if世界
呼寄会の後。ラズと火華は2人で並んで帰る。雪が降り積り、厚着をしてこなかったことを少し後悔しながら帰路に付いた2人は初めこそ雪にはしゃいでいたものの、暫くすると寒さが楽しさを上回ったのか、早足にそれぞれの帰る場所へ向かう。
「火華ちゃん寒くない?」
「さ……さむい……いつもの服着てきたのが間違いだった…」
火華は小さくくしゃみをして、身を震わせた。ラズは火華ちゃんらしいなと思いながら、鞄の中から羽織れそうな上着を火華にかける。
火華の髪とは正反対の碧の布が優しくかかると、段々と火華の震えは収まっていった。
「火華ちゃん、また明日ね」
「うん、ありがとう上着。洗って返す」
「別にいいよ。寒そうだから貸しただけだし、自分で洗うから」
「ダメ。私が洗う」
暫く話した後、強情な火華の態度に折れたラズはまた明日。ともう一度言って部屋へ向かった。
次の日も、その次の日もラズは火華に会うことは無かった。何故なら別れたその日以降。火華は居なくなってしまったからだ。
火華が居なくなってから2年経ち、居ないのが当たり前になり始めた生活も長く続いている。ラズは居なくなってしまった当初はヨウ達と協力して火華を探していたが、今では自分達程度の力では見つかるはずないことが分かり切ってしまい、探すのを諦めていた。
「マスターお久しぶり」
「やぁラズくん。ちょっと見ないうちに大きくなって」
「やめてセクハラで訴えるよ」
「ははは……火華ちゃんみたいなこと言ってさ」
元々常連のお陰で成り立っていたマスターのBARは火華が居なくなってから次第に人が減って行き、寂れてしまった。マスターも月1、2回程度の開店しかしなくなった。
無駄話をしながら、ラズに飲み物を出し、マスターがカウンター裏へ向かうと珍しくBARの扉の開いた音がした。マスターがいらっしゃいと声を掛けると入ってきた誰かはわざわざ、ラズの隣のカウンター席の近くに来て
「隣いいかな?」
「…どうぞ〜遠慮なく」
「ありがとう」
にこやかな顔で隣に座った女は赤い髪の中程に包帯を巻き付け、顔には酷いクマのようなものが浮かんでいた。
「君、名前は?」
「普通は自分から言うもんじゃないの?」
「……確かに。あ、マスター適当なお酒をくれ」
注文したお酒を適度に呑むと、女は再びにこやかな顔で話しかけてきた。
「私は、ヒバナと言う物だ」
物……?者の言い間違えかな?
「僕はラズと言います。ここ、ろくなお酒とかないですけど大丈夫なんです?」
「おや、詳しいんだね」
「まぁ……一応常連なので」
「そうかいそうかい」
面白そうに笑うヒバナを他所目に、ラズはドリンクを飲み干し席を立つ。酔っ払いに関わると大抵ろくな事がないのが分かっているラズは、ヒバナが酔う前に帰ろうと思ったのだが、ヒバナの羽織っている上着に目が止まる。
「ヒバナさん……それどこで?」
「?……上着の事かい?さぁ?どこで手に入れたのかな…?」
とぼけたように言うヒバナ。ラズの目に映るのは碧の上着。あの日火華に貸したそれと同じものだ。普通の………市販の服なら見分けはつかない。当たり前にどれも同じようなものだ。だが、あの服は違う。市販ではなく手作りだ。
「ヒバナさん」
「ん〜?」
「それの持ち主。今どこに居るの?」
ラズの言葉に目を細め、グラスのお酒を飲み干して言った。
「場所……変えよっか?」
ヒバナに連れられて向かった先は毒々しいネオンに彩られるビル街だった。ビル街の路地裏に入るとネオンの明かりは消え。視界を閉ざすような暗闇に包まれる。ラズは離れないようにヒバナの袖を掴み、手探りで進んだ。
暫く進むとふと1箇所だけ明るく光る場所が見えた。ヒバナはその光に向かって歩き、立ち止まるとこちらに手招きして扉を開けた。
「ラズくん。こっちに来るかい?」
「…………」
ラズは無言で中に入る。ヒバナは見届けるように道を開け、扉を閉めた。
「ようこそラズくん。さぁ、名前は?」
「名前?」
「これの持ち主の名前だよ。フルネームで言えるかい?」
「飾絹。飾絹火華」
カザリキヌカザリキヌ……とヒバナは壁を埋めるようにびっしりとある本棚を漁り始めた。入った時は壁の模様かと思ったがどうやら模様に見えるだけのただの皮表紙の様だ。
「あったあった……この子で合ってるかな?」
ヒバナが差し出して来た本を覗くとそこには火華の顔写真と名前。詳細なプロフィールのようなものがズラっと並んでいた。ヒバナの手から本をひったくり、読み進めていくと、最後のページに売却済みと書かれているのが見えた。
「…………火華ちゃんは売られたの?」
「そうだね。あと……その子を捕まえたのは私らしい」
「は?」
隣の女が火華ちゃんを捕まえて売っぱらった?
