魔法の世界
夢を見ている。私は僕で、僕は至って平凡な生活を送っている。
「リュウ君、リュウ君は本が好きだね」
母は僕をベットに寝かしつけて、微笑みかけるように子守唄の代わりに
童謡を聞かせてくれる。
「ママが話している声を聞くのが好きなんだ!」
「あら、嬉しいこと言ってくれちゃってこの子は……でももう2冊めもおわってしまったわ。
次の3冊目を読んだらおとなしく寝るのよ!」
「うん!」
元気に答え、寝る気配がない私を苦笑いしつつも愛おしくも見つめる母の姿。
確かにあったはずの、遠い遠い彼方の記憶……
何故だろう、私には二つの記憶が同時に混在している。
片方の記憶はもうほとんど消失しかかっている。
記憶は消えてしまっているが、経験と知識だけが何故か残っている。
ただその殆どの知識も私にとってもはや必要がないものであった。
のどかな景色、畑、山に森。
そして毎日黙っていても供給される朝昼晩の食事。
それも当然、私は子供だった。両親も当然いる。
食事も美味しく、夜は寝る前に母が毎日童謡を聞かせてくれる。
ただ童謡に感しては全く自分の持っている知識とは違うものであった。
剣と魔法のファンタジーといえばいいのだろうか。
殆どの話がその例に漏れないものばかりだった。
ドラゴンが火を吹いたり、勇者が剣を振り回し、魔法使いが火や氷や雷を起こしたり。
もう何処で手に入れるかもわからないが、銃で敵を倒すような話はなかった。
まぁ最も、記憶の中でも流石に銃器で敵を倒す童謡は無かったが。
しかしそもそも銃とはなんなのだろう。イメージもできるが言葉にうまくできない。
しかし、生活をしているうちに驚くべきことに気がついた。
住宅は木製で出来ていた。一部には石や土で出来ている部分もあったが
鉄などの精製された物はほとんど存在しなかった。
建造物の一部の留め金などに使用される程度だ。
さらに驚くべきことがあった。母が家事を行なっているときだ。
かまどに火をくべる時、薪だけを放り込み、手をかざすと、いきなり火がついたのだ。
おぉ~と思って眺めていると、母が話しかけてきた。
「そう言えば貴方には見せてなかったわね」
母はかまどの下を指差すと、そこには何やら不思議な文様が描かれていた。
「コレはかなり精密なものだけれども、代わりに起動するのが楽なのよ」
すると、下の文様が薪に呼応するかのようにぼやっと光が揺らめいている。
「自動的に熱を加える魔法陣だけれども、お父さんのお手製だからとても使いやすいのよぉ」
そう言いつつ料理に集中する母をよそ目に、私はじっとかまどで勝手に火がついて
ゆっくり燃えるのを眺めていた。
一体どういう理屈でこのような風になっているのか。
10分ぐらいだろうか、ずーっと眺めてると母が訪ねてきた。
「どうしたの? そんなに何か気になる?」
「うん」
「ならば、お父さんが帰ってきたら聞いてみるといいわよ、もうすぐ仕事も終わって
帰ってくるはずだから」
そう言えば父がなんの仕事をしているのかよく知らない。
そういえばまな板の上に乗っている包丁は黒曜石であり
やはり鉄で構成された物質がほとんど存在しない。
私の中にある記憶だけの存在が『鉄』という物質を頭に思い浮かべるが
この建物の中に該当する物は数えるほどだ。
そうすると、泥まみれになりながら、大きな木製のかごに大量の食料を背負った、父が帰ってきた。
「おかえり父さん! 今日は何取ってきたの?」
父は重たそうにしていたかごを一旦、部屋の片隅に卸して、額についた汗を拭った。
額についた汗を拭き取った代償として父の額には手についた泥が黒くこべりついてしまった。
「もう、貴方ったら・・・顔を洗ってきてくださいまし? 顔が真っ黒ですよ」
そんな不器用な父を愛おしげに母は見つめていた。
私はというと父が持ってきたかごの中身を覗き込んでいた。
殆どが恐らくじゃがいも・・・かな?いくらかネギやキャベツ、人参などの野菜も含まれていた。
父はいつも定期的にかごを背負ってでかけてくると半日かけてこの食料を担いで帰ってくる。
私は不思議に思っていた。父は毎日畑仕事に出ている様子はない。
むしろ日によっては外出すらしていない日もある。一体何をいつもしているのだろうか。
今日の魔法陣の件はそういった事を聞くいいチャンスだと思った。
父は顔を洗い、清潔な状態に戻って帰ってきた。
我が家にやってくる人は本当に限られた人しか来ないのだが
比較しても父はかなり痩せているように見えた。
そして、たまに外に行っては食料を持ってくるが、畑仕事をしている様子でもない。
恐らくなのだが、あれは貰ってきたものなのだ。
幸い、母は夕食の準備に忙しそうなので、ゆっくり話ができそうだ。
私は父が戻ってきて椅子に座っている上に乗っかるように座った。
「お父さん、かまどの下にある魔法陣は一体何なの?」
まずは一つ目の疑問を聞いてみた。すると父はやれやれと言った表情で母の方を見ている。
母は父の目線をみると「ふふふ」といった感じでいたずらっぽく笑っている。
「しかたないな」といった顔つきで父は話を始めた。
「まったく、ルージュはまだお父さんの上に乗っていないとダメなのかい?
