1 「正しい日本語」とは
「正しい日本語」や「間違った日本語」を気にする人は多いでしょう。「小説家になろう」でも、そういった「日本語の誤用」に関するエッセイがよく読まれているようです。
では、「正しい日本語」とは何でしょう?
本来の使い方が「正しい」のでしょうか。でも、辞書を見てみると、複数の意味を持つ言葉がたくさんあります。なぜ複数の意味を持つのか。その原因の一つは、元々の意味から派生した意味で使われるようになった、ということです。辞書の中の(1)の意味が本来の使い方で(2)(3)が派生義ならば、(2)(3)は「間違い」になるのでしょうか。
辞書に載っていれば「正しい」のでしょうか。辞書はいくつもあって、記述内容が多少異なることもあります。編纂した人は専門家ですが、研究者によって考えが違うのはおかしなことではありません。誰の説を支持するか、ということでしょうが、「正しさ」とはそんなに基準の定まらない、曖昧なものなのでしょうか。
テレビのクイズ番組で、日本語の正しい意味を答える問題が出ることがあります。だからそれが「正しい日本語」だと、みんなそう思ってしまうのでしょう。クイズには正解と不正解があります。それは出題者が設定したもので、実際に正しいかどうかは別の話です。
予備校講師の林先生も、この日本語は間違いだ、といった主旨の話をされることがありますが、あの方は研究者ではなく教育者なのです。テストにもクイズと同様に正解と不正解があります。
「正しい日本語」や「間違った日本語」が存在するのは、そういった正解・不正解が必要な場面なのでしょう。
しばしば言われている通り、言葉というのは変化するもので、絶対的な「正しさ」は存在しません。教育をする側でも受ける側でもないのなら、「正しい日本語」も「間違った日本語」も関係無いのです。
文化庁の出している文章(「国語に関する世論調査」等)でも、「本来の意味」や「本来の使い方でない」といった表現が使われており、「正しい意味」や「間違った使い方」などとは書かれていません。
言葉の本来の意味を知るのは、悪いことでも無意味なことでもありません。むしろとても大事なことです。でも、言葉の使い方はもっと自由であって良いのではないでしょうか。「正しい」だとか「間違い」だとか、そういったことに囚われる必要は無いのです。
ただ、「正しい日本語」は無くても、「美しい日本語」はあると思います。それは「正しさ」とは違い主観的なもので、人によって基準が違うのでしょうけれど。
私もなるべく「美しい日本語」を使いたい、とは思っています。