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後藤夏美は刑事を追い返すと、大きく息を吐いた。

極度の緊張にさらされたためだろう。

背中には汗をかいていた。


バレているのだろうか。

後藤は内心でつぶやく。

このことを知っているのは当事者と彼だけのはずだ。

警察に漏れるとしたら、どこからだろうか。

わからない。

いや、知られているはずがないのだ。


「あの刑事だってなにか知ってる風でもなかったし」


後藤は強がりを口にした。

しかし、絶対の自信があるというわけではなかった。

情報というのは、どこから漏れるかわからない。

特に彼は口が軽そうだから、ひょっとしたら誰かに話してしまっているかもしれない。


自首したら減刑されるのだろうか。

弱気な思考が泡のように浮かんでは消える。

深呼吸をしても動悸が収まらない。

罪を犯すとはこんなにも苦しいことなのか。


どうしてこうなったんだろうか。

後藤は過去を振り返る。

彼女は高校卒業と同時にフリーターとなった就職活動をしていたが、どこにも採用されなかったためだ。

生活費を浮かせるために、まかない飯が出る場所でバイトをしていた。


胡麻島と出会ったのは偶然だった。

彼の経営するスーパーで働いていたところ、向こうから声をかけてきたのだ。

彼は後藤に優しく接してくれた。

生活費が苦しいことを相談すると、廃棄予定の弁当を持ち帰る許可をくれた。

そして、別店舗のコンビニに来るよう言ってくれた。

そのコンビニは店員が少なく、こっそり後藤だけが高い給料をもらっていても、気づかれないのだった。


胡麻島に理想の父親像を見出していた。

それがまさかあんなことになろうとは。


いいや、わかっていたことだ。

世の中に美味しいだけの話などないのだから。


   †


沖野たちと合流し、本庁に戻ったのは夜遅くだった。

聞き込みの成果を話すと、でかした、と褒められた。


「その女がプロレスマスクに違いねぇ」


沖野は意気込んで言った。

伊織も同じ意見だった。

カメラに映った犯人が徒歩で移動していたのは自宅が近いからだ。

その範囲に強盗発生時にアリバイのない店員が住んでいる。

偶然と考えるには、できすぎた一致だった。


「明日は俺も行ってみるかな」

「タケさんが出たら一発でゲロっちまうかもしれないっすね」


沖野が言うと、山田が調子を合わせた。


「行く必要はありませんよ」神庭が口を挟んだ。「明日、コンビニに犯人を聞きに行くつもりですから」

「犯人を聞きに行く……?」


要領の得ない話だった。

犯人を聞く。

それでは、まるでコンビニには知っている人がいるかのようだ。

だが、それはあり得ない。

事件当時、コンビニにいたのは四事沢だけだからだ。


おそらく事情聴取と言いたかったのだろう。


伊織はそう思った。


完全なる間違いだと知るのは翌日のことだった。



駐車場に車を止め、伊織はコンビニへ入った。

後ろから特命の四人も続いた。

スーツを着た五人組が珍しいのか、店員がチラチラと視線をよこした。


「お待ちしてました。進展があったそうですね」


二日続けての訪問だが、胡麻島は嫌な顔をしなかった。

理由は明白で、視線が伊織に向けられていた。

不服だが、伊織は神庭の影に隠れた。


「こちらの方は?」

「私の同僚の神庭です。今日、お話をするのは主に彼です」

「はぁ」


胡麻島の機嫌が露骨に悪くなった。

伊織が見えなくなったからか、あるいは顔の整った同僚が出てきたためか。

どちらにせよ、少しだけ胸が軽くなった。


「やっと来たんですか? 約束の時間から五分も過ぎてますよ」事務室には四事沢が待っていた。「取材なんかも受けてるんで、忙しいんですよ」


四事沢は自分の遅刻を棚に上げて、文句を述べた。


「あんたに言われる筋合いはないんじゃない?」


後藤が口を挟む。

狭い事務室には八名もの人間が集まっていた。

どうやら神庭は関係者を集めたようだった。

橋村の様子を見るに事前の相談もなかったのだろう。

とことん勝手な奴だ。


「さて、本日の用件は何でしょうか? 二日連続とは穏やかではありませんが……。まさか、今日から毎日、来られるおつもりでは……」


胡麻島が疑念を口にした。

四事沢と後藤が口を揃えて、冗談じゃない、と言った。


「その必要はありません」神庭が応じた。「ここへ来るのは今日が最後ですよ」

「最後? 最後とはどういう……」

「犯人が概ねわかっているからです」

「えぇ!」


驚きの声が上がった。

胡麻島、四事沢、後藤はもちろん、伊織を含めた特命の全員が驚いていた。


「お前、事情聴取じゃなかったのかよ?」


沖野が言った。

特命は神庭から説明を受けていない。

神庭も昨日の時点では、犯人を聞きに行く、と言っていた。

伊織を含め、他の四人は事情聴取の迂遠な言い回しだと思っていた。


「事情聴取ですよ。犯人についての」

「犯人がわかったなんて聞いてねぇぞ!」

「自白していただければわかります」

「店員の中に犯人がいるって言うんですか!」


四事沢が吠えた。


「そんな馬鹿な! 私たちは被害者ですよ!」


胡麻島も続く。

四事沢は胸ポケットからスマートフォンを取り出した。


「これ、動画取らせてもらっていいですよね? 適当なこと言ったら、アップしますから」

「いや、それは困りますって」


沖野がうろたえる。


「事情聴取でしょ? 違法じゃないし?」

「いやいやいや……」


