陰鬱な鉄籠の中で 1
土日は、一日2回更新させていただきます。
後部座席に座り、流れる景色をどこか他人事のように眺めていたかごめは、山麓に宿る緑や、聞こえなくても、そばにせせらぎを感じられそうな川などよりも、前の座席の二人の会話のほうが気になっていた。
「ごめんねぇ、かごめがワガママ言っちゃって」
「いえ、私が無理を言って運転手をさせてもらってるんです。お気になさらず」
「あら。白雪ちゃんは本当に、いつの間にか立派になったものねぇ」
それに比べて、と母が心の中で付け足すのが分かった。
「悪かったね、立派になれなくて」と嫌味を返すが、母は動揺する様子もなく心の底から頷いて、「本当よ」とぼやいた。
チッ、と舌打ちしてから目の前の運転席を睨みつける。
「だいたい、何で白雪までついて来るのよ…」
「ちょっとアンタ、何てこと言うの?」
気色ばんで声を強くする母に、かごめも怯むことなく言い返す。
「だって、関係無いじゃん。ばあちゃんの葬式だよ?」
「馬鹿!ここまで運転させておいて、何もお礼もせず返すなんて、考えられないでしょう!」
かごめ一家は、車を持っていない。
祖母の地元の村は、都心からは遥か遠い山間部に位置しているのだが、母が言っていたとおり、公共交通機関は本数が少ないどころか、村まで通じていなかった。
そのため、自家用車なしで村に行く手段は、凄まじい金額を払ってタクシーで行くか、麓までバスで移動して、何時間も登山するほかなかった。
かごめ一家は、裕福な家庭ではないし、母もいい歳なので登山は無理だ。
レンタカーでも借りようか、としていたときにお節介な白雪が、「それなら、私が村まで送ります」と名乗り出たのだ。
お人よしなのか、頭がおかしいのか…。
幼馴染というだけの、しかも、落ちぶれてひねくれてしまい、愚痴ばかりになった女のためにこれだけのことをするなんて。
「勝手にしてるだけじゃん。誰も頼んでないし」
そのあまりに恩知らずな発言に、とうとう母の堪忍袋の緒が切れそうになったとき、柔らかで、落ち着いた声がかごめの言葉を肯定した。
「本当に、私が勝手にしていることなので…」
「でも」と不服そうに母は返す。
「かごめちゃんには子どもの頃、とても迷惑をかけました。虐められていたら守ってくれたし、私が何か壊したりしたときも、庇ってもらったり…」
聞いているこちらが恥ずかしくなるほど、白雪は真っすぐに相手を褒めた。
普段はたどたどしい喋り方のくせに、どうしてか自分以外と会話するときは、人並み以上に落ち着いて話が出来るようだ。
「覚えてますか?運動会のとき、私がリレーでこけて、一気に順位を落としたときのこと」
母は首を横に振りながら、興味深そうに身を乗り出した。自分も、景色を眺めるふりをして耳を澄ませていた。
「私、アンカーのかごめちゃんにバトンを渡したとき、『ごめんね』って言ったんです。そしたら、かごめちゃん、『カッコつけるから見ててよ、白雪』って言って、みんな追い抜いて一位になっちゃったんです」
うわ、恥ずかしい…。
どんな精神の持ち主なら、本人の前で今の話が出来るのだろう、と不思議になる。
「えぇ、そんな格好つけだったわけ?この子」
「そ、そんな話知らない。覚えがないんだけど」
本当は、何となくそんなシチュエーションがあったことを覚えている。だが、まさか自分がそんな気障な台詞を吐いていたとは思わなかった。
かごめは照れ隠しでそう言ったのだが、白雪はそれも気にせず、ただ過去を懐かしんでいるようだった。
「とにかく、昔からかごめちゃんは私のヒーローなんです。だから今は、その恩返しをさせてもらっているだけなので…。本当に気にしないでください」
ドン、と大きな段差でもあったのか、車がバウンドする。
どうやら、いよいよ本格的に誰も寄り付かない山の深奥に入り込んだらしい。
周囲は深緑の樹木に覆われて、昼だか夜だか分からない暗がりが各所に形成されている。
ひたすらに続いている緩い傾斜道も、相当前に舗装したきりなのだろう、あちこち欠けていて、まともに走れたものではなさそうだ。
自然と低速まで落とされた車体は、必死に斜面を登っているようだった。
母は、そんな悪路で体を揺らしながらも、話を続けた。といっても、蛇足ともいえる余計な一言だったが。
「それが今じゃねぇ…」
「あのさぁ、いちいち余計なこと言わないと駄目なの?」
「何よぉ、本当のことでしょう」
「あ、あの、喧嘩は…」
みっともなく親子喧嘩を始めそうな自分たちの間に、白雪が慌てて仲裁に入るも、元はといえばお前のせいだ、という気持ちが強まり、かごめは彼女を咎める。
「アンタが余計なことを言わなければ…!」
「ご、ごめんね」
母が自分の文句を言っているのを聞きながら、かごめは、急に言葉を詰まらせた白雪に向けて、今日何度目かのため息をこぼした。
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