20
伊織は捜査状況の報告のために、アイドル事務所を尋ねた。
オトメロ5のメンバーは安藤ハナの誘拐を受け、活動を自粛していた。
出社する必要はないはずだが、三人とも事務所にいた。
「ふぅん、ストーカーってわけじゃなかったのね」
「えぇ、残念と言っていいのかはわかりませんが」
報道発表の繰り返しだが、伊織はストーカー犯の取り調べ結果を説明した。
質問があれば、答えられる範囲で受け付ける。
彼女たちの心のケアが伊織に与えられた役割だった。
「大体、事情はわかったわ。ストーカー逮捕でぬか喜びするところを止めてくれて助かったわ。ご苦労だったわね」
迂遠な言い回しで三木谷イマリは感謝を述べた。
そして、机に積まれたファンレターに目を通す作業に戻った。
安藤ハナの誘拐は全国民の知るところだ。
応援メッセージを送るファンも多いのだろう。
イマリは性格とは裏腹に、全てに目を通すつもりらしかった。
「それ、全部読むんですか? 偉いですね」
「普段なら見ないわよ。でも、ハナは見るから。代わりに私たちが見てあげてんの」
木野チヅルと鳩山ユキもファンレターの整理をしていた。
彼女たちはただ活動を止めていたわけではない。
安藤ハナが戻ってきたときを見据えて動いていた。
絶対に戻ってくる。
そう信じている。
「あー、こんなときにあの子がいればいいのに」
手を止めずにイマリがぼやく。
「あの子って誰ですか?」
「んー、まぁ、昔の友達。事務所にいたんだけど、辞めちゃったのよね」
「……えぇと、カオルさんでしたっけ?」
安藤ハナの人間関係は徹底的に調べられていた。
カオルという名前は本名ではないが、事務所の在籍経験者リストに載っていた。
従姉妹と同じ名前なので、それだけ頭に残っていた。
「あら、よく覚えてるわね。カオルはすごい子だったのよ。かわいさ武器にする方法をよく知ってたの」
カオルは中学生でありながらセルフプロデュースを実践。
ビジネス書に手を出し、周囲の大人が面食らうほど高度な企画を立てていた。
更には客層の好みを分析し、愛されるキャラクターを演じていた。
イマリの語るカオル像は小悪魔を絵に描いたような人物だった。
カオルとイマリはオトメロ5がデビューする前から同じ事務所だった。
歳が近いこともあり、イマリはカオルから指導を受けていたそうだ。
「どうして辞めちゃったんですか?」
「事故だったのよ。階段から落ちたの。それで額に怪我してね。縫うことになったの」
「……それは」
アイドルにとって致命傷だっただろう。
顔に傷跡が残ってしまったらアイドルとして活動するのは不可能に違いない。
「けど、カオルは誰かが仕掛けた罠だって言ってた」
「罠……?」
「足を滑らせて落ちたんだけどね。滑ってくれと言わんばかりに階段の前にクリアファイルが落ちてたのよ」
「誰かが置いたかもしれないってことですか?」
「妬まれてたから、あの子。実はその事故が起こる前にね、誰かにいじめられてたみたいなの」
頭一つ抜きん出た存在は、他のアイドル候補生にとって邪魔者でしかない。
嫉妬心が高じていじめが起こったとしても無理はなかった。
そして、それがエスカレートして、誰かが悪魔の甘言に耳を貸したとしてもおかしくはない。
「でも、結局、事故で決着がついた。誰かがクリアファイルを置いたかどうかなんて、わかるわけないもの」
「……それはそうでしょうね」
目撃者でも見つからない限り、事件性を証明することは困難だろう。
事故として処理されるのは当然と言える。
「その事故の一ヶ月後くらいかしら。カオルは手紙を残して消えたわ。まるで夜逃げする人間みたいに。電話をかけても出ないし、事務所で預かっていた住所に行っても引っ越したあとだった」
辞めるという話をメンバーは誰も聞いていなかった。
仲の良かったメンバーは呆然としていたという。
「私はカオルのために何もできなかったわ。いじめにも気づいてあげられなかった」
イマリの言葉には後悔が滲んでいた。
メンバーが苦しんでいるのに手を差し伸べられない。
イマリは安藤ハナにカオルを重ねているのかもしれなかった。
彼女は恐れているのだ。
安藤ハナがカオルのようにいなくなってしまうのではないか、と。
「私はカオルと一緒にアイドルをしたかったのよ。私たちはみんなそう思ってた」
伊織はイマリの頭に手を置いた。
彼女の性格を思えば怒るかもしれない。
しかし、そうすることしか思いつかなかった。
「大丈夫。きっと見つかるわ。いいえ、見つけてくるわ」
努めて明るい笑みを浮かべる。
期待に答えたい。
何としても助けたい。
そんな思いで胸がいっぱいになる。
伊織が捜査本部へ戻ると、神庭は定位置でパソコンを操作していた。
時刻は午後十一時だが、本部の明かりが消えることはない。
被害者が消えて七十二時間。
刑事たちにも焦りが見え始めていた。
「調子はどう?」
伊織はコンビニで買ったおにぎりとコーヒーを机に置いた。
情報収集は伊織や沖野が手を貸したため、一日で完了していた。
周辺の聞き込みからタクシー会社への問い合わせなど多岐に渡った。
神庭は途中から分析に集中していた。勧めたのは沖野だ。「お前は分析するのが仕事だろ」と言って、神庭を聞き込みから外したのだった。
「散布型センサーで特定した人間と車両の行方がやっとわかったんだ」
「本当に?」
