表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/20

10 永遠と

 最近、延々と「永遠と」について考えています。「同じことを永遠と繰り返す」のように、本来なら「延々と」が使われる文で「永遠と」という表現が使われているのを結構見ます。

 ネットなどでもこの問題について論じている文章はたくさんあって、「延々」は有限だけれど「永遠」は無限だという違いがある、とか、永遠は形容動詞ナリ活用なので「永遠に」とするべきだ、といった解釈も多くの人が知るところではあるのでしょう。

 そこで今回は、この「永遠と」のどこがおかしいのか、違和感があるけれども本当に「誤用」なのか、という点について考えてみました。



 まず、「延々」と「永遠」それぞれの意味を確認します。weblio辞書の三省堂『大辞林』より。


延々『【(トタル)[文]形動タリ】長く続くさま。』


永遠『【(名・形動)[文]ナリ】(1) ある状態が果てしなく続く・こと(さま)。永久。永劫えいごう。とこしえ。「この時が-に続けばよい」(2)時間を超越して変わらないこと。「-の真理」(3)〘哲〙〔eternity〕(ア) 普遍的真理のように、その意味や妥当性が無時間的であるもの。(イ) 神やイデアのように、超時間的に存在するもの。』



 次に「永遠と」の用例を見てみると、(a)「延々と」との混同、(b)「永遠に」との混同、(c)その他に分類できるようです。


 まず(a)「延々と」との混同は、本来ならば「友達から延々と愚痴を聞かされる」とするような文で「友達から永遠と愚痴を聞かされる」と表現する場合です。


 そして(b)「永遠に」との混同は、「今回の事件が日本のみなさんの心に永遠と残り続け、再び同じような悲しい事件が起こらない事を私も願っています」(国立国語研究所のウェブコーパス「梵天」より引用)(以下「梵天」)のように、「延々と」と置き換えると少し意味が異なる場合です。


 (c)その他は、例えば「それを人は永遠と呼ぶ」のような引用や「永遠と一瞬」のような並列を表す場合です。


 しばしば問題視されるのは、(a)と(b)なので、ここでは(c)については割愛します。



 「延々と」ではなく「永遠と」を使う人がどういうつもりなのか私にはわかりませんが、好意的に解釈すると、「永遠と思えるほど長い時間」ということを表したいのかもしれません。本当は永遠ではないけれど、長い時間だということを誇張した表現と推測します。


 「永遠と」を「永遠と思えるほど長い時間」を表すと考えると、時間を限定する語と共起した時に違和感が生じます。


(1)来年1月末頃まで剪定作業が永遠と続きます(「梵天」)

(2)ホアメルは、エリスの暴言に堪忍袋の緒が切れてしまい、永遠と小一時間も説教を始めるのだった(「梵天」)



 また、「延々」は時間以外に距離や空間に関しても使うことができますが、「永遠」は時間に関する語なので、空間表現には相応しくないように感じられます。


(3)フィガロはコモ駅前の延々と長く続く坂道と、やはり延々と歩いている保養者や観光客の群れに突っ込むとクラクションで掻き分ける(「梵天」)

(4)ここは、自分も是非一度行ってみたかった神社だったのだが、鳥居が永遠と並ぶその異様さに皆大喜び(「梵天」)


 以前『言葉から見る「時間」の概念』の回で書きましたが、「時間」は「前後」というような「空間」の概念を用いて表現されています。時間は目に見えない抽象的なものです。それを目に見えて分かりやすい空間のイメージを使って表すのは、メタファーとして自然でしょう。しかし、その逆に分かりやすい空間の概念を、イメージしにくい時間の概念で表すというのは、やはり少し強引ではないでしょうか。


 以上のことから、時間を限定する語と一緒に使われる「永遠と」と空間表現に使われる「永遠と」は、単純に「延々と」との混同なのだと思います。



 ここまで、語の意味から考えてみました。続いては、文法的な面から見てみたいと思います。

 「永遠に」ではなく「永遠と」ですから、これは名詞の「永遠」と格助詞「と」から成る言い回しだと考えられます。では格助詞「と」の機能によって「永遠と」という表現が問題無く成立する場合はあるのでしょうか。

 格助詞の「と」がどういうものか、『基礎日本語辞典』(森田良行1989)では以下のように説明されています。


『個々の事物や人が互いに関係を持ち、両者が同じ立場に立つことを表すときに用いる格助詞。「と」によって結び付けられる事物・人・行為などは、異なるものとして存在しながら、それぞれが「と」によって合一の立場にまとめられる。』


 そして、用法をさらに細かく『相互作用の対象』『比較の対象』『判断の内容、役割名目の変更』『発展変形の結果』の4つに分けています。詳細については、実際に『基礎日本語辞典』を読んでいただければと思います。(分冊の『基礎日本語』でも可)この『基礎日本語辞典』は普通の国語辞典には載っていないような細かいニュアンスまで解説されているので、日本語研究においてよく参考にされています。言葉の使い方にこだわりたい方におすすめです。


