父の遺言 母の家系
――夢を見た。
確かにあったはずの、遠い遠い彼方の記憶……
だけど最近、何の夢を見たのか思い出せない……
ただ、思い出せないだけなのに。
何故だろう、毎朝涙が止まらないのは。
4日後、父が死亡したという連絡が届いた。死因は餓死だった。
父には鼻から食料を摂取して生きながらえるなどの選択肢もあったのだが
拒否したらしい。
遺言書が2通、遺されており、片方は今までの日々が楽しかったこと。
そして最後には自らの身勝手が招いた不幸な出来事について。
そして力不足の父であったことを詫びる文面が記載されていた。
もう片方には父が私に施した転生術についての解説が書かれていた。
しかしあまりに難解であったため、母の知っている知識も織り交ぜつつ
解説してもらうこととなった。
「転生術は、過去に存在した人物の知識や経験、意識など、様々なものを
これから生まれる子供に施す方法と、既に生まれている人に施す方法、どちらもあります」
語る母の目元は赤い。母は一日のどれだけを泣いて過ごしているかを私は知っている。
ゲオルグ氏に充てがわれた部屋は今まで生活していた牧歌的な雰囲気とはうってかわって
まさしくお城の中の部屋。そんな中で二人で話をしていた。
「私も夫の受け売りなので正確に把握していないことはあるのだけれども
基本的に元々持っている心や知識が多いほど、追加で転生術を施すのが難しくなるらしくて
なので例外・特殊なケースを除いては原則的に『上書き』は行わないみたい。効果が薄いので」
なるほど。なんとなくだけれどもイメージは付く。
そして私の場合はどうだったのかという核心について訪ねてみた。
「転生術を施す場合、転成させる人物を通常指定するのだけれども
貴方の場合は誰かを指定することをしなかったのよ。夫いわく敢えてこの世界の誰でもない人
という『ありえない』人物を指定することで、上書きされて、心を奪われる事を
防ぐ処理としてるわ。さらにそれに加えて、純粋に貴方の心には他者からの洗脳に
特に強くなる施術が施されてるわ。魔法陣として刻印しているから、大抵の洗脳や幻惑には
つよい抵抗力を持っているはずよ」
心に魔法陣を?基本的に魔法陣は物に書き込む必要があるはずだ一体どうやったのだろうか。
「『賢者』の家には精神や心に対する魔術が特に秀でているのが特徴よ。
おそらく、心といったものを思念魔法として映し出し、そこに刻印をするというようなことが
出来る……のだと思うわ。夫が亡くなった今となっては、ガウェインさんに聞くしか無いけれども」
私の転生については大体理解が出来た。しかし本当にそうなのであれば
私の持っている知識は何なのだろう。時折見る夢は何なのだろう。
「お母さん、私は明らかに私とは思えない知識を持っています。
それに殆ど思い出せないのですが、私はおそらく前世となる記憶が存在するようです
……ある日突然それが現れるようになって、そして今となっては消失しそうになっています」
私はここで泣いてはいけないと思っていたが、目には涙が溢れてしまっていた。
逆に殆ど泣いてばかりだった母が今度は申し訳無さそうな顔をしている。
「ルージュ、夫が貴方に対して行なった転生術についての表向きな說明は今の通りですが
夫は貴方が生まれた時に施した転生術を行なった時に言っていたことを思い出しました……」
母はここで泣くのは堪えたらしい。力強く続きを語った。
『ルージュにはこの世界の誰でもない、何らかの強い力を持つ誰かを転生者として指定したんだ。
しかし我々は我々の国の外ですらろくに知らないことが多いのに、この世界の外側となると
