11
その夜、特命の姿は古めかしい居酒屋にあった。
木造家屋で全席座敷という風情のある店は、沖野の行きつけなのだという。
場所は有楽町。
職場からわずかに距離を開けると、知り合いに会う確率もぐっと減る。
それもこの店のよいところだった。
注文した酒が運ばれてくると、橋村の音頭で乾杯をした。
「何かとドタバタしておりましたが、改めて神庭くん。特命へようこそ」
グラスを打ちつけ、ビールを口にする。
趣旨は神庭の歓迎会だった。
配属から一週間ほど経っていたが、それまでは事件の捜査で立て込んでいたためだ。
「さ、主賓なんだから、なんでも好きなものを頼んで。何飲む?」
伊織はビールを飲み終えていない神庭にメニューを見せる。
向かいの席で沖野が悪代官のように笑っていた。
飲み会の目的は確かに神庭の歓迎だが、ここでの歓迎は辞書的な意味とは少し違う。
「どんどん飲みなさい。歓迎される側なんだから」
「それでは、日本酒をもらうよ」
アルコール度数の高いものを自分から選ぶとは。
伊織は内心でほくそ笑みながらも店員を呼ぶ。
このあと何度も呼ぶことになるだろう。
歓迎会とは、新人が潰れるまで飲む会なのだから。
伊織は今でも神庭を認めようとは思えなかった。
神庭の才能は認めざるを得ない。
だが、感情が認めたくない。
そんな状態だ。
だから、酒に頼る。
酒があれば多少の不和もうやむやになるし、本音も漏れる。
神庭がどんな人間か見極めるにはよい機会だった。
「さ、どんどん飲みましょ」
伊織は神庭の隣に寄り添って、粛々と日本酒を注いでいく。
そんな調子で二時間が過ぎた。
まず、山田と橋村が沈んだ。
沖野と伊織も限界が近かった。
沖野は顔を赤くして振り子のように揺れているし、伊織も頭がふわふわして真っ直ぐ歩ける自信がなかった。
伊織と沖野の悪巧みはここに来て失敗が見えてきた。
伊織は酒の強さには覚えがあったが、神庭は想定を超えていた。
「次は何を飲みますか? まだ頼んでいないものが三種類ありますが」
顔色一つ変えずに神庭は言う。
メニューにある三〇種類の日本酒のうち、二十七種類までは注文していた。
一合ずつなので消費酒量は二十七合。
五人で飲んだとは言え、十分過ぎる量だった。
しかも、途中からは神庭がひとりで飲んでいる。
「あんた、まだ飲むの……」
「日本酒は好きなんだ。アルコールはあまり飲まないけれど、これは別。とりあえず、一合ずつでいいですか?」
「待って。もう私は飲めない」
神庭を止めようとして、頭から飛び込んでしまう。
神庭の胸板に頭が当たり、びっくりするくらい顔が熱くなる。
「ご、ごめん……」
「別に気にしてないよ」
神庭の肩に手を置いて顔を上げる。
「気にしなさいよ。女の子が飛びつくような格好になったのよ」
「うん?」
「どう思うの、そういうの?」
「伊織ぃ! お前まで科学野郎の虜になっちまったのかぁ! 戻ってきてくれぇ!」
向かいの席で沖野が泣いていた。
泣きながら卵焼きを食べていた。
できあがっているのは向こうも同じだ。
けれど、今はもっと大事なことがある。
「私ってどう見える? 女らしく見えてる? ねぇ」
神庭の瞳をじっと見つめる。
神庭は機械のような顔つきのままで、少しも動じていない。
顔を赤らめてくれるなりしてくれれば沽券も保てるというのに、この男にはそれがない。
もう少し大胆にしないとダメなのだろうか。
自然に手が胸元に伸び、ブラウスのボタンをはずしていた。
高校の文化祭ではミスコンで優勝したこともある。
モデルにならないかとスカウトされたこともある。
なのに、性格のせいで女とは思えないと言われ続けた。
それがどうしても悔しくて今でも夢に見て。
「ねぇ、私ってそんなにかわいくない? 確かめさせてよ。かわいくないと思うなら、避けていいから……」
自分でも何をしているかよくわかっていない。
けれど、顔が勝手に神庭の唇を目指していた。
神庭はそれでも動かない。
ため息が聞こえた。
「失礼します」
首筋に強い衝撃を感じ、伊織は意識を失った。
手刀を振り下ろした神庭は伊織の体を引きはがし、畳の上に寝かせた。
「どうやら皆さん、だいぶ酔っているようですね。すいません、お冷やを人数分とお会計お願いします」
伊織が次に意識を取り戻したのは、自分のベッドの上だった。
「おはようございます……」
翌朝、伊織が出勤すると、神庭以外の全員が神妙にうなだれていた。
橋村が申し訳なさそうに神庭にお金を渡している。
「何があったんですか?」
「お前も覚えてないのか」
聞くと、沖野は重い息を吐いた。
どうやら昨日は神庭以外全員が潰れたらしい。
飲み代を神庭が立て替え、そればかりか、ひとりずつタクシーに乗せて家まで送ってくれたそうだ。
そこまで聞いて、やっと神庭を酔わせてやろうと計画していたことを思い出した。
申し訳ないやら、悔しいやら。
