ルージュ
瞬間--右頬を銃弾が掠めた。頬から血が流れ出る。
絶望的状況下において、かすっただけで済ませたのはかなりの幸運だった。
無論痛い。機関銃の弾丸は掠めただけで体をえぐるほどだけの力がある。
恐らく下手すれば骨が露出するほどの怪我をおっているだろう。
「ルージュ!? まだ生きてるか!」
息を殺して逃げながらも問いかける、辛うじて聞こえた仲間の声。
「ああ、もう少しだけ生きてられそうだ」
こっちの声も聞こえてるかはわからないが押し殺した声で言った。
俺たちは傭兵部隊だ。基本的にスポンサーの意向にそって最悪の戦場に放り込まれていく。
大手企業の傭兵部隊なら任地や武装なども潤沢で、安全性も担保されやすい場所が選ばれるだろう。
しかし俺は敢えてどうしょもない、劣悪な環境で働かされる場所を選んだ。
いや、そんな場所ぐらいしか俺を受け入れてくれるところはなかった……のかもしれない。
今回の偉大なスボンサー様はとても戦争がお上手で、相手側が不沈とも呼ばれる天然の要害で
守られた拠点攻めを、人的資源のみで突破しようと試みた。
結果などは聞くまでもない。
相手の10倍の兵力で挑んだ兵士たちは今や6割を切る状態だった。
戦争では基本1割やられたら負け。2割やられたら壊滅と言っていい。
なぜなら兵士たちの士気が持たないからだ。
五体満足のものでも恐怖に駆られ、指揮系統はまともに機能しなくなり
敵を見たものは逃げることしか考えられなくなる。
つまり実質的な壊滅と言えるわけだ。
俺たち傭兵部隊は撤退戦の殿を任された。俺たちのほぼ全員が
『ほぼ予定通り』といった表情で報告を聞いた。ろくな武装も持たされないで突撃した兵士たちは
開幕に大量に配置された重機関銃、無人戦闘機からの爆撃で瞬間的に
1割ちかく死んだのではないかとさえ言われていた。
当たり前だ。相手は地形において圧倒的アドバンテージを持っている。
城攻めでは基本攻める側は10倍の戦力がいると、古来2000年以上前の書物にも書かれていることだ。
たしかに今回は10倍の兵力であたっているが、武装が違いすぎる。
片方は型落ちもいいところの10年前の機関銃やアサルトライフル、RPGといった古代兵器の塊だ。
対して相手方は某国が支援している事もあってすべての装備が最新鋭。加えて無人攻撃機で
こちらは戦闘機もいないから爆弾も落とし放題だ。当たり前だがRPGで無人とはいえ
爆撃機をぽいぽい落とせるなら苦労はない。せめて対空用ミサイルぐらい用意してほしいものだ。
決戦前からほぼ撤退してくることが確実だったため、我々傭兵部隊は
まず退路の確保と敵の足止めを考えなければならなかった。
追撃戦になれば設置された機銃掃射を受けることはないが、無人攻撃機は追撃に来るだろうし
ある程度の戦車部隊などからの追撃も想定できた。場合によっては最新鋭の得体のしれない何かが
出てくる可能性も考慮されるだろう。
様々な手法が立案された。大量の地雷原を作る等の攻撃的な防御も思案されたが
撤退戦になることがほぼ確実であると想定できる。
となると敵よりまず味方が地雷原を歩く事になってしまう。
味方兵はそのほとんどが歩兵ではあるものの、全体の10%程度で車両を使っていることを考えると
対戦車に絞った地雷も使用しにくいということで却下された。
そもそも狭い通路の連続であるため相手も戦車は動員しにくいため効率的ではない可能性もある。
こちらは文字通りろくな武装もなく、車両系が少ないため、まず可能な限りの撤退路に
丸太や鉄板、何でもいいので転がっているもので盾や車両の妨害になるものを片っ端から
立てまくった。俺たちの準備期間の殆どはそこらへんで持っていかれていた。
どっちにしろ俺達もそんなに持ち合わせがいいわけではない。
地雷は不可能ということで、起爆式の粘土爆弾を設置することになった。
ただこちらは数があまり用意できておらず、まぁ運良く装甲車かシープあたりが
タイヤでもバーストして動けなくなればいい程度の代物だ。
現代の戦車を破壊するのは容易ではない。
もっとも戦車も高級品だ。こちらのばかげた作戦にそこまでして出張ってこなければ一番いい。
しかし何事にも最悪の事態というのは存在する。考慮しなかったで全滅したらお話にならない。
