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神庭は日比谷公園近くの地下駐車場にいた。

都心にありながら数百台もの車両を収容するスペースは、思っていた以上に人の気配がしなかった。

夜の肌寒さとコンクリートの臭いが漂う物寂しい場所だ。


神庭は愛車の運転席に腰を下ろしていた。

しばらくすると助手席の窓が叩かれた。


「こんばんは。今日はお誘いいただきありがとうございます。約束、守ってくれるとは思いませんでした」


私服姿の梓川だった。

紫色のブラウスにショールを巻き、黒のスカートを合わせていた。

つばの狭い帽子も似合っていて、その姿は華やかなタレントのようだった。


梓川を助手席に乗せ、神庭は自動運転車を走らせた。

行き先を決めれば車が自動でルートを決定し、連れて行ってくれる。

自身でハンドルを握る必要はない。


「これ、ベンツですよね? 神庭さんの車ですか?」

「そうだよ。昔、いろいろやっていて、そのときに買ったんだ」


高校生にして国家プロジェクトに参加した神庭は、謝金という形でかなりの額を受け取っていた。

それは大学時代も継続し、卒業する頃には高級車を購入できるほどの貯金となっていた。


「すごいですね。今日はどこへ行くんですか? 車だとお酒は飲めないですよね?」

「決めてないんだ。梓川さんに話したいことがあってね。できれば、車で話したいんだ」

「わぁ、なんだか意味深ですね。どんな話ですか?」


神庭は声のトーンを変えずに、告げた。


「梓川さんは、昔、芸能事務所に所属していたことがあるよね?」


唐突な質問に梓川は目を丸くした。

ほどなくして冗談だと思ったのか、ころころと笑った。


「あはは、神庭さんもそれ聞くんですね。よく言われるんですけど、私、そういう経験ないんですよ」

「そうなんだ? でも、それは嘘だよね」

「嘘? なんで私がそんな嘘をつかなくちゃいけないんですか?」


その問いかけには答えずに、神庭は最初のカードを切った。


「オトメロ5のメンバーから聞いたんだ。昔、事務所にはもうひとりタレントが所属していたって」


神庭は伊織に頼んでオトメロ5に会わせてもらった。

そして、いくつかの質問をした。

一つ目が、伊織から聞いたカオルという女の子についてだった。

現オトメロ5のメンバーと親交がありながらも、怪我を理由にアイドル業界を去った女の子だ。


「梓川さんの写真を見せたら、証言してくれたよ。この子がカオルだって。五年前まで在籍していたそうだね」


無言の間。

梓川は笑うのをやめ、怒りに満ちた声を出した。


「ひどいですよ。人の過去を勝手に暴くなんて」

「感情的になったふりをして相手をひるませる。君なりの処世術だとも聞いてるよ」


論理に抗しうる手段は何も論理だけではない。

情に訴え追及を阻むのも立派な防御だ。

かつてのカオルは、そのすべに長けていたという。


「わかりました。私は事務所に所属していました。これでいいですか? でも、よくわかりましたね? 追跡できるような情報はなかったはずですけど」

「帽子だよ。カオルは額に怪我をしたと聞いていた。そう聞いて梓川さんのことを思い出したんだ。いつも帽子をかぶっているのは、傷を隠すためなんじゃないかって」

「せめて、かわいいからアイドルだったに違いない、って言って欲しかったです」


梓川は膨れて見せた。


「それで、私がアイドルの卵だったと知ってどうするんですか? 口説いてくれるんですか?」

「自白してくれるようお願いはするかもしれないね」


決定的な言葉を投げた。

梓川は返事を返さない。

神庭は構わずに続けた。


「思い返してみれば、君の言動には不審な点があったんだ」


以前、梓川が世田谷警察署にやってきたときのことだ。

あの日、神庭は捜査会議で散布型センサーの解析結果を説明した。

その直前に梓川と雑談した。


「僕はあのときの会話を覚えている。君は室内にカメラはなかったのか、と聞いてきた」



『なかったよ。

……あったらもう見つけてる』

『ストーカーに怯えてたのなら、あってもよさそうなのに』


「君はストーカーのことをさも当然のように言及した。被害者がストーカー被害で苦しんでいたことは一般に公開されていない。考えてみると、これはおかしなことだ」

「おかしなことですか?」梓川は首を傾げた。「捜査会議の情報は独自の伝で知ることができるって言ったじゃないですか」

「どういう情報源なのか教えてもらえるかな」

「拒否します」

「なら、梓川さんが安藤ハナさんから直接近況を聞いていたという仮定は棄却されないね」

「わかりました。仮にそうだったとします。それで私は何をしたんですか?」

「誘拐だよ」


神庭は核心に触れた。



「誘拐? 安藤ハナをですか? 何のために?」

「君は安藤ハナさんが誘拐され、暴行を受けたと世間に錯覚させたかったんだ。そして、警察にストーカーを逮捕させたかった。そうすることで、安藤ハナさんをストーカーから助けようとしたんだ。君は安藤ハナさんがストーカー被害に遭っていると知っていた。助けようと申し出たのか、頼まれたのかはわからない。けど、君は解決のために動こうとした。引っ越した先にまでついてくるしつこいストーカーを排除する最も妥当な方法は何か。当たり前だけど、それは警察に逮捕してもらうことだ。だから、君は誘拐を警察に伝えた。焦燥感を与えるためにね。逆にマスコミには積極的に情報を開示しなかった。誘拐が安藤ハナさんのブランドを傷つける恐れがあるからだ」

