19
刑事が出払ったあとも、神庭はぼんやりと宙を見つめていた。
伊織は神庭の隣に座った。
反応はない。
顔の前に手のひらをかざし、振ってみる。
神庭はようやく顔を上げた。
「何か用?」
「調子でも悪いの?」
「いいや、寝不足ではあるけれど、思考レベルは落ちていないよ」
「そうじゃなくて。さっきの報告。本当なの?」
神庭ならとんでもない事実を掴んでいると思った。
前回も前々回もそうだった。
超科学は伊織の思いも寄らない方法で真相を掴み取る。
映像分析にはその片鱗が見えたものの、後半はピリッとしなかった。
「データが少なすぎるんだ。現状ではどうしようもない」
「そんなの刑事だって同じでしょ。それでも、あんたは答えを出してきた。パソコンを叩いて、答えをポンって」
「情報から意味を抽出した結果だよ。無から出すわけじゃない」
「だから」伊織は首をかしげる。「抽出すればいいじゃない」
あちこちから情報を集め、分析する。
神庭のやり方は知っていた。
同じことをすればいい。
神庭は言葉を探すように間を空けて、言った。
「機械にとっての情報は人間と違う。量がすべてなんだ。人間が理解できない、あるいは多すぎて処理できないような情報を与えることで力が発揮される」
神庭の言葉を何度も反芻して、意味を噛み砕く。
「つまり、量が足りないってこと?」
「簡単に言うと、そうだよ。これまでは未解決事件だったから、十分すぎるほどのデータが集まっていた。でも、今回はそれがない。だから、何もできないんだ」
神庭は超科学の欠点を淡々と語る。
いや、それを欠点と言うかはわからない。
手がかりがなければ、推理できないのは人間も同じだからだ。
超科学は万能ではない。
神庭は管理官にも言っていた。
その言葉が胸に染み入ってきた。
魔法のような能力を持っていても、結局、科学は道具だ。
伊織たちが普段使うものと何ら変わりはない。
「データ集め、手伝ってもらえないかな」
神庭は表情を変えずに言った。
伊織は思わず、神庭の顔を見た。
頼られる。
そんなことがあるとは思いもしなかった。
情報分析課の技術者は皆、個人主義で他人を当てにしない。
そんなイメージを持っていた。
「汚名返上したい気持ちはわかるけど、あんた、昨日寝てないんでしょ? 休んだら?」
「休むわけにはいかない。被害者が姿を消して四十八時間が経過した。もう一刻の猶予もない」
指摘され、はっとした。
超科学と刑事の戦い。
そんな構図に思考を奪われていた。
伊織を含め、周囲の刑事はそうだった。
超科学には負けない。
その思いを胸に捜査に臨んでいた。
しかし、神庭は違っていた。
被害者のことだけを考え続けていた。
伊織は情報分析課の技術者が嫌いだった。
技術者には刑事の魂が宿らない。
現場にも出ず、苦労を惜しむ。
使命感に欠ける。
刑事たちはこぞって、技術者の悪口を言っていた。
いつしか伊織も同じ思いを抱くようになっていた。
それらはただの嫉妬だった。
超科学は刑事の価値を脅かす。
その危惧が刑事らの目を曇らせていた。
神庭は刑事として正しい心構えを持っている。
伊織は今、それを思い知った。
同時に超科学への嫌悪感が嘘のように解けていった。
新しい道具へ適応することと刑事の価値がなくなることは同義ではない。
刑事が方法にこだわるなど本末転倒だ。
刑事の本分は事件を解決することにあるのだから。
「あんたの言う通りね。残された時間は短い。私でよければ手伝ってあげる」
「ありがとう。助かるよ」
「あんたも一緒に現場に出るんだからね?」
神庭に言いつけ、伊織は橋村を探した。
管理官へ配置変更の具申をしてもらわねばならない。
室内に姿がないため、神庭を連れて会議室を出た。
そこで沖野たちとすれ違った。
「よぉ、困ってるんだってな。手伝ってやるよ」
「タケさんの好意をありがたく思うんすよ」
沖野は頬をかきながら言った。
聞き耳を立てていたに違いない。
そして、伊織と同じことを思ったのだろう。
でなければ、こうも協力的になるはずがなかった。
「ありがとうございます。現場には出たことがないので、色々と教えてください」
神庭がてらいなく応じると、沖野は頬を緩めた。
「お、自分の欠点がちゃんとわかってるじゃねぇか。伸びしろがあるな」
頼られると弱い。
極端な態度の変化に伊織は笑いそうになった。
「みんな、そろってどうしたの?」
橋村が戻ってきた。伊織は事の経緯を説明した。橋村は苦い顔をしながらも「管理官には話を通しておく」と言ってくれた。
これで特命が全員で動けるようになった。
同じ目的で行動するのは、神庭がやってきてから初めてだった。
このメンバーならきっと結果が出せる。
伊織はそう思った。
伊織は神庭と共に現場付近の聞き込みに参加した。
マンション裏手の住宅地を一軒ずつ回る。
他の刑事が一度は尋ねているが、神庭は別のことを聞きたがった。
「午前三時頃に徘徊した記憶はありませんか?」
「はい?」
尋ねられた方は困っていた。
しかし、神庭は同じ問いを繰り返す。
伊織は隣で苦笑していた。
「あんた、頭はいいけど人から話を聞くのは苦手なのね」
何軒か聞いたあとで休憩を挟んだ。
缶コーヒーを買って神庭に渡す。
公園のベンチに座った。
「聞き込みなんて初めてだから」
「誰だって初めての時はあるわ。……それでも、もっと上手にはできそうだけど」
「そんなに下手かな?」
