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殺戮機械 La Machine Slaughter  作者: 瀬良 啓 Sera Quei
5/26

随分、物騒なものが置いてあるじゃないか

 5


 六階の大部屋に戻ってきたとき、揚げ物の匂いがしていた。部屋の端にある、パーテーションで区切られた応接室で弁当を食っている奴がいたからだ。

 応接室をのぞいた途端、北野はギョッとした。テーブルの上に、拳銃が入ったホルスターが無造作にのっていたからだ。

「随分、物騒なものが置いてあるじゃないか」山村はテーブルをはさんで向かいのチェアに腰を降ろした。その隣に佐々木が座る。北野は、一番近くのオフィスチェアを引っ張り出してきて佐々木の隣に置き座った。

 ワイシャツ姿でコンビニ弁当をほおばっていた二機捜の新倉は、口の食べ物を飲み込むといった。「すまなかったな」というと、弁当をテーブルに置き、割り箸の袋でつくっておいた箸置きの上に、箸の先端を乗せた。右手でホルスターをつかむと、ソファに置いてあったジャケットの下にホルスターを潜り込ませる。「機捜では携帯するよういわれているが、こいつを一日ぶらさげていると肩が凝ってしかたがないんだ。滅多に使うもんでもないし、はっきりいって邪魔臭い」

「なるほどね。静内、お前は、飯は食わなくていいのか?」

「あまり飯を食いたい気分じゃないよ」板倉の隣にスーツ姿でいた、新倉と同じ二機捜にいる静内はいった。静内の目の前にある弁当はラップされたままだった。透明なプラスチックの蓋の裏に水滴がいくつも貼り付いている。

「頭がなくなった死体を見てきたら、普通はそうだよな」新倉が茶化す。

「お前の、その無神経さ加減には、呆れる!」静内が声を荒げた。

 新倉は薄ら笑いを浮かべながら、左手で箸を取り上げ右手に持ち替えた。左手で弁当を持ち上げると、残りを食べ始めた。

 山村はため息をついた。「とりあえず、話を聞いてくれ。お前らは、狙撃犯が不動だと所轄に伝えたそうだが、どうして分かったんだ? そもそも、狙撃だと、なぜ、気づいた。狙撃場所もよく見つけることができたな」

「そんなことか。こいつからもしたんだが」新倉はいうと、最後まで残っていた唐揚げを箸でつまむと口の中に放り込み何度か咀嚼、飲み込んだ。「ニンニク臭がしていたんだ」

「ニンニク臭ですか?」北野は訊いた。

「焼夷剤である黄燐の匂いは、ニンニクのそれと一緒。焼夷徹甲弾が使われたことは明らかだった」新倉は、箸置きにしていた割り箸の袋を伸ばし使っていた箸を入れた。すっかり平らげ空になった黒い薄っぺらなプラスチックの弁当箱に乗せる。透明プラスチックの蓋をかぶせ、輪ゴムを巻く。テーブルの端にそれを置くと、傍らの茶のペットボトルを持ち上げ、中身を口の中に流し込んだ。「しかもヘッドショット。超一流の狙撃手の仕業だということは容易に想像できる。それだけ証拠が揃えば、簡単じゃないか。転がっている死体の隣に立って辺りを眺めてみれば、射撃ポジションは一目瞭然。分かるだろ?」

「それだけでは、ちょっと……」いくらなんでもはしょり過ぎだろ。

「〝コリオリ力〟って知っているか、北野主席主任? 高校あたりの科学だが」

「いえ……」

 代わりに山村が応えた。「フーコーの振り子が一例だったような気がするが」

「台風が反時計回りに回転したりするのもそうですよね。慣性力の一種だったはずです」と佐々木。

「そういうこと。ガキが燃えた現場と射撃ポジションは、同緯度上にあるんだ」

 皆、知っているようだけど、普通知っているものなのか? 俺は、チンプンカンプンだ。嫌な汗が出てきた。「緯度がどう関係するんです?」

 新倉は笑みを浮かべた。莫迦なお前にも分かるように教えてやる。そういっているように見えた。「例えば、CDだ。CDを回転させた場合、一周する時間は同じでも、一周する距離は、外側にいくほど長い。距離を時間で割れば速度を求めることができる。つまり、外側ほど速度が速い。分かるよな」

