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午後、伊織は沖野と山田と共に現場のマンションへ向かった。


代官山のマンションと銘打っているが、最寄り駅は渋谷だった。

西口から出て南下して行くと、繁華街から住宅街へと様変わりする。

新しい建物が多いからか道玄坂方面とは違って、スッキリした印象を受ける。


目的のマンションは風格を持ってたたずんでいた。

高級ホテルのような外観だ。

平均家賃が二百万円というのも肯ける。


幾度となく足を運んだ現場だが、伊織は新たな観点から調査を進めるつもりでいた。

きっかけは神庭が直してくれたぬいぐるみだった。

人感センサーという単語が頭に残っていた。

この事件でも人感センサーが大きな役割を果たしている。

すなわち、窓から犯人が逃げられなかったという根拠だ。

調べつくしてしまった事件だが、人感センサーについてもう一度自分の目で見直そうと思った。


エントランスで沖野たちと別れ、伊織は受付のロボットに来意を告げた。

人間を模したロボットは優雅な笑みを浮かべて応対してくれた。

ロボットは上半身だけが精巧に作られており、下半身は椅子と融合している。

最近では、この手のロボットが受付に立つことが多い。

受付という決まった業務であれば、人工知能でも遜色なく仕事がこなせるためだ。


来意を告げると、ロボットはどこかに電話をかける素振りを見せ、すぐに話をつけてくれた。


「お待たせいたしました。担当の者が参るそうです」

「そこまでしていただけるんですか?」

「点検作業をおこなうためです。お気になさらないでください」


受付は恭しく一礼をする。

それから、滑らかな動作でソファを指し示した。


「あちらのソファでおかけになってお待ちください」

「ありがとうございます」


折角なので座らせてもらう。

ソファの隣には観葉植物が置いてあった。

種類はわからないが、庶民では手の出ない代物なのだろう。


間もなく、作業服を着た男が現れた。

年齢は四十代半ば。

受け取った名刺には菊池と書かれていた。


菊池は言った。


「うちで設置してるセンサーを知りたいとのお話ですよね? 部屋の窓とか」

「そうです。設置箇所は各部屋の窓だけですか?」

「ま、厳密にはベランダもですね。点検ついでに説明しましょう」


そう言って菊池は受付で手続きを進めた。

受付は警備会社の管轄だが、鍵の管理は管理会社だ。

別の男が出てきて、菊池に部屋の鍵を渡した。


空き室の鍵を開け、早速、ベランダに出る。


「ここだと、あぁ、あれですね」


張り出したひさしに小さな穴が開けられ、ケーブルが出ていた。

窓枠の上部に向かって伸び、そこで棒状のものに接続されている。

同じものが窓の左右二箇所に取りつけられている。

長さは十センチ、太さは一センチといったところだ。

少なくとも伊織が唯一知っている赤外線センサーではないことは確かだ。


「仕組みとしては、無線LANの電波を使っています」

「無線LANですか?」

「この建物は無線LANも予め配備されているんですが、こいつはその電波を拾っているんです。この棒はほとんどがアンテナで、根元に小さなチップが仕込んであります」


アンテナと言われると、その形状は理解できた。

しかし、無線LANは通信するためのものであって、人感センサーではない。


「どういう仕組みなんですか?」

「専門的な話になるんですが」と前置きして菊池は丁寧に説明してくれた。

まず、無線LANは周波数が二.四ギガヘルツの電波を使って通信をしている。

周波数は波が一秒間に何回振動するかを表し、二.四ギガヘルツなら一秒間に二十四億回も振動する。

人間に聞こえる音の周波数は最大で二万ヘルツなので、いかに電波が高速で振動しているかがわかる。

他方で、両者は波としての性質は等しく持っている。

だから、音で起こるが電波でも起こるのだ。


「ドップラー効果が起こるんですよ。救急車のサイレンが近付いてくるときと離れて行くときで音の高さが違うのはよく知られた話ですよね。あれは、近付いてくるときは波の間隔が縮められるせいで周波数が高くなったように聞こえるんです」

「電波でそれが起こるとどうなるんですか?」

「止まっている物体で跳ね返った電波と動いている物体で跳ね返った電波の違いがわかるんです」


窓枠に取りつけられたアンテナは無線LANの電波を受信する。

内臓のチップが、その特徴を解析し、どんな物体で反射した電波かを特定する。

ベランダに何もない状態なら、アンテナはベランダそのものが反射する電波だけを受信する。

この反射パターンを正常な状態としてセンサーに覚えさせ、定期的に現在のパターンと比較させる。

ベランダに異物が紛れ込んだ場合は、反射パターンが変わるため、異常ありと判定できる。

物体が動いているか止まっているかはもちろん、その大きさまでわかるという。


「それで人が通ったかがわかるんですか?」

「はい。人でもなんでも電波を反射するものは、すべて検知されます。当然、反射波を見ているので吸収する物体も検知します。顕著なところでは鉄と人の違いはわかりますね」

「かなり正確にわかるんですね。最新技術なんですか?」

「いえ、技術自体は確か、そう、平成二五年に発表されています。無線LANの電波で人がどんなジェスチャーをしているかを判定する研究があったそうです」


平成二五年と言えば、伊織が生まれる前だ。

アナログな時代と聞いていたが、すでにそんな技術があったなんて。


「ま、仕組みを知っている人も少ないでしょうし、驚かれるのも無理はありません。今では人感センサーとして広く使われていますね。なにせ、無線LANの電波ならどこへ行っても飛んでいますからね」

「確かにそうですね」


二〇二〇年に東京オリンピックが開催された際、東京中に無線LANが設置された。

二十三区なら電波の飛んでいない場所はほとんどない。


「仕組み以外に何か聞きたいことはありますか?」

「あ、はい」


伊織はセンサーが反応しない場合や誤作動を起こす可能性について聞いてみた。

何らかの方法でセンサーを騙せるのなら、密室の前提が崩れる。


しかし、菊池の反応は思わしくなかった。


「まず、ないですね。幼稚園児くらいの子供でもセンサーには反応します。と言うより、センサーにかからずに出入りできないように設計してるんで。誤作動については過去一度も報告はないですね」

「そうなんですね」


糸口が掴めたと意気込んでいたが、見事な空振りだった。

何度も味わってきた徒労感だが、未だに慣れない。


「事件の調査は大変ですねぇ。まだ、若いのに」


菊池は気を遣うようにそう言った。


「これが仕事ですから。ありがとうございます」


伊織は笑顔でお礼を言い、部屋を出た。

マンションの廊下で深呼吸をして、自分に活を入れる。

人前では常に堂々と振る舞うこと。

いつも自分に言い聞かせていることだ。


さて、思いの外、早く用事が済んだ。

一度戻って係長に指示を仰いだ方がいいかもしれない。




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