弍月目
※誤字脱字等ございましたら、ご連絡頂けると幸いです(´˘` )
目の前でランドセルが揺れている。
心無しか光を放つ街灯の下、私を先導するのは小学生の男の子だった。歩き始めて数分、付かず離れずの距離を保ってはいるが、二人の間に会話は無い。ただ、男の子の履いている革靴の音と、私の履いているスニーカーが地面と擦れる音があるだけ。
ーー………なんて気まずいんだろう。
久しぶりにそう思った。学校に行かなくなってから、両親以外の人間とは話すことが殆ど無かった。あるとすれば、たまの外出で会った服屋の店員とか、たまたま入ったコンビニのやる気の無さそうな店員とか、その程度に限られていた。だから誰かと長時間、まあ全然長時間では無いんだけれど、同じ場所に居続ける事でこんなにも気まずいと思ったのは、本当に久しぶりの事だった。
「ねえ」
「え、あっ、はい」
思わず『はい』なんて返事をしてしまう。それだけ彼の声は凛としたものだった。
「あんた、なんであんな所に居たの」
こちらを振り向く事も、歩くペースを落とす事も無く、男の子は私に問うてきた。
ーーえっと。
「駅で人を待ってたんだけど、なかなか来なくて。ぼーとしてたら、木の上で烏が鳴いてたの。もう暗かったから、珍しいなと思って。それで後を追いかけたの」
「なんで追いかけたの」
「………呼ばれた気がしたから、烏に」
呼ばれた気がした。本当にそんな気がした。だから私の脚は勝手に動いていた。でも、そのおかげで酷い目にあった。
「とても、怖かった」
「………」
私の呟きが男の子に聞こえたかどうかは分からないが、私が黙ると彼もそれ以上何も言わなかった。
暫く二人で歩いていると、大きな広い道に出た。左手には先程いた駅が見えて、意外と近かったのだなと思った。
「………来た」
「?」
男の子は、駅とは逆方向の道を真っ直ぐ見る。遠くの方から、人影が歩いて来た。
「お~いコタ~」
声の感じからして男の人だという事が分かった。『コタ』とは、この男の子の事だろうか。
「来るのが遅い」
「あっはは~、ごめんね~」
街灯の明かりから現れたのは、背の高いスラッとした男の人だった。四角いふちの黒い眼鏡の下に血色の良さそうな白い肌が覗き、柔らかそうな黒髪が綺麗にかかっていた。
「急な依頼が入っちゃってさ~、そっちの片付けに行ってたんだよね~」
薄い唇から艶のある声が紡がれる。高校生の私が言うのは変かもしれないが、とても色っぽい人だった。
「て、あれ?女の子だ!」
しかし、私を視界に入れた途端、その人は物凄い早歩きでこちらに近づいてきた。
「こんな所で巡り会えるなんて運がいいなあ~。とっても可愛いお嬢さん、今から僕と晩ご飯にでも行かない?」
「………え?」
優しい言葉をかけられたかと思えば、にこにこと人の良さそうな笑顔がいつの間にか私の肩を抱いている。
「あ、もしかしてコタのお友達?コタにこんな可愛いお友達が居たなんて知らなかったなあ~」
「いえ、私は」
「え、お友達じゃないの?じゃあコタじゃなくて、僕がお嬢さんのお友達になりたいな。ね?可愛いお嬢さん。僕ととお~っても仲良しのお友達にならない?」
「いや、あの」
「もお~ドギマギしちゃってかーわい!」
「………おい、このくそ女たらし。いつまでもその悍ましい行為を続けたら斬る」
到底小学生の男の子が口にしたとは思えない言葉が連ねられる。明らかに怒っている男の子は、溜め息混じりに男の人を睨んでいた。
「あ~ごめんね?お嬢さん。コタって口がちょおーっと悪いだけで、怖くないからね~。ほんとは超可愛」
「ああ?」
私は彼等のテンションに付いて行けず、ただポカンとしていただけなのだが、男の人は何を勘違いしたのか、男の子の怒りを逆撫でする。
「コタ、『ああ?』なんて男が女の子に使ったらモテないぞ?」
「俺はお前じゃないからモテる必要は無いし、第一今のはお前に対してだ。このくそ女たらし」
可愛らしい唇から容赦の無い言葉が出てくる。そんな男の子の様子をケラケラ笑いながら受け流している男の人は、おそらくいつもこんな感じなのだろう。と言うか、この混沌空間での私の居た堪れなさがとにかく心臓に悪い。
「あっはは~、ふあ、コタと話すのは楽しいなあ~」
「俺は楽しくない」
「………」
「ふふっ、ごめんね亜莉沙ちゃん。退屈にさせちゃったかな?」
ーーえ?