そもそも何が存在するかもわからない。なのでこの魔法はただの空振りに終わるかもしれない。
ただひょっとしたら違う世界の異なる知識を有したのであれば、ひょっとしたらこの国の
或いはこの世界に大きな影響を与える存在になるかもしれない』
「そう、あの人は言っていたわ。家を捨てた後悔からでもなく、自らの知識を誇るためでもなく
純粋にあの人はあの瞬間だけは『賢者』の家の人間らしい人であったと感じたわ。
もしその事でルージュ。貴方に危険が及ぶかもしれないということは気にしてはいなかった」
そう言われるとまるで大事にされてないかのようで少しだけ傷ついたが
しかし、父のことはよく分かっている。父は人の人生を弄ぶような、そんな人物でないことは。
「前世の記憶については、私もこれ以上は転生術に詳しくないので、後はどうしても知りたければ
ガウェインさんに聞くしかないわ。彼は正当な『賢者』の家の後継者として転生術を受け継いで
正しい知識を持っているわ。……ただ」
その先はなんとなく想定はついた。
「おそらく私達のことはよく思ってはいないわ。少なくとも父親と兄上を同時に奪った存在
ですからね」
まぁ今回のことはこれで決まったことだ。おそらく今頃蒸し返してくることもないだろうし
どうしても必要になったら聞きに行けばいい。それよりも母にはもう一つ聞いておきたいことがあった。
「お母さん、私は詠唱も、ましてや魔法陣なんて全くわかりませんが、思念魔法は使えるようです」
私はその思念魔法で傷ついた右手を見ながら言った。
「しかし、通常私は自らの手を潰してしまうほどの力を放ちましたが、それは普通の事なのですか?」
すると母は私が見つめていた右手を両手にとると、祈るような姿勢で
「この者の傷を癒やし給え」
と言った。その瞬間凄まじい光が当たりを覆ったが、直ぐに光は収まった。
そして母が手を話したその右手は完全に治癒されていた。
「うちの家……二つ名なんて無いけれど、うちは代々女系でね、我が家からは女性しか生まれないわ。
そしてうちの娘達は決まって体内貯蔵される魔法量が莫大であることが特徴でね。
特に長女にはその傾向が顕著にでるので、長女が嫁ぎ、次女は生まれたら我が家に戻してもらう
という特殊な家柄なの」
女性しか生まれないというのは確かに特殊だけれど、魔法の貯蔵量が多いというのは確かに
そうとうなアドバンテージだろう。
「ただうちの家系が名家にはなりえない理由でもあるけれども、どの家も当主は男性にする
事が多いというのがあってね……。魔法力が次の世代に受け継がれることを期待しての結婚や
さほど家柄が良くない家が、実績で成り上がりを目指すために嫁ぐことが多いわ」
そういう母の顔はあまり明るくない。まぁ確かにこの話は要するに利用されるためにある家柄
といえるわけだし、喜ばしくないのは分かる。
「後加えて私は珍しく、母の長女なのよ……母は、私と同じ、恋愛で結ばれたのよ」
母の顔は明るくないと言ったのは正確ではなかったのかもしれない。
今日に至る今まですべてのことが、運命に翻弄されている人生なのだ。
それを悲しんでるのだろうか? そんな気がした。
「相思相愛でね。子を授かった。それが私よ。ただ……相手の家柄は代々騎士の家系でね。
男の子しか当主には出来ないという話になって、女性しか産むことが出来ないって
分かった時点で無理やり別れさせられたわ。
それで実家で生まれたのが私よ。『あの時』となりに来てたのは私の母よ」
なるほど……何処の知識かわからないが、そんな時代錯誤なこともあるのかと私は思った。
となると私は長女からさらに長女なので……?どうなるの?