僕はルージュが大人になるまでルージュを上に乗せておかないとダメなのかなぁ」
……ルージュ? 俺の……いや私の名前はルージュだ。
一体私は何を迷ったのだろうか。
父は私をいつも子供扱いだ。まぁ子供だから当然なのだが、そんな父に甘えるのが私は好きだった。
父も母もとても優しかった。私は毎日が幸せだった。そしてそんな私を見る父と母の顔が好きだった。
「かまどの下にあるのは、たしかに魔法陣だ。この世界には様々な魔法があるが……」
様々な魔法がある……魔法だって? 魔法といったのか? そして私はなんでそこにそんなに拘る?
「大まかには詠唱魔術、思念魔術、刻印魔術の3つに大きく分けられる……」
とまで言った時点で父は私の顔を覗き込んでいた。私はじっと父の顔を覗き込んでいた。
どうやら理解できそうかどうか試されていたようだ。
「皮肉なことだね、僕の素養を強く受け継いでしまったようだ。いいだろう、続けるよ」
言葉を理解している様子であることを見てそういうと父は言葉続ける。
すると父は私を支えてた左手だけを離し、手のひらを上にかざすようにした。
「闇を灯すは我が心の光……」
父の言葉に呼応して父の左手の上には眩しい光を放つなにかが現れた。
あまりの眩しさに、私は顔を背けて、父の方に体を向けた。父は眩しすぎた事に気がついたようで
左手を握りつぶす動作をすると、左手の光は消滅した。
一体どういう原理なんだ……全く理解できなかった。父は說明を再開した。
「これは簡単な詠唱魔法に、少しだけ思念魔術を込めてた魔法だね。
大雑把に言うと口で言うのが詠唱魔術、頭に思い浮かべるのが思念魔術
何かに書いて置くのが刻印魔術だよ」
なるほど……言っていることは理解できるが、私の中にある私の知識が
『そんな大雑把なものでいいのか?』と疑問符を並べている。
「すべての魔術には『言霊』という概念があるんだ。これが何を起こすかの原点になる」
父は非常に難しいことを言っているんだが、これが私の年齢に相応しい說明の仕方なのか?
まぁ分かるからいいけどと思いながら聞いていた。しかし父はあまり私がわからないとは
疑っていないらしい。
「ただこれは未だにまだ分かってない部分もあるんだが、大まかには皆が共通認識している
ことに関しては割と簡単に扱えて、自分以外は信じてなかったり、分かってないものについては
なかなかうまく行かないことが多い。まぁ上位の魔術師は皆、独自の観念を持っていて
万人には理解できないような魔法を扱う事が多いけれどもね」
ふむふむ、なんとなく言霊については言っていることは理解できる。皆が思ってるものが
魔法として簡単で、自分以外が理解してないものは形にしにくいということだろう。
「次に思念魔法だ。これは詠唱魔法とは正反対で、頭の中でイメージすることで
それを魔法にするものだね。詠唱魔法と違っていいところは、頭の中でイメージさえできれば
言葉になってなくても発動できる事だね。例えば言葉として存在しないものを
使うことが出来る」
なるほど。これはかなり便利そうだ。むしろ詠唱をするよりも簡単そうに見えるのだが。
「お父さん、だったら詠唱魔法は使う必要はないのじゃない?」
この問いをしたことに父はかなり驚いたようだ。
「ほう、それも理解できたんだね……複雑な気分だが流石と言うべきなのか」
父の言葉は歯切れが悪い。一体何か私は悪いことをしているのだろうか。
そんな表情が顔に出てしまっていたのか、父は困惑した表情で私を見ながら言った。
「悪い、少し困らせてしまったようだね。気にしなくていいんだよルージュは」
そんな父の顔は優しげでもあり、寂しげでもあった気がする。父は再び魔法の說明を続けた。
「思念魔法には弱点がある。この世界の魔法の力の強さは周囲に散らばってる
エネルギーを集めて使うものと、自らの体内に貯蔵されている物を使用する2つがある。
どの魔法もある程度どちらも使用するのだけれども、思念魔法は言霊の力を受けにくい