「下手クソよ。あのね、普通の人はあんたみたいに頭がよくないんだから、もっと噛み砕いて説明しないとダメなの」
「ふむふむ……」
神庭はスマートフォンで生真面目にメモを取っていた。
普通の人は頭が悪い。
ひどい内容だった。
聞き込みの目的は誘拐犯の足取りを特定することだった。
捜査会議では管理官に全否定されていたが、神庭はマンション裏手を通った人間と車両の数を特定している。
事件当日の深夜二時から五時の間に五人の人間と二十一台の車が近くを通った。
午前一時前や午前五時過ぎは人通りが多くなる。
この三時間に連れ出されたのは間違いなく、検知された人と車に犯人が含まれる可能性は高かった。
一つ一つ該当する人間と車を割り出せば、残った者が犯人となる。
犯行時刻すらわかっていない状況では、有益な情報となるはずだった。
「さ、もうひと頑張りするわよ」
伊織は缶コーヒーを捨てて立ち上がる。
沖野から電話がかかってきたのはそのときだった。
『御子貝か。
大ニュースだ。
ストーカーが捕まったぞ』
†
『速報です。
人気アイドルグループ、オトメロ5の安藤ハナさんが誘拐された事件で、警視庁は都内に住む三十代の男をストーカー規制法違反で逮捕しました。
逮捕されたのは、東京都世田谷区に住む高見山祐輔容疑者です。
高見山容疑者は以前から安藤さんに付きまとい等の嫌がらせをおこなっていたとされています。
高見山容疑者が事件当日、安藤さんの自宅周辺を徘徊していたことなどから、安藤さんを誘拐した疑いが強まったとして警視庁は今朝、高見山容疑者に対して事情聴取をおこないました』
ストーカー逮捕の一報は世間を大いにどよめかせた。
望み薄と思われていた路線だが、些細なことから足が付いた。
容疑者は行きつけのカフェでストーカーまがいのことをしているとほのめかしていたのだ。
高見山は三十二歳の独身。
安藤ハナの熱狂的ファンで、家宅捜索によって押収された品の大半は彼女のグッズだった。
現時点での容疑はストーカー規制法違反のみだが、誘拐は余罪として追及される予定だった。
「この写真は、安藤ハナさんの自宅ですね?」
高見山は取調べ室で刑事と向かい合って座っていた。
「向かいのマンションからあなたが撮ったもので間違いありませんか?」
刑事は穏やかな声で問いかける。
高見山が無言を貫くと、別の刑事がやって来て、再び同じ質問をする。
そんなことをもう何度も繰り返してきた。
高見山はひどく萎縮していたが、何人目かの刑事の質問に対し、訥々と写真を撮ったときの状況を語った。
その写真は彼の自宅で押収されたものだった。
当初はスタジオで撮ったものと供述したが、不自然さを追及すると彼は盗撮を認めた。
「では、次の質問です。安藤ハナさんが、今現在どこにいるか、あなたは知っていますか?」
「し、知りません……」高見山は泣きそうになりながらも言った。「本当に僕じゃないんです」
「そうですか」刑事は一通の手紙を差しだした。「これを読んでください。安藤ハナさんの自宅から見つかったものです」
高見山は薄桃色の便せんを受け取った。
震える手で開く。
女の子を思わせる文字で、こう書かれていた。
わたしのファンの人へ。
毎日元気で暮らせていますか?
楽しいことはありますか?
いつも応援してくれていますね。
その気持ちはとても嬉しいです。
でも、わたしはあなたの気持ちに精一杯応えられているか不安です。
そうでないから、あなたはわたしのところまで来ることはないと思ったからです。
もしかしたら会社や学校でつらい目にあっているのかもしれませんね。
でも、わたしは、あなたが本当は優しい人だということを知っています。
「こ、これは……」
「安藤ハナさんがあなたへ宛てて書いた手紙です。……安藤さんは、自身のストーカーにさえ慈愛の心を持って接しようとしていました。あなたが改心してくれるように、と」
高見山の瞳に見る間に涙が浮かんでいった。
堪えきれなくなったのか、顔をうつむかせ、激しい嗚咽を漏らし始めた。
高見山は自分が疎まれていると心のどこかで思っていたのだろう。
良心が残っていたからこそ涙したのだ。
その点において高見山は普通のストーカーと違っていた。
対象から好意的な反応が返って来れば、大抵のストーカーは愉悦に浸る。
彼の場合は逆だった。
再犯の可能性も低いに違いなかった。
「もう一度、聞きます。あなたは安藤ハナさんの居場所を知っていますか?」
「ち、違いますっ! 誓って言います! 僕ではありません!」
高見山は泣きながらも熱弁した。
誘拐犯を決して許せない。
刺し違えてでも捕まえたい。
そう供述した。
取り調べの様子はマジックミラー越しに別室でも監視されていた。
管理官の志藤も同席していた。
部屋には困惑した空気が漂っていた。
捜査本部はストーカーを最有力候補として考えていた。
志藤もその考えを支持していた。
しかし、いざストーカーを捕まえてみると、高見山がクロとは思えないのだった。
同席した警部たちも同様の感想を抱いていた。
長年の勘が告げている。
この手の人間は嘘をつくのが下手だ。
簡単に見抜くことができる。
「彼でないとすれば、本命が消えることになりますね」
警部のひとりが告げる。
志藤は重々しく肯いた。
動機の面でストーカーに勝る候補はなかった。
それが否定されてしまうと、捜査の方針を根底から見直さねばならなくなる。
安藤ハナは、あの日、どこへ行ってしまったのか。
誘拐犯は何者なのか。
志藤には答えを出すすべがなかった。




