2話 ロックオン
時が少し過ぎて、入学式から1週間後――。
俺は、入学式後にあらゆる人から質問やサインに握手など、有名人並みの扱いを受けていたが、1週間経った今はだいぶ落ち着いている。
入学式が終わって知ったのだが、ここの高校は、一般入試と推薦入試があるらしい。
さらに言うと、推薦で定員の九割を取っているらしく、その推薦入試で誰でも受かるということらしいのだが、俺が受けたのは一般受験の方。
一般受験の方は、本当に頭のいい人間しか受からないらしく、エリート街道が約束された生徒たちが入学しているということだ。
俺は、てっきり一般入試の方が誰でも受かると言われている方かと思い込み、マーク式のテストをテキトーに解いたのだ。
そしたら、まさかの9割5分という得点率。
だから、皆が俺の方を興味津々に見てきたというわけだ。
俺はこんなところで一生分の運を使い果たしてしまったということなのか。
というわけで、一般クラスの俺は、めちゃくちゃ専門的な勉強についていけなくなりそうになりながら、この1週間ずっと勉強三昧である。
入学したばかりだが、学校をやめたいという気持ちを孕ませるという結果が生じてしまった。
長かった1日の授業が終わり、勉強から逃げるように早々と教室から寮に向かう。
幸い記憶力は人一倍にはいいから、夜まで睡眠をとって、夜中に暗記という名の勉強をしよう。勉強から逃げようとしても、勉強以外やることないからな。
そんなことを考えながら、寮に向かう途中で事件は起きたのだ。
「あいたたたた……」
渡り廊下の真ん中で苦しそうに倒れている女子高校生が視界に入ってきたため、流石にこの状況を見過ごすことも出来ず、すぐさまその人の方へと駆けつける。
「あの、大丈夫ですか?」
「あぁ……えぇっと……少しキツイので、第5倉庫に連れて行ってくれませんか……?」
「わかりました。第5倉庫ですね。……ん? あなたもしかして――」
倒れている人に寄り添って肩を組もうとすると、何やら怪しい名詞が聞こえたことに気づく。
『第5倉庫』なんて普段使わないであろうそこは、入学式のときに悪目立ちしていた人が言っていたことを思い出す。
廊下に倒れている人をよく見ると、入学式のときに見たアホ毛がゆらゆらと靡いているではないか。
「スミマセン、第5倉庫ナンテシラナイノデ他ノ人ニ頼ンデクダサイ」
肩を組もうと掴んでいた腕をそっと下に置いて、一瞬でくるりと回れ右をして、いつでも前に進めるように準備をする。
が――。
「動かねぇ……」
右足も左足も動かない》
なぜだ。
いつでも進めるように、どこかの体育系の大学の集団行動の如き素早い行動をしたのに、足を一歩も動かすことが出来ないだけでなく、脚には力強い負荷がかかってしまっている。
一体何が起きたんだ?
「ふふふふふ、気がついたみたいだけど、私の方が一足早かったようだねぇ。もう離さないからね。ふふふふふふふふ!」
渡り廊下に寝転がったまま、力強く俺の脚を掴む朝倉ノエルは、不気味に笑った。
いやいや、普通に怖いんだけど。
ホラー映画に負けないぐらいの怖さだよ?
てか、強力過ぎやしないか?
入学式のバク転といい、この握力といい、まるでゴリ――。
「――はい、ストーップ! そこから先は、乙女に贈る言葉じゃないですよ~」
足を強く握り潰すように掴む朝倉ノエルは、優しく注意してくる。
そんな指摘を受けてしまった俺は、自分がしたことを認めて素直に謝ることにした。
「すみませんでした。女性に向かってゴリラの如き運動神経なんて言い過ぎました」
「分かってくれればいいんだよ」
朝倉ノエルは、アホ毛をゆらゆら揺らし続けながら、面を上げてにっこりと笑った。
「……」
あれっ――?
なにかおかしくないか?
「てか、俺、口に出してないんですけど」
「……」
「……」
「……」
「……」
「てへ、ぺろ……?」
アホ毛が靡く朝倉ノエルは、顔を上に向けたまま俺をしばらく見つめると、目を明日の方向に逸らしながら、てへっと笑い、ぺろっと舌を出してこの場をやり過ごそうとしていた。
それにしても誤魔化し方が下手すぎる。
「ま、まぁ? こんな風に、神の領域に触れたらいけないよ、と先輩から注意喚起しつつ、自らがお手本となってみただけだよ。ということで本題に戻そう」
意味不明なことを当然のように言いながら、朝倉ノエルが自らをお手本にして教えてくれたようだ。
地の文に触れたらいけないと。
そんなことする人間は、この人しかいなさそうだが。
一応、覚えておくとしよう。
「ふう……」
彼女は、一呼吸して短い間を作る。
「――はははは! もう離さないよ、後輩くん! 君を知ったときからずっと目をつけていたんだからね! 入学式の君の言葉は本当に素晴らしかった! だから是非とも魔王討伐部に入部してもらいたいんだよ! な? なぁ? いいだろう?」
「離してください、帰ったら寝るっていう大切な用事があるんです。だから、帰らせてください」
そんなことを訴えるも、彼女は手を全く離す気などなく、ただひたすらに俺の足を掴んでいる。
それにしても、この人の握力はバカにならない。
下手したら俺の足は折れるんじゃないか?
それを考え始めると、急に怖くなってきた。
俺は、無理矢理離そうとして抵抗していた足を止める。
「……分かりました。じゃあ、行くだけ行きます」
これ以上抵抗しても無駄な気がしたので、諦めて大人しくついて行くことにした。
逃げる機会はあるということを信じて、それまで大人しくして逃げる機会を窺おう。
第5倉庫まで行くと言質を獲得した朝倉ノエルは、どうやって立ち上がったのか目で追えないぐらい素早く立ち上がって、無邪気な笑みを見せてきた。
「ありがとう後輩くん! じゃあじゃあ、まずは自己紹介から! 私は、魔王討伐部部長の朝倉ノエル、2年生! よろしくね!」
歌のお姉さん張りの元気な声で、はきはきと自己紹介をする。
陽気すぎるこの人のテンションについていけない。
なんで、俺がこんな変な奴に絡まれなくちゃならないんだ。
「それじゃあ、第5倉庫にレッツゴー!」
自分の紹介だけした朝倉ノエルは、握りしめた右手を天に勢いよく突き上げて轟かせた。
「……」
この人苦手かもしれない。心からそう思った。
「ん……?」
左半身に違和感を覚え、首をそっちに回すと朝倉ノエルが甘え上手な彼女のように、そっと近づいて接触を図ってきた。
「……? なんすか、その腕」
何をされるかと思いきや、朝倉ノエルが自身の腕を、俺の腕に絡みつけてきたのだ。
それも腕に蛇でも飼っているんじゃないだろうか、と思わせるぐらいの勢いで巻きついて腕組みをされる。
それはもうガチガチだった。
そこにラブコメ的展開など一切入り込む余地がなく、連行される犯人のような感覚だけがひしひしと心を侵略する。
毎日筋トレをして、筋肉には少し自慢のある俺でも、これを解くのは至難の業なのだ。毎日筋トレを頑張っていることが途端に空しくなってくるので、考えることはやめよう。
本当にあれだ、あれ。
「しっかり掴んでいないと、後輩くん逃げちゃうでしょ?」
朝倉ノエルは、天然のきらめきを帯びた笑みを浮かばせて俺を見るが、俺には悪魔の嘲笑にしか見えない。
恐ろしく怖い。
半ば逃げることを諦めて、腕を絡められたまま第5倉庫に向かうのだった。