陸月目
※誤字脱字等ございましたら、ご連絡ください(( (・∀・) ))
萠さん達の長い話が終わり、私は自室に戻った。長いなんて言ったら失礼だけど、でも私にとって、あの話は苦痛の何ものでも無かった。
ベッドに座り、部屋を見回す。淡い緑色の壁紙に焦げ茶色のフローリング。ふわふわとした白い寝具が乗るベッド。部屋の隅には、本棚と勉強机、タンスが並んでいた。窓から乾いた冬の日差しが差し込んでいて、私の気持ちとは裏腹に輝いて見えた。
『鬼眼には、鬼を引き寄せる力があるの』
萠さんの言葉が頭の中に響く。
『え………』
『さっきも言った通り、鬼眼には強い霊力が宿っている。それに誘われて、本人の意思に関わらず鬼が集まってきてしまうのよ』
『それって………』
『あなたは、これから先、ずっと鬼に襲われ続ける』
サーと、血の気が引いた気がした。少なからずこの街に住み続ける以上、私がそれを避けられることは絶対に無い。私は膝の上の手を強く握り締めた。
『亜莉沙ちゃん………?』
私が黙り込むので、萠さんはとても心配そうに声をかけてくれた。この人達はとても優しい。だから私は、自分でしっかり生きなければならない。
『分かりました。ありがとうございます』
何が分かったというのか、自分の口からは頼りない言葉しか出なかった。笑顔も作ってみたが、口角が少し上がるだけだった。
『勿論、わたし達はあなたを守る。その為の祓い師だもの』
わたし達が必ず守る、力になる、約束する。萠さんは私の為にそう言ってくれた。だけど。
「どうしたらいいんだろう………」
平然を装った私の心には、戸惑いと不安が募るばかりで、このまま生きていけるだなんてとても思えなかった。
それでも私は、とにかく何かしようと思った。その日から、萠さんの代わりに家事をし始めた。萠さんは私を気遣って色々言ってくれたけど、何かしていないと落ち着かなくて、私はそればかりしていた。四人も住んでいれば、する事は沢山ある。掃除、洗濯、買い出し。それに、この家は私が思っていたよりも広かった。掃除を始め、気が付けば日が暮れている事もある。食事だけは萠さんが用意してくれたけど、私は調理や後片付けも手伝った。家事をしている間は気が紛れた。何も考えなくて良いし、家の中ならば萠さんが魔除けの結界を張ってくれているので、鬼が出る事も無い。側には、葵さんや小太郎くんが居てくれる。
でも、ふとした時に思う。これで良いのか、と。私は萠さん達に甘えてばかりで、現実から目を背けているだけなのではないか。そんな考えが頭から離れなくて、お風呂で湯船に浸かったり、夜布団に入ったりして何もしていないと、その事ばかり考えていた。私に何か出来る事は無いのか。鬼眼の事はもう仕方が無い。受け入れるしかない。
ーー私は、此処で生きていかなければならない。
でもそこまで考えると、私は途端に怖くなってしまう。今すぐ何処かへ逃げたくなってしまう。またあの体験をすると思うと、怖くて怖くて、鬼なんかいない所に行ってしまいたいと思う。でも、そんな場所は何処にも無い。他に頼れる人もいない。そして気が付けば、私はまた黙々と家事をしている。その繰り返しだった。
そうやって家事ばかりする私を気遣って、度々萠さんや葵さんが声をかけてくれるが、私は二人の話が全く頭に入ってこない。それに話しかけられると考え事ばかりしてしまって、その都度私はまた怖くなって、逃げるように作業を続けるのだった。
「ねえ」
そんなある日、居間の掃除をしていると、小太郎くんが声をかけてきた。食事やお風呂の呼び掛け以外で彼が私に話しかける事など殆ど無いので、とても驚いた。
「な、何?」
「手伝って欲しい事があるんだけど、後でちょっといい?」
小太郎くんは、とても真っ直ぐな瞳をしている。見つめられるだけで、まるで本心を読み取られそう。でも本当にとても綺麗だから、私はいつもその瞳にドギマギしてしまう。
「う、うん。勿論」
「じゃあ部屋にいるから、それ終わったら来て」
それだけ言って、小太郎くんは居間を出て行く。
ーー私に手伝って欲しいって、何だろう?