神庭はパソコンを見せてくる。
地図上に散布型センサーの軌跡が示されていた。
コンビニ強盗を捕まえた際にも同様の地図を使ったが、今回の軌跡はかなり散らかった印象だった。
「静かな住宅街でないと雑音が大きいんだ。だからこそ、散布型センサーだけでは行方を追えなかった」
「それを足で見つけたってわけよね」
伊織たちが手を貸したのも散布型センサーで捉えた人間の捜索だ。
事件が起こった日の深夜に出歩いていなかったかを聞いて回った。
徒歩で移動する人間は当然、近隣に住んでいる。
一日探して全員を見つけた。
「車の方は見つかったわけ?」
「うん。あの時間だからね。全部自動運転車だったよ」
「深夜に移動している人ってこと?」
「いや、ほとんどはタクシーだね。タクシーに車庫はないんだよ。夜中もずっと街中を走ってるんだ」
自動運転車を利用したタクシーは都内ではありふれたサービスだ。
アプリで呼び出せば位置情報を元にすぐに駆けつける。
早朝でも深夜でも利用可能だ。
しかし、車庫がないという話は初耳だった。
「都内は地価が高いから車庫はコストになるんだ。車両数の制限もかかるしね。その点、自動運転車に車庫は必要ない。二十四時間走り続ければいいだけだから」
それは逆転の発想だった。
車庫が必要なのは車を休ませるためではない。
運転する人間が休むためだ。
人間が運転しないのなら、わざわざ高い金を払って車庫を用意する必要はない。
「どうやってタクシーだって突き止めたわけ?」
「監視ログだよ。自動運転車は遠隔から状態監視する機能がないと、公道を走れないからね」
自動運転車は、安全のために車両の状態や位置情報を常に監視センターへと送っている。
そうした情報はログとして記録され、あとからでも参照可能だ。
たどれば、どの車両がいつどこにいたかが正確にわかる。
車両によっては自動運転に使用するカメラ映像も監視センターに送っている。
映像は証拠として十分に通用する。
「今回は何も映ってなかったんだけどね」
「でも、すごいじゃない。車が通った時刻に犯人は行動を起こしてなかったってことでしょ?」
二十一台もあればかなりの頻度で監視されていたことになる。
散布型センサーで検知したのが午前二時から午前五時の三時間。
その時間で二十一回もカメラ映像が撮影された。
「カメラなら他にもあったよ。警察の監視ドローンが飛んでたんだ」
監視ドローンは深夜の公道を監視するために各警察署が飛ばしている。
街頭防犯カメラが設置されていないような裏路地まで入り込むため、犯罪抑止に役立っている。
下部にカメラを内蔵しており、撮影した映像はすべて保存されている。
「近くに世田谷署があるから、マンションの裏手も十往復くらいしてたよ」
「そんなに?」
「ドローンは何機もいるからね。あのマンションの裏手はちょうど世田谷署から東へ向かうときの通り道になっていたみたいだ」
「なら、何か映ってそうね」
五人の人間に二十一台の車両、加えて十台のドローン。
監視としてはかなりの数だ。
犯人が捉えられていたとしても不思議はない。
「けど、どのデータにも犯人らしき人物は映ってなかったんだ。これはちょっと考えにくいことだよ」
犯人は被害者を連れ出している。
どういう形にせよ、ある程度の時間がかかったはずだ。
全く映らない確率は低いと神庭は言う。
「だったら、午前二時以前と午前五時以降に犯人が出て行ったとは考えられない?」
「それも違うと思う。散布型センサーが調べられないのは、雑音が多いからなんだ。雑音。つまり、生活音だ。その時間帯は少なくない人が周囲で活動していた。目撃者がいないとは考えにくい」
捜査本部でも午前二時前と午前五時過ぎの証言は得られていると報告されていた。
「なら、怪しいと思われない格好で逃げたってことは?」
被害者を運ぶのではなく、ふたりで歩いてマンションを出た。
あるいは被害者をひとりで歩かせ、単独で脱出させたか。
後者はどうやって被害者を服従させたかが謎だが。
「その場合でも街頭防犯カメラは避けられない。歩容認証で見つけられるよ」
外に出たからにはカメラに映るはずだった。
そして、映れば神庭が必ず見つける。
どうやってカメラをかいくぐったのか。
思いつく限りの手段を検討した。
もはや連れ出す方法などないように思える。
「違うアプローチも考えた方が良さそうね」
「たとえば?」
「あんたの嫌いな、犯人の動機よ」
なぜ犯行に及んだのか。
なぜこの日だったのか。
犯人の心情を考え、真相に迫る。
動機から犯人が絞れることもある。
「動機か……。聞けばわかるのにな」
「騙されたと思って、試してみなさい」
伊織はオトメロ5と安藤ハナに関する資料を見せた。
全員に配られるファイルだが、神庭は一度も開けた様子がなかった。
いい機会だ。
神庭に刑事の心得を教えてやろう。
「動機、動機ね」
神庭は資料をパラパラとめくった。
そして、とあるページで手を止めた。
まるで彼の周りだけ時間が止まったかのようだった。
「……動機、もしかして。そういうことなのか」
「何かわかったの?」
聞いても返事はない。
声をかけても無駄に思えたので、しばらく放置することにした。
五分ほど経って、神庭はやっと口を利いた。
「頼みがあるんだ」
そして、神庭は実に奇怪なことを頼んできた。




