13
本庁へ戻り、伊織は映像を見直した。
スマートフォンで撮影された動画は、店内の古びた防犯カメラより、犯人を鮮明に捉えていた。
最初にスキーマスクが押し入り、四事沢を脅す。
四事沢がカウンターの内側へ逃げたところで、プロレスマスクが登場する。
ふたりの強盗は一言も話さない。
場慣れしているようにも思えるが、再犯の線は捜査本部で散々に洗われていた。
「どうした、何かわかったか?」
自席で唸っていると、沖野と山田が戻ってきた。
「いえ、新しい手がかりがないか見ていたところです」
「じゃ、そっちも空振りか」
「タケさんはどうだったんですか?」
「どうもこうもないぜ」沖野は首を振った。「なんで強盗がこの日を狙ったのか、さっぱりだ。何の規則性も見えてこねぇ」
ふたりはコンビニを含む江戸川区一体の情報を調べていた。
コンビニ強盗が同じ日に居合わせる。
発生確率の低さを思えば、偶然だと割り切るのは難しかった。
ならば、この日に強盗に入ろうと思わせる何かがあったのではないか。
沖野はそう考え、当時の様子を調べていた。
「ちょうど衆院選の頃じゃなかったでしたっけ?」
「選挙と強盗がどう関係するんだよ」
「さぁ……」
周辺住民が旅行に行っていたとか、わかりやすい話があればよかった。
しかし、沖野と山田が調べた限り、何もないようだった。
同様の調査は捜査本部でも進められていた。
周辺住民に心当たりがないか聞いたようだが、これといった答えは得られていなかった。
結論としては、偶然だったとされている。
しかし、伊織は疑問を拭いきれなかった。
本当に偶然なのか。
何か理由があって、ふたりはこの日に来たのではないか。
そんな気がしていた。
「やっぱり動機が金ってのは辛い。犯人像が絞れねぇ。山田、虱潰しにやるぞ」
「……また防犯カメラっすか」
山田がうなだれる。
あちこちで集めたカメラ映像を眺め、怪しい人物を探す作業だ。
強盗が身に着けていた衣類や凶器は捨てられた形跡がない。
今も犯人が所持しているなら、どこかで写る可能性があった。
カメラと言えば、神庭は以前に容疑者の車を簡単に見つけ出していた。
今回も似たようなことをするのだろうか。
神庭は朝から机に向かったままだった。
肩を叩くと、神庭は緩慢な動作で顔を上げた。
「お得意のデータはなんて言ってるの?」
「データは言葉を話さないよ。データというのは情報の別称であって……」
「それくらいわかってるわよ。馬鹿にしてる? 調べて何かわかったのか聞いてるの。強盗がなぜあの日を狙ったのかなんて、あんたの得意そうな分野じゃない」
「そんなことを調べる必要はないよ」
「どうしてよ?」
「犯人の心情を推測するなんて無駄だからだよ。捕まえてから聞けばいい」
言われて、伊織は言葉を失う。
そうだ。
こいつはこういう奴だった。
「じゃあ、何でもいいからわかったことはないわけ?」
挑発するつもりで聞く。
神庭は即答した。
「今のところは犯人の性別かな。女性である確率が高いみたいだね」
「ちょ、ちょっと、どうしてそんなことがわかるのよ?」
「動画を分析した結果だよ」
神庭はパソコンに例の動画を映した。
伊織の見ていたものとは異なり、強盗の体に棒人形のようなものが埋め込まれていた。
動画を再生すると、棒人形が強盗に合わせて動く。
「この動きで男か女かわかるわけ?」
「一応ね。性別の違いは生物学的な差だけではなく、社会や文化の影響を受けるんだ。その差は行動として現れる」
男らしさや女らしさという考え方がよい例だ。
多くの人間は幼少期から親や学校、社会によって自身の性に沿った振る舞いを学ぶ。
男女差はこうした後天的に獲得したものと、先天的に決まる骨格や体格などに現れるという。
「例によって、それを機械が判定してくれるわけね」
「そういうこと。人間ではわからない些細な違いも機械なら見抜ける。膨大な学習データさえあれば、精度も高められる」
「それで、これは?」
「大して高くはならなかった。スキーマスクもプロレスマスクも、女性である確率は六割強ってところ」
「へぇ、でもふたりとも女性の方が有力なのね」
捜査本部は資料上では性別不明としながらも、男性が犯人と決めつけていた。
犯人の背が高いこともあるが、強盗犯は男性が圧倒的に多いためだ。
