あんたみたいなのが目立って的になりやすいんだ
25
鈴森は、ひとりごちた。俺の本職は、交渉人だ。こういった事態を避けるために存在しているのに、なんだこれ。おっかなくて仕方がないぞ!
エントランスから跳んでくる無数の弾が、表に立っている大理石風の四角柱、その反対側を下品にたたいている。柱は四本あった。結構な幅が優にあり、ハイエースにいた全員がそれぞれに分かれ陣取り撃ち合っている。山村なんぞは、真っ先に飛び出していった。
俺はといえば、ハイエースから一番手前にある柱に不動と援護のために残った。だが、それは表向き。不動が気を利かせてビビっている俺のお守りを引き受けたのだ。不動は敵から奪ったミサイルを抱え、柱を背にしている。
そういえば、さっきまでそのミサイル抱えていた奴。こちとら、生かしたまま確保するよう教えられているものだから急所をはずしたのに、不動は倒れてわめいているそいつの頭を撃ち、とどめを刺しやがった。ためらいなく引き金を引くところなんか、やはりプロの殺し屋だ。
しかし、こんなことでは部下に示しがつかない。臆病者と思われると、後々響くんじゃないのか。せめて援護射撃でもするか。援護射撃のために残った、というカタチにしておかなくてはいけない。
柱から顔を出そうとしたときだった。襟首をつかまれ引きずられる。顔の高さで銃弾が弾けた。
「無理することはない」不動は襟首から手を放しながらいった。「あんたみたいなのが目立って的になりやすいんだ。ところで、ヘリが来たことは知ってるな」
「ああ、もちろんだ」
「上から連中が来るまで敵を外に出さなければいいのであって、自分の命をさらしてまで、殺り合うことはない」不動は暗がりを見据えたままいった。
「分かったよ」
「ラ・マシヌ、スティンガー持ってますね。しかも、こっちを見てるし」とヴァシーリー。「地対空ミサイルなんて、人に向けても当たるもんですか?」
「試してみるか」アナトーリーは訊いた。
「いや、遠慮しておきます」
「もうギャラリーに徹しようぜ、ヴァシーリー。後学のためにもさ」
「堂上さん、防ぎきれません!」屋上の連中を迎撃しにいった部下からだった。
「いま、どこだ?」
「階段の踊り場。三階──」ギャッ、という悲鳴がして無線が途絶えた。
ヘリで来た奴ら、何者だ。よっぽどの連中だろ!
薄暗い廊下を大股で歩く堂上は、二人の護衛を従えていた。その集団の後を追ってきた佐々木は訊いた。「アナトーリーたちは!」
「知らん!」堂上は振り向きもせず応えた。
アナトーリーとは連絡が取れない。全員死んだはずはないんだ。くそっ、逃げたな。だったら、仕方ない。堂上は、携帯のアドレスをスクロールした。
「東京の人間を動かしたらどうです」傍らを歩きながら佐々木が訊いた。
「いま、やっているよ!」
呼び出し音三回で相手が出た。だが──
「どうも、堂上さん。初めまして」
女だった。堂上は思わず立ち止った。「誰だ、貴様!」
「誰でもいいじゃない。それより組対三課長の渡部、交通管制センターを襲撃して国中すべての交通機関を混乱させようとしてたらしいけど、確保したわ。最後っ屁作戦は、残念でしたわねえ。それと、公安や監察にも、あんたのSがいるんですって? 池部も、ゲロったわよ。もっと詳しく知りたいから、あんた、万歳して教えてくれない?」
「うるせぇ、糞アマ!」堂上は電話を切った。
「どうしました?」と佐々木。
「東京の連中、抑えられた」堂上はさっきりより大股で歩きだした。
「え?」
「俺は、逃げる。お前、人質を始末してからこい! ガキみたいな真似はするなよ」
「分かりました」というと佐々木は踵を返した。
佐々木の後ろ姿を目で追いながら、堂上は思った。そいつは、駄目だぜ、佐々木。俺もお前も携帯を持っているじゃねえか。人質のところには、見張りがいる。その二人に携帯で殺害を指示すれば済むことだろうが。それが分からないお前じゃないだろ。
扉の向こうが急に騒がしくなったことに北野は気づいた。銃声が響き、怒号がする。