時間をかけて立てた柱の数も所詮はしれており、また戦車にとってはなぎ倒して通るのは容易だ。
もし戦車ないし戦車並みの装甲車が来た場合はその爆弾も心もとなく、本当に止まるかも怪しい。
しかし我々に支給された武装も使えそうなものが限られている。
残るは基本的な武装のみだった。アサルトライフルに予備の弾薬
手榴弾にコンバットナイフにハンドガン。
まるで人類を減らすための儀式かと思ったほどだ。勝つ要素がない戦いに自らの命を投じる。
実に馬鹿げた話だが、うちの「会社」ではそう珍しいわけでもない。
仲間は何を思ってるかは知らないが、俺には何をやっても中途半端な自分に
こんなくだらない戦争にあてがわれるのが相応しいのだろう感じていた。
そして時間は流れ、現在に至る。
既に立てた柱の殆どは敵の戦車に踏み倒され、爆弾でとめた車両は2~3台程度か。
それでも数万人の人間が俺たちを盾にすることで撤退することが出来ていることは不幸中の幸いだ。
俺たちの部隊にも流石にもう撤退命令が出ていたが、あまりに押し込まれすぎて撤退するにも
一苦労、いや撤退できるかすら怪しかった。
幸い、天然の要害であることはこちらにも味方している。
細い路地が長く続くこの要塞は攻める事を極めて難しくしているが
一方で相手側の追撃も困難にしていた。
正直まっとうな戦いなら相手は深追いしすぎといえる。
しかしあまりにこっちが劣勢すぎて反撃の糸口すらつかめない。
三十六計逃げるに如かずとはよく言ったものだ。
俺たちの部隊はこの計略には精通していると言っていいぐらい劣勢を戦ってきた。
まわりは木々に覆われ、傾斜はきついが歩兵であれば上り下りが出来る程度の森に覆われており
互いにとって前進はデメリットでしかない。多くの味方は既に安全圏まで撤退していたが
俺とキースは撤退しそこねて、やたらみだらに敵様から銃弾の雨を食らっていた。
正直、俺だけなら離脱は容易だった。実際仲間たちも既に撤退してる。
しかし、俺に大丈夫か?と声をかけたキースが一番問題だった。
腹部に銃弾を受けており、動けなくはないようだが、走ることは困難だった。
軍人にとって走ることとは生きることであり、走れなくなることとは死ぬことである。
幸い弾丸は仲間たちが荷物になる等と『言い訳』を作って残してくれた為
この長時間抵抗を続けられているが、その弾薬もいよいよ危なくなってきた。
俺たちの部隊に甘えたことを言うやつは居ない。なのでキースも映画などでありがちな
『俺を捨てて早く逃げろ!』なんて言うこともしない。全員が生きるべく全力を尽くし
そして俺以外が生きるために俺とキースを見捨てる判断をした。
俺だけが実に半端ものらしい行動をしている。おかげで自分まで死ぬ危険性を高めている。
そしてとうとうアサルトライフルの弾薬は底をついた。どちらにしろ無理に反撃の銃撃で
銃身が真っ赤になっている。ろくにあたってもいなかっただろう。
むしろこれ以上下手に打てば暴発しかねない。疲労もピークに達しており邪魔と判断して捨てた。
どのみち敵に拾われても弾もないし撃つこともできないだろう。
残されたのは手榴弾が1つ、ハンドガンはマガジンに含まれてる分のみの弾薬を残している。
当然予備のマガジンはない。どのみちハンドガンなどは気休め程度に過ぎないが。
ナイフは道中、森で襲いかかってきた獣を追い払うために格闘戦の末投げつけてしまい損失している。
のこり3km。そこには小さいながらに街があり、某国が絡んでる以上、一般市民に
怪我をさせる事態を避けようとするだろう。なのでそこまで逃げ切れば生き残る可能性はある。
状況が状況なだけにもう戦車は来ない……はずだ。だが。
「ルージュ……お前がいつも作ってるやつ、俺が自分で作っておいたわ。付けといてくれ」
そういうと、キースは自分の腹部からあふれる血で染めたハンカチーフを俺に渡した。
俺は今の職場に入ってから、死んだ同僚が2人いるが、二人の血で染めたハンカチーフを作り
命がけの戦場に出る時は必ず腕に巻いて出撃していた。当然今日も右腕に2本巻いてきている。
俺は日本人で名前は龍二だったが、1回目に血を染めたハンカチーフを作った時に
それ以来、赤の色をもじってルージュと呼ばれるようになった。
「どうせ無駄になるから余計なことしてる暇あったら生きる事を考えろ」