複雑な気分だ。
「悪かったわね、昨日は」
神庭にお金を渡しながら、伊織は小声で謝る。
神庭は無表情のまま聞き返してきた。
「覚えてるの?」
「ううん、何も……。私、何かした?」
神庭の言い方に不安を覚えた。
記憶がないので、自分の行動に確証が持てない。
「いいや、何も」
が、神庭がそう言ってくれたので、ひとまず胸をなで下ろした。
†
その日は新たに舞い込んできた事件の説明がなされた。
いつものように円状に座り、橋村の話を聞く。
通常の捜査会議ではそれぞれの調査を担当した刑事が結果を報告するが、すべて調べ終えた未解決事件は橋村が一方的に話すのみだ。
「今度の事件は殺人ではなくコンビニ強盗です」
二ヶ月ほど前、都内のコンビニに覆面をかぶった何者かが押し入った。
店員にナイフを突きつけ金を出すように要求。
レジにしまってあった五万円を強奪した。
「これだけ聞くと単純な事件のように思えますが、もちろん、未解決になるだけの事情があります」
橋村はモニターに映像を流した。
防犯カメラではない。
誰かがスマートフォンで撮影したものだ。
動画は店員と思しき男の顔を映していた。「これからコーラおでんを作りたいと思います」と語っている。
「ご覧の通り、この映像は店員が自身のスマートフォンで撮影したものです。本人は見ての通りイタズラを撮影するつもりだったようです」
ひとりで店番をしている際に動画を撮影し、動画サイトに投稿する。
何年も前から若者の間で流行っている行為だった。
同じような動画ばかりだが、なぜか流行が廃れることはない。
経営側も都度、対応策を練る旨を発表するが、定期的にイタズラをする者は現れる。
「やはり有名になりたいという気持ちがあるんでしょうね。神庭くんの世代なら知ってるよね、ユーチューバーっていうの」
橋村が水を向けると神庭は淡々と応じた。
「その呼称は耳にしたことがあります。しかし、現在は一般的ではなく、死語ですね」
「え、そうなの? 何て呼ぶの?」
「はい。今は投稿サイトも一社独占ではないので、特定サービスを呼称に用いることはありません。現在、多くの人が動画投稿者も芸能人も区別せず、タレントやアイドルと呼びます。チャンネル登録者数、つまり、定期視聴予約者の数が十万人を超える投稿者は有名人と呼ぶ風潮もあります」
「なるほどねぇ」
辞書を引いたかのような回答に橋村は感心していた。
知ったかぶりがバレて少し恥ずかしそうでもあった。
「とまぁ、そんな文化があるわけでして。この店員も一山当ててやろうと、そういう気持ちでイタズラ動画を取ろうとしたんですね」
動画の続きを見ていく。最初の二分はコーラおでんの紹介だった。次の二分でいよいよ実演だ。店員がコーラの蓋を取り、おでんに注ぎ込もうとする。そのとき、店に客が入ってきた。「やべっ」という声と共に店員がコーラを隠す。接客するのかと思い来や、店員の行動は意外なものだった。
「だ、だ、だ、誰ですか!?」
慌てたような声が入る。
映像が乱れ、スマートフォンが来店客を映した。
客はスキーマスクを被っていた。
ゴーグルも含めて全身黒ずくめ。
明らかに怪しい格好だった。
スキーマスクはポケットからナイフを取り出す。店員に向けたまま近づいていく。「ちょ、ちょっと!? えぇ!?」店員はカウンターの内側に逃げた。しかし、撮影はやめないのか、レジカウンター越しにスキーマスクを撮り続けていた。スキーマスクは店員を無視して、レジを開け、金を取り出す。
「問題のシーンはこのあとです」
橋村が解説を入れる。
ほとんど同時に信じられないことが起こった。
客がやって来たのだ。
その人物はプロレスマスクを被っていた。
服装は全身白ずくめ。
右手には金属バット。
紛れもなくコンビニ強盗の装いだった。
「ふ、二人目……!?」
沖野が椅子を蹴って立ち上がる。
脛に当たったらしく、山田は悶絶した。
コンビニ強盗が同じ時刻、同じ場所に出没する。
とてつもない偶然だった。
ふたりの強盗も鉢合わせるとは思わなかったのだろう。
ひどく動揺していた。
覆面同士で睨み合い、間合いを計る。
店内に緊張した空気が流れた。
やがて同業者を倒せねば利益が得られないと判断したのか、プロレスマスクが攻撃を仕掛けた。
金属バットで殴りかかる。
対するスキーマスクはカウンター上の物品を投げつけ隙を伺っていた。
店員はカウンターの中で震えながら、撮影を続けていた。
ヤバい、という声が定期的に入る。
格闘は一分も続かなかった。
プロレスマスクは戦うことを諦めたのか、スキーマスクに背を向け、納品直後のタバコを箱ごと抱えた。
この時点で双方に合意が生まれたのだろう。
スキーマスクもプロレスマスクに構わず逃走。
プロレスマスクもしばらく時間を置いてからコンビニを出た。
時間にして三分ほどの出来事だった。




