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繊細な少女は鏡に出会った  作者: 荒里あゆむ
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学園祭


 学園祭最終日の午後、桃子のクラスの出し物の喫茶店に宮井が現れた。


 桃子は注文されたコーヒーをちょうど注ぎ終わったときに、教室から少し離れた廊下をこちらに向かってくる宮井の心に気づいた。

 宮井は教室に入って来ると、接客したクラスメートに「一人です」と言って窓際の席に案内される。


 宮井もすぐに桃子に気づいた。宮井の心に映る教室内の生徒やお客の心に並んで、桃子の心もあった。桃子は先日の取り乱した自分を思い出し、気恥ずかしくて宮井の方を見ることができなかった。

 しかし気持ちは一心に宮井の心を追っている。宮井がメニューを見てホットコーヒーに決めるのを知ってすぐに準備を始める。


「ホットコーヒーをお願いします」後ろで宮井が注文をするのが聞こえた。

 注文を取ったクラスメートは桃子がすでにコーヒーを準備しているのを見て少し驚き「あとよろしくね」と言って立ち去る。


(来てくださってありがとうございます)

 桃子は高鳴る心臓を抑えながら宮井の席にコーヒーを運ぶ。

「お待たせしました、ホットコーヒーです」

 桃子がかたんと小さな音を立てて宮井の席にコーヒーを置いた。


 こんな風に平静な気持ちで人と接するのはいつ以来だろうか。桃子は嬉しかった。外見は努めて平静にしていたが、胸の中のはしゃいだ気持ちが宮井の心に映ったので桃子は恥ずかしくなり、その恥ずかしさが宮井の心に映るのが見えてさらに恥ずかしさが増した。


 人に心を読まれるというのはこんなに恥ずかしいことなのか、みんながもし私に感情や思考を知られていることを知ったらどんな気持ちになるだろう。


(今日、夕方からグランドで後夜祭があります。そこで二人きりでお話をさせて下さいますか)桃子が宮井に心で語りかける。

<わかりました、夕方にグランドですね>


 宮井の心には相変わらず感情と呼べる起伏は全く沸きおこらず、まるでアルミのお盆のように平らで無機質なままだった。

 桃子の接客シフトの交代時間になった。一緒にシフトに入っていた小林茜も同じく交代で、先に教室の端に仕切られた更衣スペースに入っていく。


 宮井の意識が茜の心を追う。桃子も先ほどから彼女の意識が気になっていた。

 教室にいる他のクラスメートたちはみな、茜に向けてどす黒い敵意を向けていた。見下し、阻害し、突き刺す。


(うざい)《消えろよ》〈ゴミ〉《貧乏》[臭い]〔死ね〕


 小林茜はいわゆる『いじめ』にあっていた。家庭でも両親から虐待を受けており、高校二年になってからそのストレスが限界に達していることに桃子は気づいていた。

 しかし、桃子は今まで何もして来なかった。他人のことを誰よりも知っているくせに、彼らの境遇に無関心だったのだ。宮井にその無責任さを責められているような気がして、自分が情けなくなった。


 今日の茜はいつもと様子が違っていた。驚いたことに茜の心には、クラスメートたちの悪意が正確に映し出されていた。テレパシーの能力は持っていないはずだったが、茜の心はその敵意に感応して悲鳴を上げていた。

 桃子がカーテンを開けて更衣スペースに入ると、茜のどんよりとした絶望感が強く心に侵入してきた。闇に飲まれそうな錯覚に陥る。


 その時突然、茜の思考が途切れた。常に聞こえていた心の悲鳴は止まり、クラスメートや家族のイメージもなぜかきれいさっぱり心から消えていた。

 その代わり、茜の脳裏には校舎の屋上と青空がイメージされている。


[楽になろう][一瞬だけだ][もう終わりに・・・]


『死のうとしている!』

 桃子の心が震えた。つい数日前まで自分も死を考えていたにも関わらず、今の桃子は死を恐れた。桃子の心の震えが、その振動が更衣スペースの外でコーヒーを飲んでいる宮井の心に伝わる。


 茜はメイド服から制服に着替え終わると、逃げるように教室を出て行った。その後ろ姿を見送った桃子の心に、カチッとスイッチが入って決意が生まれた。その決意の音が宮井の心に伝わり、映され再び桃子に跳ね返ってくる。客観的に改めて見ると、それは自分でもびっくりするくらい固い決意だった。


 桃子は急いで制服に着替え、宮井に(ちょっと行ってきます)と思考を送ってから、足早に教室を出て茜の意識を追った。茜は校舎の西側の階段を早足で上っている。

 茜の心には実は具体的な死のイメージは無かった。ただ、楽になりたい、飛び立ちたいという思いだけが意識を支配している。


[楽になる][飛べば楽に][ただ飛ぶだけ][飛ぼう][今すぐ][飛び立とう]


 茜は一切の現実的思考を停止して、飛ぶ飛ぶとつぶやきながら階段を駆け上がっている。桃子は焦った。

 屋上に出ると、フェンスに向かって全力で走って行く茜の後ろ姿が見えた。どうやら、飛び降りる前に靴を脱いで今までの人生を振り返るというテレビドラマでよく見るような儀式を行うつもりはないらしい。


「小林さん!」

桃子は茜の背中に向かって大声で叫んだ。どこからそんな大きな声が出たのか、驚くほど屋上に響いた。

「死んじゃだめー!」

 茜の心に桃子の声が割り込むのが見えた。茜の意識が現実に引き戻され、彼女は立ち止まって振り返る。彼女の顔は真っ青で、その心には桃子の『死んじゃだめ』という声が閃光のように光っている。


 桃子は茜に駆け寄り、彼女に抱きついた。

「私も死のうと思ってた。あなたとは理由は違うけれど」桃子は茜を強く抱きしめて喋り続ける、「あなたを嫌う人は実は可哀想な人たちで」まるで自分に言い聞かせるように、「卒業までがんばろ、辛かったら私が話し相手になってあげる」最後はほとんど叫び声になっていた。


 桃子は驚いた。自分の口からこんな言葉が出て来るなんて、自分が人のために何かをしようと思うなんて。

 茜は屋上のコンクリートに泣き崩れた。桃子の心に、深い藍色の悲しみと安堵の山吹色を映しながら。


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