そばかす姫と岩石伯爵
姫の朝
そばかすの姫は常に二人の姉と較べられる。肌の白さや美しさが大切と考えられるこの国と王宮では彼女は残念な娘ということになっている。父である王様も嘆く。
「お前は気立てがいいのに、なぜ肌を大事にしないのだ。婿取りに苦労するぞ」
姫は気にしない。彼女は城内で孤児院を経営している。王都の孤児を引き取って面倒を見ている。太陽の下で元気に伸び伸びと育てたいと常々考えていて、そばかす姫も一緒に過ごし遊ぶから、肌は日焼けし、そばかすが出来た。城下の平民はみんなそばかす姫が大好きだ。
「お父様、私は子供達と楽しく遊んでくれる方と結婚したいのです。家柄は気にしません」
そう言ってサラダを食べる。
「何ておいしい野菜でしょう。こんな野菜を育てている農家なんかもいいのですけど」
王様は呆れ、側仕えも苦笑する。
「さすがに農家に姫様が嫁入りとはいかないでしょうが…」
伯爵の朝
岩石伯爵は手がゴツゴツしている。いや、手だけでなく顔も体も岩のようだ。
彼の趣味は畑作りだ。太陽の下で美味しい野菜を作ることが生きがいだった。国境近くの領地、その領内の民には自分の野菜を配るだけでなく、研究した農作物の栽培方法を惜しげ無く与える。領内の平民はみんな岩石伯爵が大好きだ。
「ご主人様、少しは城の舞踏会とか行ってくれませんか。これでは本当に嫁が来ません。家が絶えてしまいます」
「だがなあ、俺なんかが行っても女性は見向きもしないだろう。この国は肌の白くて滑らで肌理の細かい人間がモテるのだ。知ってるか。俺は岩石伯爵とか言われてるんだぞ」
執事はため息を漏らす。
「我が主は心優しく働き者で、領地を治める手腕も確かです。しかし、跡継ぎがいなければ…」
姫の昼
昼餐会は城のランチパーティである。そばかす姫は側仕えがあまりにうるさいので、晩餐会よりは気楽なこの会に参加した。だが貴族達は小麦色でそばかすのある姫の近くにはあまり寄ってこない。
「ここにいる殿方はみんな真っ白、すらりとした人ばかり。私はあんな苦労したこともないような細くて白い手は好きじゃないのよ」
姫は不満を零しながら、仕方なくまたサラダを食べる。
「この野菜の素晴らしさ…。なぜ誰もこの野菜を話題にしないのかしら」
会場を抜け出して、こっそり厨房に忍び込む。料理人達がギョッとして姫を見るが、姫は人差し指を口に当てて微笑む。料理人達も苦笑いして頷いた。姫はそこでも好かれていた。
「お願いがあります」
「何でしょう。姫様」
「孤児院の子供達に少しだけお土産を持って帰りたいの。デザートをちょっとだけでいいから別にしてくれないかしら?」
料理人達が微笑む。デザート担当は破顔している。
「承知しました。別に取り分けて、側仕えにお渡ししますよ」
「ありがとう。あの、それから、ねえ、教えて。この野菜はどんな人が作っているの?」
料理人達は戸惑う。知っている者もいるが、伯爵の趣味については王宮では内緒に…と本人からもきつく言われている。あまり領主が農作業していることを知られたくないらしい。
優しくて頼りがいのある岩石伯爵はそばかす姫とおなじくらい人気があった。教えたいけど教えられなくて料理人が困り果てる。
伯爵の昼
「ハア、昼餐会など、出たくないなあ」
岩石伯爵が呟くと執事が叱る。
「ここまで来たんだから、もう諦めなさい。できるだけ女性とお話しするんですよ」
「厨房とかで料理人達と話していたいなあ。野菜の感想も聞きたいし」
今度は執事がため息をつく。
「料理人と野菜の話ばっかりしてる領主がいますか」
「ここにいるぞ」
「ふざけてないで、しっかり上着を着て、ほら御髪を整えましょう」
岩石伯爵は世話を焼かれる。周囲の者は伯爵の世話を焼くのがまた大好きなのだ。
