22話 緊急事態
「やあ、後輩くん、夜ぶりだねえ! お、それと、『まじめがね・妹』?」
「……」
ただならぬ空気が生まれた廊下に都合よく現れたのは、アホ毛が盛っている朝倉ノエルだった。
「はぁ……」
思わず溜息が出てしまった。
よりによってこの人が来るなんて。
てっきり、朝倉ノエルを溺愛している那珂川フウラが「ほう、貴様、そこまで発展していたのか」と鬼の形相で来るものかと思っていたが、1番の問題児が来やがった。
「やあやあ、まさか再び会えるなんてねえ。やっぱり私たち運命共同体だねぇ」
「……」
この場の状況を何も知らない朝倉ノエルは、上機嫌に俺の腕辺りに肘でくいくいと当てて何か言っている。
「やはり、ノエル先輩と付き合っているんですね」
小郡シオンが、どこか悔しそうに朝倉ノエルを見つめながら、そんなことをぼそっと言った。
この状況を見た小郡シオンには、付き合っているカップルにしか見えないだろう。
その小郡シオンの呟きを聞いていた朝倉ノエルが、少し照れ臭そうにしながら俺を見つめてきた。
「ねえ、付き合っていること言っちゃう? 私は別に構わないけど……」
「いや、付き合ってないでしょ俺たち」
はっきりと至極真っ当なことを、小郡シオンに聞こえる声で言った。
誰が茶番に付き合うものか。
もう、この人とはなるべく関わりを持ちたくない俺は、さっさとこの場を去ることしか考えていない。
てか、なんで授業中に朝倉ノエルは廊下を歩いているんだ。
何もかもが滅茶苦茶なこの現場を何とか終息させたい。
「付き合っていないのですか?」
俺の言葉を聞いた小郡シオンの顔が嬉しそうな表情を押し殺しながら、俺たちが付き合っているか確認する。
「首席である宗像さんが、こんな野蛮な方と付き合うなんて想像したくありませんわ」
「あたりまえでしょ。俺だって人を選ぶ権利はありますよ」
「え、扱い酷くなってきてるんだけど。もしかして、私の扱いってこれで定着していくの? ものすごーくヤなんだけど。てかさ、『まじめがね・妹』の分際で、なに私に失礼なこと言っちゃってんの?」
喧嘩を売るようなむかつく顔をする朝倉ノエル。
扱いを酷くさせているのは自分の言動だと、理解してほしいものだ。
それに、朝倉ノエルは小郡シオンに向かって、またもやチンピラみたいなことを言い始めた。
いつになったら懲りるのやら。
「あの、『まじめがね』ってずっと気になってるんですけど、何なんですか?」
「それは、副生徒会長のことだよ。そして、『まじめがね・妹』は、『まじめがね』の妹だよ」
昨日から疑問に思っていた『まじめがね』の正体がわかる。
このニックネームだけで容姿が容易に想像出来てしまう。
「ノエル先輩、兄と一緒にされるのは、とても不快です。ま、それより、宗像さんは体調が悪いので失礼します」
実の兄に向かって散々な酷いことを放つ小郡シオンは、体調が悪い(嘘だけど)俺を気遣ってくれたのか、再び俺の手を引っ張って保健室へと連れて行こうとする。
「体調悪いの後輩くん!? それは一大事だ! 私も保健室までついていくよ!」
俺の体調が優れないことを心配してくれたヤサシー朝倉ノエルも、俺の腕を掴んで引っ張っていこうとするため、俺は隣にいるこの人に、小声で事情を話す。
「あの、朝倉さん。ネヴィが俺の脳内でうるさかったから、外に連れ出すだけなんで、出来れば小郡さんを離してくれると嬉しいんですけど」
「あーあの化け物まだいるんだ。まぁ、後輩くんのお願いとあらば、この先輩が引き受けましょうぜ」
後輩に頼まれたことが嬉しいのか、話し方が変になっていることは置いといて、朝倉ノエルは俺のお願いを素直に聞いてくれた。
授業サボりとバレてしまってはいけない。
それに、ネヴィを早く黙らせないと、俺の脳が持たない。
……あれ?