彼が誰かに頼っている所は見た事が無い。此処に来て日は浅いが、基本的に自分の事は自分でする子のようで、私が彼の世話をするなんていう事は無い。というか、私が世話されているような気がする。初めて会った時からそんな感じはしていたが、一緒に生活していると、尚更彼が大人びた性格をしている事が分かった。
早々に掃除を終わらせて、小太郎くんの部屋に向かった。呼び掛けると、襖が開いて彼が出てきた。
「こっち」
彼の部屋に入るのかと思いきや、その足は他の部屋に向けられる。
ーー………あれ?此処って。
辿り着いたのは、萠さんの書斎だった。勝手に入って良いものなのか、本人の許可は取ったのか、とか色んな事が頭を過ぎったが、彼は平然と扉を開ける。そして、入って右手にある本棚の列に直行した。
「ここに書いてある本、探してくれる?」
「え、うん」
無造作に手渡された紙には、何冊かの書籍が書かれていた。見たこと無いものばかりだったが、既に探し始めている小太郎くんに続いて、私も本探しに取り掛かった。難しい漢字も多く、分からないので途中聞いてみると、彼はすらすらとそれを読み上げた。凄いなあと思いながら紙を確認していると、そこに記されている字がとても達筆なのが分かった。運動も出来て頭も良いとくると、学校でもさぞモテるのだろうと思った。
「よし、これで全部だね」
最後の本を積み上げる。探し出した本は、ざっと見て二十冊くらいはあるだろうか。
「ありがと」
「これ、何に使うの?学校の課題とか?」
「いいや」
気になったので思い切って聞いてみると、小太郎くんはその内の一冊を手に取る。
「これは鬼についての本」
「っ!」
鬼、という単語に自分の体がぴくりと動いた。とても些細な事だったので、本当は動いていないかもしれないが、心臓がドクリと震えた。そんな私には見向きもせず、小太郎くんは本の頁をペラペラと捲る。
「ねえ、此処見て」
ある箇所を指差しされる。
「………な、何?」
気持ちを落ち着かせつつも、私は恐る恐るその場所を目で追った。
「『鬼眼には、鬼を視るだけで無く、その霊力を自在に操る事が出来る者もある。』………」
ーーえ?
「今度はこっち」
「………あ、うん。………『視る以外に、鬼門や御魂を感知したり、鬼を祓う為の霊力を発動したりと、様々な能力を秘めている。』………これって」
ーー鬼眼の、記述?
そこには、鬼ではなく鬼眼についての事が書かれていた。
「あと、これもだ」
「『この時代には、鬼眼を持つ者の多くが祓い師や陰陽師として活躍しており、その霊力は人間が鬼に対抗する手段として重宝された。』………え?」
鬼眼はただ単に鬼が視えるだけの力では無く、鬼に対抗するのにとても有利になる力、という事だろうか?こんな記録が文献として残っているなんて驚きだが、それよりも、小太郎くんは何故。
ーー私にこれを見せたの?
「小太郎くん、あの………」
「あんた、鬼が怖いの?」
遮るように聞かれた。私は戸惑った。部屋は寒いはずなのに、手汗が滲んだ。私は息苦しくなって、返事をする事が出来なかった。でも、「鬼が」と聞かれると、何だか違う気もしてきて、私は更に戸惑ってしまった。
ーー………私は、何に怯えているの?
結局そこで、私の思考は立ち止まる。何故だろう。自分が分からない。どうして私は怖がっているのか。一体何に怖がっているのだろう。
「俺は鬼が怖いと思った事は無い」
粗方見終えたのか、小太郎くんは本を閉じて机の上に置いた。
「あれはただの穢れの塊だ。祓ってやればなんて事無い」
そんな風に言えるのは、小太郎くんが強いからだと思う。あの時だって、正面から突っ込んで行った。こんな小さな体であんな脅威に立ち向かえるなんて、彼のような強い人で無いと、私みたいな弱い者なんかでは、きっと無理だ。
「でも俺はただの人間だ。神器が無いと奴等に対抗できないし、鬼障が無いと奴等を見る事すら出来ない」
そう言うと、また他の本を開くが、直ぐに机の上に戻した。
「怖くたって良い」
「………え?」
その呟きは、耳をすませていないと殆ど聞こえない程だったが、二人だけの静か過ぎる部屋では、僅かに聞き取る事が出来た。
「別に怖がったって良いんだよ。人がそういう感情を持つのは当たり前だ。………俺だって、多分………」
「でも、小太郎くんは怖くないって………」
「………まあ、鬼が怖くないのは確かだよ。一々怖がってたら仕事にならないし」
ーーそれもそうか。