「すごい、すごい。独創的な推理には感心します」梓川は取り乱した様子もなく言った。「でも、私が犯人という証拠はないですよね?」

「報道では犯人像が掴めていないと発表されているね。実際、捜査本部でも犯人の手がかりは一切見つかっていない」

「なら、どうして私だと?」

「手がかりが一切見つからないという事象に含まれる情報が、怪しいのは君だと示しているからだよ」


被害者の自宅は鑑識が徹底的に調べた。

周辺の聞き込み、防犯カメラ。

あらゆる方法を駆使しても、犯人の痕跡は見つからなかった。

異常だと言われていた。


「情報学的に考えれば、確率の低い事象にこそ価値がある」


五人の人間と二十一台の車と十台のドローン。

三時間に三十六回の監視があった。

平均して五分に一度。

誰の目にも映らない確率は低い。


にもかかわらず映らなかった。

そのことが犯人が痕跡を消しおおせた可能性以外にもう一つの道を示していた。


「犯人は被害者を連れてマンションを出なかった。もっと言えば、被害者の自宅に侵入すらしていなかった。だから、犯人の痕跡は一つも出てこなかった」

「なんですかそれ」梓川は鼻で笑う。「それじゃ誘拐できませんよ」

「誘拐自体が狂言だったんだよ。安藤さんは自発的に消えたんだ」


自宅の窓を破ったのも安藤ハナだ。

誘拐を偽装するために穴を開けた。

本人が作業したのだから犯人の痕跡は残らない。


「自発的に消えるにしても、誰にも怪しまれずにマンションを脱出できますか?」

「できない。被害者が自発的にマンションを出た場合でも歩き方で特定できる」

「じゃ、まだマンションの中にいるってことですか?」

「それはあり得ない。防犯カメラに映ってなかったんだ。マンション内にいるんじゃないかという考えはすぐに思いつく。徹底的に捜索されたよ」


だが、安藤ハナの姿は見つからなかった。

彼女はマンションの中にもいない。

残された可能性は一つだ。


「安藤さんは帰宅してなかったんだ」


あの日の夜、プロデューサーと共に帰宅したのは、安藤ハナではなかった。

別の人間が安藤ハナのふりをして帰宅したように見せかけたのだ。


「想像の域を出ませんね。どうやって証明するんですか?」

「歩容認証だよ。過去の映像データを調べたらすぐにわかった。一ヶ月前の映像であれば、安藤ハナさんは同定できた。しかし、事件前日、プロデューサーと共に帰宅した映像だけは判定で別人となった」


被害者がアイドルであるため、防犯カメラに映る安藤ハナは常にマスクと帽子で顔を隠していた。

顔が映らないことに誰も違和感を覚えなかった。

そのことが入れ替わりを容易にした。


「あれが別人だとわかったのなら、事件の全容が見えてくる」


事件前日、プロデューサーに連れられて帰宅したのは梓川だった。

梓川はマンションに入り、階段の踊り場で一晩を過ごした。

そして、翌朝、通勤ラッシュに合わせて何食わぬ顔でマンションを出た。

その後、プロデューサーが警察と共に被害社宅を訪ねれば、誘拐事件が完成する。


「どうしてそんな複雑なことを?」

「科学の目を誤魔化すためだよ。半端な偽装はすぐにバレる。分析能力が飛躍的に向上した現在において、事件の偽装は簡単じゃない。梓川さんは勉強家だそうだね。裏をかく方法を入念に考えていたんだと思う」


姿をさらせば何らかの手がかりを与える。

被害者の足取りを極力隠し、捜査線上に決して上がらない梓川を代役に立てた。

その工夫は功を奏し、今日まで警察を騙し続けた。


「さすがですね。動かぬ証拠みたいなものもあるんですか?」

「プロデューサーと共に帰宅した人物が誰なのかは歩容認証で明らかになる。君の歩き方と比べれば、それが証拠になるだろうね」

「なるほど、本当に恐ろしい技術です」


梓川はため息をついた。

言い逃れはできないと判断したのか、諦めたように言った。


「どうして、その技術をストーカーの捜査に使ってくれなかったんですか? そうしたら、ハナだって苦しまなかったのに」

「残念だとは思ってるよ」


大きな力には強い制約が課せられる。

どれほど人々が苦しもうとも、この技術が凶悪犯罪以外に使われることはない。

果たしてそれが正しいことなのかは、まだ議論すらされていない。

法律や世論との折り合いをどう付けるかも含め、課題は山積みとなっていた。


「けど、約束するよ。いつか安藤ハナさんのような人も救えるような世の中にするって。開発者として、技術が広く使われて欲しいとも思っているしね」

「……本当に神庭さんはすごい人ですね」


梓川はしみじみと言った。

それから、帽子をはずし、前髪をかき上げた。

額の生え際には、はっきりとわかる傷跡があった。


「最後に一つだけ教えてもらっていいですか?」

「何?」

「私はこの傷が原因で事務所を辞めました。だから、事務所にはいい思い出なんて一つもありません。なのに、どうして私がハナを助けようとしたって断定したんですか? もしかしたらハナが私をいじめていた張本人で、復讐をしたかったなんて、思ってたかもしれませんよ?」