事情聴取の録音は原則的に合法だ。

警察に制止するすべはない。

弁護士がつけば、会話記録を公表される恐れもある。

警察としては避けたい事態だ。


「構いませんよ」


神庭は肯いた。

沖野が青い顔をして、額に手を当てた。


「おい、神庭」


怒鳴ろうとするが、四事沢が録画ボタンを押してしまった。

こうなればあとに引くことも難しい。


「いいんですか?」


伊織が橋村に耳打ちすると、「まぁ、神庭くんなら大丈夫でしょう」という返事があった。その信頼はどこから来るのか謎だ。

期せずして警察の威信に関わる話となってしまった。

万が一にも神庭が犯人を見つけられなかったら、赤バッジを取り上げるだけでは済まされない。


しかし、神庭は落ち着いた態度を崩さなかった。


「まずは事件の全貌を振り返りましょう」


ノートパソコンを取り出し、パワーポイントを起動した。


スライドにコンビニの見取り図が映し出される。

四事沢を示す青い人間がレジカウンターの前に立っていた。

テレビなどで見る事件の再現図によく似ていた。

一体、いつの間に作ったのか。


「これが事件発生直前、午前三時七分の様子です。この日、四事沢さんは夜勤でした。ここに強盗がやってきます」


午前三時八分。

スキーマスクを被った人物が姿を見せる。

四事沢を脅し、現金を奪った。

その一分後、プロレスマスクで顔を隠したもう一人の強盗が現れた。

ふたりの強盗は店内で攻防を繰り広げたのちに逃亡した。


事件の全体像が神庭の作成したCGによって再現された。

便利だが、これと言って見えてくることはない。


「で、これから何がわかるって? 強盗が声を発してないとか、そんな指摘をするわけじゃないですよね?」


四事沢が挑発する。

伊織だったら、言葉に詰まるところだ。

現時点で何も言えることがない。

神庭は黙ってパワーポイントの操作を続けた。

次の瞬間、全員が驚くことになる。


スライドにコンビニを含む町の地図が表示されたからだ。

犯人を示す赤い人間はコンビニを出たあと、ジグザクに道を走っていた。

まるで犯人が逃走する様子を再現したかのようだ。

だが、それはあり得ない。

犯人の逃走経路は未だわかっていないからだ。


「ど、どうやったのよ!?」


伊織は思わず口を挟んだ。

犯行時刻は午前三時。

周辺住民は寝静まっていた。

この地区には街頭に防犯カメラの設置もない。

足取りを追う方法などないはずだった。


「散布型センサーを使用したんだ」

「あのセンサーを?」


伊織が初めてコンビニを訪ねた際にも撒かれていた。

花びら型のセンサーを町中に散布し、振動や温度を収集する。

火事の早期発見につなげる目的と告知されていた。

あれでどうやって犯人の逃走経路を割り出すというのか。


「センサーは熱と振動を計測している。そこから火事の特徴を抽出しているから火事だとわかるんだ。人間の動きを知りたいなら、人間にしかない特徴を抽出すればいい」


神庭はディスプレイにグラフを映した。

時間軸に対して揺れの量が示される。

振動センサーの値だった。

もう一つ別のグラフが映される。


「片方が乗用車でもう片方が人間が歩行した際の振動だよ」


左右を見比べると、確かに形が違っていた。

しかし、必死に見比べても、どちらが人間かはわからなかった。


「機械でなら判別ができる。人間の歩行時の振動データを大量に集め、特徴を覚えさせる。一度、覚えさせれば、他のデータに対しても判定ができるんだ」


与えられたデータ次第で、歩いているのか、走っているもわかる。

同じ理屈で車や自転車も検出できる。

技術自体は古くからあり、精度もかなり高いようだった。


「あのセンサーでこんなことができるなんて……」


伊織は火災の発見にしか使えないと思っていた。

あるいは総務省の統計資料だ。

使い方を変えるだけで、犯罪捜査に役立つとは。


「プライバシーはどうなってんですか!?」四事沢が怒鳴った。「いろんなデータを取ったら、まずいでしょう」!?」


もっともな指摘だが、神庭は淡々と答えた。


「センサーは地面に癒着するので採取は不能です。透明になるので、ちょっと見たくらいではどこにあるかはわかりません。それに無線は強力に暗号化されているので解読は不可能です。そして、閲覧可能な人間も限られています」


現時点では消防の限られた部署だけだという。

警察機関では、正式な導入が決まったわけではないため、神庭のみが特別に閲覧権限を持つ。


「将来的には事件の規模によってデータの開示量を決定する規則とする予定です」


伊織に関係する範囲だと、凶悪犯罪──殺人、強盗、放火、強姦、誘拐──の捜査で使用できるよう法整備が進んでいるところらしい。

そして、神庭は専門家委員に名を連ねる。

もはや刑事の仕事ですらない。


「それに本来の用途は福祉です。人の転倒を学習させれば、転倒しやすい道路がわかる。老人の転倒は命に関わるため、いち早く察知して道路を改善することができるようになります」


そこで思い出したように橋村が手を叩いた。


「そうそう、神庭くんが大臣賞をもらったのは、これの開発に貢献したからだったよね? 高校の時だっけかな」

「高校生の頃にこれを作ったの!?」


先ほどとは違った意味で驚きが大きい。

仕組みに詳しいとは思っていたが、まさか開発者だったとは。

道理で警察で唯一、神庭だけが使えるわけだ。

他の面々も唖然とするしかない。



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