馴れ初め
夢を見ている。私は僕で、僕は両親とともに、慎ましくも温かい生活を送っている。
「リュウくんは、私に似てとってもかわいいわ、とくに目元の当たりとか私そっくり」
「はは、何を言ってるんだ、この精悍な顔立ち、射るような目つき!俺のかっこよさを
よく受け継いでるだろ!」
「もう、父さんったら……リュウ君のことになるとすぐそれなんだから……」
確かにあったはずの、遠い遠い彼方の記憶……
意識を取り戻した時、私はとても巨大な部屋の巨大なベッドの上で寝ていた。
衣服も全く別の物に交換されていたが、見ただけでも分かる。
上質な素材に、立派な仕立てがなされた寝間着である。
「っ!」
などと服に感想を持っていたら、体中から痛みが走った。
体中に軽度ではあるが痣がある。怪我自体はあの兵士に殴る蹴るをされた時に生じたものだろう。
ただこちらの怪我はしれている。何をされたかは知らないが治癒されているようで
打撃を受けた時の感触の割に机の角に手をぶつけたた程度の痛みしかしない。
むしろよろしくないのは魔法を行使した手と頭痛だ。
手に関しては全体がむくんでしまうほどに腫れており、こちらもおそらく治癒を施したと思われる
痕跡があるが、動かすだけでもかなりの痛みがあり、指から手のひらとすべてが
内出血しているようだ。
おそらく治りを良くするためだと思われるが、手に直接何らかの魔法陣が書き込まれていた。
一番どうしようもないのは頭痛だ。頭がすごくガンガンするがまあこれは二日酔いとでも思って
我慢するしか無いようだ。頭痛に関しては外観ではわからないから治療のしようもなかったようだ。
などと自分の容態を確認していると、コンコン、というノック音がした。
「失礼致します」
声とともにメイド服を着た、小柄な女性が入ってきた。
身近にいる人は父と母以外ほとんど見かけたことがなかったので少し斬新な気分だ。
「お加減はいかがでしょうか……?」
そういうとメイドは私のことを覗き込んで、体中を観察している。
治り具合でもみているのだろうか、となるとこのメイドが治療してくれたのか。
であれば謝礼をするのが筋だろう。
私は痛む体に無理をさせて上体を起こして礼を言った。
「私のことを治療してくれたのはあなた? ありがとうございます」
そんなそんな私の様子を見てなのか、メイドはあたふたとしだして言った。
「いえ、治療自体は専属の治療が得意な術師の方が……。私はその人から
事後の経過観察と継続して必要なケアについて説明されてまして
えーっと、えっと、あの、そう、これから手当の続きをします」
なぜかこのメイドは慌てつつ事情を説明してくれた。
あまり落ち着きがない性格なのか、よくはわからないが体を治してくれるなら
ありがたいことにはちがいない。
「どちらにしても、世話になることは確かみたいだし、ありがとう」
「い、い、いえ、どういたしましてぇぇぇっ!」
理由がわからないが必要以上に緊張されてる気がする。
まぁ体が治るならどちらにしてもいいことだ。
今はいち早く体調を整えて、父と母のもとへ戻ることが最優先だと考えていた。
いやそもそも状況把握が先だが、どうにも不安が拭えない。
ただ何故かわからないが、殺されることも覚悟していたのにこの待遇だ。
となれば、父や母も生きている可能性は想定よりだいぶ高い……と思いたい。
このメイドに直接聞いてみるか……しかし下手なことを言って藪蛇になるのも怖い。
まずは自分の体調を整えるのが最優先だ。おとなしく治療に従っておこう。
メイドはまず右手に手袋をはめだした。
手袋には両面側に何らかの魔法陣が書かれており
装着すると青と緑の光を放ち始めた。そしてその光った手袋で私のケガをした
顔や腕などを手袋をあてると、見る見るうちに外観からして打撲の跡は消えてゆき
痛みも大幅に和らいでいった。
そして一番状態のひどい、右手を手に取り、手袋を充て始めた。
すると手袋の光は今までと違って倍以上の光を放ち、一気に光が消えてしまった。
ふとメイドの顔をみると非常に疲労感が強く出ている。
母が立てこもったときに扉を守っていた時と同じ状態だ。
「大丈夫?!」
母の横顔を思い出し、つい声を大きくして呼びかけてしまった。
「すみません、大丈夫ですが、やはりその部位だけは怪我がひどいのと魔法を使った痕跡のせいか
なかなか治療が難しいんです」
魔法の痕跡……たしかに私は手に空気を集めるために魔法を使用した。