為、体内貯蔵のエネルギー使用率が非常に高いといわれていて、実際に体内貯蔵の魔法力
を多く消費する。つまり乱用できないということだ」
なるほどなぁ。思念魔法は便利そうなんだけれども、リスクも大きそうだ。
更に父の說明は利便性は低いとの話が続く。
「思念魔法の得意なのはこの世に存在しないようなものを使うのに向いているんだが
正直そんな物を生み出す必要性は低い。なので強さの加減や方向性など、事細かに
一々詠唱するのが面倒なものを簡略化するために使われることが殆どで
現在ではここをメインで使う人は殆どいないよ。私がさっき使ってみせたのも
光の位置と光の強さをイメージしたぐらいだ」
たしかに一々詠唱するのが手間なものだけに頼り、魔法の源は周りから集めたほうが
効率的であるのは間違いない。そしていよいよ最後の魔法陣の說明へと入った。
「最後に刻印魔術だが、代表的なのが魔法陣だね。
これは詠唱をそのまま文字に起こした物だよ。ただこっちは『書く』という作業が
必要になるんで、一度書いてしまえば非常に効果的なんだが
まぁ普通書き直しとかはしないしな。同じ作業を繰り返し発生させるものについて
有効という感じだ。あと文字以外にも絵柄でもよいから少し詠唱より幅が広いのも利点だ。
それに詠唱しなくていいっていうのは早いっていうのも利点だな。
これも昨今のご時世だとあんまり利用されないが、杖に魔法力増幅の刻印を
入れているものはあるな。『陣』ではなくなるため、方向性の指定が必要になるが
杖ならほとんどが前方向だからな、まぁ単純に使い勝手がいい」
なるほどなるほど。大体は理解できた。思ったよりシンプルだが
言霊というのは少し厄介かもしれない。
なぜならまだ私は言葉の読み書きが不十分だから、言霊を自由に扱えないし
魔法陣を書くにしても同様だ。扱えそうなのは一番需要が無い思念魔法とやらだが……
一番魔法力を必要とするのに子供であるというのは大きなマイナスであろう。
とはいえ、思いついたらすぐやってみたくなってしまうのは子供心というものだろう。
私は父のように、片手ではなく両手ですくい上げるようにして、思念のみで明かりを灯そうと思った。
明るさの強度はそうだな……蛍光灯ぐらい……ケイコウトウ?私は何を考えていたのだろうか。
頭を振り払い、ランプぐらいの明るさをイメージして単純に「光れ!」と念じた。
その瞬間だった。
まるでこの家がすべて白で塗り尽くされないほどの光が溢れ出だした。
あまりの光の強さにまるで太陽を直接見つめたかのように目が潰れそうなほど光が焼け付き
瞬間的に私は目を閉じた。
そしてそれはわずかに数秒の出来事だったが、すぐさま収まった。
……何故収まったのか分からなかったが、手を覆っている父の手でなんとなく理解できた。
恐らく父が光を抑えるように魔法で上書きのようなことをしたのだろう。
「あはは……ごめんなさい、なんかそんなに光ると思って無くて……」
と、軽い気持ちで私は釈明をしたが、父と母はまるで私を眺めておらずなにか外の様子をうかがう
様子を見せていた。非常につよい警戒心を顕にしている。なにかまずいことをしてしまっただろうか。
明らかに父と母の様子がおかしい。今まで見たことのない
異常なまでに警戒心を強く出した表情をしている。
「エル、明かりは全部消せ、それと村の人達全員に今すぐここから逃げるように伝達できるか?」
「ええ、やってやってみるわ、ただ明かりの方は貴方に任せるわ、伝達の方はかなりの
エネルギーが必要になるわ」
「分かった。こっちは俺がなんとかする。済んだら直ぐに出発する準備をするぞ」
何が起きているのかはわからない私がが、この空気、この匂い……嗅ぎなれた、懐かしくもある。
嫌な空気だ。これは戦いの空気だ。
「我が命ずる、我は静寂の主、すべては安寧を求める」
父はそう言うと右手を左から右に大きく祓うかのように手をふると、家の動いていたものが
すべて止まり、かまどの火は消え、明かりもすべてが消失した。
