冬童~ふゆわらべ~
楽しんで頂けたら幸いです。
「なんだ、アレ?」
初詣に行った帰り道。ユキジは、壁と壁の間にある、子供のお尻に目が釘付けになった。
ばたばたと足を動かして、助けてと叫んでいる。
素通りする人の間を割って、ユキジはばたつく足元まで近づいた。
「何してるんだ?」
「見てわかるじゃろ、抜けなくなったんじゃ」
少年の高い声。それなのに、おじいちゃんのような言葉使いに、ユキジは目を丸くした。
「突っ立っておらんで、早く助けてくれ」
ユキジは暴れる足を持つと力一杯引っ張った。
すると、すぽんという音が似合いそうなほど簡単に抜けた。
「ありがとな」
赤いほっぺたの少年が、にかっと笑う。
「おかげで助かった」
「どうしてあんなところで挟まってたんだ?」
ユキジが尋ねると少年は、恥ずかしそうに口をすぼめた。
「お、お友達がな、いないかなって思っての」
「君の友達は、こんな狭いところを通るのか。とても小さい友達なんだな」
そうユキジが言うと、少年は首を左右に振った。
「違うんじゃ。お友達を探しておったのじゃ」
「探していた? 迷子なのか?」
違う、違うと少年は頭を振る。
「友達になってくれる奴をさがしておったんじゃ」
「友達になってくれる奴?」
ユキジが少年の言葉を繰り返せば、少年は頷いていった。
「おまえさんは、冬は好きか?」
「寒いのは嫌い」
ユキジがそう答えれば、少年はがっくしと肩を落とした。
「やっぱり、みんなぼくのこと嫌いなんじゃ」
しょぼくれた少年の目線に合うよう、ユキジはしゃがむと尋ねた。
「どうして?」
少年は、目に涙をためたままユキジを見返す。大きな瞳にたまった涙は、今にもこぼれ落ちそうだ。
「ぼくが、フユだから。だから、みんなぼくなんか来なければいいっていうんじゃろう?」
そう言ってうわーんと泣き出してしまった。
「泣くな、泣くな」
ユキジはくしゃくしゃっと少年の柔らかい髪を撫でると、持っていたティッシュで鼻をつまんだ。そして、その小さな手をそっと握ると歩き出した。
「どこに行くんじゃ?」
「友達を作るんだろ?」
そうユキジが返せば、赤くなった目が大きく見開いた。そして、次の瞬間太陽のような笑顔で頷いたのだった。
二人が向かった先は公園だ。
でも、まだ朝早いせいか、人の姿はない。
「寒いから、こたつでみかんでも食べているのかな?」
ユキジが困ったように頭をかけば、つないだ手が強く握られた。少年は俯いたまま、何も言わない。
近年、冬になってもそこまで気温が下がることはなくなったという。
霜柱もつららも知らないという子供が多いそうだ。冬は昔より確実に暖かくなっている。それでも冬は、人が生活をするには過ごしにくい季節に変わりはない。
「子供も外で遊ばないっていうしなあ。オレがフユの歳くらいのときは、外で鬼ごっこしたり秘密基地作ったりして遊んでたけどな」
時代は変わっていくものだ。
ゆっくりと、確実に。
それでも、こうも子供の姿を見かけないとほんの少し不安な気分になる。
「あ!」
そのとき、フユが大きな声を出し指を指した。その方向には、一匹のブチ猫。飼い猫なのか鈴をちりんと鳴らして歩いている。
ユキジの手を離し、フユは駆け寄った。
不思議なことに、猫は逃げないでその場でじっとしていた。
猫の元まで行ったフユは、しゃがむこむとまるで本当に猫と話をしているみたいにじっと動かない。ユキジはじっとフユの小さな背中を眺めていた。
しばらくして、フユは戻ってきた。
そして、当たり前のようにユキジの手を握った。
「お友達になってくれたか?」
ユキジがそう聞くと、フユは頭を振った。
「ダメ。暖かい方がいいんじゃと」
残念そうに口をすぼめるフユの頭を、ユキジはくしゃくしゃに撫でた。
「何するんじゃい!」
口をとがらせるフユにユキジは笑顔で言った。
