3.情報不足
「へぇ……。俺の彼女ってどういうこと? 詳しく聞かせてよ。ねぇ、晶大?」
「まっ、真木……!」
一難去ったと思えば、また一難。俺はただ見知らぬ女性を助けただけのはずが、その一部始終を恋人である彼女に見られてしまったようだ。――それも、大きく勘違いを生んでしまう形で。
「違うんだよ! この子はただ、酔っぱらいの男に絡まれてただけで、そこを俺が助けただけなんだ!」
「ふぅん。その割には、その子の肩を寄せてたでしょ。本当に初対面なんだとしたら、女の子にわざわざそんなことまで普通する?」
「それは、ただ、あぁするしかないと俺は思って……」
「そ、そうですよ! 私だって……」
「あなたはちょっと黙ってて!」
咄嗟に俺のフォローをしてくれようと、女性が口を開いた瞬間、真木は大声でそれを一蹴してみせた。彼女の威勢にひるんでしまったようで、女性は体をビクッとさせると、口をギュッとつぐんで俯いてしまう。
「あっそう。じゃあそれならそれでいいよ。でも晶大が、初対面の女の子を平気で抱き寄せられる男だったなんて、まさか思わなかったなぁ。……なんか失望」
「えっ、ちょ、真木……?」
いつにもなく冷たい表情を浮かべながら、彼女はそっぽを向く。
「私はさ、あなたが他の女のところにひょいひょい行かなそうな男だと思ったから、こうして今まで付き合ってたの。でもいま分かった。……あなたが本当は、女の子を扱うことに全く抵抗のない、最低な男なんだってね」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! それは誤解だって……!」
「いいや、違わない。一度起こったことが、二度起こらないなんて確証はないもの。あなた自身に自覚はなくても、あれが咄嗟に出た判断なら尚更でしょ? あんなことしなくても、言葉でいくらでも解決できたじゃない。私いつも言ってるよね、一途な男しか興味ないって」
「それはそうだ! 俺は真木にしか興味ないし、他の女性のことは今まで見てこようとしなかった! この一年間、ずっと真木だけのことを見てきたんだ!」
「……で、その結果がこれと。呆れた。やっぱり男って、すぐ他の女に媚びるのね。一人大切な人がいたって、関係ないんだ」
すると真木はわざとらしく、大きなため息を一つ吐いた。そしてそのまま、くるりと背中を向けてしまう。
「お、おい、真木?」
「……別れましょう。今まであなたのことを信じてきたけど、なんかもうそういう目で見られる自信がないの。ズルズル引きずるよりも、いま決断したほうがいいと思うし」
「ちょ、待ってくれ! あまりにも突然すぎる! 真木がそういうのが嫌だってことを知らなかった、俺の情報不足が問題だったなら謝る! だから、もう少し話し合おう!」
「嫌よ、もう顔も見たくない。二度と私に関わらないで。それじゃあね、お幸せに」
「真木!!」
必死に彼女へ呼びかけるも、真木は一向に振り向こうとせず、スタスタと歩いていってしまう。
一方で、結局間に入るタイミングを失ってしまった様子の女性は、俺の横で気まずそうに俺のことを見ていた。
真木と付き合って一年。あれほどプロポーズをするために準備していた俺の計画は、最悪の形で幕を閉じたのだった。
☆ ★ ☆
「あれ、ショウちゃん? 随分と早かったじゃない」
行きに十五分かかった道を、その倍の時間をかけてようやくアパートに戻ってきた。
すると着いた途端、二階のベランダで洗濯を干していた高木さんに、見下ろされる形で話しかけられる。
もはや声を張る元気すら湧かなかった俺は、ただただ彼女のことを見上げては、見つめることしかできなかった。
「どうしたの、そんなに落ち込んじゃって。……もしかして、失敗しちゃった?」
心配そうに、高木さんがベランダから身を乗り出してみせる。
果たしてあれは、“失敗”と言えるのだろうか。失敗とは、それまで培っていた何かが、結果的に叶わなかったことを指す。だがそこにほぼ必ずといっていいほど存在するのは、“失敗を理解し認める自分”だ。
今回の俺は、一体何か間違っていたのだろうか。確かに指輪を家に忘れはしたが、彼女に別れを突き出された原因はそこじゃない。――そう、あの女性を救ってしまったことが、結果的に別れることになった原因だ。
あのイレギュラーな出来事こそが、俺を幸せの絶頂からドン底にまで突き落としたのだ。それに俺は、何も悪くなんかない。寧ろ被害者と言ってもいい。だから――。
「……失敗“は”してません」
「え? ならなんでそんなに落ち込んでるのよ?」
「……俺の計画自体は、ほぼ何も問題ありませんでした。けれど、結果的には俺の“情報不足”が問題だったんです。俺がもっと、真木のことを知っていれば、あんなことでフラれることはなかった。俺の情報収集が“完璧”なら……」
「フラれた? え、それってやっぱり、プロポーズに失敗しちゃったってことでしょ?」
「違います!! “失敗”はしてないんです。ただ俺の準備が完璧じゃなかったせいで、結果的にフラれただけで……」
「う、うーん……? それって結局“失敗”ってことなんじゃ……」
「だからっ……!」
自分と高木さんとの間にある思考のすれ違いに、思わず嫌気が差し叫んでしまった。咄嗟に我へと返り、「すみません……」と謝罪する。
「ごめんなさい、少し一人にさせてください。頭冷やしてきます」
「……うん、分かった。何かあったら言ってちょうだい、少しでも力になりたいから」
「ありがとうございます……」
そんな彼女に見送られながら、トボトボと自分の家へと戻る。部屋へ入るなりリビングに荷物を放ると、そのままベッドの上に横たわった。
――……あのとき、わざわざ俺があの人を助けなければよかったのか? でも俺が助けなかったらもしかすると、あのまま悪い方向になってたかもしれないし……。そのまま助けずに真木とデートに行ってたとしても、ずっと気分は良くなかったかもしれないし、結果的にプロポーズは指輪がないとできなかったし……。
例えあそこでどちらに転ぼうと、結局は俺が準備していた計画は破綻してしまっていた。だがまさか、あそこで女性を救った結果、真木にフラれるところまでいくとは思うまい。
一体俺は、あそこでどうすれば良かったのだろう。どのような準備をしておけば、完璧に乗り越えられたのだろう。悩んでも、悩んでも、その答えは漠然としていて、全くとして出てこなかった。
ピンポーン。
ふと、部屋のインターホンが鳴った。
まったくこんなときに、一体誰が訪ねてきたというのだろう。いっそこのまま、居留守を使ってしまおうか。……そう思ったとき。
――っ……もしかして、真木?
頭の中に、そんな一筋の可能性が浮かんだ。
もしかすると、あんな振り方をしてしまってごめんと、謝りに来てくれたんじゃないだろうか。もう一度ちゃんと話し合おうと、わざわざ言いに来てくれたんじゃなかろうか。
そんな根拠のない光につられて、フラッとベッドから立ち上がる。望み薄な希望を抱きながら、そっと覗き窓を覗いた。――そうして、瞬間的に俺の希望は、ガラガラと音を立てて崩れ落ちてみせる。まぁ、そりゃそうだよなと心の中で悪態をつくと、渋々俺は玄関の扉を開いた。
「……ちょっと、扉開けるなり嫌そうな顔しないでくれるかな? せっかく人が心配して来てあげてるのに」
「……バンさん」
こんな俺に会いにやってきてくれたのは、俺の顔を見て不服そうに頬を膨らませている、あのバンさんだった。