遼子は絵里を抱き寄せ立ちつくし、矢木はヴィクトリアノックス──武器として役に立つかどうかは分からないが。いや、ガキどもをあっという間に殺した矢木なら可能か──を握りしめ扉の横に立ち、俺はただ単に扉の向こうを見据えていた。
銃声がやんだ。まったくの静寂の中、金属音がかすかにした。鍵が鍵穴に差し込まれる音だ。蝶番をきしませ扉がゆっくりと開く。シルエットが現れたと思った途端、それは崩れるように仰向けに倒れた。佐々木だった。
「佐々木!」矢木が駆け寄る。
「大丈夫か!」北野も続いた。
「……全然、大丈夫じゃないです」と佐々木。
北野は、佐々木の血まみれになったシャツを広げた。呼吸の脈動に併せ噴出している。肺だ。北野は、両手で抑えた。だが、生温い血が指の間からもれ出てくる。くそっ! 北野は、右手を放し戦闘服のポケットを探った。だが、ハンカチやタオルらしきものはない。「矢木、ここ。止血してくれ!」
自分のジャケットの左袖を矢木はヴィクトリアノックスで切り裂き、それで傷口を押さえた。
「しくじったなあ……」佐々木は天井をぼんやり見たままいった。「いきなり銃を向けられるとは思わなかった。堂上に読まれていた。連絡いっていたんですね。いきなりか、という感じですよ……。見張り二人が扉を開けた隙に、そいつらを始末する予定だったんですけどね。まあ、なんとか倒しましたけど……」
扉の向こうでは、二人が血まみれで倒れていた。息はもうない。
「ああ、まったく間抜けだ。考えもせずに行動するなんて。堂上の言葉の意味を解さなかった……」佐々木は咳をした。口から鮮血がほとばしった。
「陽介ちゃん、もうしゃべらない方がいいわよ!」遼子も処置にやっきになっていた。佐々木のベルトを抜き、それを血まみれの太腿の上に巻いていた。
「それって、死亡フラグとかいう奴じゃないですか」口の周りを血まみれにした佐々木はニヤリとした。「ところで遼子さん、さっきの私に対する発言、結構、傷ついたんですけど、本気でした?」
「教えない、いまは。知りたかったら、生きろ!」
「自慢じゃないですが、医学部出て国家試験にも受かっているんですけど、私。自分の状態ぐらい分かりますよ……。ぐっ。見事に、心臓と頭をはずしているし」いまの内にいっておかないと、とつぶやき佐々木は続けた。「堂上の奴、マリーナにいくはずです、護衛二人を連れて。義兄さんに伝えておいてください……」
「分かったわ」
佐々木はうなずいた。「どうせこうなることが分かっていたのなら、イチかバチか、さっき堂上を撃っておけばよかったなあ。取り巻きがいたものだから、できなかった……。自分の命が惜しかったから……」
「私たちを助けにきた!」遼子は叫んだ。「その事実だけでいいじゃない!」
「いまので、また分からなくなった。遼子さんの真意、あの世でじっくり考えてみますね……」佐々木は微笑した。だが、それはすぐに顔から消えた。
「莫迦! あの世なんてない! だから生きて! あんただけは、死んじゃ駄目!」
「聞こえているか、不動、山村」ザスローンに帯同している桂からの無線だ。「射撃を中止してくれ。一階フロアの完全制圧にかかる。射線が交差するから、隠れていてくれ」
柱に陣取っていた特殊犯は、射撃をやめて身を完全に柱に隠した。「いいぞ」と山村。
不動と鈴森も同様にした。「こっちもだ」と不動。
一瞬の静寂の後、くぐもった音が断続的にした。悲鳴が響く。散発的な銃声もしたが、すぐに止んだ。あちこちから「クリア!」の声。ロシア語じゃないんだな。
頃合いか。不動はスティンガーを頭上に掲げフロアに入る。屍累々の中、黒ずくめの男たちは、それぞれ種類は違っていても、太い銃身の消音銃を構えていた。
一人がヘルメットとフェイスマスクを脱ぎ、近づいてくる。桂だった。「屋上から一階まで、完全に制圧した。これから人質救出に向かう」
不動はスティンガーを下ろした。「いや。連中には、表の警戒に当たるよういってくれ。まだ、スペツナズがいるんだ。人質は、山村と特殊犯に任せろ。俺は堂上を──」
懐の携帯が震えたので、スティンガーを桂に押し付け不動はそれを出した。見覚えのある番号だった。不動は、通話スイッチを押し話しかけた。「陽介、無事か?」