「俺はね、ホントはここにいる真っ白い女の子より、もっと健康的な小麦色の人がいいんだ。…あっ、そうだ。持ってきた野菜を厨房に運ばなくては」
「そういうことは私たちがやります。ご主人様は早く会場へ」
「いや、ほんの少しあいさつだけしてくるから」
伯爵はせっかく執事が着せてくれた豪華な上着をほいっと脱ぎ捨て、カゴのひとつを持って厨房へ行く。
「あっ、ご主人様、ご自分でお持ちになっては…」
召使い達が慌てるが、岩石伯爵は構わず、そして迷わず厨房へと野菜の運搬を行う。
姫と伯爵の昼休み
そばかす姫が野菜農家の正体を教えてもらえなくて、頬を膨らませながら厨房を出て行くと同時に岩石伯爵が野菜を山のように盛ったカゴを持って入ってくる。
「やあ、また野菜を持ってきたよ。いつも美味しい料理にしてくれてありがとう」
料理人達が思わず笑う。何だったら鉢合わせしてくれれば説明の手間が省け、それから伯爵の口止めも意味をなさなくなって、ありがたいのに。伯爵は笑いの意味がわからずキョロキョロする。
「ん?何だ何だ?俺の顔に何かついてるか?岩のような眼と鼻と口しかついてないぞ」
また和やかな笑いが巻き起こる。みんな岩石伯爵が大好きだ。
…でも姫と伯爵は出会わなかった。
姫の夕暮れ
だいたいの時間を厨房や外の庭で過ごした昼餐会が終わり、姫はようやく部屋で伸びをする。ドキドキしたのは孤児院の子供達が日頃の援助のお礼として、会場で歌を歌った時だけだ。元気よく楽しそうに歌っていた子供達を嬉しく、そして誇らしく舞台裏から見ていた姫だった。
側仕えから一緒に舞台に出てあいさつとアピールを…などと勧められたが、自分が出たら主役が変わってきてしまう。
結局殿方とふれ合う機会はほとんどなかった。たまに近付いてくる男性達は色が白く、細くて上品な王子様のような(本当に王子様もいた)人間ばかりで、そばかす姫のそばかすや小麦色の肌を見て「そのような肌も私の恋の障害とはなりません」とか「姫の心優しさの前にはそばかすなど問題となりません」などと言うのだ。全然判ってなーい!と姫は思う。
どこかに太陽のような優しさと岩のような強さを持つ男性はいないのだろうか。私のそばかすを可愛いと、小麦色の肌を美しいと感じてくれる人はどこかに…?と思うのであった。
伯爵の夕暮れ
昼餐会から屋敷に戻る途中、伯爵は領地の平民からやたら声を掛けられる。
「伯爵、お帰りですか?魚を釣ってきたんで持ってってください!」
「伯爵、赤ん坊が生まれたんです。名前をつけてくれませんか?」
ただでさえ国境近くの辺境領地、一人ずつ一軒ずつに丁寧に返事をしながらの帰路は、たっぷり時間がかかった。
屋敷で召使い達が出迎える。
「お帰りなさい。野菜の評判はどうでしたか」
「ご主人様、お帰りなさいませ。野菜はどんな料理になりましたか」
何だか気を遣ってご婦人との出会いについて尋ねる者はいないのであった。
ただ伯爵は執事にひとつ感想を漏らした。
「あの会の終わりに、余興で美しい合唱をした子供達は孤児達だそうだ。気の毒な身の上だろうに、みんな明るく溌剌としていた。素晴らしいことだ。豊かでいい経営をしているのだろうな。いや、何よりみんな真っ黒に日焼けして健康的だった。愛情あふれる育て方をしている人がいるのであろう。そういう方にこそ一度お会いしたいものだな」
執事もそれは感じていたことであったので頷き、同意する。伯爵が続ける。
「あの孤児院に寄付をしたいが、現金と野菜とその両方とどれがいいだろう」
どれでも好きになさいませと執事が笑いながら部屋を出る。我が主と来たら自分の嫁探しのことなど、すっかり忘れて孤児院の援助とは…。そこがいいとこなんだけど、と執事はまた苦笑いをした。
もちろん昼餐会でも合唱の場面でも、岩石伯爵とそばかす姫は顔を合わせていない。
…出会えないものなのですね。