「ええ……」

「CDを地球にあてはめてみる。中心は北極で、縁は赤道だ。速度は、北極はゼロ。外側にいくほど増し、縁、つまり赤道が最速になる。そこで、北極から赤道に向かって弾を打ち出したとしよう。日本辺りにいてそれを下から眺めていると弾はどう見えるか。地球は自転しているので、自分は徐々に東に向かう。とはいえ、自転していることに自分自身は自覚がないものだから、弾は直進しているにも関わらず、西に逸れていくように見えるはずだ。フーコーの振り子が回転するのも、高気圧が時計回りに低気圧が反時計回りに回転するのも、コリオリ力のおかげさ」

「はあ……」いまいち飲み込めない

 新倉は頭をかいてみせた。「まあ、すべてを理解できなくてもいい。要するに、標的に確実に命中させるためには、距離、仰俯角、風速、風向、温度、湿度……これらを考慮して〝ボア・サイティング〟すなわち、スコープを調整し狙いを補正しなければならない。コリオリ力という要素がひとつ減るだけでも、大きいことなんだぜ。そういや、あの時間、低気圧の影響がなければ、ほとんど風は吹かない。都心と東京湾との気圧のバランスがとれているからだが、それも考えてあの時間を設定したとなると、不動は大したもんだよ」

「だから、現場から真西か真東に射撃ポジションがあると分かった、というわけか」山村がいった。

「そういうこと。西は通りに沿って視界が開けていたが、東はそうではなかった」

「射撃ポジションである廃墟ビルから現場まではざっと五〇〇」山村は続けた。「それだけ離れると考えることも多くなるわけだ。いずれ、お前らがいて助かったよ。でなければ、超常現象のままお蔵入りだった可能性もある。ビルの周囲はマンションで、そこの住人に聞き込みしているが、いまだに目撃者どころか、銃声を聞いたという人間もいないというしな。まあ、サイレンサーを使ったんだろうけど」

「だろうな。それを使っても銃声はいくらかするが、この糞寒い夜に窓を開けている奴はまずいない。街中は音があふれているし、いまどきの窓は防音効果が優れている。聞こえたところで、銃声なんて普通の人間にはなじみがないわけだから、流してしまう。目撃者も期待しない方がいいだろう。廃墟ビルの屋上には灯りなどなかったからな」

「しかし、わざわざ遠くから狙ったのは、なぜです?」北野が訊いた。「五〇〇メートルも離れるから面倒なことになるわけで。近くにも適当なビルはありましたよ。普通のビルだっていいいじゃないですか、さほど音がしないのであれば」

「いい質問だ。狙撃というのは、単に的に当てればいい、というものではないんだ。射撃技術に加えて、戦術とフィールド・クラフトの知識も必要だ。つまり、任務達成および生還するための準備としての戦術、任務達成するための射撃技術、そして、任務達成後、生還するためのフィールド・クラフト。どれが欠けても駄目さ。例えば、警察行動で立てこもり犯を狙撃する場合は、人質に害がおよばないよう一発で仕留めることが優先される、生還は考慮しなくていいから、できるだけ近いところにポジションを置く。当然だよな。だが、今回はその生還を考慮しなくてはならない。できる限り遠い方がいい。確実に、一発で、ヘッドショットでき、かつ逃亡にも適した位置なんてものは、自ずと決まってくる。狙撃手は慎重、いや臆病なんだよ」

「なるほど」と北野。「しかも、焼夷徹甲弾なんて普通分からないですもんね。勢い、超常現象と結論付けてしまう。一旦、結論付けてしまえば、思考が停止する。よって逃亡する時間を稼ぐことができる」

「その通り。他にも理由があるけどな」

「それは?」

「帰宅時間だったではないか。通りには結構な人がいた。その中で、普通弾を使えば、貫通した弾が跳弾し巻き添えを食う人間が出たかもしれない。不動は警察官だったんだ。それくらいは考える。一般市民を殺すことは、あのアメリカの警察だって、よしとしない」

「何から何まで計算ずくですか」北野が感心したようにいった。

「そりゃそうさ」

「しかし、なぜ、あの日、あの時間、あの場所に、井川が現れると分かっていたんでしょう?」

「車や会社事務所、自宅マンション……他にもいろいろあるだろ、盗聴器を仕掛けておく場所は。捜せば見つかるはずだ。盗聴していれば会話の端々から行動は読める。その程度のこと、分かっていると思っていたんだがねえ」