「真ちゃん? 遼子です……」
「どういうことだ!」そんなこと訊かなくても、答えは分かりきっていた。期待とまったく反対のことが起ったのだ。胃がせり上ってきたことを不動は自覚した。
「──陽介ちゃんが亡くなった。ごめん!」
「……そうか」とだけしか不動は応えられなかった。
陽介、お前の優しさにつけ込んでしまったよ。話を持っていったとき、断ることも選択肢に入っていたが、性格的にお前は断ったりしない。姉さんのため、といわれればなおさらだ。こっちの都合で、お前の将来どころか命をも犠牲に……。すまなかった。
ぶっ! 地下室に仕掛けた盗聴器が拾っている音声を聞き、堂上は吹き出した。お涙頂戴ときたか。とんだ茶番だ。だが、二重スパイにしては立派な最期だよ、まったく。堂上はヘッドセットを頭から外しリノリウムの床に叩きつけると、M16を携えた機動隊上がりの二人の護衛とともに、裏口へ続く廊下を進んでいった。
刑事二人は、いってみれば救出班だったんだ。それをわざわざ誘拐だぜ。なにが、自分のことがどこまで知られているか確認したい、だ。佐々木の適当な口車にまんまと嵌ってしまったではないか。ガキどもを五人殺した、あの女の能力を考えれば、腹を食い破っての救出はいい手だよな、悔しいが。
佐々木は、医学部を出て、東大に入りなおして中退。キャリアになったはいいが、冷や飯を食わされていた? よく考えれば、リクルートしてください、っていっているようなもんだぜ。しかし「兄さん」ってなんだ? 不動に弟はいない。とすれば「義兄さん」か。だが、不動の死んだ嫁も母親の女手ひとつで育てられていたのだったよな。兄弟姉妹はなかったはず。父親は、女といなくなったという。その父親の連れ子か。リクルートは監察のSに任せていたのだが、何をチェックして──。
護衛が裏口のドアを開けた。雪とともに吹き込んできた冷気が脳にスイッチを入れた。
──違う! 仮にも監察だぞ。血縁の調査を怠るわけがない。情報を操作していやがったんだ! ファイナンシャルプランナー、その紹介者、佐々木、監察……どんだけSを入り込ませていたんだ、俺! 要するに、俺は何年も前から監視下にあり、何年もかけて糞ったれ桂のために、せっせと金を稼いでいたってことか? そして、桂とその嫁に金を取られ、今度は不動には命を獲られようとしている。なんだ、そりゃ!
しかし、誘拐なんて短絡的過ぎたなあ、金が惜しかったからだが。大体にして不動は、人質が死んでも、自分の身内が殺されたときほど悲しんだりはしない。人質救出は、あくまで俺の殺害のついで。事実、交渉そっちのけで戦争だ。人質が死んだら、無意識の演技で涙を流したかもしれないが、結局、他人事さ。不動の女房と妹が死んだ原因が桂自身にもあるわけだから、腹の奥底では桂母娘が死んでもいいと思っていたかもしれない。
ちょっと待て。まさか、不動の女房と妹の死が、意識的な布石だったりしないよな。俺が捜査に気づくことを前提に、捜査のプロでない不動を、桂があえて捜査に使ったとしたら? 女房と妹に害が及び、戦闘のプロである不動が俺に復讐することを計算して──ないな! いくらなんでも考え過ぎだ。桂がそれほどの能力を有していたら、頭にくる。
堂上が突然、ゲラゲラ笑い出した。護衛が怪訝そうな顔をする。「どうしました?」
「そいつは、ちょっといえないなあ」俺が莫迦だってばれるだろ。
不利と見るやクライアントを捨て遁走したスペツナズは、さすがだ。他人の命よりは金だが、自分のそれに対しては違う。とにかく逃げるのが正解だ。それができない奴、それに気づかない奴はただの莫迦。そういう莫迦は死ぬことになっている、残念ながら。
さあて、俺はもう少し足掻いてみようか。
桂が地下室の中に入に駆け込んできた。「遼子、絵里!」
ふん。まるで結婚式でタキシードに着せられている新郎だ。山村や隊員らと先に駆けつけていた鈴森は、桂を見て思った。大仰なごちゃごちゃした装備をつけたベストを着て、編み上げのブーツを履いている。まるで似合っていない。お遊戯でもするつもりですか?