そして父は私を膝の上から下ろした。私はちょんと立った形になる。
明らかに空気が変わってしまった理由は私のせいだろう。理由はわからないが私は私を責めていた。
しかしそんな私の様子に気がついたのか、父は優しい言葉をかけてくれた。
「ルージュ、お前は何も悪いことはしていない。私が軽率だっただけだ。
いずれこういう日が来ることは分かっていたんだ。ただ少し予定よりかなり早かっただけの事」
そういうと父は立ち上がり、縦に長細い、ドアの付いたロッカーのような棚の前に歩いていった。
父や母がそこに立った所を見たことがなかったので何があるかは私も知らないのだが
よく見るとドアノブのところにかなり細かく、たくさんの字がびっちりと記載されていた。
父がそのノブを握り、ノブを回すとノブはぼやっと光ったかと思うとドアが開けられた。
そこには長さは父親の頭より更に長く、そこそこの太さのあるとても長い棒と、それにかけられた
とても長いコートが入っていた。父はそれを取り出し、身につけた。
父が握った棒は全体に刻印されている文様すべてが様々な色を持って小さく光ってるのが
分かった。コートの方も着込むと外面は真っ黒だが内側が黒で光っていることが僅かに分かった。
先程言っていた刻印魔術がびっちりと刻まれているのだろう。
「エル、もう伝達は済んだか?」
「ええ、貴方。こっちはもう終わったわ。いつでも出れるわ」
「よし、最低限の食料だけかばんにいれて直ぐに出発するぞ」
そういうと母は革で出来たリュックサックに今日貰ってきた食材を雑に慌てて放り込んでいた。
その瞬間だった。
『ダーーーーーーーーーーーン!』という音とともに空が真っ暗になったのだ。
まるで至近距離で落雷が発生したかと思わせるような音だったがそうではなかった。
厳密には夜空から星が消えたと表現したほうがいいだろうか。家の明かりもすべて消していたせいで
周囲は完全に暗闇に包まれた。
父と母はすぐさま左手に無詠唱で光を作り出した。かなり小さく、さっき私に見せてくれた
あの明るさよりかなり抑えめだ。
「貴方、これは一体何が……」
父の顔を私は眺めた。表情がとても険しい。
「やられた……これは恐らく封印だ。奴ら俺たち全員逃す気はないようだ」
父は少しだけ神妙な面持ちになると、杖が光り始める。
「探知」
簡単な一言を述べた上で杖をドンと床に落とすとそこから青黒い光がぼわっと地面から
風が吹くかのような速度で円形に走り出した。
途端、父は少しだけ頭を抑えて膝をついた。
「貴方!」
母が駆け寄ってくる。母は外出用に服を着替えており、続いて私の上にもコートを羽織らせた。
父の状態はすぐに良くなったようで、立ち上がったが、顔つきが険しい。
「恐らくこの村全体に対魔法および物理的な障壁を作ったようだ。この障壁を破壊しないと
村から出ることすら難しいぞ……」
父は少し悩むポーズをすると、意を決したように私と母を見た。
「貴方……」
母は父のことを見据えているが、私を握っている手が震えてた。
父は私と母を一瞥した後、嬉しさと悲しさが混ざった表情で言った。
「僕がこの障壁の破壊を試みてみるよ。ただ結界を破壊するには術者をみつけて呪文を止めるか
障壁自体に魔法で干渉をを試みる必要がある」
「……イヤよ貴方」
父は最前線に出るということだ……つまり戻らないかもしれないということである。
前線とはなんだ? なぜ前線に出ると戻らないのだ?
母は押し殺したような声で言っているが、私の手を握っている手には更に力が入っている。
父は母の頭に手を乗せて、髪を撫でながら言った。
「さっきも言ったが、何れはこうなる運命だった。少し早かっただけだ。
それに君にも使命が残っているだろう?」
そういうと父は私のことを見た。
「ルージュを頼む。私達の生きる意味を守ってくれ」
そういうと父は母から離れ、私の頭も雑に撫でると、杖で床をトンっ!と軽く叩いた。
次の瞬間、既に父はもうこの部屋にはいなかった。