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秋山凛は眠い目をこすり、ディスプレイを睨んだ。

作りかけのオーディション用資料が映されていた。

完成度は七割程度で止まっている。


秋山はアイドルグループのプロデューサーを務めていた。

彼女が担当するオトメロ5(ファイブ)は今年でデビュー二周年。

初シングルが大ヒットしたのを皮切りに、リーダーの安藤ハナがドラマの主役に抜擢されるなど目覚ましい躍進を遂げていた。


売れるにつれて、秋山の仕事も増えていき、目の回るような日々を送っていた。

秋山は同僚の助けを借りながら日々を乗り切っていた。


「先日撮影した番組の編集ができてます。確認していただけますか?」


大手動画サイトからメールを受信した。

秋山はほとんど無意識のうちに頭を切り替え、動画を再生した。


秋山にとって確認すべきはアイドルの画だ。

どのシーンにもアイドルの美しくない顔があってはならない。


「安藤ハナさんはアイドル番組を見ることが趣味だそうですが、いつから好きだったんですか?」

「あ、はい。そうですね……」


再生を止める。

安藤ハナの笑顔に陰りがあった。

例の問題のせいなのは明らかだった。

リーダーではあるが、露出を減らすべきだろう。

カットしなければならないシーンをリストアップした。


電話がかかってきたのはそのときだった。


「秋山さんですか!? 大変です!」


電話は同僚からだった。

三十代前半の男性で、穏やかな性格だ。

落ち着きを失うのは珍しいことだった。


「何かあったんですか?」

「事務所におかしなメールが来てるんです! 今、そっちに転送しました! 見てください!」

「はぁ、わかりました」


彼が狼狽するメールとは何なのだろう。

疑問に思いながらメールを見る。

画像が一枚添付されていた。

その画像は。


「何、これ」


マウスを操作する手が止まった。


画像は後ろ手に縛られた安藤ハナの写真だった。

薄暗い倉庫のような場所だ。

写真からでは特定できない。

ハナはカメラの方を向いて、怯えた表情を浮かべていた。

何より、ハナの腹部には赤い染みができていた。


一体、何が起こっているのか。

事情を確かめなくては。



秋山は自動運転タクシーをカードで決済し、領収書も受け取らずに車を降りた。


安藤ハナの住むマンションにはオートロックが備わっていた。

管理人に事情を説明し、中へ入れてもらう。

ハナの部屋まで走ると、呼び鈴を押した。


十秒ほど待つが応答はない。

朝の静けさが秋山の不安を駆り立てる。

彼女はドアを叩いた。

管理人が不服そうな顔で秋山を止めようとする。

しかし、一足遅れで到着した警官の姿を見て、その手を引っ込めた。


午前八時。

管理会社の人間が鍵を持って現れた。

ハナの部屋は電子錠だ。

カードをかざすと機械音と共に解錠された。


警官が先に入り、室内を入念に調べていく。

その後ろから秋山もついて行った。

部屋に人の気配はなかった。

明かりもついていない。

リビング、トイレ、浴室、書斎。

いずれも無人だった。

残された部屋は寝室しかない。


秋山は寝室をノックし、恐る恐るドアを開けた。


「いない……」


秋山はその場に座り込み、力なくつぶやいた。


寝室の窓が開けられ、風がカーテンを揺らしていた。

ベッドにはしわくちゃになったタオルケットが落ちている。

それだけだった。

安藤ハナの姿はどこにもなかった。



   †


「すいません、特命捜査はこちらでしょうか?」


ドアを開けて女性警官が入ってきた。

応対しようと伊織が席を立つと、眼前にアイドルが立っていた。

制服に制帽。

出で立ちこそ警察官だが、ボブカットに包まれた愛嬌のある小顔は一市民とは思えないオーラを持っていた。

小柄だが手足が長くウエストもくびれている。


「はい、そうですが。何の用でしょうか?」

「神庭さんがこちらにいらっしゃると聞いたのですが」

「神庭ならおりますが……」


名前を呼ばれたにもかかわらず、神庭はパソコンを見つめたままだった。

伊織はその腕を取って強引に立ち上がらせる。


「あんただっての」

「そう言われても」神庭はつぶやく。「その人、誰?」

「知らないわよ」


首を傾げる神庭に女性は自己紹介を始めた。


「私は梓川(あずさがわ)漆子(うるこ)といいます。交通部総務課です。神庭さんのことはずっと前から知っていました。本庁に配属になったと聞いて会いに来ちゃいました」


梓川はそう言って神庭の手を握った。


「はぁ」美女に手を握られたというのに、神庭の反応は薄い。「会いに来たのはなぜですか?」

「ファンだからに決まってるじゃないですか!」


ファン。

神庭は眉一つ動かさないが、伊織は穏やかざる心境だった。

まさかこの科学馬鹿にファンがいたなんて。


「警視庁にも神庭さんのファンはいっぱいいますよ。カッコイイし、頭もいいし、実力もあるし。……ご存じなかったんですか?」

「はぁ」

「えー、じゃあ、今の話はなしってことで。ファンは私ひとりだけです。なんちゃって」


梓川は首を傾げて頬に手を当てる。

よくやるものだ。

伊織は内心で肩をすくめた。

学校では先生や男子に媚びを売り、社会に出てからは権力者に媚びを売り。

昔からこの手のタイプは苦手だった。


いや。

妬ましいだけかもしれない。

女らしさを武器にできることが。