桂の目には遼子と絵里しか入らなかった。桂は二人に近づき抱きしめた。
「大丈夫だったか、絵里」
「うん……」
「悪かったな、遼子」
「心配いらない。私が関わった仕事に間違いが起きるはずないでしょ。そう確信していたから、まるで平気だったわ」遼子は強がったが、身体の震えが手に伝わってくる。遼子は桂の背の向こう側を見回した。「真ちゃんは?」
「堂上を追った。奴だけは、まだ終わっていない」
「そう……」遼子はそれっきり口をつぐんだ。
鈴森は、部下に、二人を一階の、どこか死体がないところで休ませるように命じた。
二人が消えると鈴森は悪態をついた。「不動の身内をさんざん殺しておいて、まだ懲りていなかったのか、ええ? 桂さんとやら。不動の女房、妹、女房の腹の中にいた子供。今度は、義弟の佐々木。あんた、不動に恨みがあったのか? 女房の両親が別れた際、離れ離れになった弟だったって? そんなもん、引っ張り出すんじゃねぇよ! 例え、本人や不動が納得したとしてもだ!」
桂は鈴森を見ることなくいった。「すまないと思っている。だが──」
「だが、なんだ!」鈴森は声を荒げた。「回りくどいことしやがって。やたら時間と人員を投入して、糞をまき散らして歩く。結果どうなった? あちこち血まみれじゃねぇか。何人、死んだ? 軽く二桁いってるよな、ええ? シリアルキラーどころの騒ぎじゃねぇぞ! 静内と新倉も、あんたに殺されたようなもんだぜ! 楽しいか? 楽しいだろ? 楽しいよなあ、他人を駒のように扱うことができたんだから。まるで神になったような気分なんだろうさ。露助まで引きずりこんで、好き勝手やりやがって! 俺まで、危うく殺されるところだったぜ」黙ったままの桂に、鈴森は追い打ちをかける。「ところで、あんた。まさか、お国のためにやったとはいわないよな──」
「その辺でやめておけ、鈴森」山村は制した。「お前のいっていることは、いちいち正しい。しかし、ハム畑の人間に、正義を説いても耳に入らない。俺もそうだから」
「ふざけるなよ、山村! どうかしてるぜ!」
「ああ、どうかしている。だが、桂はまともな方さ」山村はあごをしゃくった。
山村のあごの先を見る。桂がベージュのコートのふくらみに向かってふらふらと歩いていく。しゃがむとコートをめくった。死んだ佐々木が横たわっていた。血まみれの佐々木の前でうなだれる。かすかに声がした。「……すまなかった」
桂の謝罪は、桂の真実の言葉だろう。「本当に」とか「心から」とか、いい訳じみた余計な修飾語をつけていない。本当に、心から、わびたいと思っているからだ。ちっ、ハムが人間味出してたら調子が狂うだろうが。
山村はひとりごちた。桂は、大したもんだよ、いちいち面倒臭いことばかりやっているが、失敗も多々あったが、それなりに目的を達成しやがった。どうせ、できのいい嫁さんのおかげなんだろうけど。とはいえ、損耗率が高過ぎる。桂は、仕方がないと割り切れるだろうか? トラウマにならなければいいが。そっちが心配だ。
さてと。「北さん、貴恵! 上がるぞ。お前ら、二人、よくやった。貴恵、お前は、この俺の目を盗んで、よくぞ副業をやりぬいたな。むかつくが、褒めてやる。それから、北さん。お前、帰ったら報告書を書いておけよ。もちろん、この件じゃないぞ」
「分かってますよ!」大体にして気絶してから先、ポカーンだ。書けるわけないだろ!それに、なんだ、そのいい草は。何人も死んで……くそっ、他人を怒らせるというのは、おっさんのいつもの手だった。二の句をつけなくさせて会話をばっさり終わらせる。
そういや、おっさんの嫌味は、常に、論理や事実や本質に基づいていて、単なる罵詈雑言ではない。人を見ているんだ。例えば、本気で怒り出す奴は、莫迦だと認定されているんじゃないのか? 嫌味のフィルターにかけ、使える奴とそうじゃない奴を分別してるんだ。だから、自分の評価と違う肩書きが大嫌いなんだ。職能的には正しいかもしれないが、上に疎まれるに決まっているよな。なんだか、ついていきたくねぇなあ。
アレキサンドラは、人質が全員無事との報告を聞いて、ほっとした。失う訳にはいかなかった、貴重な情報源を。とはいえ取り込む考えはないけど。金と男に満足している遼ちゃんには、スカウトする材料が見当たらない、いまのところは。女と女の間には、男どもほど思想・信条、国籍・人種の壁がない。世界中、男に対する不満の方が上回っているからだ。男が介在せず対等な立場なら、友情が成立しやすいのだ。しかも、遼ちゃんは、共に作戦を立案した正しく戦友だ。死なせたら義理を欠く……って甘いな、私も。