 「と」の基本的な解釈はこれでなんとなく分かりましたが、「永遠と」の「と」はこの中の用法のどれとも合致しないようです。

 そこで他の辞書類も調べたところ、気になる記述がありました。

 まずは明治書院の『日本語文法大辞典』です。「と」の意味は以下のように書かれています。


『大きく、並列や同資格の関係にあるものを示す場合(A)と、引用など、下に続く動作・作用や状態の内容やあり方を示す場合(B)とに分けられる。』


 そして(B)の用法の3つ目です。


『「と」の受ける語が、下にくる動作・作用の実現する前提や状態など(あり方)であることを示す。(中略)この「―と」の語句が比喩的に働くこともある。』


 この用法の例として挙げられているのが次の文です。


(5)立ち止まり見てを渡らむもみぢ葉は雨と降るとも水は増さらじ〈ちょっと馬を止めて、散りゆく紅葉を眺めてから川を渡るとしよう。たとえそれが雨のように降っても水が増す心配はあるまい〉(古今・305)


 また、小学館の『日本国語大辞典』にも同じような記述が見られます。格助詞「と」の2番目の意味『連用関係を表わすもの』のうち、(ハ)の項目には『体言を承けてそれを状態性概念とし、また、擬態語を承けて状態性副詞を構成し、動作概念を修飾する。体言を承けた場合、比喩的修飾となることがある。』とあります。この用例から2つ、以下に引用します。


(6)御苑生の百木の梅の散る花し天に飛び上がり雪等(ト)降りけむ〈大伴書持〉(万葉〈8c後〉17・3906)

(7)涙は滝と流れ落ちた(『良人の自白』〈1904-06〉木下尚江)


 用例(5)(6)(7)を見てみると、「雨と降るとも」「雪等(ト)降りけむ」「滝と流れ落ちた」は比喩的な表現になっています。これらの「と」は直喩的に「のように」あるいは隠喩的に「となって」と言い換えることができます。例えば(7)は「涙は滝のように流れ落ちた」や「涙は滝となって流れ落ちた」と言い換えても、意味はほぼ同じになります。


 「泡と消える」という表現を見聞きしたことはありませんか? weblio類語辞書では、『進行していた計画や物事が途中で無くなること』『ものが失敗に終わること』という意味になっています。これも「泡のように消える」「泡となって消える」と言い換えが可能で、上述の比喩的修飾を作る「と」の用法です。

 その他に「花と散る」というのもありますね。


 上述の比喩的修飾を作る「と」の用例では、「紅葉」と「雨」、「花」と「雪」、「涙」と「滝」をそれぞれ同一視しています。ということは、『基礎日本語辞典』の『「と」とは異なる存在を、異なる存在として認めながら、それらを合一化する助詞と言えよう。』という解釈にも合致します。



 さて、それでは「永遠と」も別に間違いではないのではないか、ということですが、どうでしょうか。冒頭で挙げた「同じことを永遠と繰り返す」という文を比喩的に言い換えてみます。


(8)同じことを永遠のように繰り返す

(8′)同じことを永遠となって繰り返す


 なんか変ですね。この違和感の原因は、「永遠」は生物ではないので、述語として動作を表す語をとらないということでしょう。「永遠」は「繰り返す」動作をしません。擬人化しているなら別かもしれませんが。(7)の「涙は滝と流れ落ちた」では、「涙」も「滝」も「流れ落ちる」という動きが共通しています。ということは、後に続く語を状態を表すものにすれば成立するのではないでしょうか。


(9)彼女の地獄はこの先も永遠と終わらない

(10)退屈な時間が永遠と続いた


 「終わらない」と「続いた」は状態を表し、「永遠」の持つ性質とも合致します。直喩的・隠喩的表現に言い換えても、それほど違和感は無いと思います。


 また、この比喩的表現の「永遠と」と「永遠に」の違いは、「永遠に」が本当に永遠であること(無限)を意味しているのに対し、「永遠と」は実際は永遠ではないということ(有限)です。(b)「永遠に」との混同による「永遠と」と比喩的表現の「永遠と」の違いもそこにあります。「永遠と」ではありませんでしたが、ダルビッシュ有さんのように『僕が言いたいのは「永遠」』という場合は「永遠に」を使うのが良いでしょう。



 長くなりましたが、結論として、この格助詞「と」の用法が認められるならば、「永遠と」が使われていても全ての用例がおかしいわけではなく、レトリックとして成立する場合もあると言えます。辞書類や文法の本をいくつか調べましたが、この「と」の用法を載せているものと載せていないものがありました。

 ただ、比喩的用法の「永遠と」が意味的にも文法的にも問題無いとしても、見慣れない表現であることに変わりありません。そのため違和感を持つ人は多いでしょう。なかなか使うのが難しい表現だと思います。使いこなせたら、すごく文学的な表現でかっこいいですけどね。

 なお、「と」を「のように」や「となって」に言い換えることや、後に続く語がどんなものかという部分については、私の独自の解釈で何かを参考にしたわけではありません。間違っているかもしれませんし、より深い研究が必要な部分だと思います。

【参考文献】

小学館(2001)『日本国語大辞典』第2版

森田良行(1989)角川書店『基礎日本語辞典』

山口明穂・秋本守英 編(2001)明治書院『日本語文法大辞典』

国立国語研究所 「国語研日本語ウェブコーパス」梵天

 http://bonten.ninjal.ac.jp/

weblio辞書

 https://www.weblio.jp/

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] よくある覚え間違いと言う奴ですね。 漢字で意味と共に覚えていないから間違えるという感じでしょうか。 「うろ覚え」を「うる覚え」と書くなども「洞覚え」という意味と漢字を理解したうえで幹までしっ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