 ちぇっ、山村のおっさんに輪をかけて厭味な奴。北野は「すみません」と、とりあえず謝っておいた。

 新倉は唐突にいった。「いずれ、ゲロだ」

「ゲロ?」山村が聞き返す。

「不動は嘔吐するんだ。それで合点がいった。だから、マル害が八年前の事件のガキじゃないかという推理も簡単にできた。死体に頭はなかったが、身体つきや掌を見た感じで若いと思ったしな。不動は、自らの犯行を隠そうとはしていない。証拠品の押収には困らん。薬莢は落ちているわ、携帯は落ちているわ、ビーンバック──銃を乗せて安定させる土嚢みたいなもんだ。不動は、二脚よりも自由度があるといって、好んだ──に詰めていたであろう砂は散乱しているわ。不動は、自分を知らしめるつもりだったんだろう。とはいえ、不動は殺しを楽しんでするタイプではない」ゲロから話が逸れたな、というと新倉は続けた。「上陸阻止作戦は、いい例だ。ただ、あのとき嘔吐した奴は、不動だけではないけどな。そうだよな、静内」

「まずいんじゃないか?」静内が心配そうにいう。

「守秘義務を破ったのは俺だけにしとけばいい。お三方は、不動のことを知りたがっている。下手な隠し立てによって、ミスリードさせるわけにはいかない」

「上陸阻止作戦ってなんだ?」山村が当然のように訊ねる。

「聞いたら笑うぜ」

「ふざけるな。いいから教えろ!」山村がせっつく。

 新倉は含み笑いを浮かべた。「いつかは忘れた。だが、まだ俺たちが特殊部隊にいたころだから、一〇〇年も前ではないと思う」

 つまり、具体的にはいう気がないということだ、と静内はほっとした。

「どこぞの工作員が上陸するという情報が入ったので駆り出されたんだよ」

 なんだって? そんな話、聞いたことがないぞ、と北野は思った。

 忘れたのではない。そこまでばらす気がないということだ。案外、義務を守っているじゃないか、と静内は感心した。

「生きたまま確保するため、ドラマや映画にあるように、制圧班が囲みレーザーポインターの光で威圧、万歳させるプランだったな、最初は」

「最初は? お前の言葉には、いちいち含みがあるな」と山村。

「まあ、我慢して聞け。糞寒い夜中、静内ら制圧班とハムの連中は、工作員が上がってくるとされる、入り江に待機。不動と俺は、少し離れた防波堤の上にいた。俺が狙撃手、不動が観測手。だが、不測の事態に備えた偵察任務ということだった。スコープをのぞいていたら、沖からゴムボートが近づいてくる。ここまでは聞かされていた通りだった。ところが、驚いたのなんの。『まずいな』という不動から双眼の暗視装置を渡されて、そいつのぞいたら、五人だぜ。しかも完全武装。まったくもって不測の事態さ。俺はてっきり一人か二人と思っていたんだけどな」

 静内は苦々しく思い出していた。完全なるハムの怠慢だ。工作員と戦闘員を相手にするのでは、まるで勝手が違う。

「不動は、その事実を指揮所に無線で報告。対処を仰いだ。やりとりを終えると、不動いわく『極力手を出すな、だとさ。だが、判断は任せるそうだ』。俺は恐怖を感じたね。ドンパチは避けられないといっているようなもんだからな」

 くそっ! 静内は腹の中で毒づいた。当時の状況が蘇る。海からは陰、海岸段丘の冷え切った砂浜で腹ばいになっていた俺にも、ヘッドセットを通じて連絡がきた。マルタイは五人。しかも完全武装! 制圧班は二個小隊八人しか用意していない。八対五、中途半端な比率。これでは、圧倒的な優位に立って威圧できないではないか。少しでも隙を見せれば、開き直って滅茶苦茶やってくるぞ! 後方に、ハムの私服どもが一〇人ばかり控えているが、連中、戦闘で役に立つとは思えん。

