14
後藤夏美は刑事を追い返すと、大きく息を吐いた。
極度の緊張にさらされたためだろう。
背中には汗をかいていた。
バレているのだろうか。
後藤は内心でつぶやく。
このことを知っているのは当事者と彼だけのはずだ。
警察に漏れるとしたら、どこからだろうか。
わからない。
いや、知られているはずがないのだ。
「あの刑事だってなにか知ってる風でもなかったし」
後藤は強がりを口にした。
しかし、絶対の自信があるというわけではなかった。
情報というのは、どこから漏れるかわからない。
特に彼は口が軽そうだから、ひょっとしたら誰かに話してしまっているかもしれない。
自首したら減刑されるのだろうか。
弱気な思考が泡のように浮かんでは消える。
深呼吸をしても動悸が収まらない。
罪を犯すとはこんなにも苦しいことなのか。
どうしてこうなったんだろうか。
後藤は過去を振り返る。
彼女は高校卒業と同時にフリーターとなった就職活動をしていたが、どこにも採用されなかったためだ。
生活費を浮かせるために、まかない飯が出る場所でバイトをしていた。
胡麻島と出会ったのは偶然だった。
彼の経営するスーパーで働いていたところ、向こうから声をかけてきたのだ。
彼は後藤に優しく接してくれた。
生活費が苦しいことを相談すると、廃棄予定の弁当を持ち帰る許可をくれた。
そして、別店舗のコンビニに来るよう言ってくれた。
そのコンビニは店員が少なく、こっそり後藤だけが高い給料をもらっていても、気づかれないのだった。
胡麻島に理想の父親像を見出していた。
それがまさかあんなことになろうとは。
いいや、わかっていたことだ。
世の中に美味しいだけの話などないのだから。
†
沖野たちと合流し、本庁に戻ったのは夜遅くだった。
聞き込みの成果を話すと、でかした、と褒められた。
「その女がプロレスマスクに違いねぇ」
沖野は意気込んで言った。
伊織も同じ意見だった。
カメラに映った犯人が徒歩で移動していたのは自宅が近いからだ。
その範囲に強盗発生時にアリバイのない店員が住んでいる。
偶然と考えるには、できすぎた一致だった。
「明日は俺も行ってみるかな」
「タケさんが出たら一発でゲロっちまうかもしれないっすね」
沖野が言うと、山田が調子を合わせた。
「行く必要はありませんよ」神庭が口を挟んだ。「明日、コンビニに犯人を聞きに行くつもりですから」
「犯人を聞きに行く……?」
要領の得ない話だった。
犯人を聞く。
それでは、まるでコンビニには知っている人がいるかのようだ。
だが、それはあり得ない。
事件当時、コンビニにいたのは四事沢だけだからだ。
おそらく事情聴取と言いたかったのだろう。
伊織はそう思った。
完全なる間違いだと知るのは翌日のことだった。
駐車場に車を止め、伊織はコンビニへ入った。
後ろから特命の四人も続いた。
スーツを着た五人組が珍しいのか、店員がチラチラと視線をよこした。
「お待ちしてました。進展があったそうですね」
二日続けての訪問だが、胡麻島は嫌な顔をしなかった。
理由は明白で、視線が伊織に向けられていた。
不服だが、伊織は神庭の影に隠れた。
「こちらの方は?」
「私の同僚の神庭です。今日、お話をするのは主に彼です」
「はぁ」
胡麻島の機嫌が露骨に悪くなった。
伊織が見えなくなったからか、あるいは顔の整った同僚が出てきたためか。
どちらにせよ、少しだけ胸が軽くなった。
「やっと来たんですか? 約束の時間から五分も過ぎてますよ」事務室には四事沢が待っていた。「取材なんかも受けてるんで、忙しいんですよ」
四事沢は自分の遅刻を棚に上げて、文句を述べた。
「あんたに言われる筋合いはないんじゃない?」
後藤が口を挟む。
狭い事務室には八名もの人間が集まっていた。
どうやら神庭は関係者を集めたようだった。
橋村の様子を見るに事前の相談もなかったのだろう。
とことん勝手な奴だ。
「さて、本日の用件は何でしょうか? 二日連続とは穏やかではありませんが……。まさか、今日から毎日、来られるおつもりでは……」
胡麻島が疑念を口にした。
四事沢と後藤が口を揃えて、冗談じゃない、と言った。
「その必要はありません」神庭が応じた。「ここへ来るのは今日が最後ですよ」
「最後? 最後とはどういう……」
「犯人が概ねわかっているからです」
「えぇ!」
驚きの声が上がった。
胡麻島、四事沢、後藤はもちろん、伊織を含めた特命の全員が驚いていた。
「お前、事情聴取じゃなかったのかよ?」
沖野が言った。
特命は神庭から説明を受けていない。
神庭も昨日の時点では、犯人を聞きに行く、と言っていた。
伊織を含め、他の四人は事情聴取の迂遠な言い回しだと思っていた。
「事情聴取ですよ。犯人についての」
「犯人がわかったなんて聞いてねぇぞ!」
「自白していただければわかります」
「店員の中に犯人がいるって言うんですか!」
四事沢が吠えた。
「そんな馬鹿な! 私たちは被害者ですよ!」
胡麻島も続く。
四事沢は胸ポケットからスマートフォンを取り出した。
「これ、動画取らせてもらっていいですよね? 適当なこと言ったら、アップしますから」
「いや、それは困りますって」
沖野がうろたえる。
「事情聴取でしょ? 違法じゃないし?」
「いやいやいや……」
事情聴取の録音は原則的に合法だ。