「と、言っても私にはその記憶はなくてね。私にあるのは3日前の記憶からだからね」
「記憶がないからと言って許される訳じゃない」
ごもっとも。っと肩を竦めたヒバナは棚から別の本を取り出してこちらに放り投げる。表紙には自分の名前と、友人のヨウの名前が書かれている。
「と、まぁ君も売る予定だったんだけどね。中を見れば分かる通り、代わりにその女の子を売る事になった。まぁ早い話、君の代わりの生贄みたいなもんだね」
ラズが言葉に詰まっていると、ヒバナは本を取り上げ、棚に仕舞う。仕舞われた本は外から見ても分からないため、ラズにはどこに誰の本があるか見分ける事が出来なかった。
ヒバナはラズの背を軽く押し、もうお帰り。と優しく言う。立ち上がって扉の前まで行くとヒバナがまた道案内をしてくれた。元の毒々しいネオンに彩られたそこに戻ると、ヨウが目の前を歩いている。
「あら、ヨウくんだね。ほら行ってきな」
ヒバナに押され、ネオン街に飛び出したラズが振り返ったときには、もうヒバナの姿は無かった。
「あれ?ラズ?どうしたのこんな所で」
「どうしたのじゃないよ!早く帰るよ」
「えぇ〜……」
ヨウの手を引いてラズは寮へ向かう。ヨウは帰り道でラズにこれまでの経緯を聞いた。
「なるほどね。ヒバナさん……もしかしてだけどその人の名前さ」
火、華って書くんじゃない?
帰り道の公園の地面にヨウはそこら辺で拾った木でサラサラと文字を書く。ヒバナ……火、華……火華。あれは火華ちゃん?
「そうなると辻褄が合わない?普段やらないはずのBARの営業日を知っていて、ラズが火華ちゃんにあげたはずの服を持っていて、ラズの名前だけでヨウという名前の友達が居ることを見抜いた」
「確かに、あの人が火華ちゃんなら辻褄は合う。けど、火華ちゃんが僕らのことを忘れると思うの?」
思わないなぁ……とヨウは頭を抱える。ラズはヒバナが本当に記憶喪失なのかあれが全部演技なのか分からなくなっていた。
「あれ?……うん、あれは火華ちゃんじゃないよ」
「ん?なにか根拠が?」
「うん、だってあの人羽人じゃなかったもん」
頭に包帯を巻いていたが、明らかに火華ちゃんだった場合の特徴が無いことは外から見て分かった。尾羽の分の膨らみがあった訳でもないあの包帯の下は多分普通に皮膚……髪がある。
だとすると、他人の空似だと言うことだ。というか他人の空似で合っていて欲しい。
「とにかく、羽人じゃないヒバナさんは火華ちゃんじゃない!解決!」
「……余計謎じゃない?」
「確かに……」
ラズと離れたヒバナは路地を抜けた先の黒い車に乗る。
「やぁ、どうだった生まれ故郷は」
「最悪の気分だね。誰かさんのせいで」
運転席の女が闇に溶けそうな暗い髪をなびかせて、くつくつ笑うのを横目にヒバナは包帯を解く。途端に噎せ返るような薬の匂いと腐ったような匂いが車内に充満した。心地良さそうな顔で女は運転し続ける。
「どうせ明日には死ぬ命なのに最悪な思い出でいいのかよ」
「最悪なのはあんたよ……思い出自体は出来たし、そっちの件は最高よ」
「どうだか」
ヒバナが1本だけ生えてた尾に手早く包帯を巻き、その後頭にも同じようにグルグルと巻くと匂いも収まり、車内の空気は少しづつ正常に戻っていく。
「薬臭とか腐敗臭とか好きなの辞めた方がいいよ」
「仕事柄そうもいかないけどね。あとカラスの羽人なんだから別に死臭が好きでもおかしくないだろ」
態々、羽人の羽の方に引っ張られる必要性はないんだけど……と呟くヒバナに女は何が面白いのか再度くつくつと笑い人気の無い道へ曲がった。
「…あー……そういえば、1つ心残りがある……」
「うーん?やっていく?心残り」
「いや……いいよ。遠慮しとく」