私の感情が分かったのか、小太郎くんは少し不機嫌そうな顔をする。でも、少し間を置いてからまた話し出した。
「………俺には、その、怖いとかそういうのがまだよく分からないけど。でも多分、強いて言うなら」
その時の小太郎くんの表情は、なんと言うか、真剣そうで、でも何だか照れくさそうで、私はこの子なりに沢山考えてくれたのかなと思った。
「………奴等に対抗する術とか方法とか、そういうのが無くなるのは、………怖い、かもしれない」
「………っ」
「俺等祓い師は、神々から霊力を借りて鬼を祓う。他から力を借りないと、奴等に対抗する事が出来ない。………たしかに、鬼眼は鬼を引き寄せる。だから、あんたは怖いかもしれない。でも」
小太郎くんの瞳に私が映る。その瞳は、まるで。
「もし鬼に遭っても、あんたがその時どうすれば良いのか分かっていれば、多分奴等なんて怖くなくなる」
私の事を助けようとしてくれていて、それが凄く伝わってきて、それを確かに掴んだ時、私は自分の心に乗っていた重りがドサリと落ちた気がした。
「そっか。私は」
ずっと、鬼が怖いのかと思っていた。また襲われたらどうしようって、今度こそ死んでしまうのではないかって。あの時死んでもいいかなとか思った癖に、本当に危機を感じると今度は命が惜しくなって、それが怖いのかと思っていた。しかし、本当はそんな事が原因では無かった。
「どうしたら良いのか分からないのが怖かったんだ………」
「………」
そうだ。多分、いやそうなんだ。この場所で、この家で、この街で、私は自分がどうやって生きていけば良いのか分からなかった。小太郎くん達には術があるのに、自分だけ何も持っていない気がして、それがとても不安だった。だから逃げようとした。でも、何から逃げているのかも分からないから逃げようが無くて、またそれが私を不安させた。
「………小太郎くん」
だけど、今は違う。私には、やるべき事がある。
「何?」
今度はもうドギマギしない。
「手伝って欲しい事があるんだけど、いいかな?」
私は小太郎くんの瞳を真っ直ぐ見つめ返した。
それから暫くして、小太郎くんの小学校は春休みに入った。彼曰く、こういう長期休みの時には地方の町の依頼を受けに出張というか、遠出をする事が多いらしい。今回も、小太郎くんは葵さんに連れられて、その依頼を受けに行く。
「皆大丈夫?忘れ物は無い~?」
玄関口で萠さんが確認する。萠さんは店番をしなければならないので、出張に参加する事は無いらしい。それ程、二人が信頼されているという事だと思う。
「たぶん?大丈夫ですよ〜、さっきも確認したし」
何故疑問形なのか怪しいが、葵さんは肩に掛けた荷物をポンポンと叩いた。
「おい、葵」
そこにランドセルでは無く、リュックを背負った小太郎くんがやって来た。何やら紙束を手にしている。
「依頼の資料忘れてる」
「あれ?そだっけ?サンキュー、コタ」
「しっかりしろ」
「あっはは〜、ごめんね〜」
ヘラヘラと笑う葵さんを小太郎くんが睨みつける。やはり大丈夫なのだろうか。この人は、何故いつもこんなに緩いんだろう。
「あんたも準備できた?」
小太郎くんが私に問いかける。
「うん、大丈夫だよ。ありがとう」
「………本当に大丈夫?亜莉沙ちゃん。わたし、やっぱり心配だわ。一緒に付いて行きたいくらい」
「萠は店番があるだろ。それと付いて来られると、色々面倒だし」
「あら、ひっどお〜い!わたしは」
「はいはい五月蝿い五月蝿い」
頬を膨らます萠さんをあしらって、小太郎くんはそそくさと玄関を出て行く。
「全く、すぐそうやって逃げちゃうんだからっ」
「ふふっ。まあ、コタが亜莉沙ちゃんを守るって事なんじゃないんですか?ね、亜莉沙ちゃん」
にこりと笑いかけられるが、私はどう返事したら良いのか今一だったので、とにかく笑っておいた。
「アハハ………」
思いっきり乾いていたが。
「何してんの。萠に付き合ってないで早く行くよ?今日中に着かないといけないんだから」
先に行ってしまったと思っていた小太郎くんが玄関口からこちらを覗き込んでいる。
「はーいっ、コタ先生」
「俺はお前みたいな出来損ないの生徒は要らない」
「辛辣だなあ〜コタは〜」
結構な事を言われたはずだが、葵さんの中に怯むなんていう事は無いようだ。
「では、いってきますね〜」
「うん、気をつけてね♪亜莉沙ちゃんも」
「はい!行って来ますっ」
「いってらっしゃあ〜い!」
萠さんに見送られながら、私は眩しい朝の光に照らされた街へと歩き出した。