつかまえて、ステファンは話しかけてきた。
「千紘ちゃん? きみ、佐藤千紘ちゃんだよね?」
「はい、そうですけど」
警戒心をむき出しにしている私に名刺を渡し、母の字で書かれた後見人指名の紙を見せてから「少し話をしたい」と言った。母の字を見なかったら、こわくて喫茶店になんて着いていかなかったと思う。
「連絡するのが遅くなっちゃって、ごめんねえ」
ステファンは母の失踪を一か月ほど経ってから知り、あわてて私に連絡を取ろうとした。間の悪いことに、それはちょうど私が伯父の家に引き取られた直後だった。私の行き先を知るのは、結構大変だったらしい。この頃は個人情報保護を気にして、なかなか教えてもらえないから。それでまず裁判所に未成年後見人の申し立てをしたりして、準備に時間がかかったのだそうだ。
やっと伯父のところにいると突き止めて、家を訪ねてみたものの、私には会わせてもらえなかった。けんもほろろに追い返されたそうだ。それを聞いても、驚きはない。まあ、あの伯父ならそうなりそうだなあ、と思うだけだ。特にステファンのこの、見るからに日本人じゃない外見に拒否感を示しそう。何度も訪ねてみてダメだったので、通学路で待ち伏せするという荒技に出たのだそうだ。
ステファンは、伯父の家や学校での私の状況について詳しく聞き出し、その上で進学をどうしたいかと私に尋ねた。
「まず、伯父の家から出たい。それと、美奈と違う学校に進学したいです」
我ながら何という消極的な希望だろうかと思う。逃げることしか考えてない。でも、それくらいつらかった。とにかく逃げ出したかった。
ステファンは私の希望を聞いてうなずいてから、スマホを与えてくれた。家の固定電話しか使えない状態だと、全部伯父に筒抜けになってしまうから、まずは安全な連絡手段が必要だ、と言って。
「メッセージアプリに友だち登録済みだから、いつでも連絡ちょうだい」
進学についての大まかな作戦を立てたのは私だけど、進学先の候補を調べて絞り込んだり、受験のための手続きを調べたりするのは、担任の先生とステファンに大いに手伝ってもらった。こういう調べ物に、スマホはとても役に立つ。
その次に、ステファンは最寄りの郵便局に行って転送届と局留めの手続きをするよう教えてくれた。この手続きも、ステファンが後見人という正式な保護者の立場にいてくれたからこそできたことで、自分ひとりでは無理だったと思う。こうしておくと、郵便を家に配達せずに、指定した郵便局で預かってくれるのだ。つまり、伯父や伯母に知られることなく受験の書類を受け取れる。
ただしその代わり、自分で郵便局に受け取りに行かなくてはならない。でも希望の進学先を受験するためだと思えば、毎日学校帰りにちょっと遠回りするくらい、どうってことなかった。おかげで、こうして希望どおりに進学できたわけだから。
今日の卒業式にステファンが迎えに来たのは、伯父の家には戻らず、もうこのまま引っ越してしまうつもりだからだ。荷物は昨日のうちに段ボール二個にまとめておいた。もともとそれほど荷物は多くない。何しろ、伯父に引き取られるときに、ほとんどすべてを捨てられてしまったから。
私の家は東京都心にある賃貸マンションだったのだけど、伯父は「誰も住まない家に金を払い続けるなんて馬鹿馬鹿しい」と言って、勝手に解約してしまった。その上、私に段ボール二個分の荷物の持ち出しだけ認めて、それ以外すべて勝手に処分してしまった。伯父にそんな権利はないはずなのに。
でも子どもの私は、おかしいと思っても、どれほど悔しく悲しくても、言われたとおりにする以外なかった。伯父にされたことの中で、思い出の品をすべて捨てられてしまったことが一番許せない。
伯父の家に持ち込みを許されたのが段ボール二個分の荷物だけだったから、持ち出すのも段ボール二個分。この二年間、荷物はほとんど増えなかった。寝る場所と食事は提供してもらったけど、基本的に何も買ってもらってないし、自分で買うお金も持ってない。お小遣いをくれないどころか、前の家を引き払うときにキャッシュカードまで取り上げられてしまっていたので、貯金も下ろせなかった。
キャッシュカードを再発行してもらおうにも、再発行したカードは銀行の窓口では受け取れないと言う。家に郵送する以外の方法では再発行できないそうだ。家に送られたらまた取り上げられるだけなので、再発行は諦めた。
だから荷物は、基本的に衣類だけ。あと文房具と母のアクセサリー類が少々。大きめの段ボール二個で十分収まってしまう。この荷物はすでにステファンが回収済み。ちなみに取り上げられていたキャッシュカードは、荷物の回収時にステファンが取り戻してくれている。母の預金の通帳とカードと印鑑も一緒に。
これでやっと本当に伯父と縁が切れると思うと、心の底からホッとした。
今日は美奈の卒業式でもあるから、伯母が参列に来ている。でももう、敢えてわざわざ挨拶しようとも思わなかった。
伯父は二日前に「好きにしろ」と言った後は、私のことをガン無視状態だ。それでも一応、朝、家を出てくるときに「今までお世話になりました」と声はかけておいた。返事はなかった。
ステファンの車は、学校の敷地内にある駐車場に停めてあった。白のミニバンだ。助手席に座ってシートベルトを締める。
「どれくらいの時間で着きます?」
「高速使って、一時間くらいかなー」
思っていたより早かった。車なら二時間はかかると思って覚悟していたのに。ステファンはエンジンをかけながら、ちらりと腕時計に目をやった。
「でも、そろそろお昼だね。どこかで食べて行こっか。何が食べたい?」
「何でもいいですよ」
「うーん。そういう答えが一番困るんだよね……」
本当に何でもいいんだけどな。普通のレストランでも、ファミレスでも、ファーストフードでも。だけど強いて言うなら、早く着きたいから早く食べられるものがいい。ステファンにそう言ったら、スマホを開いて何か検索しながら二択を示された。
「牛丼とハンバーガーなら、どっちがいい?」
「ハンバーガーかな」
「おっけ」
ステファンが調べたのは、学校のすぐ近くにある、ハンバーガーチェーンのランキング一位のお店だった。そこで簡単に昼食を済ませてから、新居に向かって出発した。