泥棒の夜
二人の泥棒は二つの目的で王宮に忍び込んだ。ひとつは王の息子、すなわち王子を誘拐すること、もうひとつは本日の昼餐会で飾られた大きなダイアのついたティアラを盗むことだ。基本的にはティアラが主目的だ。6歳の王子がいなくなれば王は大慌ての大騒ぎで捜索をするだろう。ティアラが紛失した方の捜査は手抜きになるに違いない。
よきところで王子は近くの馬小屋にでも置き去りにすればよい。ティアラに本格的な捜査が及ぶ前に出国して金に換えよう。いい考えだ。自分は天才だ、と泥棒の兄貴分は自画自賛する。そのくせ計画を何も教えていない弟分に聞く。
「なあ、俺って天才?」
「…天災ですね」
まずティアラを盗んだ。簡単だ。王宮の大ホールの真ん中に大きな木箱が置いてある。その中にティアラはしまってある。大ホールに忍び込んだ泥棒は木箱の中身を改める。木箱の蓋を開けると籾殻がいっぱいに入っている。なかなか大事に扱っている。傷をつけないようにしているのだ。弟分に言いつける。
「この木箱を持つのだ」
「兄貴、何ですか。これは?」
「いいから運べ。お前は俺の言うとおりにすればいいのだ」
「…はい、はい」
次に王宮の離れにある王子の部屋だ。不寝番がいるが交代の時間を知っている。そしてこの時間の馬鹿不寝番は当番時間を重ねないのだ。時間がくると一人がいなくなり、しばらくして次の当番がやってくる。まったく警備体制はザルだね…。泥棒兄貴は他人事ながら心配になる。
手はず通り、不寝番がいなくなる時間を狙って離れに近付く。
「うん?」
弟分が闇に眼を慣らしながら、じっと中庭を見る。子供がひとりベンチに座っている。
「兄貴、あれは…?」
「王子だ。しめたものだ。部屋の外にいてくれるとは」
そっと背後から近付き、口に猿ぐつわを噛ませる。
「ごめんね。すぐ外すから、静かにしてね」
弟分は優しい性格ではあるのだった。モゴモゴと何か言おうとする王子だったが、さすが育ちがいいのか暴れたりしなかった。泥棒兄貴は大きな麻袋を王子かぶせ、足のところを縄で縛る。そのまま担ぎ上げて王宮を出た。
しばらくして急に背後の王宮が騒がしくなる。
「誰かいるぞ!」「くせ者か?」「侵入者がいる!」
「何だ。もう見つかったか!まあ、いい。逃げるだけだ。いくぞ!」
二人で城の通路をジグザグに進み、ようやく外れまでやってきたところで弟分の歩みが鈍い。
兄貴分は弟分を急かすが、弟分はフウフウ言っている。
「兄貴、この木箱がすごく重くて…」
「ティアラの箱がそんなに重いもんか。どれ、貸してみろ。あれ?重いな」
「でしょう」
「何だ。これは。うん?おい、どういうことだ。これの中身は…!」
中は一杯の野菜が入っている。おいしそうな野菜だがとりあえず泥棒には関係ない。
「お前、何でこんなもの持ってきたんだ」
「いや、兄貴がいいから持ってけって」
「…そうだった。くそ。この箱はそっちの建物にでも隠しておけ。仕方ない。王子を誘拐する計画に切り替える」
「ええっ。そんな重大犯罪、嫌ですって」
「うるさい。ティアラの窃盗だって結構な犯罪だ。いいからその箱はもう放っておけ」
弟分が木箱を置き去りにする。城の孤児院前だった。
泥棒の夜明け
「兄貴、そろそろこの子を出してあげましょう。気の毒ですよ」
馬車で懸命に国境へ向かう泥棒二人組はどうにか検問にも引っかかっていない。
「変なところでお前は子供思いだな。まあ、いい。出してやれ。それにしても運がいい。検問をやっていないかのようだ。まったく引き留められない」
休憩をとると、弟分が馬車の後方に行き麻袋を開ける。
「ごめんな。手荒にして。お金が入っても入らなくても必ず帰してあげるから、おとなしくしてな」
