1.準備過剰なプロポーズ計画
本作は、六話で一作の読み切り小説(の予定)です。
評判が良ければまた、続きを考えようと思っています。
輝かしい朝だ。
チュンチュンと高らかに鳴くスズメたちの声で、その日は目覚めた。
起床時刻、八時二十六分。アラームをかけた時刻の四分前。
昨晩はあれほど寝付けるかと抱いていた不安が嘘のように、ぐっすり眠れたようだ。
――遂に、今日か……。
スマホを手に取り、今日の日付を確認する。わざわざそんな必要のないほど、数日前から幾度も頭の中でイメージトレーニングを繰り返してきた。
この日のために、様々な準備だってしてきた。万が一起こり得るであろう、いかなる事態が起ころうと、全ての事象に対応できるようプランを用意してある。その数じつに、二十一パターン。
これだけ準備しておけば、もはや何も怖くない。“失敗”などという言葉とは無縁の、完璧な対応だ。
――一年間かけて準備してきたんだ。問題なんてない、今日は必ず成功する……!
ベッドから起き上がり、窓のカーテンをバッと開く。窓の外に広がる景色に向かって、俺は大きく志を誓った。
「俺は今日……真木にプロポーズする……!」
☆ ★ ☆
「あら、どうしたのショウちゃん。そんなに髪型ビシッと決めちゃって」
「あ、高木さん。おはようございます!」
俺に声をかけてきたのは、アパートの隣人である高木さんだ。どうやら今は、部屋の前を掃除していたらしい。
首元までの髪を短く結んでおり、口元にあるほくろが印象的だ。ハッキリとした年齢は存じないが、大体五十代半ばぐらいだろう。
現在彼女は夫婦二人で暮らしており、こうして顔を合わせると、夫婦揃ってこうして話しかけてくれる。いわゆる、仲良しなご近所さんだ。
「おはよう。あと……なに、その荷物の量?」
そう言って彼女は、俺が背負ってるリュックサックを指差す。
「これですか? これから夜まで出かけるので、その際に使うであろうものです」
「使うであろうって……。相変わらずショウちゃんは、用意周到だねぇ」
「『備えあれば患いなし』って言いますから。起こりうる可能性は、なるべく潰しておきたいんです。今日はめちゃくちゃ大事な日なので、特に」
「んー……あ、もしかして、今日はデート?」
口元をニヤリとさせて、高木さんが告げる。
「へへっ、そうです。じつは今日はその……付き合って一年目の日でして。そろそろ彼女に、プロポーズしようかなと」
「あら、本当に!? やだぁ、頑張ってね。応援してるから! 成功したら、お祝いしなきゃね!」
そう言うと高木さんは嬉しそうに、俺の脇腹をポンポンと叩いた。
「ありがとうございます。でも俺、今回のプロポーズは絶対成功する自信あるんで!」
「そうなの? 何かサプライズでも考えてたりするのかしら?」
「サプライズではないんですけど……まぁ、彼女が喜びそうなことをいくつか」
「へぇ、いいじゃない。上手くいったら、おばちゃんにも教えてちょうだいね?」
「もちろん! 男らしく、バシッと一発決めてきます!」
「うん、その息! 頑張ってね!」
そんな高木さんに見送られながら、俺は自分の部屋を出発した。
アパートの階段を下り、一階へと降りる。そのまま敷地を出ようとしたとき、俺の目の前に、一人のジャージ姿の女性が現れた。
「お、君島君! おはよー、今日はお休みなのに早いねぇ」
「バンさん、おはよっす」
俺に“バンさん”と呼ばれる彼女の名は、竹中沙茅。俺の職場の先輩で、一年目のときからずっとお世話になっている。更には、偶然にも同じアパートの一階に住んでいるということもあって、職場では一番仲の良い存在だ。
親しみやすい性格で、誰とでもこんな風に話せるのが彼女の良いところだ。眼鏡をかけ、大人びた容姿の彼女はまさに、みんなのお姉さんと言ったところだろう。
「あー……君島君。前から言ってるけど、外でその名前で呼ぶのはちょっと……」
俺の呼び方が恥ずかしかったのか、彼女は一歩こちらに寄ると、小声で俺に呟いた。
「あ、そうでしたね、すみません。いつもの癖で、つい……」
彼女が何故“バンさん”と呼ばれているのかというと、それは至って簡単だ。単純に俺が“竹中さん”と呼ぶのが面倒なので、“竹”の英語読みである“bamboo”から取って、“バンさん”と呼ぶようになった。
とはいえ、彼女もそのあだ名で呼ばれるのは恥ずかしいようで、俺以外にはそのあだ名で呼ぶことは許していない。ましてや、外でその名を呼ぶとこのように、毎回注意してくる。
個人的にはいい加減慣れてほしいとも思うのだが、俺だけ特別にそう呼ばせてもらっているのだから、仕方のないことだとも思っている。
「その……竹、中さんは、今日もジョギングすか?」
あまり呼び慣れない名前に、今度はこちらが気恥ずかしくなってしまう。
「うん、そうだよ。いま帰ってきたところ。最近お腹出てきちゃってるから、少し動かないとって思って」
「そうかなぁ。竹中さんは全然太ってないほうだとは思いますけど」
「そんなことないよ。私その……結構脚太いし、ちょっとコンプレックスなんだよね」
彼女が自分の脚を見て、苦笑いを浮かべる。
「でも男でも、少しむっちりしてたほうが好きって奴もいますよ? そのほうがエロいし」
「む……もしかして君島君、私のことそういう目で見てるの?」
「んなわけないじゃないすか。俺には彼女がいるんだし、竹中さんは全く眼中にないっすよ。安心してください」
「……それもそっか」
俺が言うと、少し間を空けて、彼女は相槌を打った。
「で、そういう君は……あ、デート行くって言ってたんだっけ?」
続けて数秒ほど空を見上げると、思い出したかのように自分の腰をパンっと叩く。
「はい! 俺これから、男になってくるんで!」
「あれほどプロポーズのシチュエーション考えてたもんねー。休憩中に私にもアドバイス求めてくるし」
「だって、そんな話聞けそうな女性、竹中さんしかいないですもん」
「それは嬉しいけど……私あんまりそういう経験ないし、彼氏だっていないのにさぁ。『こういうプロポーズはどう思います? 女性目線で!』って、目キラキラさせながら聞いてくるし……」
「でも実際、俺一人じゃ分からなかった女性目線の意見もたくさん聞けましたし。なので竹中さんには、めちゃくちゃ感謝してますよ?」
「っ……そうなんだ。ならまぁ、よかったけど……」
少し困ったような表情を浮かべながら、竹中さんは俺から目線を逸らした。
「まぁそういうことなんで、そろそろ俺行きますね。デートに遅れちゃまずいんで」
「……うん。頑張ってね、応援してるよ」
「はい! 成功したら、今度飯奢ってください!」
「えー、うーん、考えとく」
「お願いしますよ! それじゃあ!」
そうして、微笑みながら手を振る彼女に見送られながら、俺はデートの待ち合わせ場所へと向かい始めた。――いつもとは違い、なんだか少しだけ寂しそうな雰囲気を醸していた、竹中さんの異変に疑問を抱きながら。