それが悪影響を与えているというのだろうか。
彼女はいったん私の手をおろし、今度はガラス製?これも初めて見たが
中には茶色ともいえるようなオレンジともいえるような液体が入っている。
彼女はそれをティーカップにそそぐと、そのまま私の口元に持ってきた。
私の右手がひどいからの配慮だろうが、得体のしれないものを飲むのは避けたい。
「……悪気がないのはわかるのだけれども、よくわからないのを飲みたくない」
そういうと少し彼女は驚いたような顔をしたが、説明をしてくれた。
「これは魔力の源を水に溶かしこんだものですよ。一般的にはエーテルと呼ばれます
厳密な意味ではエーテルを溶かした水なんですけどね」
口にこそ出していないが、ご存じありませんでしたかと言わんばかりの顔つきだ。
普通は知ってて当たり前のものらしい。ただ当人の顔に悪意がないところを見ると本当に不思議に
思っているらしい。一方で怪訝そうな顔で眺めてる私をみて彼女は言葉をつづけた。
「ルージュ様の体内の魔法量が底をつきかけていたので、目が覚めたら飲ませるようにと
術師様からの言いつけでございます。おそらく飲んでいただくのが一番わかりやすいです」
まぁいいから飲んでみろということらしい。
先ほどから私に対して変なことをしようという様子もないし、実際に彼女は傷口を治療してくれた。
どのみち殺すならとっくの昔に殺せていただろうしこの待遇を考えれば
ここで何かをされるというのも考えにくいだろう。
おとなしく言うことに従ってみよう。
私は彼女から左手でティーカップを半ば強引に受け取り、その中身を軽く飲んでみた。
あまり味らしい味はしないが、少し飲んだだけでだいぶ頭に霧がかかってた感じが緩和された。
続けざまに今度はカップの中身を一気に飲み干した。
もやもやした頭の感覚はクリアになり、頭のだるさはほとんどなくなった。
私は飲み干したティーカップを彼女に返すと、お礼を言った。
「ありがとう、頭がずっとふらふらしてぼーっとしてたのが一気によくなったよ」
それを聞くと彼女は少し驚いて私のほうを見ていたが、気を取り直した。
「……気分がよくなったなら何よりです……が、すごいですね」
すごい? いったい何がすごいのだろうか?
顔に出ていたらしく、彼女は続けざまに言った。
「今、お出しさせていただいたエーテルは最上級品でして、簡単に言うと
とても濃いエーテルを含んでます」
最上級品……ずっと父と母、3人で世間様にも触れずに育った自分にとっては
品質の概念に触れるのが懐かしいような気もした。しかし私なんかに最上級品とはもったいないことだ。
「いいんですか? 治癒のためとはいえ最上級の品など私なんかに」
すると、彼女は再びわたわたとしつつ手を振りながら答えた。
「滅相もございません、ルージュ様。それに普通の人が過剰にエーテルを摂取すると
エーテル酔いを起こしてしまいますので、かえって気分が悪くなるんです。
術師様が最上級品のご指定をされたとき、ルージュ様の母君とそのご親類方だけは
何も疑念に思われていらっしゃらない様子でしたが、普通は子供にエーテルを与えること自体
あり得ないことです。私も隣で伺っておりましたがとても驚きました」
私の内部貯蔵量は一般の人とはだいぶ格差ががあるということはわかったが……
『母君とそのご親類』と今言ったか?ということは少なくとも母は生きている?!
私はもう問わずにはいられなかった。
「父と母は無事なんですか?!」
瞬間、彼女の返答ではなく顔色を窺った。
相変わらず慌ただしい雰囲気だが、彼女の纏う空気の雰囲気が重くなったのを感じる。
「ご両親様は共々お元気ですよ。ただ……」
やはりなにか歯切れが悪い。そもそも今回いきなりこのようなことになったのは何だったのか。
「お二人とも治療は受けておりますが、拘束されております」
拘束……程度にもよるが殺害されているという最悪の状況を免れたようだ。
私は心の中で少し安心していた。
しかしそれをメイドは不思議に思っていたらしい。
「ルージュ様は何故、そんなにおちついていらっしゃるのですか?」
何を言っているのだろうかと私は最初思った。
少なくとも私の中で今、心の余裕はほとんどないし、しいて言うならば
『なるべく冷静になることを心掛けている』だけなのである。
しかしそんな私に私自身が疑問を感じた。
いったいいつから私は私をこんなにコントロールできるようになったんだ?
