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朱殷月-シュアンツキ-  作者: 赤井朱夏
序之譚
1/8

壱月目

※誤字脱字等ございましたら、ご連絡頂けると幸いです(´˘` )

 私は相変わらず、今日も自分の部屋の天井を見つめていた。全てが変わってしまったあの日から、私の時間は止まってしまった。いや、変わったのは私かもしれない。他の子達は今も変わらない、何気無い日常を過ごしている筈だ。

 ただの普通の女子高生をしていた私は、もう何処にも居ない。大勢の人間に揉まれながら乗っていた電車にも、生徒が席に座って授業を聞いているのかいないのか分からない教室にも、仲の良かった友達の輪の中にも、私の居場所はもう何処にも無い。私という存在は、他人の記憶から段々と薄れていく。その流れが止まることは無い。

 でも、だからと言って、私がその状態を悲しんでいるという訳では無い。他人から忘れられたからと言って、私は悲しんだり怯えたりしない。部屋に閉じこもっている私という存在が消える訳でも、私の人生が終わる訳でも無い。

 今も私は、こうして此処で生きている。


亜莉沙ありさ


 部屋の外から私を呼ぶ声がした。どう聞いても母の声だった。

 私が部屋に閉じこもってからというもの、その理由を察してか母が私を咎める事は無かった。逆に心配することも無かった。それは、私がただ閉じこもっている訳では無いからだ。学校に行かない代わりに自分で勉強はしているし、それなりに外出もしている。

 ただ私は、今まであった筈の場所にあったものが無いのが怖いのだ。


「お母さん」


 寝転んでいたベッドから静かに降りて、部屋の扉を開ける。いつに無く表情が硬い。

 それは恐らく、時間が来たということを告げている。

 私は、今日をもってこの家を出て行く。まあ、出て行くと言っても勘当されるとか、そういう事では無い。

 父が四月より海外へ赴任する事になり、母もそれに同行する。二年という長いのか短いのか分からない期間の為、一緒について行くより私は日本に残る事を選んだ。その間、私は今まで一度も訪れた事の無い地方にいる、母の遠い親戚の人に預けられる事になったのだ。母の表情は、それを心配しての事だろう。

 荷物を持って家を出る。外には車のエンジンをかけて運転席で待つ父の姿が見えた。

 あらかじめ荷物は殆ど向こうに送ってしまったので、私の手荷物はとても少ない。母は駅まで行くのは辛くなるからと言って、見送りには来なかった。ただ私の頭を数回撫でて、「元気でね」と呟いた。


「うん」


 私は相変わらず愛想の無い返事をして、手を振りながら小さくなる母の姿を見つめた。

 数秒後には見えなくなる母。この世界は、いつも突然何かを失う。

 駅に着き、電車に乗る。父は相変わらず無愛想で、私の手荷物を持ってくれた以外は特に何も無かった。だけど、父もまた私の肩をトントンとさすってから「元気でな」と言った。


「………うん」


 そして私は、また愛想の無い返事をした。


 目的地に着くまでの一人旅は案外容易いものであった。切符と地図を確認しながら指定の電車を乗り継ぐ。本当に遠い事もあって、その場所にたどり着く頃には既に夕方になっていた。


『次は~桜大町さくらおおまち~』


 帰宅時間にも関わらず人気の少ない車内にアナウンスが響く。扉が開いてホームに降り立てば、冬の風がとても冷たく感じた。地名の割に寒い所だと思った。

 駅前には、U字のバスとタクシーのロータリーがあり、その向こう側に大きなスーパーが立っていた。見た事の無い名前だが、おそらくチェーン店であろう。きっと、この街の人は大方そこのスーパーで生活が済んでいそうだ。

 母の話だと、その遠い親戚の人が駅前まで迎えに来てくれるらしいのだが、それらしい人は見当たらない。暫く待ってみるが、草臥くたびれたサラリーマンとか、家に向かってせかせかと歩く高校生が通り過ぎて行くだけで、私はこのままずっと此処に立ち続けて生涯を終えるのではないかと思った。

 さすがに疲れたので、近くのベンチに腰掛ける。日は着々と傾き、駅前の時計の時刻は午後六時を指そうとしていた。もう辺りはすっかり暗い。


「私、………捨てられたのかな」


 口を突いて出た言葉は、あまりにも自意識過剰だった。でも、体の端からじわじわと迫りくる寒さに心まで侵食されそうだった私は、鞄を強く抱き締めて頬を埋めた。

 その時、ふと前方から葉擦はずれの音がした。見上げれば、近くの花壇にある木の枝にからすが一羽留まっていた。周囲をキョロキョロと見回し、カーと一鳴き。真っ黒い体は殆ど木の影と同化している。


 ーーこんな時間に烏っているものだっけ?


 不思議とそう思った。普段の私ならばこんな事は思わない。烏が留まってようがおじさんが座ってようが、私は気にしない。

 そんな私を他所よそに、烏は私の近くまで一度飛んできて、私を少し見てから近くの横断歩道の信号の上に留まった。そしてまたカーと一鳴き。人気の無い横断歩道に青い光がぽつりと灯っている。


 ーーもしかして、呼んでる?


 昼間だったら、烏が飛んで来たからってそんなこと思わないだろうが、その時の私はその不思議な烏が何かを意味している気がしてたまらなくて、知らず知らずの内に烏を追うように歩き出していた。

 横断歩道を渡り切ったのと同時に信号が赤に変わり、私の背後には車が通り過ぎる音ばかりが響く。

 烏を探すと、今度は少し先の電柱に留まっている。しかし、もう少しで電柱に着くという所で烏はまた飛び始め、スイスイと空を飛んでいった。鳥にしてはあまりにも速度が遅い。


 ーー私の歩く速度に合わせてる?