「制圧は完了したの? 大佐」アレキサンドラは訊いた。
「完全ではありません。堂上とそれについていった護衛が二名。不動が追っています。それから、不動から聞いたんですが、まだスペツナズが二名残っているとのことです」
「それ以外の敵は、皆、殺したのよね?」
「ええ。お隣さんの犬二頭はどうします? 掃討しますか?」
「面倒なことはしなくていいわ。堂上が逃げたいま、攻撃を仕掛けてくるとは思わない。一方で万歳するとも思えない。その内、離脱する。ただし、隙は見せないで」
「分かりました。不動の援護には回らなくていいですか?」
「彼に始末を付けさせるのが人情というものよ」もちろん不動が始末に失敗しても、バックアップはちゃんと用意してある。「ところで、損害は?」
「三です。もちろん部隊にはありません」
嫌な予感がした。「名前、聞いてる?」
「ササキ、シズナイ、ニイクラです」
「え? 最後、聞き取れなかったけど」
「ニイクラですが、何か?」
「いえ。なんでもないわ。ご苦労さま」アレキサンドラの手が震え出した。
雪交じりの強風が北から南へ通り抜けていく。ホテルの裏口から外に出た不動は、中からもれている光に映し出された足跡を見つけた。三人分のそれは、ホテルから崖に並行して造られた遊歩道に沿って──遊歩道の柵のすぐ向こうは五〇メートルの奈落だ──南へ向かっている。
堂上はマリーナにいくと、陽介は死に際にいっていたという。そこにある、せどりに使っていたプレジャーボートで逃げるつもりなのだ。マリーナへは、遊歩道の途中から崖下に伸びている、階段を降りなければならない。降りる前に、決着をつけてやる。こんな遮蔽物もないだだっ広い場所で、護衛なんて意味があるか。スペツナズを気にすることもない。襲ってはこない。
表に出た不動は、右サイドを目標に向け、尻をつき両膝を両肘で抱えるようにした。右肘を右膝に乗せ、右手は左肘を握った。桂からISETANの袋ごと渡された、CP-3M Вихрьの銃身は右手の二の腕の上だ。銃床を左肩につけ、セレクトレバーをセミオートにし、左の人差し指を引き金にかけた。右手はまだしびれているので、左を使うしかない。
護衛二人が不動に気づき、堂上の壁になると発砲してきた。だが、弾はあちこちにそれている。暗視スコープに映る三人の銃のシルエットは、すべてM16。こんな雪や風が強いときには、軽い銃弾は駄目さ。しかも、風は北から南に吹いている。連中にとっては向かい風だ。俺でも当てる自信はない。
しかし、CP-3Mは違う。最大射程は、四〇〇メートルと短いが、こいつの九ミリ×三九弾は、M16の五・五六ミリ弾より重くぶれにくい。しかも俺にとっては追い風だ。
スコープのレティクルの中央に、手前の護衛の腹を捉えた。二度、引き金を引いた。音速を超えず、サプレッサーで減音された銃声は吹雪にかき消された。腹を撃たれた男は、前のめりに倒れた。思った通りのポイントに弾は当たった。グルーピングは安定している。取り付けたばかりで試し撃ちもしていないが、スコープの照準はきっちり合っている。銃身を伸ばし精度を上げるために装着したサプレッサーのおかげかもしれない。もう一人に対しても同様に二度引き金を引く。同様に倒れた。
最後は、お前だ! 二人の陰にいた堂上の姿が現れる。こっちを向きM16を構え後退りしている。撃とうと思った瞬間、姿を消した。くそっ! 階段を降りやがった。
「ラ・マシヌの奴、あっさり二人撃ち殺しましたね」ヴァシーリーがいった。「しかも、こっちをまるで警戒していない。無視して堂上を追いかけていますよ」
「そりゃそうさ」アナトーリーが応える。「こっちには、九ミリ・パラしかないということがバレているんだから。向うにはザスローンもいるんだし」
「カミカゼアタックは粋じゃない。発祥の地で外国人がやれば、なおさらです」
「上手いこというな」アナトーリーは立ち上がった。「さて、帰るか」
「そうですね。でも、どこに帰ります?」ヴァシーリーもそうする。
「考えてなかったなあ。お前、偽造した身分証明書の類、持っているか?」
アナトーリーは歩きだした。ヴァシーリーが後に続く。
「いま持っている他、ニューヨークの貸金庫に数セット預けていますが」
「俺はチューリッヒにある。ということで、外人部隊にでも入るか。フランスの国家公務員なら保障も厚い。外人部隊の入隊に過去・経歴は問わないというしな」
「本当に、問わないんですかね?」
「ま、違うだろうな」




