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「福田紗季さんはこのように常にカメラに映っています。手元が映らない場面もありますが、客や店員に鍵を渡しても無意味です。事件当日、席を十分以上はずした方はいませんでしたから。店員も同様です。つまり、渡したとするなら防犯カメラのないところしかあり得ません。当日、あなたは二度トイレに立っていますね?」
トイレへ向かう福田紗季の映像を映しながら、神庭は本人にそう問いかける。
福田紗季は渋面を浮かべながら肯く。
「このトイレは個室に窓があり、そこから外部とアクセス可能です。あなたがトイレに立った時刻は八時十五分と八時四十四分。ちょうど福田良隆さんの死亡時刻の前後です。外部の協力者に鍵を渡し、殺人を代行、そのあとで鍵を返してもらうことが可能です」
「証拠はあるのか? さっきから聞いていれば、ただの理屈じゃないか」
桜井が鼻で笑うように言う。
応じるように神庭はスライドをめくる。
映されたのは、桜井が所有する車だった。
白のハイブリッドカー。
今時珍しいガソリンエンジンを積んでいる。
そして、それを映しておきながら神庭は問う。
「桜井さん、あなたは一月十一日の午後七時から十時の間、何をしていましたか」
「……家で読書をしていたが」
「その通りです。調書にもそう書いてありました。しかし、それは嘘ですね」
スライドをめくり、貼りつけてある動画を再生する。
街頭防犯カメラの映像だった。
夜だが、ノイズ除去機能により鮮明な画質を保っている。
しばらく待つと、画面を白の車が横切った。
桜井はうつむいて沈黙する。
「これは池袋か?」
沖野がつぶやく。
「そうです。街頭防犯カメラは都内の主要箇所に設置されています。データ自体は膨大ですが、あなたの車を学習データに全データから抽出しました」
池袋から新宿を経由して渋谷へ。
どの道を通り、どこへ向かったのかが時系列でわかる。
ナンバープレートだけを読み取る従来の方法とは違い、神庭の方法は車の傷、へこみ、アクセサリーまで加味して判定するという。
カメラに映る限り逃れるすべはない。
桜井は口から泡を飛ばしながら反論する。
「警察がこんなことをしていたなんて、ぷ、プライバシーの侵害だ!」
「カメラのデータには、重大事件が発生した際にしかアクセスできないようになっています。法的には五年以上前から認められていた権利です。さて、この映像によれば、あなたは被害者の死亡時刻前後でこの家に向かっているようですね。何をしていたんですか?」
桜井は答えない。
唇を噛みしめ、うつむいている。
不安げな表情で福田紗季がその顔を覗いている。
取り調べであれば、ここは根気強く待つべきところだ。
下手に発言してしまうと、注意が他にそれてしまう。
だが、神庭は定石には従わず先んじて手を打った。
「あなたの回答はおそらく嘘なので黙秘で結構です。説明を続けます」
表示上では最後のスライドだった。
内容はマンションの防犯カメラの映像だ。
エントランスで福田紗季と桜井が会話している様子が映されている。
日付は一ヶ月前。
事件発生から二ヶ月後だった。
映像自体は何の変哲もないものだ。
防犯カメラでは音声が録音されないため、特に注目すべき点がない。
神庭が示したのはエントランスにある観葉植物だった。
「これがどうかしましたか? 僕には植物にしか見えませんが」
「はい、これは単なる植物です。しかし、重要なのは植物ではありません。植物の葉が柔らかいという点です」
「柔らかい?」
全員が同じ疑問を口にする。
植物が柔らかいからなんだというのか。
「植物の葉ような柔らかいものは、微弱ですが空気の振動に合わせてそれ自体も振動します。目で見てもわからないほど小さな振動です。周波数は高いところで数千ヘルツ。一秒間に千回を超えます」
「それで?」
「十分な解像度とフレーム速度を持ったカメラで撮影された映像であれば、その振動を抽出することが可能です。昨今では防犯カメラの質も格段に上がっていますし、このときの振動も復元できました」
「そんなもの復元して、どうするんだよ」と沖野は言う。
「わかりませんか? 小学生の理科で習うことですよ。空気の振動は波となって伝播します。これはなんでしたか?」
────波となって伝播する。
まさに伊織が昨日耳にした内容だった。
無線LANの電波と同様に音もまた波の性質を持つ。
そして、音の正体は────。
「音は空気の振動です。人間の可聴領域は二十ヘルツから二万ヘルツです。空気が数千ヘルツで振動すれば、それは人間には音として聞こえます。わかりましたか? 植物が空気の振動に合わせて数千ヘルツで振動し、僕はそれを復元しました。何がわかるでしょうか?」
決まっている。
振動とは観葉植物に聞こえていた音。
つまり。
────その場でかわされた、会話だ。
「そんな馬鹿な……!」
桜井は怒声と共に席を立った。
血走った目で神庭を睨み付ける。
「でたらめなことを言うな! そんなことができるわけがない!」
突きつけられた指を払いのけ、神庭は音声プレーヤーを起動した。
『これでやっとふたりになれたね』
『でも、まだあの人の夢を見るわ』
『大丈夫、僕が忘れさせてあげるから。
会社もまだまだ伸びる。
あいつは疫病神だったんだ。
殺して正解だった』
ひび割れているが、男と女とわかる程度にはっきりした音声。
もはやなんの言い逃れもできない決定的な証拠だった。
「科学は絶対です。あなたたちの犯行は科学的にすべて証明されました」
「そんな、……そんなことが……」
桜井が頭を抱えて崩れ落ちる。
その肩を沖野が叩いて、立ち上がるように促す。
目で合図をもらい、伊織もまた福田紗季の肩に手を置いた。
「同行していただけますか?」
「はい……」
福田紗季は一言、そう答えた。