28・5歳の同窓会
日本人男性の平均初婚年齢は30・5歳だそうだ。
俺はおよそ28・5歳になる。俺に残された時間はあと2年。2年のうちに、運命的な出会いを果たし、甘い恋愛をして、結婚する。まだ間に合うはずだ。
30を過ぎてから婚活などというみっともないことをするのだけは避けたい。
今日の同窓会でいい相手が見つかるかもしれない。そうなれば30前に結婚、なんて道も見えてくる。なかなかのビッグチャンスだ。今日は出来るだけ多くの人と会話する。
出来るだけ多くの女性と。
会場のホテルまで歩いて15分もかからないと踏んでいたのだが、誤算だった。
俺は冷たい空気に打たれながら、かれこれ20分は歩き続けている。指先の感覚はなくなり、顔面は冷凍保存したかのように固まってしまった。こんなことで旧友たちと愉快なトークなど出来るのか。私はポケットの中でかじかむ手を握りしめ、歩みを進めた。
ホテルの前にはタクシーが数台止まっていて、おそらく同じ同窓会に出席する人々が中へ入っていく所だった。俺もその後に続き、中に入る。ロビーには十数人がいて、思い出話でもしているのか、大いに盛り上がっていた。知っている奴がいるかはわからない。顔もまだ半分凍っていて万全ではないし、ここはまだ戦場ではない。俺はあまり誰とも目を合わせないように、エレベータ乗り場へ直進した。会場は3階である。
エレベータに乗り込むと、壁の鏡に自分の顔が映った。やはりまだ万全ではない。続いて二人の男が乗り込んでくるのが鏡越しに見える。おそらく目的地は自分と一緒だろう。二人とも、自分の記憶に引っかかる所は一つもない顔だ。
二人の後に続いてエレベータを降り、会場の広間へと歩いていく。「○○中学校同窓会」の看板を発見した俺は、覚悟を決め、顔の筋肉を動かして表情を作り、その部屋の中へと入っていった。
あと10分もすればこの空間も終わる。
俺はホールの隅で柱にもたれ、会場全体を見渡す。結局ほとんどの時間は仲の良かった男どもと話していた。女性で話したのは幹事の上村さんを含めてもせいぜい5、6人か。
知らない奴にも知っているふりをして話を合わせる遊びでもすればよかったか。もっとどうでもいい話をして笑っていればよかったか。もうそんなことをする時間もない。
ビッグチャンスを棒に振ってしまったか。あと2年。なんとかなるのだろうか。
とりあえず今日は疲れた。帰ったら映画でも借りてゆっくりと観よう。
いつの間にか俺の正面には一人の女性が立っていた。前かがみになって下から俺の顔を覗き込んでいる。
「西本くんだよね?」
この顔。このニタニタと薄ら笑いを浮かべた顔。すぐに思い出した。幾度となく見た顔だ。
「あ、おう。久しぶり。」
ワンテンポ遅れた俺の答えはすこし不自然で訝しい。しかし彼女の表情は少しも変わらない。
「私のこと、憶えてる?」
彼女は少し距離を縮め、挑戦的に聞いてくる。俺は壁を背にしているため、追い詰められているようだ。逃げたいわけではないが、あまり気分はよくない。
「憶えてる憶えてる。えー、っと、誰だっけ?」
ありがちな上に意味のないボケをしてしまった。
「ほら、雨宮、雨宮。中二の時、同じクラスだったっしょ?」
「うそうそ、憶えてるって」
ほんと~?と彼女は首をかしげる。
その締まりのない半笑いは当時のままだが、よく見るとそれ以外はほとんど全部とっかえと言っていいほど変わっている。中学以来会ってないのだから当然と言えば当然なのだろうか。
まず背が伸びている。当時は小柄だったはずだが、よく見ると俺とそんなに変わらないくらいでかい。髪はつややかで切りそろえられていて、異様なほど黒い。それに服装も変だ。なんというか、ちゃんとしている。無難なスーツだが、着なれている感じがする。俺の読みだと、こいつは多分OLだ。絶対そうだ。
ふと、雨宮の手元を覗く。指輪はしていない。指輪で結婚してるかを判断するなんて文化は、内心バカにしていたのだが、つい見てしまうものだ。
「西本くん仕事は何やってるの?」
『何やってるの?』
あのニタニタ顔でよく言われた言葉だった。
「理科の教師やってる。高校の」
「へえ、高校かー」
雨宮は小回りして俺の横の壁にもたれかかった。
「そういうの、好きだったっけ?教えるのとか……」
「まあ、それなりにね。大学で教員免許取っちゃって、他にいい就職先もなかったから、な。」
「高校の先生ってなんかめんどくさい人ばっかで嫌いだったなー。そっか、なるほどねー。」
「どういう意味だよ。」
ふっと鼻で笑う。ふと雨宮の方を見ると、さっきのにやけ顔ではなくなっていた。
「高校の先生、か。」
雨宮はふーっ、と息をつき、感傷に浸るように前を見つめていた。
なんだその顔は。そんな侘しげな表情をして、色気を漂わせてくるな。
「雨宮は?仕事何やってるの?」
ありきたりなことを聞くのは気が引けたが、仕事のことを俺だけ教えてRに言わせないのは失礼だろう、俺に。
「普通のOL。おもちゃのメーカーに勤めてるの」
おもちゃ。なんというか現実味のない言葉だ。
「へえ、なにか作ったりしてんの?」
「いや、作るっていうか、デザインをね。幼児向けのおもちゃをいくつかデザインしたり……」
普通のOLという割には案外しっかりとしたデザイナーじゃないか。雨宮は勉強はデキる奴だったが、芸術方面には疎かったはずだ。デザイナーだなんて、そんな洒落た職業が似合うイメージではなかった。
だが改めて雨宮を眺めてみると、いや、デザイナーっぽい雰囲気が漂っているようにも見える。
「休み時間、何やってるの?」
「高校でも、あるでしょ、休み時間。今、何やってるの?」
いきなり、何を聞いてくるんだ。こういうところは、中学生のままじゃないか。
「いや、生徒の休み時間だからって先生も休みってわけじゃないからな。休憩のときは、そうだな、タバコ吸ったり、他の先生と喋ったり、お茶飲んだり……」
望むような答えではないのだろうか。雨宮は何も言わず、何かを考えているかのように、視線をそらす。
大体わかってきた。こいつは俺に昔のままでいることを求めているのではないか。雨宮は中学生の俺のことが好きで、案外つまらない大人になっている俺にがっかりした、みたいな。
でも、俺は今の俺なのだからしょうがない。当時の俺を演じても、良いことは起きないだろう。
会場の前の方では司会が同窓会の終了を告げている。
壁にもたれかかっていた雨宮はすっと体を起こし、くるりと俺の方を向いた。
「それじゃ、またいつか」
まだ数分しか話していない。またいつか、会うことがあるのかもわからない。でも今日はこれで終わりにする。
「うん、また」
雨宮は背を向け、俺から離れていく。俺はその背中を眺めているだけだ。
「あ」
雨宮は急に立ち止まり、パッとこちらを向いた。
「西本君、結婚してる?」
あのニヤニヤ顔でもなく、寂しげな顔でもない、きれいな笑顔だった。
「いや、まだしてない」
「うん、そっか。ありがと」
雨宮は二カッと笑い、また離れていった。
腕時計に目をやる。八時ちょうど。帰ったら何をしようか。