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超科学。
正式名称、近代的犯罪に対する情報技術を用いた超科学的捜査手法。
五年前に導入された技術群を指してそう呼ぶ。
科捜研や鑑識が化学や生物学に重きを置くのに対して、超科学は情報の収集分析に特化している。
警察が苦手とされていたITをふんだんに盛り込んだそれは、わずか五年で目覚しい躍進を遂げた。
情報分析課は超科学を取り扱う専門の部署として新設された。
以来、目覚ましい成功を収め、未解決事件は一掃され、検挙率も向上した。
東京都を例に挙げれば、凶悪犯の検挙率は九七.七パーセントを達成した。
必定、犯罪発生数そのものが減少し、社会のあり方にまで影響を与えた。
必然的に警視庁では組織改編が進んだ。
殺人などの凶悪犯罪を担当する捜査一課の人員が二割も減らされ、未解決事件を担当する特命捜査係も縮小合併し、四つあった部門がひとつになった。
その代わり各署に情報分析課が新設され、技術者の採用が進んでいる。
今では大卒で警察を志望する者の半分が理系だという。
刑事の心情は複雑だった。
これまで捜査の主導権を握るのはバッジをつけた捜査一課の刑事だった。
しかし、情報分析課ができてからは、彼らが事件を解決に導く。
足で稼ぎ、犯人像を練り上げていくような、従来の捜査手法は彼らには無縁だ。
情報分析によって犯人を立ちどころに見つけてしまう。
涼しい場所でパソコンをいじるだけの連中が評価され、現場で汗水を垂らす刑事には何の称賛もない。
刑事たちは超科学を疎ましく思うようになっていた。
上層部が情報分析課を優遇するのも理由の一つだが、根底には自身の存在意義を否定されたことがあるだろう。
情報分析が犯人を容易に見つけるなら、何のために刑事はいるのか。
結果も出せず、評価もされず、無駄と思える裏取りばかりの日々。
いつしか刑事にとって超科学は敵と言える存在になっていた。
現場で苦労を重ねてきた伊織もそのひとりだ。
上から目線で小難しい話をする技術者。
そんな奴らが捜査の中枢に居座ることがあってはならない。
そんな意気込みで捜査に臨んでいた。
†
伊織は有楽町線の桜田門で電車を降りた。
皇居の外縁を歩き、警視庁本庁舎へ向かった。
周囲には各省庁や高等裁判所が密集し、まさに日本の頭脳とも言える一角だった。
若くしてそんな場所に勤務している伊織は、高校の同期内ではエリートという扱いを受けていた。
もっとも、彼らも伊織の職場を見れば、憧れの眼差しを取り下げることになるだろう。
特命は捜査一課所属でありながら、別室に部屋を与えられていた。
これは特別待遇というわけではなく、大部屋にサーバを導入した分、机が入らなくなったためだ。
特命の拠点は十畳ほどの元資料室だ。
そこに机を入れて利用していた。
資料室と書かれたプレートにシールで名前を上書きしているのは、傍目に見てもみっともないと伊織は思う。
部屋に入ると、先に戻っていた係長が荷物の整理をしていた。
「御子貝さん、お疲れお疲れ、御子貝さん。字余り。なんちて」
机の影から係長が顔を出す。
妙な俳句を詠むのが癖で、名前は橋村博。
今年で六十二歳だが、定年は六五まで延びているのでしばらくは現役だ。
伊織は部屋を見回し、同僚の姿を探す。
「タケさんと山田は?」
「本当の資料室に行くと言っていたよ。なんでも、手掛かりになりそうな事件を思い出したとか」
「そうですか」
机の上にダンボールを置くと、妹のお手製ぬいぐるみが頭を下げた。
電池が切れかかっているのか反応が鈍い。
なんでも人の気配を検知する回路が組み込んであるらしく、妹が言うには今ではありふれた仕組みのようだ。
電池交換はどこからするの、と聞いて、無線給電式で電池がいらないと笑われたのもよく覚えている。
無線給電対応の机なら置くだけで充電される。
だが、ここにあるのは平成二十二年の備品札が貼られた年代物だ。
大部屋の机は無線給電対応と聞くが、これが待遇の差という奴だ。
特命は一線級の部署ではない。
昨今においては未解決事件などほとんどないためだ。
所属する刑事は係長を含めて四人。
うち係長を除いた三人は日頃から、超科学なんて滅びてしまえ、と口にしてはばからない刑事ばかりだ。
超科学は人を選ぶ技術だ。
たとえば、大量のセンサーが導入され、犯人の足取りを追うために地道な聞き込みをする手間がなくなった。
草の根をわけるような捜索はロボットがやるようになった。
確かに格段に効率は上がっただろう。
だが、超科学の出す答えは常にブラックボックスから生み出されていた。
情報科学に疎い刑事からすれば、ペテンにも思える所業だ。