 新倉が続けた。「不動は準備にとりかかった。ケースを開けると、暗視スコープがついたレミントンを取り出した。弾倉をはめ込む、ボルト・ハンドルを起こし手前に引く、せり上がってきた弾を今度は押して前方の薬室に送り込む、最後にボルト・ハンドルを右に倒し、いつでも発射できる状態にした。聞こえてくる音はリズミカルだった。安心して、自分の銃のスコープに目をやると、不動の『撃てる状態にしておこうか』という声。ハッとしたね、慌てて弾を装填したよ。俺は、冷静を装っていたが、実のところ少なからず緊張していたようだ。逆に、不動はまるで落ち着いていた」

 新倉は、キャップを開け茶を口にした。誰も口をはさもうとしなかった。一口飲むとキャップを閉め、新倉は続けた。「そうこうするうち、連中がゴムボートから降りるのが見えた。腰まで海につかり海岸線を目指していた。最後尾の人間が乗ってきたゴムボートのロープを引っ張る。波打ち際に達すると、全員がボートから何やらビニール袋を取り出した。ビニールを破き出てきたのは銃。シルエットからAKだと分かった。ガスピストンが銃身の上にあったからな。その銃身を長くしたドラグノフもあった。だが、次の瞬間、連中の動きが止まった。まるで、DVDプレイヤーの〝一時停止〟を押したみたいに」

「何があったんです?」北野が訊いた。

「何があったんだっけ、静内?」と新倉。

 静内が吐き捨てるようにいった。「どこぞの莫迦が、携帯電話の電源を切り忘れていて、着信音が鳴ったんだよ!」

 黒電話の音が頭の中で響いた。真冬、廃村になった漁村の、誰もいないはずの松林に囲まれた入り江で、人工的な音がすれば、敵はそりゃあ気づくさ。連中、AKをぶっぱなし始めやがった。耳をつんざく轟音。手榴弾の爆発によって舞い上がった砂粒が、背中にふりそそぐ。こっちは、防戦一方。富士の裾野で自衛隊から年に数回レクチャーを受けているとはいえ、野戦は本職ではない。空は曇っていて月明かりも星明りもない。完全な闇での戦闘は恐怖だった。ヘルメットの右側頭部に衝撃が走り、首がかしいだ。銃弾がヘルメットをかすめたのだ。俺は伏せた。伏せたきりだった。顔があげられない。恐怖で、頭も身体も反応しないのだ。

 背後から散発的な銃声がしているのに気付く。拳銃のそれだ。松林に待機していたハムの誰かが応戦している。「ボケっとするな! 撃て! 退くな!」

 俺は我に返った。そして叫んだ。「照準なし! フルオートで撃ち返せ!」AKの銃声がする方向へ、H&K MP5サブマシンガンの銃口を向けて引き金をしぼる。部下も続いた。自分の声帯が震えていることに気づく。金切り声を上げていたのだ。

 新倉はいった。「俺の頭は事態をしばらく把握できなかった。だが、不動の『右三、頼む!』という声に反応することはできた。俺は向かって右から一人、二人、三人。不動が左から一人、二人……」

 ふいにAKのガサツな連続音が消え、前方にあった敵のシルエットも失せた。直後、遠くからレミントンの乾いた銃声が断続的に聞こえてきた。不動と新倉のおかげだった。MP5の銃声だけになったので、俺は射撃をやめるよう命じた。辺りは静寂に満ちた。隊員たちの荒い息遣いだけが響く。

 後は死体の確認だけだと思った俺は、MP5にセーフティをかけストラップを滑らし背中に回すと、右腿のホルスターからH&K P9S自動拳銃を抜き、ゆっくり立ち上がった。P9Sのセーフティを右の親指で跳ね上げた。薬室に弾薬が入っていることは、位置に着く前に確認している。左手でフラッシュライトをポーチから取り出し点灯させた。光の向きと銃口の向きを一致させるために、P9Sのグリップに押し付ける。

 最初にライトに照らされた敵は、仰向けだった。ヘルメットの中にある顔の右半分がない。死んでいるのは一目瞭然。砂には血と脳漿の染みが砂に広がっている。染みの上には、目玉がのっていた。数メートル先の次の死体は、うつぶせ。ヘルメットの後頭部には、ぽっかりと穴があいていた。こいつもヘッドショット。もしや、と思ったら、案の定だった。一体を除き、すべて頭部をやられている。ただし、残りの一体は首。頭が胴体から離れ転がっていた。

