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三日前。



今日で長らく携わった事件に未解決の烙印が押された。

伊織は会議室に散らばった捜査資料をまとめ、ダンボール箱に詰め込んだ。


殺人事件は、発生した地区の警察署に捜査本部が置かれ、本庁からやって来た刑事が主導して捜査を進める。

東京では伊織の所属する警視庁捜査一課が担当部署だ。

伊織は三ヶ月前から代官山で発生した殺人事件を捜査してきた。


しかし、ここ二週間は全くと言っていいほど進展がなかった。

事情聴取や現場鑑定のやり直しも済ませ、いよいよ手詰まりという雰囲気が漂っていた。

そんなとき、捜査本部を解散せよという命令が下りてきた。


刑事なら一度は通る道かもしれない。

尽力した事件が未解決で終わることに忸怩たる思いを抱く。

だが、それは今の伊織には無縁のものだった。


警視庁の未解決事件担当部署こそが伊織の所属する係だからだ。

警視庁捜査一課、特命捜査兼殺人犯捜査第六係。

通称〈特命〉。

殺人犯捜査の傍らで未解決事件を扱う部署だ。

この事件は、今後、特命主導で捜査が続く。

伊織は捜査本部が解散したあとも、継続して捜査ができるのだ。


御子貝(みこがい)さん、情報分析課から伝えたいことがあるそうです」


荷物を運ぼうとしていたところで、会議室に刑事が飛び込んできた。

捜査本部も解散したというのに一体何の連絡だろう。

伊織は書類を片手に首を傾げる。



伊織は青森の高校を卒業後、Ⅲ類で警視庁に採用された。

警察を目指したのは父親が警察官だったことによるものが大きいが、青森県警ではなくあえて警視庁を目指したのは、身内がいる場所を嫌ったためだった。


どうせやるのなら独力でやりぬきたい。

伊織は小さい頃から行動力がずば抜けていた。

高卒で警察に入る決断も周囲からは驚かれた。

母などは、せめて大学を出てくれ、と泣いていたが、伊織はそんな勧めを一蹴した。

ならせめて父のいる青森県警にと頼み込まれても、耳を貸さなかった。


伊織が家を出るとき、母は胃痛で死ぬかもしれない、と恨み言を漏らしていた。

警察学校を含めて勤続七年目の現在でも週に一度は電話をかけてくる。


「あんたは見てくれはいいから悪い男が寄ってこないか心配で心配で」


母はとにかくなんでも心配する。

二十四歳の伊織は身長百六十で、体はアスリートのように引き締まっている。

髪は濃い茶色に染めており、肩口でそろえた。

青森では垢抜けているのかもしれないが、東京では珍しくもない格好だ。

母の思うような展開はこれまでに一度もなかった。

とは言え、それは伊織が自他ともに認める武闘派だからだ。

下心丸出しで言い寄ってくる男は片っ端から叩きのめしてきた。


これまでの業績もその身体能力に頼った部分が多くを占める。

伊織の犯人検挙数は男子を含めても他の同期を圧倒していた。

その実績を買われ、一年前に立川警察署から警視庁への栄転となった。

特命は花型の部署ではないが、今後の進退はこれからの努力次第だろう。

伊織は漠然とそう思っている。



伊織はダンボール箱を抱えたまま、情報分析課、通称〈情分〉へ向かった。


情分の執務室は一見して刑事課と大差はない。

異なる点と言えば、ほぼ全員がデスクワーク専門ということくらいだろう。

在籍率が他部署に比べて圧倒的に高い。


部屋の奥には実験室やサーバールームが設けられており、そこも他の部署にはない点だ。


伊織は今回の事件を担当している男のもとへ向かった。


近藤という男は、メガネをかけたもやしのような男だ。

最後に日に当たったのはいつなのだろうと聞きたくなるほど肌が青白い。


「警視庁特命の御子貝(みこがい)です。何かお伝えしたいことがあると聞きましたが」

「そうです。ちょうどSlockにも書いたんですけどね。やっとですね、わかったんですよ。被害者の死亡時刻(・・・・)が」


サイズの合っていないメガネを押し上げ、近藤は言う。

意味を計りかね、伊織はオウム返しに聞き返す。


「死亡時刻?」

「えぇ、午後八時三十四分。誤差はほぼなしです」


近藤はプリントアウトされた資料を伊織に渡す。

説明を待つが、それ以上は何もなかった。


「まだ何か?」

「いや、いきなり死亡時刻と言われましても。死亡推定時刻じゃないんですか?」


殺人がおこなわれた時刻は、死斑や死後硬直を見ることで推測ができる。

しかし、分単位で正確な値を出すなど聞いたことがなかった。


「死亡推定時刻って。いつの時代の人ですか?」


近藤は小馬鹿にするような態度を取った。


「今は現場の環境さえ完璧に把握できていれば、シミュレーションで極めて正確に死亡時刻を割り出せるんですよ。知らなかったんですか?」

「えぇ、まぁ」

「嘘……。導入は半年前ですし、今や常識ですよ、常識」

「そうなんですか?」


苛立ちを抑えつけ、笑顔で返す。

半年前など伊織に言わせれば最近だ。

馬鹿にされるいわれはない。


周りの席で話を聞いていた男たちが、くすくすと忍び笑いを漏らしていた。

思わず睨みそうになってしまう。


これだから情報分析課は嫌いだ。

何かと新しい技術を自慢しては、こんなこともできる、と胸を張る。

どうせ内部がどんな仕組みになっているのかも理解していないくせに、さも自分が偉いかのように振る舞う。

科学捜査が主流となった昨今では、どこの署でも情報分析課が幅を利かせている。

伊織はそれが嫌だった。


「どういう仕組みなんですか、これ」


仕返しのつもりで質問する。


「秘密だよ。教えられるわけがない」


すると、近藤は急に声を小さくして目をそらした。

やはりだ。

この男はただ操作しているだけなのだ。


「じゃあ、三ヶ月かかった理由もわからないんですか」

「それは警視庁のサーバが空かなかったからです。警視庁にしかシステムがなくて、順番待ちなんです」


しかも、他人のふんどしときた。

それでよく偉そうな顔ができるものだ。


形だけお礼を言って、伊織は死亡時刻シミュレーション結果と書かれた紙に目を落とした。

この簡素で押しつけがましい書類も好きではない。

理屈もわからないのに結果だけ渡されると、信用していいのか疑いたくなる。

ご神託と同レベルだ。


そんな不信感が積もり積もって、伊織はいつしか科学と名のつくものが大嫌いになっていた。




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