いくらその結果が正しいのだと説明されても、感情では受け入れられない。
特に年配の刑事、腕の立つ刑事ほど反発していた。
組織内の軋轢も年々大きくなっている。
特に二十世紀生まれの刑事は、こぞって超科学を馬鹿にした。
嫌がらせに邁進する者もいた。
警視庁や警察庁の幹部間でも対立が起こっていた。
しかし、超科学が検挙率を向上させた事実は否定できず、情報分析課の拡大は止まらなかった。
今年度からは超科学に精通した技術者が刑事として捜査一課に配属されるという。
裏方だった技術者が、ついに刑事の聖域に足を踏み入れてくるのだ。
表舞台に現れた奴らは超科学を軸に据えた捜査を展開するだろう。
そうなれば、刑事の居場所は今度こそなくなる。
いや、刑事という概念が全く別のものを指すようになるだろう。
捜査一課のバッジを持つ者で、これを快く思う者はない。
超科学に敗北することは、刑事の誇りを傷つけることと同義だ。
受け継がれた伝統を守り、刑事こそが凶悪犯罪に立ち向かえる唯一の存在だと上層部に知らしめねばならない。
「沖野、ただいま戻りました」
そのとき、缶コーヒー片手に四十がらみの男が入ってきた。
よれたコートにごま塩のような無精髭を生やした彼は沖野武。
あだ名はタケさん。
優秀な刑事だが、惜しむらくは生まれる時代を間違えた。
科学を嫌わなければ、あるいは生まれるのが三十年早ければ、第一線で活躍していただろう。
「山田も戻ったっす」
その後ろから茶髪の男が顔を出す。
歌舞伎町で客引きをやっていそうな男は山田圭介。
沖野の腰巾着として有名だったからか、特命に飛ばされてきた。
見た目通りに軽薄で、彼に関しては干されても弁護の予知はない、と伊織は思う。
以上、橋村、伊織、沖野、山田で特命は四人の部署だ。
沖野は手にしていた古いファイルを橋村に渡した。
「係長、今し方、資料室で見つけたんですが、この事件は二〇二一年に起きたヤマと酷似しています。当時の資料が役に立つかもしれません」
「よく覚えてるねぇ。でも、その前に、」
「そうですね。全員そろったことですし、捜査本部の再結成をしましょう。今日からは俺たちだけでこのヤマに当たるんです。……俺はこのときを待っていました」
沖野が壁を指さす。
そこには沖野が自ら筆を執った標語が貼られていた。
『超科学の犬に成るなかれ』沖野らしい大胆で荒々しい文字だった。
「俺たちだけなら超科学が入る余地がない捜査になります。これで解決してみせれば、上も刑事に重要なのは経験だと理解するでしょう。そのためにもこのヤマ、絶対に解決したいんです!」
「あぁ、うん、その気持ちはよくわかるんだけどね。でもね」
橋村が口を挟む。
「でも、なんですか係長?」
「いや、そのね。実は、来るの」
「来る? 何がですか?」
「特命に。超科学の技術者が」
無言の間。
一拍おいて沖野は叫んだ。
「な、なんでですか!? 本件に情報分析課が入るのはまだ先の話でしょう!? どうして技術者がやってくるんですか!?」
橋村は、まぁまぁ、と沖野をなだめる。
「その技術者の彼がね、すごく優秀な人なんだけど、なんでも未解決事件担当を希望しているそうなんだよ」
「担当を希望している? どんな奴なんですか?」
「彼ならそこにいるよ」
橋村は入り口を指さした。
虚を突かれ、伊織は言われるがままに振り向いた。
男が立っていた。
「すいません。ノックしたのですが、誰も気付かなかったようなので。こちらが捜査一課特命捜査係の部屋でよろしいでしょうか」
伊織と同い年くらいだった。
愛想のない無表情だが、強面ではない。
どちらかと言えば女のような顔立ち。
濃紺のスーツは皺一つなく上品な印象がある。
黙っていれば雑誌に出てきそうな容貌だった。
「あぁよく来てくれたね。私が係長の橋村です。どうぞよろしく」
「こちらこそ。本日付で特命捜査課係に配属となりました神庭桃獅郎です。よろしくお願いします」
きびきびした動作でお辞儀をする。
第一印象は悪くない。
だが、配属という単語が気になった。
情報分析課の技術者であれば、配属などとは言えない。
まして胸に赤バッジをつけることなどあり得ない。
なら、彼は何者なのか。
「神庭くんは元情報分析課の技術者ですが、本日付で捜査一課の所属となった刑事です。彼が超科学専門の刑事、第一号というわけです」
「えぇ!?」
沖野が驚きのあまり椅子に躓いた。
山田を巻き込んで転ぶ。
伊織も同じくらい驚いていた。
新体制で技術者が捜査一課へ来るのは知っていた。
だが、まさか自分のところに来るなんて。
情報分析課の技術者。
倒すべき敵。
こんなところに来て一体何をするつもりなのか。