伍月目
※誤字脱字等ございましたら、ご連絡ください(´ω`)
「街中探して漸く見つけたと思ったら、またあんたがいる」
獣のような姿の黒い影を背に、小太郎くんは私に話しかける。
「っ」
私と目が合うと、彼は一瞬目を見開いた、ような気がした。思えば不思議な事のはずだが、その時の私にそんな小さな変化を気にする余裕は無かった。
いつもの黒い服にコートを着込み、無駄に脚の出た短いズボンにハイソックスと革靴という、何処かの子息様かのような出で立ちは、暗闇に溶けるように、しかしそこにしっかりと存在していた。
「疫病神かなんかなの?」
黒い影は、先程の白い光で弱っているのか、まあ言う割に全然弱ったようには見えないけど、唸りながら小太郎くんから距離をとる。
「ていうかさ、なんで此処にいるわけ?」
「っ!」
私が彼の後ろの影に気を取られていると、小太郎くんの顔がガッと前に出てきた。表情を1ミリも変えること無く問いかけられる。
「え、えっと………」
答えに詰まった。だって、ただ単に好奇心で付いてきてしまった、なんて言えるわけが無い。まだ現実についていけていない頭で必死に考えあぐねていると、小太郎くんは一つだけ溜め息を吐き、私に向かって歩いてくる。
「っ」
私は、勝手に付いてきた事で彼が怒っているのだろうと思った。自然に体に力が入り、一体何がくるのかと身構えてしまう。しかし私の側まで来ると、小太郎くんは自分の着ていたコートを脱いだ。
「………え?」
「そんな薄着でよく来たね」
そうして、それを私の肩に掛けた。サイズは小さいが、冷え切った背中に彼の体温がじんわりと広がり、私は心無しか落ち着いた気がした。
「どう、して………」
突然の温もりに彼を見上げる。しかし小太郎くんはこちらを見ることは無く、直ぐ黒い影に向き直った。
「まあいいや。今は此奴を片付けるのが先。あんた、そっから動かないでよ?」
そう言うと、何やら腕を胸の前に掲げる。私は彼の背を見ているから、何をしているのか詳しくは分からない。
「我、名を小太郎と申す。明き浄き正しき直き、祓戸大神の御前より彼の者の穢れを祓い参る」
小太郎くんが何かの言葉を発し出すと、それに続いて彼の体から白い光が溢れ出す。赤い靄を切り裂くように、光線がてらてらと光っていた。
「故に、我にその御力を仮し給えと、かしこみかしこみ申す」
腕を左右に払ったかと思えば、その手にはこれまた白く光る刀が握られていた。
「ッ」
右手のものよりも短い、左手の刀を逆さに握り直すと、小太郎くんは黒い影に向かって走り出し、高く飛び上がって勢い良く振り下ろす。影も彼の動きに合わせてぶつかった。ギンともドンとも言い難い、鈍い摩擦音がその衝突の重さを伝えてくる。
ーー何?これは何が起きてるの?
二本の刀を持つ少年と黒い影の攻防が目の前で繰り広げられる。其所に居たと思ったら、瞬きの間に違う場所へと移動する。ただの人間である私の目には、追う事すらままならない。
本当にこれは現実なのだろうか。私は思わず自分に問いかけてしまったが、肩にかかる温もりと、火花の散るような激しいぶつかり合いがそれを物語っている。
ガァルル。黒い影が唸り声を上げた。耳が千切れそうな程の高音に鼓膜が痛くなり、思わず目を瞑って縮こまる。
「くっ!」
ーーっ!!!
