1滴目 「桜井先生は目ざといのでした」
「えー……古代より、我々人間の祖先と憎きヴァンパイアは生存を賭け戦争をいくつも起こしてきた。だが、我々にはヴァンパイアのように鋭く尖った牙も爪もなければ、並外れた運動能力もない。しかしだ!!我々人間には神がついていた!!神は我々に御使いという存在を与えた!御使いは我々人間を守り、ヴァンパイアを次々と殺していった。
そして次第に、御使いは守護者と呼ばれるようになった!!いいかね、諸君!!というか、君!お前だ、お前!榊原!!聞いておるのか!?」
しゃがれたBGMがいきなりぼくの名前を呼んだので、僕は慌てて顔を上げた。BGMこと、桜井先生はぼくのことを目をギラギラさせながら凝視していた。
「えっと……対……対ヴァンパイア戦と御使いの話ですよね……先生?」
ぼくは右手に握っている赤ボールペンを、先生に気づかれないようにそっと机の上に転がし、にっこり笑ってチラッと聞こえてきた単語を言ってみた。
すると先生はぼくの手元をジロジロ眺め回して、しわしわの顔を更にくしゃくしゃにして気味悪く笑った。嫌な予感がするぞ。
「ふんっ。耳だけは良いようじゃな、榊原。だが、いいのは耳だけで頭は悪いな。ボールペンじゃ刺し傷は作れんし、指を赤く塗ったところで血には見えんぞ。残念だったな、榊原」
桜井先生がそんなことをぼくに言った瞬間、教室はどっと湧いた。桜井先生も、クラスメイトたちもみんな笑っていて、所々でヤジも飛んできた。
「榊原、どんだけ保健室行きてぇんだよっ!!」
「鬼神先生のこと好きすぎでしょぉ!」
僕のことを指さしてくる奴もいて、なんだか妙に恥ずかしい。ヤジも、的を得ているというのがまた、憎らしい。ぼくは前髪をくしゃくしゃに掻きあげた。
そうだ。ぼくは、保険医である鬼神先生が大好きだ。
高校の入学式の日、一目見た瞬間から。目が合った、その瞬間から。ぼくは先生に焦がれ続け、ずっと先生を見ていた。
だが、保険医とお近づきになるのは容易ではない。
鬼神先生と話すためには、怪我をいちいちしなくてはいけないからだ。さすがに無病無怪我の人間が保健室に行くのは不自然すぎる。
ぼくはなるべくソフトにスマートに先生と話したいんだ。
かと言って、毎日毎日怪我を負って保健室に行くのは鬼神先生に怪しまれるリスクが高いため、『わざと』怪我を負うのは週に一回までとぼくは心に決めたんだ。
「いやいや、週一もかなり怪しいって」
桜井先生の社会の授業の後、ぼくは淳に捕まってしまった。
石川淳。彼はぼくの幼馴じみで、長い間一緒にいるだけあって、ぼくたちは親友と呼べるほどには仲がいいと思う。
「……ってか、お前……ボールペンで指赤く塗るって……小学生かよっ!それでホントに血に見えると思ったのか!?」
淳はぼくの左手首を掴んでプルプルと震えていた。目にはうっすらと涙が滲んでおり、心なしかピクピクと頬が動いている。淳は笑いを隠しきれていない。
淳のプルプルが伝わるぼくの左手の人差し指には赤いインクがベッタリとついていて、どう見たとしても赤いインクは血には見えなかった。
「……っ!失敗は成功の第一歩だろ!?」
ぼくだって、どうしてこんな小学生みたいなことしてるのか不思議に思う。あまりのバカらしさに僕の全身が熱くなる感じがする。ぼくの急激な体温上昇を淳に知られたくなくて、ぼくはとっさに左手を振り払った。
「ごめんって、凛音!そんなに怒んなよ!……で?今日は保健室行くの、行かないの?」
「…………」
淳はぼくが怒って手を振り払ったと勘違いしているようだが、訂正するのは面倒なので放っておいた。
そんなことより、どうやって鬼神先生の待つ保健室に行くか考えるほうが大切だ。何か、ないか。自分の机の上に、視線を落とすと広げられたノートが無造作に置かれていた。
……やっぱり、この手しかないのか……。
「行くに決まってるだろ……」
ぼくは右手の人差し指をノートにあてがい、勢いよく引いた。