「……」
2人から引っ張られる俺は、立ち止まった。
「どうしたのですか?」
「後輩くん、どうしたの?」
心配してくれる2人の変人。
2人が知りえないことに気づいてしまった。
脳内からネヴィが消えている。
そういえば、声がまったく聞こえない。
「ね、ねぇね、ね、こ、後輩くん……」
俺の腕を掴んでいる朝倉ノエルが、俺の後方を指さしながら、恐ろしいものを見るかのように驚愕しながら俺を呼んだ。
俺は、朝倉ノエルが指さす方へ顔を向けた。
「あ――!」
そこにはぷかぷかと浮かびながら長い廊下を進んでいるネヴィがいた。
振り向いた俺の後に、小郡シオンが振り向く。
「ひっ――!」
ネヴィのいる方を見た小郡シオンは、魂が抜けたかのように固まって気を失ってしまった。
「後輩くん、ひょっとしてやばいんじゃないの?」
ネヴィのことが化け物に見えている朝倉ノエルは、珍しくまともな発言をする。
彼女の言う通りやばい。
小郡シオンがいい例だが、おそらく俺以外の人にはネヴィのことが化け物に見えているようだ。
「もし、ネヴィが公の場でバレることになったら、最悪、魔王討伐部と結びつける人も出てくるかもしれません」
「それは、本当にやばいね。行くよ、後輩くん!」
朝倉ノエルは、そう言ってネヴィが向かった方へ走り始めた。
俺は、気を失っている小郡シオンを背負うと、廊下を走るというマナー違反を犯しながら、先に行った朝倉ノエルに追いつく。
「……」
すると、小郡シオンを背負っている俺を見た朝倉ノエルが、口をポカンと開けていた。
「どうかしましたか?」
そんな朝倉ノエルに尋ねる。
「べ、べつに、私はお姫様抱っこされたもんね!」
何かに張り合うかのように、そっぽを向きながら朝倉ノエルが言った。
本当に意味がわからない。
何に張り合っているんだ、この人は。
「はぁはぁ、速くない? あの化け物速いんだけど。はあはあ、皆にバレたらヤバいって」
息を切らした朝倉ノエルが、息を切らしているにもかかわらず、喋る余裕は持っている。
そこで、俺はふと思い出した。
「あれ、てか、誰にもバレちゃいけないのになんで入学式のときにあんなに堂々と言ったんですか?」
「今その話すんの? タイミングおかしくない? そのことは後で話してあげるから、早く化け物を捕まえて」
朝倉ノエルは淡々と述べる。
自分自身でもタイミングがおかしいのはわかっている。
だが、ふと思ってしまったのだから仕方ない。
だけど、
「もう異世界に行くことはないので、説明は結構です」
異世界に行かない俺が知ったことではない。
せっかく異世界から帰って来たっていうのに、朝から朝倉ノエルと一緒にネヴィを追いかけるなんて、大して異世界と変わらないのではないかと思えてくる。
「ホントに言ってるの? 物語の展開的に、たぶん後輩くんは入部することになるよ? 一応、入学式で魔王討伐部を紹介した理由を言った方がいいんじゃない?」
「だから、物語の展開的って言うのやめてください」
相変わらず、不気味なことを言う朝倉ノエルに指摘する。
異世界だろうが地球だろうがお構いなしだな。
絶対に入部なんてしてやるものかと誓った。
フラグ?
そんなのあるわけないだろ。
何があっても入部しない。
「それにしても速くない? 全然距離が縮まらない。てか、いなくなったんだけど」
隣を走る朝倉ノエルがそんなことを言った。
俺たちがしょうもない話をしている間に、ネヴィがどこかに消えてしまった。
「これって、いよいよヤバくなってきたんじゃないの?」
朝倉ノエルが立ち止まる。
そんな彼女の顔からは、冷汗が止まらなくなっている。
ネヴィを1人にさせるわけにはいかない。
見知らぬところであんな少女(少年)を1人にさせるなんて、万が一のことが起きてしまったら……。
嫌な予感が頭に過っていく。
『だいじょうぶ?』
いや、大丈夫じゃない。
もし、彼女がみんなから怖がられて、嫌な思いでもしたら、そんなの可哀想だ。
『ボクは、おとこだってば』
そうだ、彼がみんなから怖がられて――。
え?
『ち〇ち〇だってついてるっていったでしょ!』
「……」
俺の脳内から可愛らしい少女の声が聞こえてきた。
可愛らしい声で下ネタをがっつり言ってくるその声。
彼しかいなかった。
「朝倉さん、ネヴィなんですけど、俺の脳内に戻ってました」
「え? ホントに? 走るの疲れたからって嘘言ってるんじゃない?」
朝倉ノエルの疑いのある問いかけに、首を横に振って嘘はついてないと否定した。
脳内にいるって言っても、証明出来るものがないため、彼に出てきてもらうしかない。
「ネヴィ、朝倉さんの方に移ることは出来るか?」
俺は、ネヴィに尋ねる。
おそらくだが、それぐらいしか証明する方法はない。
べつに、彼女の前に現れてもいいかもしれないが、朝倉ノエルはいちいち反応がおおげさなため、これは却下だ。
『わかった!』
そう言うと、ネヴィが俺の脳内から消えた。
「なにこれ?」
俺の脳内から消えたのと同時に、朝倉ノエルが不気味な顔をしながら頭を抱える。
「え、めっちゃ可愛い声が頭から聞こえてくるんだけど」
「それがネヴィですよ」
ネヴィのことを化け物呼ばわりしていた朝倉ノエルに教えた。
脳内に直接語りかけてくる声に慣れていない朝倉ノエルは何か独り言(ネヴィとの会話)を始める。
「なに? え、あのお人形みたいな少女が、君の本体だったの? でも、君は化け物じゃなかったの? こころが穢れていたら化け物に見える? は? そんなこと言ったら私のこころが汚いって言ってるようなもんじゃない。え、そういうこと? 可愛い声の分際で生意気なこと言うな! あーごめんごめん! あの人形に無断で触れたのは悪かったから、私の脳で叫ばないで! いやあああああああああああ、うるさいってば! マジでやめて!」
1人で叫び出す朝倉ノエルだが、だいたい彼女の独り言でどんなやり取りをしているか想像出来てしまう。
結局、ネヴィを外に出そうが、頭の中に入れようが、朝倉ノエルがうるさいことに変わりはなかった。
そして、俺はいつになったら異世界との関わりを切ることが出来るのか。
背負っている小郡シオンは目覚める気配がないし、ネヴィが脳内にいる朝倉ノエルは幼い子に虐められているし、こんなところを誰かに見られでもしたら問題だぞ。
「――おい、貴様」
俺の嫌な予感が的中した。