「なんだ、そんなことか」


簡単な問題だった。

神庭は解答を読み上げるように答えた。


「聞いたからだよ。オトメロ5のファイブの意味について」

「ファイブの意味? 秋山さんを入れてファイブなんじゃないですか?」

「違う」神庭は即座に否定した。「君を入れてファイブなんだと言っていたよ」


梓川は窓の外を眺め、長い間を空けてから言った。


「あいつら、ホント変わらないなー」


その声は少しだけ震えていた。





午後十時過ぎ、神庭が捜査本部へ戻ってきた。

隣には梓川の姿があった。

刑事たちは首を傾げていたが、梓川が安藤ハナ誘拐に関与していた旨を自供すると、驚愕に目を見開いた。

最初こそ信憑性を疑われたが、予め橋村が管理官に説明していたため、処理はスムーズに進んだ。


梓川が安藤ハナのいるホテルを告げると、刑事たちは大慌てでホテルへ向かった。


「やったじゃない」


大会議室へ戻ってきた神庭に伊織は缶コーヒーを渡した。

完敗だと思った。

神庭にオトメロ5に会わせてくれ、と頼まれたとき、伊織には真相が見えていなかった。

神庭はわずかな手がかりから想像力を膨らませ、梓川にたどり着いていた。

警察内部に誘拐犯がいる。

その柔軟な発想は悔しいが認めざるを得ない。


「僕ひとりの手柄じゃないよ。協力してもらったから」

「随分と殊勝じゃない」

「事実だからね」


神庭はあくまで真顔だ。

だからこそ、余計に悔しい。


「よぉ、お手柄じゃねぇか」


そのとき、沖野と山田がやって来た。

その手には缶コーヒーが握られていた。

二本目の缶コーヒーだったが、神庭は律儀に蓋を開けて、飲み始めた。


「ありがとうございます。僕には、こういう形は思いつきませんでした」

「なに、長年の経験って奴だ」


神庭が梓川と一対一で話す。

その形を提案したのは沖野だった。

彼は昔ながらの人情派だ。

容疑者がやむを得ない事情で罪を犯したときは、可能な限り自首という形を取れるように計らう。

今回もそうした配慮によって、神庭が単独で梓川と話したのだった。


「でも、本当に意外でしたね。タケさんが美味しいところを神庭に譲るなんて」


伊織は本心を口にする。

あれほど超科学を嫌っていた沖野が、その申し子である神庭に手柄を譲る形を許した。

昨日までなら考えられないことだ。


「そりゃあ、お前。刑事に一番大切なのは、事件をよりよい形で解決することだからだろ」沖野は神庭の言葉を引用した。「それに実質、チームでもぎ取った勝利みたいなもんだろ」


沖野は晴れ晴れとした顔で言う。

彼もまた何かを吹っ切ったに違いなかった。


「やぁやぁ、みんなそろって、ご苦労さん」そこに橋村が缶コーヒーを五本抱えてやって来た。「あらら、みんなもう飲んでるの? 考えることは一緒だね」

「折角だからいただきます」


神庭が三本目のコーヒーを開ける。


「だったら、このあと飲みに行きませんか?」


伊織はそう提案した。

元より特命は応援部隊だ。

事件が解決した今、事後処理は任せても問題ない。

それに折角、特命が全員の力を合わせて事件を解決へ導いたのだ。

チームが一つとなった記念もしたい。


「いいねぇ、本部の打ち上げよりちょいと先に失礼させてもらうとするかぁ」

「では日本酒を飲みに行くのはどうでしょう?」

「いや、それはやめよう」


神庭の提案に沖野は即答した。

苦い記憶が蘇ったからに違いなかった。


「なんにしても特命が大金星を上げたことに変わりはありません。美味しいものを食べに行きましょう」


橋村の行きつけだという中華料理店に向かった。


酒を飲み、伊織は同席した面々の顔を見た。


橋村、沖野、山田、そして、神庭。

神庭の歓迎会をした日には、どこか剣呑とした空気があった。

それが今はなくなっていた。

ようやく特命が一丸となることができた。

そのことを肌で実感していた。

今なら神庭ともうまくやれそうな気がする。


伊織の中の迷いはなくなっていた。

超科学とどう向き合うべきか。


その答えは今、伊織の胸の中にあった。

ようやく見つけることができたのだ。




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