戻れない二人 2
室内は、風見が言っていたようにかなり整然としていた。明らかについ最近まで、誰かが手入れをしていたことが分かる綺麗さ。
玄関を上がってすぐに見える階段には塵一つなく。
木の床はざらつくことなく、ワックスでもかけたみたいにピカピカだ。
一段低くなった土間を抜けて、右手に曲がりダイニングに入る。そこには、椅子二つと、机一つの三点セットが置かれていた。
机の片側だけに、箸置きやら調味料やらが寄せられており、反対側には何も乗っていなかった。その様子から、祖母の孤独な老後が感じられて、少し胸が苦しくなる。
鶴姫はおもむろに冷蔵庫の扉を開けると、中には様々な食材が入っていた。
しゃきっとした葉物野菜、ピッチャーに入った麦茶、色の鮮やかな肉塊。およそ、魚以外の全てが用意されているように見える。
全てが新鮮そのものに見えるが、これも、わざわざ準備したのだろうか。
「勝手に使っていいですから」
そう不愛想に言った彼女は、やや乱暴に冷蔵庫の扉を閉めた。その際、ハッとした様子で白雪のほうを一瞥したが、白雪は何も言わなかった。
それから、鶴姫は家の中の隅々まで案内してくれた。
二階には、セミダブルのベッドが一つずつ置いてある寝室が二つと、小さな書斎。
一階には、暖炉のある洋間が一室。狭い風呂と、意外にも洋式のトイレ、日当たりの良い縁側がそれぞれあった。
正直、床下の倉庫まで案内されたときは、ここまで説明しなくてもと思ったが、これも風見の言う、葬儀役としての仕事なのだと思いなおし、黙って聞いていた。
ニ十分近くかけてツアーを終えた鶴姫は、立ち去る前に玄関の辺りで振り返り、相変わらずご機嫌斜めの面持ちで言う。
「ねえ、アンタはどこで寝るの」
とうとう口調まで遠慮のないものに成り果ててしまった鶴姫に、かごめは苦笑いを向ける。
「鶴姫ちゃん、また怒られるよ?」
「そんなの…」
どうでもいい、とでも言いたかったのだろうが、またもや彼女は白雪を一瞥して、言葉を改めた。
本当は彼女の両親や、村役での上司にあたると思われる風見に怒られるぞ、と言いたかったのだが、どうやら彼女の中で白雪は、だいぶ恐ろしい人物に見えているらしかった。
鶴姫はしばらく逡巡した後、ぼそりと問いを繰り返した。
「かごめは、どこで寝るの」
「…呼び捨てですか?」と敵意全開の白雪。「もう、白雪。別にいいから。従妹なんだし」
今すぐにでも相手に噛みつきそうな白雪の手綱を引っ張り、気を取り直してから鶴姫に問いかける。
「鶴姫ちゃんは、どうしてそんなことを聞くの?」
「その『ちゃん』ってのをやめて」
少し前かがみになって尋ねたのも、子ども扱いされたと思ったのだろう。彼女は語気を強め、真っすぐな瞳でかごめにぶつかってきた。
自分が失った、純粋な強さのようなものを感じて、かごめは本心から微笑んだ。
「はいはい、で、どうしてなの、鶴姫」
「私だって、呼び捨てにしたいのを我慢してるのに…!」と後ろのほうで一人ぼやいている白雪の声が聞こえるが、それは無視する。
問いかけを受けた彼女は、少し満足したように鼻を鳴らすと、「別に。そういう決まりなの」と小ぶりな胸を張った。
意味の分からないしきたりや決まりが多すぎる気がしたが、かごめは、どうせ自分には理解しようがないものだと知っていた。
父が教えてくれた怪談話や伝承、実在する風習も、とてもではないが、近代科学の恩恵の中で生きている私たちには、到底理解しがたいものばかりだったからだ。
だが、それが魅力であるとも、分かっていた。
やはり私は、父の子なのだろう。
矛盾を孕むものに引かれるのも、性なのかもしれない。
部屋に戻り、二つあるうちの片方の寝室に早速足を伸ばす。
八畳ほどの寝室で、扉から一番遠い壁のほう、小窓の下にセミダブルのベッドが置いてあり、その真向かいに古臭い木のテレビ台があり、その上に、今どき箱型の液晶テレビが乗っている。