 いつの間にか私は、烏を走って追い駆けていた。運動不足で息切れが酷いが、そんな事は全く気にしていなかった。とにかく今は、あの烏に追いつかなくてはとばかり考えていた。

 気が付けば、周りは知らない家が並ぶ住宅地になっていた。頼りない街灯がぽつりぽつりと有るだけで、人の気配は全く無い。

 烏を探すと、近くの家の塀からはみ出している背の高い木の枝に留まっていた。


「お前は………」


 少しずつ烏に近づいて行く。


「私を呼んだ?」


 その瞬間、空を見つめいたはずの烏がギョロリと私を見つめて返してきた。その動きの異様な素早さに一瞬体がびくりと震える。でも、私が驚いたのはそれだけじゃない。

 同時に、今まで黒かったはずの烏の目がそれはもう赤く光っていた。その赤い目はただ見ているだけだと言うのに、私の存在自体を覆い尽くそうとするかのように迫って来るように見えた。


「ッ!」


 背筋にゾワっとした寒気を感じる。冷たい風が吹き始め、私の頬をぬらりと撫でる。

 私は怖くなって、元来た道を戻ろうと走り出した。しかし土地勘の一切無い場所で、しかもこんな暗い夜道を一人で戻れる訳がない。

 走っても走っても、知らない家が並ぶ景色は変わらない。

 カーと烏の鳴き声が聞こえた。後ろを振り返ると、先程まで一羽しか居なかったはずの烏が何十羽という大群で私目掛けて飛んで来ていた。


 ーーなんで?なんで増えてるの?!


 パニック状態の私は、更に心臓をバクバクさせながら懸命に走る。だが、元々運動神経が悪いのに、空を飛べる野性動物に勝てるわけが無い。その烏の大群はあっという間に私に追いついて来る。


「あっ!」


 一瞬体が浮いたと思ったら、すぐ全身に鋭い衝撃が走る。こんな所で転んだらしい。


「いった………」


 痛みに耐え、必死になって立ち上がろうとするが、走り過ぎのせいでガクガクに痙攣した足は言う事を聞かない。


 ーーどうしようどうしようどうしようどうしよう。


 頭の中はその言葉ばかりが響き、肺を破るような荒い呼吸のせいで息苦しくてたまらない。


 ーー怖い怖いこわいこわいこわい。


 冷え切った両手を胸の前で握り締め、襲い来る恐怖に耐えようと必死だった。

 けたたましい烏の鳴き声と割れるような羽音、そしてあのおぞましい沢山の赤い目が迫って来る。


 ーー………もうだめだ、!


 終わりを感じたその瞬間、目の前に闇を切り裂くような鋭い音と、一筋の眩しい光がまたたいた。


「ッ!!!!」


 反射的にまぶたを強く閉じる。すぐにビシャッと何かの液体が飛び散る音がしたかと思うと、また何かを切り裂く音が物凄い速さで繰り返される。

 私は許容し切れない状態に怯えるだけで、目を開ける事が出来ない。


 ーー何、何が起きてるの?こわいこわい!


 やがて音は止み、暗闇の中に私の意識だけが存在していた。混乱し過ぎてどうしたらいいのか分からない。

 うずくまったままでいると、何やら足音が近づいて来る。ハッキリとした革靴の音だった。


「おい」


 足音は私の前で止まると、声をかけてきた。


 ーー………あれ?


 そこで私は我に返ると同時に、また混乱していた。ゆっくりと目を開けて音を見上げる。


「あんた、大丈夫?」


 そこには一人の男の子が立っていた。

 私より幾つも年下そうな、まだ幼さの残る顔つきで、少し長めの前髪から二つの大きな瞳が私を見下ろしていた。


「喋れないの?」


 呆れているのか、面倒そうな表情で私の目線に合わせる様に座り込む。近くで見ると、とても端麗たんれいなのが分かった。


「ここらじゃ見慣れない顔だね。まあ、この街でこの時間に出歩いてるなんて、俺等か余所者よそものくらいか」


 そう言って、やたらと短いズボンのポケットから青色の携帯電話を取り出し、何処かに連絡し始める。


「………あ、あおい?今どこ」


 男の子が電話をしている間、ゆっくりと辺りを見回す。数え切れないような大群で飛んで来ていたあの烏達は、跡形も無く消えていた。あれほど騒がしい音がしていたというのに、本当に何事も無かったかのように静寂に包まれている。普通の住宅地であった。


 ーーあんなに沢山居たのに………どうして?


 男の子の存在もだが、先程味わっていた恐怖が忽然と消えた事に私はまだ頭が付いていけない。だが、あの恐ろしい烏の鳴き声から解放され、やっと人の声を聞く事が出来たので、次第に落ち着いてきた。男の子の会話が終わるのを見計らって、私は口を開いた。


「さっきのは、………さっきの烏は何?」

「ああ、やっぱお姉さん余所から来たんだ」


 ポケットに携帯電話を仕舞しまいながら、座り込んだままの私に視線を戻す。


「説明してあげても良いけど、此処じゃまた彼奴等あいつらの相手しなきゃならなそうだから」


 男の子は体をくるりと向こう側に向け、数歩歩くと視線だけを私に寄越した。


「何してんの、置いてくよ」


 ーー………これはついて来いという事だろうか?


 頼もしいのか失礼なのか、強めの口調で促される。


「まあ、また襲われたいなら話は別だけど」


 男の子の言葉で先程の恐怖がじわじわと返ってきた。


「………待って、!」


 フラフラになりながらも立ち上がり、鞄を握り直す。私は解消されない戸惑いと共に、街灯に照らし出されるランドセルを追いかけた。

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