 後から聞いた話だが、連中が着込んでいたボディアーマーも、ヘルメットも、MP5の九ミリ弾では貫通させられない、優れものだったそうだ。つまり、制圧班だけでは、最初から制圧できなかったのだ。俺は後からそれを聞きぞっとした。不動と新倉が使ったレミントンM24SWSの七・六二ミリNATO弾がなければ──七・六二ミリにとっては、ヘルメットの防弾効果はあってないようなものだ。運よく貫通を免れても、その衝撃力は首の骨を確実に折る──死んでいたかもしれないのだ。

 不動と新倉の二人にも、別の意味で底の知れない恐怖を感じた。動く標的に対するヘッドショット。結局、五人全員を不動と新倉だけで始末したのだ、いとも簡単に。ワンショット・ワンキル、弾も人数分しか使っていない。

 新倉はいった。「終わった後、不動はゲロしたんだ。それがなかなか治まらなくて、胃液まで出していやがった。俺は背中をさすってやったんだぜ」

 こっちはもっとさ、と静内は思った。砂浜辺りには、硝煙と血、そしてゲロの臭いがたちこめていた。あちこちでゲーゲーやっている。もちろん、俺も吐いた。

 北野は訊いた。「上陸したのは、一体、どんな連中だったんです?」

「さあな。ハム事案だぜ。分かるわけがない。ただ、一部の週刊誌には〝警察が夜間に秘密訓練?〟などという記事が出たらしい。だが、その後の追加記事はなし。マスコミはなんとでもなる、と思っているからな、上等なハムさんは。だが、下々は大変だったと思うぜ。死体もそうだが、弾や薬莢をかき集めるのは容易ではない」新倉はおかしくもないのに笑った。

 上陸してきた奴らは、工作員ではなく戦闘員だった。静内はひとりごちた。私服は一着もなかった。ゴムボートの中になし。アサルトスーツの内にも着込んでいない。上陸し日本で工作する気なんぞ、もともとない。最初からコトを構えるつもりだったのだ。どいつもこいつも、身分が分かるものを何一つ身に付けていなかった。免許証、パスポート、ドックタグもなし。

 顔はどれも血だらけだったので、最初よく分からなかったが、よく見ると、連中、東洋系──頭と胴体が離れていたのはこいつだ──はもちろん、白いのや黒いの、彫りが深く浅黒い中東系とさまざま。まるで人種の展覧会。まったく、意味が分からない。

 装備も意味が不明だった。AK、ドラグノフ、通称「レモン」と呼ばれるF1手榴弾、ホルスターに入っていたサイドアームはマカロフ。武器はすべてロシア軍の正規品。一方、身に付けていたもの、ヘルメット、アサルトスーツ、ブーツ、ポーチ等々は、米軍の放出品だった。

 何者だったのだろう? ロシアの特殊部隊? 国際テロリスト? 蛇頭やロシア・マフィアといった国をまたいだ犯罪者集団? PMCということも考えられる。だが、PMCだとすると雇ったのは誰だ? さっぱり分からない。ハムは正体をつかんでいただろうか? つかんでいたはずだ。工作員が上陸するという情報を得ていたのは確かなのだから。

 もちろん、ハムに訊いたところで教えてくれる訳もなく、その後、上からも件の殺し合いを忘れるよういわれ、守秘義務に関する講義を「これでもか!」というくらい、たっぷり受け、作戦に参加した全員は、一年もたたないうちに特殊部隊から放逐された。

「まあ、信じない方がいいかもしれんな」新倉は笑みを浮かべた。

「突っ込むな、ということか」山村がいった。

「ああ。探ろうとしても、俺たちには無理だ。どうしてもというのなら、警視総監になるしかない。刑事部長程度では、たどりつけないぜ」

「総監になろうという無駄な努力をするくらいなら、国の最高権力者を目指す方が簡単だ。今日日の総理大臣を見ていると、俺にもできそうな気がするんでね」

「同感だ」新倉は笑った。「ところで、なんの話だったかな……。そうそう、つまり、俺たちは、それなりの修羅場というやつをお互い経験している。だからこそ、不動のことはよく理解できる。分かってもらえたか?」

