25
翌日、伊織は神庭と共に学校を休んでいるという生徒の家に足を運んだ。
東京未来小学校から電車で二駅。
駅前には高層マンションがそびえ立つ。
問題の生徒の家はその七階にあった。
円谷明人。
彼は昨年から宇野川のクラスに所属していた。
不登校になったのは秋頃なので、間もなく丸一年学校を休んだことになる。
円谷家を訪ねると、母親にリビングへ通された。
落ち着かないほど瀟洒な空間だった。
掃除が行き届き、壁の棚には欧州のものと思しき小物が並んでいた。
とても一般家庭とは思えない。
伊織の実家はリビングに電気代の明細書やチラシが落ちていた。
「粗茶ですが」
円谷明人の母、昭恵は気の強そうな女性だった。
化粧品メーカーに勤めるだけあって、しっかりとしたメイクをしている。
「お構いなく。少しお話を伺いに来ただけですので」
「あの子は事件と無関係だと思っているのですが」
「いえ、明人くんが犯人とか、そういう話ではないんです。精神的なショックを受けているかもしれませんし、様子を伺いたいと思いまして」
「そういうことでしたか」昭恵はホッとした風に言う。「ショックはないとは思いますよ。学校に思い入れがないようなので」
「ご本人の様子は変わりませんか?」
「えぇ、ずっと引きこもりきりです。勉強ができないせいだと思うんです」
以前の聴取で昭恵はそう語り、捜査員に成績表も見せていた。
国語、算数、理科、社会、英語。
ほぼすべての教科で最低評価がつけられていた。
体育、音楽、図画工作といった分野でも同様だった。
惨憺たる有様だが、得意分野がないでもない。
三年生の頃に作った木製のロボットで賞を獲得している。
「何かの偶然ですよ。あの子、三年生の漢字も書けないんですから」
「家庭教師をつけて勉強しているんですか?」
「まさか。極端な人見知りなんです。家に他人が来たら顔を出しませんよ。この間の事情聴取だって、部屋から出てこなかったんですから」
「そうでしたね。部屋では何をしているんですか?
「さぁ、VRナントカっていうSNSをやってるそうですよ」
「人見知りなのにですか?」
「直接顔を合わせなければ平気なんじゃないですか?」
「……あまりご存知ではないんですね」
「仕事がありますから。逐一、行動を監視するほど暇ではありません」
どことなく諦めを感じさせる返答だった。子供を学校に通わせるべく手を尽くしたが、どうにもならずに今を迎えた。そんな調子なのだろう。だから、神庭が「科学館ではどんな展示を?」と聞いても、「知りませんよ」というそっけない回答があるだけだった。
親子の会話がないのではないか。
伊織はそう感じた。
調書によれば父親は外資系企業に勤務し、帰宅はかなり遅いという。
円谷少年は一人で食事をする生活に慣れていた。
自由にできる金を渡され、放置されている。
「もしよろしければ明人くんの話も聞きたいのですが」
今度は伊織が聞いた。昭恵は仕方ないとばかりに「明人、お客様よ。刑事さん」と大声で言った。前回は出てこなかった。今度も顔を見ることはできないのだろうか。
じっと待っていると、隣の部屋から小柄な少年が姿を見せた。
学校で話をした生徒と同じ学年だとは、到底信じられない。
あっちを五年生とするなら、円谷少年の外見は三年生だった。
ティーシャツに短パン。
両手首にリストバンドをつけていた。
何よりヘッドマウントディスプレイを身に着けたまま出てきたのは驚いた。
危なげなく歩いているので、足元は見えているのだろう。
確かVR空間の代わりに外を映すモードがあったはずだ。
「お客様の前よ! それを外しなさい!」
昭恵が怒鳴る。
円谷少年はビクリと体を震わせると、分厚いゴーグルを外した。
色白の顔が現れた。
特に目の周りが極端に白い。
ヘッドマウントディスプレイを被ったまま外出しているのだろう。
日焼けの差は明瞭で、パンダのようだった。
「ほら、しゃんとして。今日こそは事件のことを話すのよ」
昭恵は円谷少年の猫背を無理やり直す。
少年は痛みに顔を歪め、泣きそうになっていた。
しばらく待つが、少年が何かを語る様子はない。
「話せって言ったのがわからないの!?」
再び昭恵が怒鳴る。
「そんなに怒鳴らないでください。知らない人がいて怖いんですよ」
「だからって黙ってていいわけじゃないでしょう」
「けれど、子供にはそれぞれのペースが……」
「警察は教育にまで口を出すんですか?」
場をとりなそうとすると、今度は伊織が睨まれた。
昭恵はヒステリーの一歩手前だった。
子供が望むように振る舞わない。
それは大きなストレスに違いなかった。
出直すしかない。
そう思い、退出を切り出した。
「今日のところは以上で構いません。また来ますので」
帰り際、昭恵の大きなため息が聞こえた。
息子が質問に答えなかった怒りを表現しているのだろう。
あれでは円谷少年が余計にプレッシャーを感じてしまう。
ピリピリした空気を背中で感じながら、伊織はリビングを出ようとした。
そのとき、足の親指が何かを踏んだ。
そっと足を上げると、クシャクシャになったラップが落ちていた。
五センチ四方に切り取られ、黒い模様が描かれていた。
円谷少年が工作に使用したのだろう。
「こんな細い線、よく引けるわね」
円谷少年に渡すと、彼はひったくるようにそれを受け取った。