その時、影が空中に小太郎くんを吹き上げ、そのまま彼へ突進し始める。私は、彼の声に心臓が急激に冷えるような感覚を持った。
「小太郎くん!………あっ!」
私が叫んだのと同時に、後ろから一筋の風が駆け抜ける。その風は真っ直ぐ影へ飛んでいき、横から斬りかかった。飛ばされた影は、声を上げて地面に叩きつけられる。
「遅い」
「あっはは〜ごめんごめん〜」
「………葵さん?!」
その風は葵さんであった。小太郎くんと二人で地面に降り立ち、睨みつける彼にヘラヘラと笑いかける。その手には、艶のある黒くて長い刀が握られている。私を一瞬だけ見ると、先程の小太郎くんと同様で目を見開く。しかし直ぐにいつもの調子で笑いかけてきた。この変化にも、私は気が付かなかった。赤い靄があったのも、彼等との距離が遠かったのもあるが、一番は二人があの影と同等に対峙している姿に言葉すら出なかったのだ。
「亜莉沙ちゃんもごめんね〜」
くるりと振り返ると、葵さんは私にひらひらと手を振った。こんな時にも平然としている彼は、普段の頼りなさそうな態度とは違い、逞しいと思った。
「本当にお前は遅刻魔だな」
「ヒーローは遅れてやって来るって言うじゃん。亜莉沙ちゃんのナイトは、コタじゃなくて僕という事でさ〜、遅めに来てみましたっ。て、あれ?ヒーローとナイト二つになっちゃった」
「クソほどどうでもいい」
何やら一人で盛り上がっている葵さんに小太郎くんが冷たい一言を放つ。
「もお〜ジョークだよジョーク。やるからには楽しまなきゃでしょ?」
「楽しんでどうする。仕事なんだからとっとと終わらせて帰る。行くよ、ッ」
少々イラつき気味の小太郎くんは、また影に向かって走り出す。
「ふふっ、はいはい。分かってる、よっ!」
それに続いて葵さんも影へ向かって行く。小太郎くんが影の後ろに回り込み、葵さんは正面からぶつかって行く。
「よいしょっ、と!」
葵さんは怯む事など知らないような速さで、向かってきた影を後方に飛ばすが、唸り声を上げて再度向かってくる。その物凄い追い上げに、彼等の距離は一気に狭まる。
「獣なだけあって、真っ直ぐだね。でもさ」
葵さんは余裕の笑みを浮かべていた。
「色んな所を見てないと、すぐ殺られるよ?」
「ッ!」
葵さんが影に刀を振り下ろしたのと同時に、高く飛び上がった小太郎くんが上から刀を突き刺さした。途端に、ぎゃあああという声が上がり、何かよく分からない黒い液体のようなものが吹き出した。血飛沫とでも言うのだろうか。しかし、血というにはそれほど生々しくない。それに。
ーー………、人?
先程聞こえた声。獣である事は分かるが、同時に人間の声にも聞こえた気がした。私が疑問に思っていると、影は黒い砂となって崩れ落ち、最後に白い玉を残した。テニスボールほどの、割と大きめなその玉を小太郎くんが拾い上げる。
「五人………てとこかな。寄ってきちゃったみたいだね、可哀想に」
「………どうでもいい。俺等には関係無い事だ」
二人は玉を見ながら、何かの話をしている。その手には既に刀は無かった。
ーー五人………て何のことだろう?
「まあいいや。とりあえず仕事も終わったし、店に戻ろう。それと、気になる事もあるしね?」
葵さんににこっと笑いかけられる。明らかに私の事である。
「は、はい………」
なるべく目線を合わせないように、私は小太郎くんの上着を掴み直した。
翌日、私は初めて萠さんの書斎に入った。壁は白い土壁で床は赤い絨毯、柱は木がむき出しになっている。左手には大きな革のソファーとテーブルがあり、中央には萠さんの大きな机、右手には本棚が並んでいる。天井に届くような大きな窓が幾つかついており、その横に分厚いカーテンが垂れていた。私は小太郎くんに連れられ、ソファーに腰掛ける。萠さんは向かい側に座っており、その周りに葵さんと小太郎くんが座った。
「あのっ」
居た堪れない私は口を開く。盛大にお叱りを受けるかと思いきや、昨日は帰宅して直ぐに解散した。夜中であったし、寝間着で外出した私を気遣ってか、とにかく今日はもう寝なさいと言われた。だから、私は何故外に出たのかまだ何も伝えていなかったし、聞かれてもいなかった。少なからず彼等に迷惑をかけてしまった事は自覚しているので、私は早く謝りたくてたまらなかった。
「昨日は、勝手に外に出てごめんなさい。小太郎くんが出かけて行くのが見えたから、何処に行くのか気になってしまって。その、………本当にごめんなさい」
「いいえ、こちらこそごめんなさい」
「え………」
顔を上げると、萠さんが深刻そうな表情で謝罪の言葉を述べる。
「亜莉沙ちゃんが『鬼眼』だって知ってたのに、そのままにしたのはわたしなの。ごめんなさい、怖かったわよね」
萠さんの口から聞き慣れない言葉が出てくる。
「『鬼眼』………?」
「あのね、亜莉沙ちゃん。落ち着いて聞いてほしいのだけど、この街には『鬼』というものがいるの」
「………」
ーー鬼………?