「次行くぞ、次!」
すると、フユもにこっと笑った。フユの笑顔は太陽みたいに輝いていた。
猫、犬、カラス、桜の木にみの虫。
フユは見かけたものすべてに聞いてみた。
お友達になってくれませんか、と。
でも、誰一人フユの友達になってくれなかった。
日も暮れかけて、気温も下がった。ユキジは腕を組み暖を取ろうと試みる。けれども足先は凍るように冷たいし、手もかじかんでうまく動かせない。唯一あたたかいのは、フユとつないでいる左手だけだった。
「やっぱり、みんなぼくのこと嫌いなんじゃ」
時間が経つにつれ、フユの足取りはどんどん重くなった。そんなフユをユキジは励ます。
「そんなことないさ。絶対友達になってくれる奴がいるって」
だけど、ユキジの励ましも虚しくフユは足を止めてしまった。
どんどんまわりは暗くなっていく。遠くにぽつんとある街灯がちかちかっと光ってついた。
はーっとユキジの吐いた息が白い。ユキジはフユの手を強く握った。
「前よりずっと暖かくなって、ぼくも背が縮んで。今なら友達できると思ったのに、みんな家の中。外で一緒に遊んでくれる奴もおらん」
フユの声は、次第に震えていった。
「どうせ! ・・・・・・どうせみんな冬なんかなくなれって思ってるんじゃ。ハルちゃんの方がみんなに好かれる。あったかい、過ごしやすいって」
立ち止まってその場から動こうとしないフユ。
冷たい風が吹いて、ユキジは体を振るわせた。でも、ユキジはフユの手を離して暖かいところへ行かなかった。
フユは俯いたままで、どんな顔をしているのかわからない。
でも、足元のコンクリートにはたくさんの黒丸ができていて、それは止めどなく作られていた。
フユは、静かに泣いていた。
「なあ、フユ」
ユキジはしゃがむと、フユの方を見て言う。
「オレはお前のこと大好きだぞ?」
すると、フユは驚いたように顔を上げた。
「嘘を言っておる!」
「嘘は言ってない」
「嘘じゃ! だって寒いの嫌いって言ったろうが!」
フユは、ユキジの言った言葉を覚えているようだ。そんなフユにユキジは、赤くなった鼻をすすって言う。
「寒いのは嫌い」
「ほら! ぼくの言うとおり――」
「でも、フユは好きだぞ?」
ユキジは両手でフユの手をそっと握った。
「こんなに一生懸命になれる奴、オレはお前の他に見たことないもん。それに、冬の寒さがあるから、春の暖かさがどんなに幸せなものなのか実感できるとオレは思う」
そうユキジが言うとフユは目を瞬かせた。
「どうしてそう言えるんじゃ?」
ユキジは鼻をすすると笑顔で答えた。
「嫌われ役を冬がやってくれるから、あの暖かさのありがたさをオレたちは忘れないでいられる。幸せってさ、気づかないだけで、案外近くにあるものだろ?」
それを冬は教えてくれるんだ、とユキジが言えばフユは大声をあげて泣いた。
「ありがとう、ユキジ」
そう言うフユの涙が雪の結晶に変わる。
すると、藍色の空から白い羽のようなものが舞ってきた。
「――雪だ」
ユキジが手で受け止めたそれはあっという間に溶けてなくなった。
「自分が情けないのう」
フユは口をすぼめた。
「幸せはすぐ隣にある。ーーなあ、ユキジ」
「何だ?」
ユキジは熱でぼうっとする頭を傾げ、フユを見る。
フユは、ユキジの両手から手を抜け出すと、その小さな手でユキジの頬を包み込んだ。
するとどうだろう?
体のだるさが消え、鼻で息ができるようになった。体もぽかぽかとあたたかい。
冬特有のつんっとする空気が、鼻を通り肺いっぱいに流れ込む。
いつの間にか満天の星が夜空を彩っている。
「ユキジ、ぼくはユキジの友達?」
その問いにユキジは満面の笑みで答えた。
「もちろん!」
小さな幸せは空を舞う雪みたいに儚いけれど、見えてないだけであなたのすぐ隣にあるかもしれない。