「ああ、十分にな」

「そこでだ」新倉は不適な笑みを浮かべた。「不動の協力者である疑いは晴れたか? それとも深まったか? 録音しているんだろ?」

 北野はドキリとした。ばれている! 山村は肩をすくめると、机の下からICレコーダーを取り出した。

「〝取り調べの可視化〟の一端だな」と新倉がからかう。

「そんなところだ」山村は、ICレコーダーの停止ボタンを押してからテーブルに置いた。「疑いについては、どちらとも、いえん。まだ疑問が残る。不動の同期は、五人だと聞いた。うち作戦に参加した三人が三人共、同じ場所、恵比寿に集結している。加えて、機捜のシフトだ。お前らがペアを組む機会は年に何度もない。だが、今月は三度だ。偶然で済ませられないだろ」

「まったく、よく調べている」新倉は、莫迦にしたような笑みをみせていった。「だが、解釈は間違っている。不動と関わった特殊部隊のOBは、同期だけじゃない。同期ではない人間は数に入らないのか? 当時いた狙撃支援班の人間とも、大抵、関わっているんだぜ。ほとんど身内みたいなもんだ。制圧一班・二班、技術支援班と連携した合同訓練もあるから、そいつらとの付き合いも省けないだろ。その後、部隊から離れた連中は、都内あちこちにいる。つまり、警視庁管内で不動がことを起こせば、誰かにぶち当たるさ。たまたま、俺たちだった、というだけだよ。俺たち以外の誰かが現場に現れていても『偶然なんておかしい』ということになって、いまここでやられているような、ふざけた取調べを受けさせられていたはずさ」新倉は笑みを浮かべた。「だが、着眼点はいい。シフトについては、静内、お前から説明してくれ」

 本人を目の前にしていい辛いのだが、と前置きしてから静内はいった。「こいつの勤務態度が問題なんだ。上から、面倒をみろといわれている。ただ、それだけのことだ」皆、新倉の皮肉や厭味にげんなりしている。いまでも、結構、辟易しているんだ、俺は。

「──だそうだ。まあ、存分に調べてくれ。上に訊いても構わない。俺は上に対する覚えが悪いからな。俺に不利なことをいわれても、この際、仕方がない。甘んじて受けとめてやる」

「まったく素直なことですな」山村はいった。

「まあな。では、もっと率直にいっておこうか。不動から頼まれれば、俺は喜んで犯行に加わっていたと思う。静内、お前はどうだ?」

 静内は即答した。「俺も同じ意見だ。それどころか、俺ならもっとうまくやっている。とっくに皆殺しにしている。証拠が残らないよう処分もしている。そして、自らの犯行を派手に喧伝することは絶対にやめさせていた。闇から闇が正解だ」

「素直過ぎるのも考えもんだな」と山村。「いろいろ考えて、逆に混乱をきたしてしまうではないか。まるで〝クレタ人はウソつきだ〟だ」

「〝自己言及のパラドックス〟か」新倉が応えた。「まあ、好きなように捉えてもらって構わん。なんなら、監察に突き出すか?」

「そんなことはしない。ただ、一時的に俺たちの中に入れ。不動のことをよく知っているお前たちだ、要撃捜査に協力してもらいたい。もちろん、機捜には連絡済だ。許可ももらっている」

「協力者かもしれないのに、いいのか? いざとなったら裏切るぞ」

「そんなことはさせない。できる訳がない。編入させて、二四時間体制で監視するんだからな」

「考えているな。ハムにいただけのことはあるじゃないか」

 新倉の皮肉を無視して山村はいった。「とはいえ強制はしない。帰ってもらっても一向に構わない」

「その代わり、監察がやってくるのか? ま、俺は帰ったところで誰もいないんでね。どうせ暇だし、付き合うよ。監察に付きまとわれるのも勘弁だ」新倉は静内を見た。「お前はどうする?」

「残る。不動がどこまでやるか、俺は最後まで見てみたい」

「最後まで見てみたい?」山村がリフレインした。「俺は要撃捜査に協力してもらいたい、といったぞ。お前、露骨に確保する気ないな」

「当たり前だ。特殊部隊にいた人間を要撃捜査で確保できるものか」

「開き直りやがって。まあ、いい。俺は、犯行後に行われるであろう通常捜査でも、無理だと思っているしな」

「だったら何をするんだ、俺たち」

「それは、後のお楽しみ」

「昭和か? いまどきそんな台詞いう奴いないだろ」


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