その言葉を私は直ぐには理解できなかった。でも、萠さんのその真剣な表情を見て、これは只事では無いのだと思った。
「突然こんな事言い出して、可笑しいと思うかもしれない。だけど、あなたはこの現実を受け入れなければならない」
「あの、………鬼っていうのは?」
「鬼というのは、現世に未練のある御魂。つまり死んだ人間や生物の魂に穢れが蓄積されて生まれる、人では無い存在の事よ」
ーー穢れ………、つまり。
「お化け、みたいなものですか………?」
「うーんまあ、広く言えばそうなるかなあ〜」
私の質問に葵さんが苦笑いしながら答える。
「でも鬼は、世間一般で言われているお化けとは少し違う。さっき萠さんが言ったみたいに、人で無いのは確かだよ?でも、ただ単に未練が募るくらいじゃ鬼にはならない」
「己が生きている間に達成出来なかった事への執着、他方に対する憎しみや恨み辛み。そういう人間の負の感情が穢れを生む。穢れは、似たような未練を持つ御魂に集まる」
隣で小太郎くんが付け加えた。
「似たような、未練………」
昨日、白い玉を拾い上げながら二人が言っていた、あの「五人」と言うのは、その似たような未練に集まってきた御魂という事なのかと、私はこれを聞いて理解した。
「穢れを吸収し、負の感情を増幅させた御魂は、その強い未練を求めるが故に力を欲して、生きている人間の魂を喰らい尽くそうとする。あなたがこの街に来てから見た、赤い目をした黒い影。あれが鬼なのよ」
大群で襲ってきた烏、虎のような熊のような大きな獣の姿が脳内でフラッシュバックする。
「そこでわたし達は、鬼から人間を守る為に、苦しむ御魂を救う為に、『祓い師』という仕事をしている」
ーーそれは、昨日小太郎くんがしていた事。
「鬼の穢れを浄化し、御魂を本来あるべき常世へと還す。その『祓い』の仕事を請け負うのが『祓い師』。此処はただの喫茶店ではなく、『月雲屋』という祓い屋なの」
「祓い屋………」
白い光に包まれた小太郎くん。小学生が持つとは思えない、鋭い二本の刀。それが突き刺さり、悲鳴を上げる黒い影。
この人達は、あの鬼と対峙出来るほどの力を持つ人間。だから初めて会った時から、小太郎くんからも何だか不思議な雰囲気を感じたんだ。
「そしてこの街は、昔から鬼が集まりやすい所で、わたし達みたいな祓い師が沢山いる、祓い師の街でもある」
ゆっくりと、でも重さのある言葉が連ねられる。
「それでね?亜莉沙ちゃんが知らないのは当たり前なんだけど………」
今まですらすらと話していた筈の萠さんが急に暗い顔になった。何だろうか、何か悪い事でもあるのだろうか。でも私はこれから、鬼と付き合っていかなければならない。その事だけは、私にも分かっていた。
「あの、………萠さんが私を気遣ってくれている気持ちはとても伝わっています。こんな私に居場所をくれて、有難いと思っています。だから、何でも言ってください。私はもう何を言われても受け入れます」
私如きが烏滸がましいかもしれない。だが、私にはもう何も失うものは無い。萠さんは大きく深呼吸した。
「………そう、それなら言うわね。とても怖い思いをした後だから、辛いかもしれないけど………。あのね、鬼というのは、誰にでも視えるものではないの」
そう言って、萠さんは左腕の服の袖を捲り始めた。白と黒のロリータドレスから、これまた白い肌が顔を出す。
「………っ!!」
「鬼に何らかの接触をされて負う『鬼障』という傷が無いと、鬼を視る事は出来ない。わたし達祓い師には、みんなにその鬼障がある」
袖が肘を通り過ぎると、そこから先の肌には、爪で肉を裂かれたような凄まじい大きな傷が続いていた。途中で萠さんは捲るのを止めたが、それは恐らく肩にまで広がっているのだろうと思った。
「だけど、見た所あなたにはその鬼障が無い。鬼や祓い師の存在も、この『桜大町』が祓い師の街である事も知らなかった。でも、あなたは鬼を視る事が出来る。いや、視えてしまう。それがなんでか分かる?」
私は知っているような気がした。昨日の夕方、窓の外にあの烏を見た時、私が見ているこの黒い影は、本当は見えてはいけないものなのではないかと考えていた。だから、萠さんがこれから何を言うのか、私は分かってしまった。
「この世界では時々、強い霊力を持って生まれる人間がいる。その人達は、本当は現世には居てはいけないものや、普通の人間には見えないものが視えてしまう。鬼もその内の一つ。生まれつき鬼が視える人間の事を『鬼眼』というの。あなたは、その鬼眼の人間」
「………」
「それとね、とても言い難い事なのだけど………」
その言葉の先を聞いた時、心臓がドクドクと脈打っているような、しかし冷たく何も感じていないような、そんな感覚がした。兎角私は、自分の未来が萠さんの腕に刻まれた深い傷のようになるのだと、朧気ながらに思った。