軍人はプラグマティストだ。故に矛盾が発生していた。
言葉では否定しながらそれを俺は受け取とり、3本目のハンカチーフを右腕に巻いた。
しかしいつでも運命というものはあっけないものだ。複数のエンジン音。
音の迫ってくる感覚や軽さからしてジープなどの自動車化歩兵の部隊だろう。
森の中いる俺達が取れる行動……まだなにかあるはずだ。
……不意に俺は極端に窪んだ穴のような場所を見つけた。
不意に俺は無理やりキースを引っ張っていった。
「お、おい、なにすんだよ、いてえんだから無理に引っ張んじゃねぇ」
「いいから黙ってろ!」
その後、俺は必死でキースの上に落ち葉や土をかぶせ始めた。
キースは理解したようで、恐らく撃たれた銃痕の上なのだろう。そこに手を当てて黙った。
手を当てているため傷口は見えないがそのおびただしく赤く染まった服が
如何にキースの負ってしまった傷の深さを物語っている。
必死でキースを覆い隠そうとしているがあまりに相手の来る速度が早い。
とうとう相手の声が僅かに聞こえるような距離まで近づいてきている。
まだいくらか距離が有るのに騒いでるということは恐らく相手は正規の軍人ではないのだろう。
相手は小国であり、民間人の徴兵も行っていたため、それらの兵だと推測される。
戦闘に慣れていないが勝利の余韻か、はたまた殺された味方への報復心か。
異常に興奮しているのを感じる。しかしキースは何とか隠せそうだ。
「ルージュ、お前はどうする気だ」
「お前は止血に徹していろ、運が良ければあいつらが消えた後に仲間達で迎えに来る。
オレ一人なら何とかこの場は逃げ切れるはずだ」
要するにふたりとも万事休すということだ。それでも『諦めない』
それがちっぽけなりな我が部隊の誇りであった。
俺は瞬間的に2つの選択肢を頭に浮かべた。一つは俺もキースと一緒に隠れることだ。
ただ状況的にアイツらが戦車ではなく移動力の高い車両を使っていることと喚いてることを見るに
奴らは恐らく興奮した現地人の残党狩りだ。場合によっては片っ端から銃撃されたり
探し出されて殺される事もある。かなりよろしくない。
よって俺は2つ目の囮になるという選択肢を選んだ。
囮といってもただ撃たれに行くわけではない。
軍人らしく、純粋に逃亡を『セオリー通り』に行うだけだ。
相手は恐らくそのセオリーを読み、俺のことを追いかけてくるだろう。
なるべく足跡が残らなそうな山道を、距離的に遠回りするのも無駄なのでなるべく最短距離で
俺は走り続けたが、流石に山道を走る人間と道路という迂回路を通らないといけないにしろ
あからさまに走行スピードが違う物体との勝負は呆気なくついてしまった。
弾丸が飛んでくる音がする。凄まじい音だ。恐らく軽機関銃で撃たれている。
「キューーーーーン!!!」
耳元で何がが吹き飛ぶかのような音がした。
どうやら機関銃の弾が耳元をかすめたらしい。かすめたといっても10㎝以上は離れてるとは思うが
すさまじい音だ。しかし外傷はないことから実際にかすってはないとわかる。
だんだん居場所が絞られてきている、いや機関銃の命中精度を考慮すると
もはや目視されているとみて間違いないだろう。
走りながら考えた。投降するか? 捕虜となれば身柄は保証され
基本的にはまぁ少し痛めつけられるかもしれないが命は落とさないだろう。
しかし怒号の感じからして捕まったらそのまま殺される気がする。
結論として俺は足がちぎれるまで走り続けることにした。
その3秒後、当たり所としては最悪、鳩尾近くに銃弾を受けた。
悶絶どころでは……激痛がはしったが、同時に意識が遠のいていくのを感じる……。
そんな夢を見ていたのだろうか。
いったい何の夢を見ていたのだろう。
すごい現実感のある夢、だけど今、私は大草原と農場に囲まれた平和そのものな場所にいた。
……なぜ私は子供なのだろうか? なぜ私は男性の夢などを見ていたのだろうか。
二階の窓を覗くと、母が洗濯物を干していた。
雲一つない、晴天。しかし日差しが強すぎということもなく穏やかな空気が広がっている。
むしろ私はその夢でしゃべっていた言葉もよくわからくなってきた。
まるで雲がかかったようだ。ただただ、その戦いでやっていたこと、考えていたことだけが
何故か頭の中からは消えなかった。