先入観と言ってもいい。
女性説で洗い直すのもよいかもしれない。
「これは貸し一つにしておくわ。私が犯人を見つけても、ちゃんとあんたの手柄だったと言ってあげる」
「どうでもいいよ」
けじめを付けるつもりで言うも、神庭は無関心だった。
すぐにでも犯人を見つけ、その顔を驚愕に染めてやりたい。
明日以降、水を開けてやろうと伊織は思う。
† 二ヶ月前 †
プロレスマスクは手にした金額にほくそ笑んでいた。
あんな簡単な仕事でこんなに儲かる。
成功したあとでも実感が湧いていなかった。
強盗のために彼女は長い練習時間を費やした。
しかし、その練習時間は決して彼女にとって無駄ではなく、業務の合間にできる程度のものだった。
彼女は江戸川区から千葉へと脱出し、住宅街を歩いていた。
都内には街頭防犯カメラが仕掛けられた場所が多いため、逃げるなら千葉と決めていた。
車を駐車場に止め、そこからは徒歩で帰宅する予定だった。
間もなく夜が明ける頃合いだった。
遠くからバイクの音が聞こえた。
彼女はそこでふと気づく。
マスクを被ったまま歩いていた。
プロレスマスクは目の部分がきれいにくり抜かれており、視野が狭くならない。
そのため、被っていたことを忘れていた。
目撃などされたら一大事だ。
慌ててマスクを脱ごうとする。
……そこで再度考えを改めた。
住宅街では玄関前に防犯カメラを仕掛ける家もある。
そうしたカメラは家の前の道路まで映すことが多い。
警察ではそんなカメラも頼りにして犯人捜査をすると、テレビで見たことがあった。
彼女は周囲を見回し、誰もいないことを確認して、手近の公園に入った。
そして、そのトイレでプロレスマスクを脱ぐと、髪をとかし、何食わぬ顔で出てきた。
早朝に散歩をする老人とすれ違ったが、怪しまれることもなかった。
これで問題ない。
あとは家に帰るだけだ。
今はとにかく眠かった。
早くベッドに潜って眠ってしまいたい。
翌日、目を真っ赤にした沖野が捜査会議でこう言った。
「プロレスマスクを被った野郎が映った映像を見つけました」
沖野の声には執念がこもっていた。
どんな手段を使ったのかと尋ねると、ありとあらゆる場所から映像を取り寄せ、徹夜で見続けたのだと言った。
もはや妄念とも言える努力だった。
「これが問題の映像です」
沖野はディスプレイに業務用スマートフォンを接続し、映像を再生した。
アパートに設置された防犯カメラだった。
道路と敷地の入口を俯瞰的に捉えていた。
表示された日時は事件があった日の午前六時。
夜明け間近なのか映像は鮮明だった。
しばらく待つと、画面の端から白い影が歩いてきた。
プロレスマスクを被っている。
コンビニ強盗と同一人物に見えるが、正確なことはわからない。
プロレスマスクは暑かったのか一瞬だけ、マスクを持ち上げた。
顎のラインから鼻筋までがカメラに映る。
しかし、それ以上マスクを上げず、再び戻してしまった。
もう少しで顔が見えただけに、惜しいという気持ちになる。
その後、プロレスマスクはカメラの範囲外に徒歩で消えた。
少しだけ慌てたような足取りだった。
映像を見終えると、橋村がうなった。
「うーん、確かに強盗犯のように見えますね。この映像はどこで?」
「千葉市内です。千葉県警の知り合いに提供してもらいました」
「よく見つかりましたね」
「こういう事件が起こっていると話をしたら、わざわざ調べてくれたんです」
県警とも人脈を保つことで、いざというときに役立てる。
沖野だからできる方法だった。
「問題は映っている人物が強盗犯かどうかですね。情報分析課にも映像を送っていますか?」
「送る必要はありませんよ。いざとなれば、うちには神庭がいるでしょう」
手柄を取られたくない、という一心が見える発言だった。
橋村も苦笑はするが、止めはしない。
情分を頼らずとも神庭で十分という判断なのだろう。
「マスクの特定は神庭くんにお願いするとして、他に映像から見えたことはありますか?」
「それはこれから見るところです。なにせ発見したのがつい二時間前なんで」
「それはまた……。無理はしないでください。適切な、休みを取りつつ、お願いね」
会議が終わると、伊織は沖野から問題の映像をもらい、自席で眺めた。
犯人はカメラに背を向ける格好で現れ、そのまま消える。