そう言って一つウインクをすると、男の人はゆっくりと私の肩から手を離した。無意識に強ばっていた肩から力が抜ける。
ーー今、私の名前………。
驚きで顔を上げると、男の人はまた「ふふっ」と楽しそうに笑った。
「『なんで私の名前を知ってるの?』って思ったでしょ。あのね、僕達は、君の遠い親戚の人に君を連れて来るようにって、お使いを頼まれてるんだ」
「お使い………?」
「『僕達』じゃなくて『僕』でしょ。俺は頼まれてない」
男の子は不機嫌そうに言い放つ。
「ええ~いいじゃん僕達でさあ~。コタも彼女を迎えに来たんでしょ?」
「違う。この人が『喰われ』そうになってたから始末しただけ」
ーー喰われ………る?
男の子の口から不思議な単語が出てきた。その言葉を聞くと、今まで機嫌良さそうに話していた男の人の顔付きが変わる。
「あれ、そうだったの?」
「この人、『視える』っぽい」
「へえ~………それは悪い事しちゃったなあ、もっと早く迎えに来るべきだった」
何が何だか分からないが、先程の烏が関係あるのだろうか。
「まあ、コタが居てくれて助かったよ。亜莉沙ちゃん、怪我とかしてない?」
「あっ」
男の人は私の足元に屈むと、下からジロジロと私の全身を見てくる。
「あのっ」
「目立った怪我は無さそうだねっ」
「おい、この変態女たらし。今すぐその気色悪い視線を止めないと斬る」
「なあ~に~コタ~?僕はただ」
「五月蝿い。黙れ」
男の子があまりにも睨むので、男の人は渋々立ち上がる。私的にはとても助かった。初対面でこれだけ馴れ馴れしいと、正直気が引けてしまう。無意識の内に体が男の子に寄っていた。
「………ふふっ。意地悪し過ぎちゃったかな?ごめんね、そんなに警戒しなくても大丈夫だよ?僕は紳士だからねっ」
「何処がだ」
「さ、無事合流出来たし、帰ろうか」
「………帰る?」
「これから君の家になる店だよ。萠さんも早く会いたがってるだろうしねっ」
ーーも、萠さん?
色んな情報があり過ぎて頭の中がぐちゃぐちゃになる。とにかくこの二人は、私の遠い親戚の人の、家族?知り合い?みたいな者で、私を迎えに来てくれた事には違いないみたいだ。この一時間ほどの間で、私の人生の半分くらいの変な事が起きている気がする。
家を出た時は何とも思わなかったはずの手荷物すら、今の私には鉛のように重たかった。無駄に重力をかけられている気分だ。そんな事は無いだろうけど。
重たそうな木造の扉が開いた。愛らしい鈴の音がチリンと鳴り、オレンジ色の優しい照明が私を迎え入れた。
「ただいま戻りました~」
「帰った」
二人の後に続いて店の中に入る。温い暖房の風と、ほんのり甘い香りがした。
そこは、小さな喫茶店だった。濃い焦げ茶色の古い彫刻が細かい所まで散らばっていて、家具もそれに合わせて設置されている。特に正面に見える大きな振り子時計が、とても雰囲気と合っていた。所々に白と黒のフリルやレースが見えるのも、とても良い。
体は疲れているけれど、落ち着いた店内に心が癒される。
「おかえりなさーいっ♪遅かったわねっ」
入口の左手にあるカウンターキッチンの奥から女の人の声がした。パタパタと軽快な足音が跳ねて来る。
「萠さん、亜莉沙ちゃん連れてきました~」
「ありがとうっ、アオちゃん♪」
黄色いふわふわが、白いレースのカーテンを開く。
「あらあ~可愛い!あなたが亜莉沙ちゃんね?」
出てきたのは、小柄な女性だった。いや、女性と言うよりも、何処かの国のご令嬢と言った方が良いだろう。
まず目に飛び込んでくるのは、照明の光すら跳ね返すような長い金髪だった。何処かの自然豊かな森に住む妖精が、魔法で生み出した金の糸を丁寧に紡いだのではないかと言うほどの、私の語彙力ではとても言い表せないが、そのような美しい髪で、それを引き立てるように白と黒のリボンが優しく髪を包んでいた。