警察に制止するすべはない。
弁護士がつけば、会話記録を公表される恐れもある。
警察としては避けたい事態だ。
「構いませんよ」
神庭は肯いた。
沖野が青い顔をして、額に手を当てた。
「おい、神庭」
怒鳴ろうとするが、四事沢が録画ボタンを押してしまった。
こうなればあとに引くことも難しい。
「いいんですか?」
伊織が橋村に耳打ちすると、「まぁ、神庭くんなら大丈夫でしょう」という返事があった。その信頼はどこから来るのか謎だ。
期せずして警察の威信に関わる話となってしまった。
万が一にも神庭が犯人を見つけられなかったら、赤バッジを取り上げるだけでは済まされない。
しかし、神庭は落ち着いた態度を崩さなかった。
「まずは事件の全貌を振り返りましょう」
ノートパソコンを取り出し、パワーポイントを起動した。
スライドにコンビニの見取り図が映し出される。
四事沢を示す青い人間がレジカウンターの前に立っていた。
テレビなどで見る事件の再現図によく似ていた。
一体、いつの間に作ったのか。
「これが事件発生直前、午前三時七分の様子です。この日、四事沢さんは夜勤でした。ここに強盗がやってきます」
午前三時八分。
スキーマスクを被った人物が姿を見せる。
四事沢を脅し、現金を奪った。
その一分後、プロレスマスクで顔を隠したもう一人の強盗が現れた。
ふたりの強盗は店内で攻防を繰り広げたのちに逃亡した。
事件の全体像が神庭の作成したCGによって再現された。
便利だが、これと言って見えてくることはない。
「で、これから何がわかるって? 強盗が声を発してないとか、そんな指摘をするわけじゃないですよね?」
四事沢が挑発する。
伊織だったら、言葉に詰まるところだ。
現時点で何も言えることがない。
神庭は黙ってパワーポイントの操作を続けた。
次の瞬間、全員が驚くことになる。
スライドにコンビニを含む町の地図が表示されたからだ。
犯人を示す赤い人間はコンビニを出たあと、ジグザクに道を走っていた。
まるで犯人が逃走する様子を再現したかのようだ。
だが、それはあり得ない。
犯人の逃走経路は未だわかっていないからだ。
「ど、どうやったのよ!?」
伊織は思わず口を挟んだ。
犯行時刻は午前三時。
周辺住民は寝静まっていた。
この地区には街頭に防犯カメラの設置もない。
足取りを追う方法などないはずだった。
「散布型センサーを使用したんだ」
「あのセンサーを?」
伊織が初めてコンビニを訪ねた際にも撒かれていた。
花びら型のセンサーを町中に散布し、振動や温度を収集する。
火事の早期発見につなげる目的と告知されていた。
あれでどうやって犯人の逃走経路を割り出すというのか。
「センサーは熱と振動を計測している。そこから火事の特徴を抽出しているから火事だとわかるんだ。人間の動きを知りたいなら、人間にしかない特徴を抽出すればいい」
神庭はディスプレイにグラフを映した。
時間軸に対して揺れの量が示される。
振動センサーの値だった。
もう一つ別のグラフが映される。
「片方が乗用車でもう片方が人間が歩行した際の振動だよ」
左右を見比べると、確かに形が違っていた。
しかし、必死に見比べても、どちらが人間かはわからなかった。
「機械でなら判別ができる。人間の歩行時の振動データを大量に集め、特徴を覚えさせる。一度、覚えさせれば、他のデータに対しても判定ができるんだ」
与えられたデータ次第で、歩いているのか、走っているもわかる。
同じ理屈で車や自転車も検出できる。
技術自体は古くからあり、精度もかなり高いようだった。
「あのセンサーでこんなことができるなんて……」
伊織は火災の発見にしか使えないと思っていた。
あるいは総務省の統計資料だ。
使い方を変えるだけで、犯罪捜査に役立つとは。
「プライバシーはどうなってんですか!?」四事沢が怒鳴った。「いろんなデータを取ったら、まずいでしょう」!?」
もっともな指摘だが、神庭は淡々と答えた。
「センサーは地面に癒着するので採取は不能です。透明になるので、ちょっと見たくらいではどこにあるかはわかりません。それに無線は強力に暗号化されているので解読は不可能です。そして、閲覧可能な人間も限られています」
現時点では消防の限られた部署だけだという。
警察機関では、正式な導入が決まったわけではないため、神庭のみが特別に閲覧権限を持つ。
「将来的には事件の規模によってデータの開示量を決定する規則とする予定です」
伊織に関係する範囲だと、凶悪犯罪──殺人、強盗、放火、強姦、誘拐──の捜査で使用できるよう法整備が進んでいるところらしい。
そして、神庭は専門家委員に名を連ねる。
もはや刑事の仕事ですらない。
「それに本来の用途は福祉です。人の転倒を学習させれば、転倒しやすい道路がわかる。老人の転倒は命に関わるため、いち早く察知して道路を改善することができるようになります」
そこで思い出したように橋村が手を叩いた。
「そうそう、神庭くんが大臣賞をもらったのは、これの開発に貢献したからだったよね? 高校の時だっけかな」
「高校生の頃にこれを作ったの!?」
先ほどとは違った意味で驚きが大きい。
仕組みに詳しいとは思っていたが、まさか開発者だったとは。
道理で警察で唯一、神庭だけが使えるわけだ。
他の面々も唖然とするしかない。