角度があるため、マスクを上げようとすると、わずかに横顔が見える。
骨格の専門家なら、顎の形から男女の区別くらいはつけられるだろう。
しかし、伊織の仕事はそこではない。
身に着けているものや仕草から特定につながる要素を探すことだ。
三時間ほど映像を睨んで、ひとまず、両方の映像でプロレスマスクが同じ靴を履いていることを突き止めた。
色とブランドロゴの位置が全く同一であるためだ。
同一人物と証明するための傍証とはなるだろう。
しかし、個人の特定には至らない。
「ダメだ。何にもわからん」時を同じくして、沖野が匙を投げた。「そっちはどうだ?」
「特に進展はないです。いっそ現場に行ってみませんか?」
映像からは今以上のことは読み取れなかった。
だが、現場に行けば、何らかの証言が得られるかもしれない。
「悪くないな。眠気覚ましついでに行ってみるか」
三人で腰を上げ、千葉県へ向かうこととした。
防犯カメラが設置されたアパートは古い住宅地の一角にあった。
二階建てで、ごく普通のコンクリート製の建物だった。
昼間だからか人通りも多い。
午前六時過ぎであれば、目撃者がいる可能性も高かった。
「俺と山田は一階。御子貝は二階から頼む」
手分けして事情聴取を開始する。
二ヶ月前のことだからか、住民たちの反応は鈍かった。
何軒か話を聞いてわかったことだが、午前六時でもこの付近は人通りが少ないそうだ。
高齢者が多く、通勤するサラリーマンがいないためらしい。
一軒目のアパートを聞き終え、付近の住宅に対しても聞き込みを行う。
彼女を見つけたのは、プロレスマスクが映った場所からほど離れたアパートだった。
「警察? 事件のことは全部話したんですけど」
玄関口に姿を見せたのは、日に焼けた女性だった。
背が高く、身長は百七十後半に届くかというところだ。
運動をしているのか、筋肉の付き方がしっかりしていた。
「事件って、……何の事件か知っているんですか?」
「強盗の話じゃないわけ?」
「そうですけど……」
「私、そのコンビニでバイトしてたんだけど」
「え、そうなんですか!?」
名前を聞くと、すぐにわかった。
後藤夏美、二十一歳。
幾度となく目を通した調書にも登場する。
千葉県在住なのは知っていたが、訪問したのは全くの偶然だった。
「実はこの近くでプロレスマスクを被った強盗がカメラに映っていたんです。そのため、周辺に話を伺っています」
「へぇ、こんなところに?」
後藤は意外そうな顔をした。
「事件が起こった日の午前六時頃です。何か気になったことはありませんか?」
「別に……。寝てたし」
「確か、深夜までドラマを見ていたんですよね」
「そうよ」後藤はうんざりしたように言った。「その話は前もしたでしょ」
「どんなドラマで、どんな感想を抱きましたか?」
伊織は無視して細かな質問を並べた。
彼女はドラマの内容を詳細に語った。
調書とは矛盾しないが、感想を言える程度ではアリバイとして不十分だ。
「そう言えば、アルバイトを辞めたんですよね? 理由をお聞きしてもよいですか?」
「強盗あったからだけど? そんな場所で働くの嫌でしょ?」
「確かにそうですね。次は何の仕事を?」
「引っ越しのバイトだけど。女性専用の」
彼女の体格ならうってつけだろう。
時期的には閑散期だが、女性の引越し業者は担い手が少ないため需要はある。
「事件後、気になったことは? 些細なことでも構いません」
答えるまで解放されないと思ったのか、後藤は「四事沢がウザいくらい自慢してくるようになった。羽振りもよくなったし」と答えた。
「四事沢さんにまとまったお金が入ったように感じられたんですね?」
一瞬、四事沢を疑いかけたが、彼は強盗をされた側だ。
しかも、犯人が盗んだものはタバコと現金五万円だ。
羽振りがよくなるとも思えない。
「他には何かありませんか?」
「ないって。辞めたあとは行ってもないんだし。ねぇ、もういいでしょ。私、忙しいの」
後藤は苛立ちをあらわにした。
彼女の態度にはどこか棘があった。
一秒でも早く伊織を追い返そうとするかのような、そんな意図を感じた。
「何に忙しいんですか?」
「あんたには関係ないでしょ」
取り付く島もない。
伊織は半ば追い出されるように部屋を出た。