肌はシルクのように白く、ぱっちりとした大きな青い瞳の周りに長い睫毛が掛かっている。すらっとした鼻筋にマシュマロのような頬、そのまま下に下がればぷっくりとしたピンク色の小さな唇が、彼女の愛らしさを一層際立たせていた。
「わたしは萠っていうのっ。あなたのお母さんの従姉のそのまた従姉の兄弟のぉ………えっと、まあ、遠いけど一応親戚よっ♪」
ーーさっきの『萠さん』って言うのは、この人の事だったのか。
両手を掴まれてブンブン振られながら、私は萠さんの可愛らしさに戸惑いつつ返事をした。
「は、はい。母から聞いています。亜莉沙です。よろしくお願いします」
「うん!よろしくっ。わたしの事は、『萠お姉ちゃん』って呼んでね♪」
終始テンションの高い萠さんは、他二人の存在すら忘れる勢いだ。
「お姉ちゃんって………、お前そんな歳じゃないだろ」
カウンターの椅子にランドセルを置き、男の子は自分で淹れたのか何やら飲み物を飲んでいる。
「もお~~!コタちゃんてばひどい!わたしは妹がずっと欲しかったの!亜莉沙ちゃんが来てくれてすっごく嬉しいんだからっ」
「はいはい」
先程の男の人とのやり取り同様、男の子は変わらず態度が冷たい。
「全く、コタちゃんはクールだなあ」
風船のように頬を膨らませる萠さんは、眉間に皺を寄せて男の子を見る。いや、この子はクールとか、そんな甘いものでは無い気がする。と思ったが、口には出さないで心の中だけでそっと呟いた。なんだか後が怖い気がした。
「あの、萠さんが私の遠い親戚なのは分かったんですけど、このお二人はどういう………?」
「え?もしかして、二人ともまだ挨拶してないの?」
私の質問にきょとんと驚いた顔をする。視線を向けられた男の人は、近くの椅子の上で「あっ」と言った。
「そういえば迎えに行ったのにまだ自己紹介してなかったね~、あっはは~」
「ええー!!そうなの?じゃあコタちゃんもしてないの?」
「………必要無い」
「そんな訳無いでしょお?これから亜莉沙ちゃんは此処で一緒に暮らすんだから、仲良くしなきゃ!もう、すぐそうやって人見知りするんだからっ」
「別に俺は人見知りじゃっ、!」
「あ~じゃあ恥ずかしがり屋なコタのお手本になろっかね~」
男の子を横目に心底楽しそうな男の人は、にこにこと笑いながら椅子から立ち上がった。
「初めまして、って言っても割と時間が経ってるけど。僕は、葵。此処で住み込みで働いてるんだ。ちなみに今フリーだから、気が向いたら僕とお出かけしてくれると嬉しいな~。よろしくねっ」
私の前にひらりと跪いたかと思えば、いつの間にか手を握られている。
「よ、よろしくお願いします………」
戸惑いつつも、少しだけ会釈した。先程もそうだが、この人は女の子の扱いに恐ろしく手慣れているようだ。
「あはは………、アオちゃんは、女の子へのスキンシップがちょおーっと多めだけど、優しい子だから仲良くしてあげてね?」
「………はい」
「仲良くしようね~」
「………」
ふにふにと手の感触を味わわれる。さり気なく手を剥がした。
「ふふっ。ほら~コタ~、次はコタの番だよ」
葵さんの呼びかけに、小さな背中がカウンターの前でピクリと揺れた。
「もお~本当にコタちゃんは恥ずかしがり屋さんだなあ~」
「っ!やめろ萠!自分で出来る!」
見かねた萠さんが、彼を半ば無理矢理私の前に連れて来ようとする。手脚をばたつかせて嫌がる姿は、年相応に感じた。少しショックではあったけど。
「はいっ!亜莉沙ちゃんにご挨拶して?」
「………」
少し長めの前髪の下で、大きな瞳が私を窺っている。それは、先程あの烏達から私を助けてくれた時の瞳とは違った色をしていた。
「………小太郎だ。な、馴れ合うつもりは無いからな」
でも、その真っ直ぐな光を放つ瞳は、とても小学生の持つものとは思えなかった。