「私が長女で、貴方も長女。おそらく貴方の魔法貯蔵量は現時点でも極めて膨大で
将来的にもどんどん伸びていくでしょう……ただ」
そういう母の顔はやはり明るくない。思えばここの所明るい話題が無いのは悲しいと感じた。
「夫が言ってましたが、貴方は恐らく詠唱魔法の習得がとても難しいです。これは転生術を
世界の外から行なったことの副作用とのことです。当然ですが『賢者』の家系が代々受け継ぐ
魔法の一切を受け継いでいませんから当然ですが多くの魔法や転生術を使えません。
更に……貴方が言ってたことを夫は予期してたのかもしれませんね。
貴方はこの世界の言語体系の恩恵、つまり言霊の恩恵を非常に受けにくいのだそうです
なぜなら貴方はこの世界の人間ではないという転生術の言霊による影響を
強く受けてしまうから……とのことです」
そこまでいった時点で初めて少しだけ母は明るい顔をした。
「夫は言ってました。この子だけは、魔法も家柄も気にせず、普通の人生を送ってほしい。と」
そして母は笑顔を浮かべたまま、また涙を流していた。
父と生活した短い期間だが、幸せな生活を思い浮かべているのだろうか。
しかし私にはまだ確認しなければならないことがあった。
「お母さんは詠唱魔法とかも得意なの? だから直ぐに私の手も治せたの?」
「お母さんも思念魔法以外は苦手よ。というより思念魔法も得意な訳ではないわ」
頭の中に疑念が湧く。すると母は壁にかけられたランプを指差していった。
「お母さん、說明は苦手なのだけれども、これはたとえ話よ――――」
そういうと母は手のひらを私に向けて、目を閉じた。
すると手のひらに光が灯った。
「一応わかりやすく、光に変換しているけれどもこれが私の体内から放出している魔力元。
ランプに例えるとこれはランプの中に入ってる油よ。けれどもランプの中の油を供給する
量が増えなければ明るさも増えませんよね?」
すると母の手のひらの光は四散し、やや茶色みを帯びたオーラのようなものが
ふわふわと浮かんで消えた。
「ランプの明るさを調節してるのは、中身の構造よ。なので私達はエネルギーを供給すれば
あとは放出量や強さなど、必要に応じて自動調節できる魔法陣とも相性は悪くないわ。本来はね」
と母は言った。やはり――
「先程も言ったとおり、ルージュ。貴方はこの世界の言霊の恩恵を殆ど受けることが出来ないわ
なので詠唱魔法は言うまでもなくだけれども、魔法陣を使った魔法も相性はかなり悪いわ」
母は少し感傷的な顔つきから真面目な顔つきに変わり、私の方を見た。
「そして、思念魔法についてですが……、恐らく貴方は今、別の人の記憶があるといってましたが
その人の言語体系であれば扱える可能性はあります。ですが――――」
「この世界の言葉は、学んでも扱えない……ということですか」
母は黙って頷いた。
「貴方は私の家の家系の恩恵を受けてるので凄まじい魔法量を保持してるので
以前光を発することが出来たように、簡単なものであれば非効率的な使用を代償に
魔法を運用できるかもしれませんが、それを持ってしても恐らく簡易的なものに限られるでしょう」
そういうと、再び母は項垂れた。少し疲れたのだろうか。それとも父のことを思って
再び悲しみに暮れているのか。これ以上母に負担をかけるのはよくないだろう。
「お母さん、ありがとう。少し疲れてるみたいだしゆっくり休んで。色々教えてくれてありがとう」
すると母は黙って微笑んで、そのまま豪勢なベッドに再び戻り、寝込んでしまった。
人の精神状態と肉体は少なからずリンクする。体を悪くしなければよいのだが。
……私はなんでこの年齢でこのようなことまで考えているのだろうか。
母の說明や仮説から推定するに恐らく父の異世界からランダムに設定された転生は
恐らく成功しているのだろう。でなければ私の知識や、もうほとんど思い出せなくなっているが
毎日のように見ていた夢の說明がつかない。
たしかに私はこのままでいれば、平和な生活を送ることが出来るだろう。
しかし、今はゲオルグ氏の好意でこの住まいを与えられてるが、何時までもとは
行かないのではなかろうか。それに母方の家についても気になるが
流石にそこまで気を回す余裕はないか。
私はこのまま年をとった時、何ら魔法を行使できないと言う可能性があり
今でこそは大人たちが私を庇護してくれているからなんとかなるが、その後ろ盾が無くなった時
私はどのようにすればいいのか。私は私の将来について今のうちから考えるべきだと思っていた。