32 三番目の過去 (2)
いつもと同じように、シュヴァリエは私に尋ねる。
『おかえり、チヒロ。今度は何を見てきたのかな』
『すごく昔のこと、たぶん私の生まれる前の出来事を見てきました』
隠し部屋に置かれた椅子に腰を下ろしたシュヴァリエの横に、アンドリューが首をかしげてお座りしている。蓄音機に耳を傾ける、どこかの有名な犬の絵みたいだ。
明らかにシュヴァリエが話の続きを待っているので、私は言葉を選びながら続ける。
『母の知り合いと、伯父が一緒に食事をしながら話している場面を見てきました。そこでは、その人が母と知り合ったきっかけの話をしてました。その人には伯父がお世話になったらしいし、私のことも気に掛けてくれてたようだし、すごく面倒見のいい人みたいです』
『そうか。あなたは本当に周りに恵まれているんだね』
『はい、そう思います』
シュヴァリエに返事をしながら「伯父の一家以外はね」と心の中でだけ追加した。
そして特に期待しないまま、定型の質問をする。
『何か思い出したことはありますか』
シュヴァリエは『がっかりさせて、すまない』と言いながら、首を横に振った。でも、これまでと違って今回はその後に少し言葉が続いた。
『思い出したことは何もないが、ただ──』
『何かありました?』
口ごもったシュヴァリエに、私は水を向けてみた。彼はあごに手を当てて、しばらく考え込んだ末、『いや、何でもない』とまた首を横に振る。
私は眉根を寄せた。
わざわざ言いかけたくらいだから、きっと何かあったはずだ。これは流さないほうがいい気がする。
『どんなことでもいいから、教えてください。もしかしたら手がかりになるかもしれないし』
『いや、でも、本当に何でもないんだ。ただの気分の問題だから』
『気分っていうと?』
『何となく、モヤモヤとした気持ちになっただけなんだよ。記憶でも何でもなくて、すまないね』
なるほど。わざわざ口にするほどの内容じゃなかったということか。
『何にモヤモヤしたんでしょうね?』
『さあ。それさえも、わからないんだ』
シュヴァリエと話しながら、あんな漠然とした説明だけじゃ、聞いているほうはモヤモヤもするだろうなあ、と思った。シュヴァリエの気分の問題というより、私の説明の仕方が悪いだけのような気もする。
かと言って、私の個人的な話を詳しく説明するのもどうかと思うし。
それにしても、今回は私の過去でさえなかった。母の名前が出てくるという意味では、私に関連していると言えないこともない。でも、シュヴァリエの記憶を呼び覚ますものとは、とても思えなかった。
だって、私はここでも異分子のような気がする。日本人なのに日本に溶け込めていないように、このゲーム世界でも浮いた存在なんじゃないだろうか。
これならいっそ、ゲームで見た内容を話したほうがまだマシのような気がする。
こんなことで、本当に呪いは解けるのかな。さっぱり自信がない。
でもとりあえず、まずはお腹がすいた。隠し部屋の鍵を手に入れるまでに、結構あちこち歩き回ったから、くたびれてもいる。私はアンドリューに声をかけた。
「ご飯にする?」
アンドリューはうなずくとパッと立ち上がり、部屋の入り口へ向かう。私はシュヴァリエと一緒にその後ろを追いかけた。
玄関ホールで簡素な夕食をとりながら、私はアンドリューに「ねえ」と話しかけた。アンドリューはドッグフードに食いついていた頭を上げて、モグモグしながら首をかしげてこちらに顔を向ける。
「ゲームで見た過去の記憶を、シュヴァリエに話してみたら役に立つと思う?」
アンドリューは口の中のものをごくんと飲み込んでから、首をかしげた。うなずくでも、首を横に振るでもない。わからない、ということなんだろう。まあ、そうだよね。
「試しに、話してみてもいい?」
アンドリューはしばらく首をひねって考え込んでから、おもむろにうなずいた。ぜひやってみて、とは言えないけれども、まあ、害もないだろうし、いいんじゃないの、という感じだろうか。
私はおずおずとシュヴァリエに声をかけた。
『試しに聞いてほしい話があるんですけど、いいですか?』
『もちろん。どんな話だろうか』
『こことは別の世界で、まったく同じような呪いを解いたときの話です』
『へえ。それはぜひ、聞かせてくれないかな』
私はシュヴァリエに「呪われたシュヴァリエ」の話を始めた。ゲームと言ってもピンとこないだろうと思うので、そういう物語を見た、ということにしておく。芝居のようなもので見たのだ、と説明すれば、納得してくれた。
それから私は、ゲームで見た最初の「過去の記憶」の内容を話した。
ゲームだと最初の記憶は、人物紹介編みたいな感じだった。
隣国が戦争を仕掛けてきそうな気配を察知して、国境線に近いこの領地では防衛に力を入れ始める。その一環として傭兵団を雇い入れ、その傭兵たちと騎士団員たちとの顔合わせをするところが、最初の記憶だ。
傭兵と騎士という、文化の違う人々が最初から仲よくやっていけるわけもなく、最初のうちはギスギスしていた。
私は話し終わると、シュヴァリエに質問した。
『どうですか? 何か頭に思い浮かぶものはありますか?』
ゲームの中のシュヴァリエは、この「過去の記憶」を聞いて、傭兵団の名前と旗印を思い出すのだ。でも、私の目の前にいるシュヴァリエは、ゆっくりと首を横に振った。
『興味深い物語だとは思うが、それだけだな』
私は『そうですか』と相づちを打ちながらも、ちょっと落胆した。もしかしたら何か進展があるかもしれないと、心のどこかで期待していたから。しょんぼりした私に、シュヴァリエのほうからも質問された。
『その物語の中では結局、呪われていたのは誰だったのかな?』
『わかりません』
『おや?』
『最後までたどり着く前に、ここに来ちゃったから……』
『ああ、なるほど』
シュヴァリエの質問に答えながら、私はハッとした。だめだ。この案には、大きな穴がある。
もしもゲームの情報でこのシュヴァリエが記憶を取り戻すなら、私はすでに詰んでいるじゃないの。だって途中までしかプレイしてないし、攻略サイトも見ていなかったのだ。だから当然、その後の情報もない。絶対に呪いが解けないところだった。
このシュヴァリエが、ゲームのシュヴァリエとは別人みたいで、よかった。
とにかくこれで、はっきりした。
手応えがあろうがなかろうが、私は自分で見てきたことを伝えるしかないのだ。