後は部屋の右手に埋め込み式の大きなクローゼットと、小さな三段ボックスが一つばかりだ。
一応隣の寝室も確認したが、どうやら全く同じ間取り、家具の配置のようだ。
もしかすると、祖母が生きているうちから、ここは村の訪問客の寝室として使われていたのかもしれない。そうでもなければ、二つの部屋をここまで同じにすることはないだろう。
荷解きをしてから、ぼうっと珈琲でも飲もうかと考えていたところ、白雪まで同じ部屋に入ってきて、思わず入り口で立ち止まってしまう。
「ちょっと、白雪はあっちでしょ」
「え?」と本心から不思議そうな声音。
「え、じゃなくて…。ベッドは一つなんだから、白雪はここに寝られないでしょうが」
「…でも、そしたら、かごめちゃんのお母さんはどうするの?」
「あ…」
そう言われてみれば、そうだ。
今も叔母の家で飲んだくれている母も、この家に寝泊まりするのだ。そうなると、自然とベッドの数が一つ足りなくなる。
「だから、しょうがないと思うよ」
いつにない強引さで部屋に押し入ってきた白雪に言葉を失い、その手際の良い荷解きを観察していたかごめだったが、すぐに冷静さを取り戻すと、持ってきた荷物を掴んで踵を返す。
「か、かごめちゃん?どこ行くの?」
「決まってるでしょ。リビングで寝るのよ」
確か、リビングには使い古されたロッキングチェアがあったはずだ。寝心地は悪いだろうが、白雪か、母と添い寝することを考えたら、まだ我慢できる。
そのまま部屋を出ていこうとしていたかごめを、木の床を踏み鳴らしながら慌てた足取りで白雪が追いかけ、行く手を遮った。
「ダメ。絶対にダメ」
「な、何でよ…」
「何ででも。椅子か床で寝るつもりなの?あんなところで寝たら、風邪引いちゃう」
「大丈夫だって、どいて」
「どかない」
有無を言わさぬ毅然とした態度に、なんだか、段々と自分のほうが間違っているのでは、という気持ちになる。
白雪が、「どうしてもって言うなら、私が一階のリビングで寝るよ」と言い出す始末だったので、何とも弱り果てていたかごめは、五分もすれば自分の主張を通すことを諦め、ベッドに腰掛けて肩を竦めた。
「じゃあもう、勝手にすれば」
続けて、ぷい、と顔を逸らしたかごめを見て、白雪は落ち込んだ様子で眉をひそめ、しばらくかごめと荷物とを見比べてから、おずおずとその隣に移動した。
白雪の重みで、ベッドのスプリングが軋む。
悲鳴みたいな音にかき消されながら、彼女が口を開いた。
「ごめん、ごめんね…。怒ったよね、かごめちゃん」
唐突な悲壮感に良心を刺激されたかごめは、バツが悪そうに彼女から目線を外すと、大げさなため息と共にこう言った。
「怒ってないけどぉ…。とにかく、暑苦しいから引っ付かないでよね」
すると、許しともいえる言葉を受けて、ぱあっと表情を明るくした白雪が頷いたと同時に、キーン、と耳鳴りが鳴った。
珍しい、ストレスだろうか、と怪訝に思っていると、白雪までも右耳に軽く触れて、妙な顔をしたため、耳鳴りがするのかと尋ねた。
白雪は、その問いに肯定しかけたのだが、ハッと思いつたように部屋を見回すと、納得したように穏やかなトーンで声を発した。
「あぁ、そこの古いテレビのせいみたい」
「テレビ?」
白雪の目線の先を追えば、確かにそこには電源ランプが緑に光った古いテレビがあった。
…勝手に点いたのだろうか。だとすれば、少し気味が悪い。
「故障してるのかな?」
「どうだろう、どのみち電波が届いているとは思えないけど」
気のせいか、スピーカー部分からは小さなノイズも混じって聞こえてくるようだった。
電波、という単語を口にしてから、かごめは大急ぎでジーパンのポケットに手を突っ込んだ。
「うわ、最悪…。ここ携帯も圏外じゃん」
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