中に入っていた子供の顔を見て兄貴分がギョッとする。日に焼けて真っ黒だ。肌の白いのを尊ぶ王国の王子ではありえない。こんなのはあの変わり者の第三姫くらいだ。
「お前は誰だ」
「すみません。早く言おうと思ったのですが、口をきけなくて」
弟分が済まなそうにいたわる。
「お前が悪いんじゃないよ。猿ぐつわをしたのはこいつだからな」
「こいつとは何だ。いや、そんな事はいいんだ。お前は王子じゃないな」
「ごめんなさい、王子でなくて。僕はお城の孤児院に住む者です。眠れなくて中庭を散歩してたらいきなり…」
泥棒兄貴は地団駄を踏んだ。悔しくて地面をバタバタ踏む人間を初めて見て、弟は眼を瞠る。
「兄貴、いいじゃないか。王子の誘拐なんて捕まったら縛り首だ。ホッとしたよ。この子は帰してあげようよ」
「くそ!どうりで追っ手が来ないわけだ。盗まれたのが野菜で、誘拐されたのが孤児じゃあな」
「兄貴、でも孤児院でも騒ぎになってるかもしれないよ」
弟分が子供をジッと見る。子供が口を開いた。
「朝、僕がいなかったら、姫様が驚いて、悲しんで、大慌てで探し回るでしょう。どうしよう。姫様が悲しむのは嫌だな」
泥棒兄弟は唸って考える。
「仕方ない。あきらめよう。いくら何でも孤児を誘拐するなど人の道に外れる」
「兄貴、誘拐の時点で人の道に外れてますよ」
「うるさい。そこに館があるな。ここで降りてもらおうか」
「悪いなあ。俺たちも捕まりたくはないんだ。王都に戻れなくてごめんな」
二人のやりとりを聞いていた子供は微笑んで言う。
「いいえ、お二人ともこの先の道中お気をつけて。でも王宮の警備の人に聞かれたら、お二人のことは話していいですか」
「ああ、気にするな。全部話していいよ。俺たちはしばらく他の国にいくからな」
泥棒二人の長い夜は終わり、孤児一人は国境近くの大きな屋敷の前で置き去りとなる。
岩石伯爵の館の前であった。
そばかす姫と岩石伯爵のその後
ここから時間は大きく先に飛ぶ。
なかなか出会えなかった姫と伯爵が出会うのは、王宮にくせ者が侵入し何故か野菜が盗まれた夜の翌日のことである。子供がひとりいないことを知らされたそばかす姫はすぐに賊を追いかけようと、どこへいくのかわからないまま馬に飛び乗り、側仕えに止められた。
そこへ急ぎの便で辺境伯から知らせが届き、胸をなで下ろしたのだった。岩石伯爵は昼餐会の舞台で見事な歌を披露した子供の顔を忘れていなかったのだ。伯爵も実は大の子供好きだったから。
そばかす姫が孤児院の玄関先に野菜を見つけたのはさらにその後、事態が落ち着いてからである。彼女は野菜を一目見て、この野菜が最近王宮内で見られる超絶美味しい野菜であることを見抜く。
孤児を自分の手で送ってきた岩石伯爵が、これまた自分の手で作られた野菜がそこにあるのを見て「なんで?」と思い、それで生産者を知ったそばかす姫が「あらまあ」と思って…
つまり二人はようやく出会った。
伯爵は姫の小麦色の肌や愛らしいそばかすを心から愛おしく思った。
姫は姫で伯爵のゴツゴツした働き者の手をそっと握った。
二人はほどなく家族となって、国境近くの領地で広大な畑と孤児院を経営し、食糧と人材の育成に力を発揮した。
ちなみにあの夜、誘拐され損なった孤児が宰相となって益々国をもり立てるのは30年後のことだ。
その頃、宰相を影から支える二人の情報屋がいたが、それはあの泥棒だったかどうかは判らない。
最後にキメ言葉でこの物語を終わろう。たとえどんなに陳腐でもこういう話の終わり方はこれに尽きる。
二人はずっとずっと愛し合い、幸せに暮らしましたとさ
長編にしようと作ったプロットで、本当はこれに王国の革命を絡める予定でした。そしたらいつの間にか姫がギロチン台へと。気がついたら「そばかす姫」で「ベルサイユの薔薇」でギロチン台。あきらめて短編にしました。意気込みだけは買っていただけたらと。