ついこの間まで食事をするときに、ご飯をこぼして注意されていた『私』が。
夜中にトイレに行くことが怖くてトイレについてきてもらっていた『私』が。
毎日が父と母、一緒にいるだけが幸せだと思ってた『私』が。
今、私は頭の中で父と母がどのように拘束されているのか。
解放の見込みはあるのか、状況はどの程度劣勢なのか。
現状を把握できるだけ把握するべく、情報を収集しなければならない。
そう感じているのだ。いや考えているのだ。
明らかに今までの私とこの間の私とで大きな隔たりを感じざる負えない。
しかし、現状として思考できてしまう以上、行動せねばならないと心の奥底から
突き動かされるような衝動を感じるのだ。
すると今度は私が顔色を読まれたらしい。この冷静さとは無縁そうな彼女に。
「ご両親は無事ですよ……安心してください。ただ……」
「……ただ?!」
どうしても口調は強くなっていたと思う。
「あまり立場はよろしくありません……ルージュ様はご存じないと思いますが……」
そういうと彼女は私と両親がおかれている立場を教えてくれた。
父、ランスロッドは国政にかかわる貴族の中でも5本の指に入るほどの
偉大な家系であり、『グレイベアード』、賢者の二つ名で呼ばれるほどのすごい貴族の出だそうだ。
そしてその二つ名を持つ理由として、父の家系は転生術を門外不出の秘伝として継承しており
故に、父の家系の血を継ぐ者は基本的に前世の記録を受け継ぎ、幼少期から普通の魔術師が
生涯をかけて習得するような魔術を使用できるらしい。最も子供の魔法力ではそれらの使用は
困難であり、故にグレイベアードの家系では成人するまでに魔法力を養うことに多くの時間を費やす。
一方で母の家系は貴族ではあるが、その立場は父の家系とは程遠く、二つ名なども貰えていない。
ただ母の家系は特殊な血筋を持っているために、特に魔道を志す貴族の家系とは
懇意にしていることが多いとのことだ。
その最大の理由が、母の家柄で生まれた女性は、初めて生んだ子供には莫大な魔法力が
宿ることがあり、また血族全体の傾向として魔法力の成長がよくなる傾向があったため
多くの魔術を得意とする貴族が縁を結びたがり、割と良い生活をしているとのことだ。
しかし、父と母の出会いはお見合いではなく、偶然であったらしい。
父の家系では基本的に恋愛結婚などということはほとんどありえなく、その魔道の道を
ひたすら、ひたすらに深く、深淵に到達するまで目指そうとしているため
余計な異分子を家系図に取り込むことは良い悪いではなくそもそも考えられないとしていた。
しかし肝心の父は、『賢者』の系譜の中でもかなりの異端児であった。
そもそも資質に優れ、魔道の才能にあふれた父であったが、
一方でまったく魔道に対しての執着心がなかったのである。
これは先代の、つまり祖父にあたる人物が長男坊である父に対してある試みをしたことに起因する。
『我々の此処までの執念を生み出した初代様と、系譜の最終作品である自分を同時に継承させれば
新しい段階への魔道を目指せるのではないか』
正直、『賢者』の二つ名は錆び付き、埃をかぶり始めていたのだ。
日々進歩する世界。そして当然だが新たに生み出される魔道については徐々に広まってゆき
先を行く者たちは更に上を目指すことを求められていたのだ。
そこで祖父はそのような例外的な継承儀式を行ったうえで子を作った。
それが私の父なのである。
しかし祖父にとって父は『失敗作』だったのである。
魔道の革新を求めた結果、確かに天才が生まれたが
天才は革新を起こそうとはしなかったのである。
初代となる人物は現在の有り様を見て、何を思ったのか知る由もないが。
結果として祖父は二人目の子供を授かっており、叔父にあたる彼は順当に次期当主として
何の疑念も抱かず、『賢者』の名を維持すべく、魔道の探求を行っているとのことだ。
正直、父は祖父にとって既に期待外れの失敗作。
しかし、ある日、伴侶にしたいとして連れてきた母の姿を見て祖父は驚く。
黒い髪と赤い瞳をもつ女性。母型の血筋であることの証明であり、その外見から見て取れる
母の年齢から処女であることも想定が付いたのだろう。
祖父は、結婚を歓迎したが、その際に生まれてくる私に対して
自らの知識の継承をさせようとした。
しかもそれは秘密裏に行われようとしたため、父は激しく激怒し、門外不出の秘宝である
杖とマントを持ち出して家を飛び出してしまったのである。
これが事の顛末であり、既にこれは多くの人が知っている有名な出来事となっているらしい。
おかげで『賢者』の末裔である父の家系はますます名を落としつつあり
妄念に駆られるかのように父と母を探し出そうとしていたようだ。
結果的に私が強い魔法を使ってしまったことで、
至るところに張り巡らされていた魔法検知に引っかかって
居場所が特定されてしまい、現在に至るというわけだ。
まだまだ話として聞きたいことがあったのだが、コンコン、というノック音からドアが開き
別のメイドが表れた。今いるメイドとは違ってきわめて落ち着きがあるが長身の女性である。
「エミリー、ルージュ様に余計なことを吹き込んでないでしょうね?」
新たに表れたメイドは抑揚のない声でエミリーといわれた小さなメイドをみて言った。
「べ、べ、べつに特別なことなんて!? ただよく知られてることを話しただけですよっ!」
相変わらず、落ち着きがなかった。そんなエミリーをみて新たなメイドはため息をついた。
「まぁいいでしょう。ルージュ様、これから謁見の間にて、双方の家族が立会いの下に
今後の処遇を決めるとのことです、ですので今からお持ちした服に着替えていただいた上で
ルージュ様にもご参加いただきますので準備をお願いいたします」
そういうと新たなメイドは大きな鏡の前に移動するように片手でそこを示した。
私は素直に従いつつ、エミリーが話してくれた情報をもとに、どのように対応するべきかを
服を着替えさせられてる間に頭の整理をしていたのであった。