お礼はなかった。
何も言わずに部屋へ引っ込んでしまう。
あまりの愛想の悪さに伊織は目をしばたかせた。
悪ガキとも違う。
見たことのないタイプの子供だった。
円谷家へ訪問した足で、伊織は本庁へ戻った。
聴取の内容を報告し、自動販売機コーナーへ向かう。
頭の中にできつつある仮説をまとめるためだった。
何かを隠そうとする学校。
被害者のクラスに所属する不登校の生徒。
聴取の際に、生徒は宇野川が円谷少年を蔑称で呼んでいたことをほのめかしていた。
学校は円谷少年へのいじめを隠匿しようとしている。
そう考えれば、非協力的な空気にも肯けた。
警察に余計な詮索をされると困るからだ。
しかし、それらは事件とは関係のない事柄だ。
騒ぎ立てなければ問題にもならない。
ならば事実は逆なのではないか。
いじめと事件は関係している。
犯人は円谷少年ではないのか。
それが伊織の導いた仮説だった。
生徒がいじめを苦に教員へ復讐。
露呈すれば、学校もただでは済まない。
学校は薄々気づいているからこそ、情報提供を渋るのではないか。
説得力はあると思った。
しかし、この仮説には大きな矛盾があった。
円谷明人にはアリバイがある。
彼は事件が起こった日、学校から一キロ離れた科学館にいたのだ。
その様子は科学館の監視カメラにも映っていた。
円谷少年は室内にいた。
コントローラらしきものも持っておらず、じっと映像展示を眺めていた。
一キロ離れた学校の様子を見ることもドローンを操縦することも不可能だった。
何度、映像を見ても怪しい素振りはない。
捜査本部でも動機の面で疑いがかかったものの、同じ理由で白とされた。
「それでも、怪しいのよね」
胸の内を言葉にする。
あの少年には陰のようなものがあった。
何かを隠している態度だ。
根拠はないが、直感がそう告げていた。
どうすればアリバイを崩せるのか────。
「何が怪しいの?」
そのとき、独り言に返事があった。
振り返ると、佐々木珠美が立っていた。
「どうしたのこんなところで?」
「ちょっと本庁に用事。帰るところなんだけど、廊下の先でケーキが売ってたなぁと思って」
珠美は甘いものに目がない。
スイーツの自動販売機は本庁にしかないので、立ち寄ったのだろう。
「うーん、これにしよ」
しばらく迷って彼女はモンブランを注文した。
自動販売機内部の食品用3Dプリンタが生地の生成を始めた。
「何か、行き詰まってるの?」
「ドローン絡みでちょっとね」
詳細をぼかしつつ、伊織は事件について話した。
ドローンを利用した事件はメディアにも取り上げられており、珠美も概要は知っているようだった。
「あぁ、その事件、そんなに昔になるんだ。時間が過ぎるのは早いね」
「昔になっちゃいけないのよ、本当は」
「未解決事件なんだもんね、伊織ちゃんのところは」
珠美は完成したモンブランを取り出す。
職人芸とでも言うべき精巧な装飾が施されていた。
プリントだからこそできることだ。
人間が同じものを作ろうと思ったら、かなりの労力を要するだろう。
「ドローンと言えば、最近、多いよね。ドローンの迷惑飛行。立川でもあったんだよ。誰かがドローンを飛ばしてさ」
「記念公園? 駐屯地横で飛ばすなってあれほど言ってんのにね」
「注意してもダメだよ。常習犯だもん。警察ってドローンが飛んでたらドローンガンで下ろすでしょ? 常習犯はドローンの制御が利かなくなった時点で逃げちゃうの」
ドローンガンは強力な電波を用いて、ドローンを緊急着陸させる銃だ。
日本で飛ばすドローンは、ドローンガンによる制御を受け付けるよう作ることが義務化されている。
例外は自衛隊、警察、消防など一部のドローンのみだ。
「押収したドローンの購入元を当たればいいじゃない」
「そうもいかないんだって。最近はみんなドローンもプリンターで作っちゃうから。どこで作ったかなんて、大事件じゃない限り探せないよ」
「ふぅん。面倒な時代になったもんね」
プリンターでモンブランもドローンも作れる。
工作の技術がなくとも設計図を読ませ、ボタンを押すだけでいい。
その設計図もネットを探せば、いくらでも落ちている。
「実は今日呼ばれたのもそのことなの。警察が押収した所有者不明のドローンって、かなりあるみたいで本格的に対策を打つとかなんとか」
「まぁ、子供が遊びで飛ばしているのか、スパイが情報収集のために飛ばしているのかわかんないものね」
「そゆこと」
しばらく珠美とドローンの文句を言い合った。
便利な道具には違いないが、ドローンは取り締まる側にとって厄介な存在だった。
近いうちに会う約束をして、特命の部屋に戻った。
神庭の机にすっかりぬるくなったコーヒーを置く。
「随分、遅かったね?」
「偶然、知り合いに会ったから、ちょっと話してたの」
ドローン問題について神庭に話した。
ついでとばかりに自身の推理も聞かせてやった。
壁に行き当たっているが神庭なら。
そんな気持ちもあった。
「ふぅん、面白い推理だね」
神庭は遠い目で言った。
それから、一心不乱にパソコンを叩き始めた。
スイッチが入ってしまったようだ。
何がきっかけかはいつも謎だ。
自席に戻り、次なる一手を考えよう。
そう思ったそのとき、神庭が唐突につぶやいた。
「ついてきて欲しいところがあるんだ」