「あのー、そこの人。さっきから私のこと見て、どうしたんですかー?」


梓川に話を振られ、伊織は現実世界に引き戻された。


「え、私?」

「そうですよー。私に何かついてますか?」

「別に何も」

「じゃ、私が神庭さんと何をしても関係ないってことですよね?」

「どうしてそういう話になるのかは知らないけど、好きにすれば?」


しばらくにらみ合う。

先に目をそらしたのは梓川だった。


「神庭さん。またあとで。今度ご飯食べに行きましょうね」


そう言い残し、梓川は部屋を出て行った。


「全く。警察官とは思えない軽薄さね」


伊織が鼻息を荒くするも、沖野と山田は惚けたような顔をしていた。そればかりか「うらやましい……」というぼやきが聞こえてくる。かわいい女なら目の前にいるでしょうに。……とはさすがに恥ずかしいので言わない。伊織は頭を振って、自席に戻った。

ちょうど始業時間になっていた。



その日、特命には応援依頼が来ていた。


世田谷区で発生した誘拐事件の捜査に加わって欲しいという。

特命は未解決事件を本分とするが、要請があれば殺人犯捜査も行う。

誘拐事件に駆り出されるのは珍しかった。


捜査会議は世田谷署で行われるとのことで、伊織たちも参加した。

他の刑事に混じり、初動捜査の報告を聞いた。


「一昨日の未明、世田谷区のマンションでひとり暮らしの女性が行方不明となりました。名前は安藤咲希。十九歳。安藤ハナという芸名で歌手、俳優、タレント業に従事しています」


最初の説明で会議室がざわついた。

安藤ハナと言えば、何らかの媒体で一日に一度は見る有名人だ。

そんな人物が行方不明ともなれば、大ニュースとなるのは間違いなかった。

特命に依頼があったのも、ひょっとしたら世間の注目度故なのかもしれない。


「発覚は昨日午前七時三十七分頃。安藤ハナの所属する事務所宛に誘拐をほのめかすメールが送られてきたと一一〇番通報がありました。午前七時四十ニ分頃、同宅に警官が到着。ドア越しに呼びかけるも応答はありませんでした。午前八時に管理会社から借り受けた鍵で解錠。室内を捜索しましたが、人影はありませんでした」


捜索には警官二名と管理人、プロデューサーの秋山凛が参加した。

倒れている可能性を加味し、浴室やトイレも探したという。

窓の施錠は警官が手分けして確認した。

唯一、寝室だけは窓が開けられており、何者かが侵入したと見られていた。


「被害者は前日深夜零時にプロデューサーと共に帰宅しました。このとき、プロデューサーが玄関の施錠を確認しています。そのため、被害者が行方不明になったのは深夜零時から午前七時四十分頃までと見られています。被害者宅に貴重品類が盗まれた形跡はなく、行き先を示すものも見つかりませんでした。現場がマンションの八階であるため、逃走経路は玄関と考えられます。宅内からドアの鍵がなくなっていることからも、犯人が玄関から被害者を連れ出し、施錠した線が有力です」


寝室以外の窓が施錠されていたため、ベランダからは脱出できない。

寝室の窓も真下が地面となっているので、人ひとりを連れて降りるのは現実的ではない。

必然的に犯人は玄関から逃げたことになる。

周囲の住民が気づいてもよさそうだが、目撃情報はないようだった。


刑事が席に着き、次いで鑑識の発表があった。

犯人のものと思しき遺留品は見つからなかったとのことだ。

異様なほどに遺留物がないため、犯人が掃除をしたか、よほど特殊な服装だったのではないか、との見方が示された。


報告が終わると、管理官が捜査の方針を発表した。

誘拐犯の割り出し、被害者の安全確保が最優先とされた。

現時点で事件発生から二十四時間が経過している。

被害者の安否が気になるところだ。


「ところで」管理官は言葉を切った。「今回の捜査には技術捜査官が参加してくださる」


その宣言で空気が冷えた。

血の気の多い刑事たちの視線が宙をさまよう。


「神庭くん、君は初めて技術者ながらも刑事となった人間だ。十分な成果を出すように」


管理官が神庭を名指しすると、刑事の視線が一箇所に集まった。見られているのは隣にいる神庭だが、伊織は居心地が悪くなった。刑事の中に好意的な表情を浮かべる者はない。「でしゃばりすぎだ」という声も聞こえた。叩き上げであるほど超科学に対してよい感情は持たない。刑事という聖域に踏み込んできたのならなおさらだ。

微妙な空気を残し、捜査会議は終わった。



「さすがにすごいプレッシャーね」刑事たちが慌ただしく駆け出す中、伊織は神庭に声をかけた。「管理管が名指しで檄を飛ばすなんてなかなかないわよ」

「応援しているようには思えなかったけどね」


神庭はため息混じりに言った。


「そりゃあ、仕方ないわよ。叩き上げの人だもの」

「叩き上げだとどうして超科学が嫌いになるのかな。不思議だね」


仕事を奪うからに決まっているが、神庭は本当にわかっていないようだった。

勉学にのめり込みすぎると人の心がわからなくなる。

そんな俗説が脳裏をよぎった。


「御子貝。何してんだ、行くぞ」


沖野に呼ばれた。

伊織たちは周辺住民への聞き込みを任されていたが、その前に現場を見る予定だった。


「私は行くけど、あんたは外に出ないんでしょ?」


念の為、神庭に尋ねる。神庭は腰を浮かす素振りも見せなかった。「出る必要がないからね」という返事を聞いて、伊織は背を向けた。



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