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殺戮機械 La Machine Slaughter  作者: 瀬良 啓 Sera Quei
15/26

俺の能力を低く見積もり過ぎているんじゃないのか

 15

 

 気温一〇度、湿度五二パーセント、気圧一〇〇二ヘクトパスカル、風速ゼロ、高度差六八メートル……。不動は観測データをFMVの弾道計算ソフトに打ち込んでいった。

 計算結果が算出されると不動は空を見上げた。一面、晴れ渡っていた。風もない。正に狙撃日和。ただ、空の色は薄く白っぽい。高層にベールのような薄い雲がかかっているのだ。そして、太陽にはハロ、輪が囲んでいる。天気が崩れることを示す前兆現象だ。予報では、クリスマス寒波が訪れるという。

 ビルの脇をヘリが爆音を上げて飛んでいく。水色の機体に、赤く太い一本のストライプがキャビンを囲んでいる。航空隊のヘリだ。早朝から営業している、ガテン系の店で買ってきたばかりの濃紺のキャップを被り、上下グレーの作業着を着た不動は、それをぼんやり眺めることにした。

 つまらない罠をしかけやがって。俺を呼び寄せ確保しようなんて、まるで甘い。俺の能力を低く見積もり過ぎているんじゃないのか。


 静内が助手席から表を眺めていると、休日の風景にそぐわない人間が目に入った。スーツを着た男が並んで歩いている。「僕は、刑事なんですよー」といってるみたいじゃないか。こんなんじゃ、いくら狙撃現場を特定できても、不動に逃げられる。

 山村が運転するティアナは、水道橋駅の近く、早稲田通りに面した二四時間営業のファミレスの駐車場に入った。

 車から降りた二人は店の中へ。駐車場もそうだったが、店の中もガラガラだ。夜間人口が少ないこの辺りでは、休日の朝っぱらからこんなところにくる奴はいない。

 席に着くとすぐにウェイトレスが水の入ったグラスを持ってやってきた。山村はメニューも見ずに、玄関脇ののぼりに書かれてあったモーニングを頼む。静内も同じものにした。

 ウェイトレスが注文を確認してテーブルから離れると、山村が唐突に訊いてきた。「静内、お前、不動と最後に会ったのはいつだ?」

「葬式のとき以来、会っていない」

「葬式の様子、覚えているか?」

「いつの話だ」静内は不満げにいった。「覚えているわけないだろ」

「だが、葬式があったことは覚えているんだろ?」

「当たり前だ。莫迦にしてるだろ?」

「覚えているということは、印象に残る事象がいくつかあるに決まっている。どうだ?」

 静内は、当時の記憶をたどってみた。だが、思い出すのは不動の抜け殻のような姿だけ。とても声をかけられるような状態じゃなかったし、会話自体を拒否する雰囲気をまとわせていた。「それが今回の不動の件と関係あるのか?」

「ある。葬式でなくてもいい。不動に変わったことは? 例えば、勤務態度とか」

 子供ができたからといって、不動に変化はなかった。「おめでとう」といわれれば、人懐っこい素直な笑みを見せ「ありがとう」と返すことはしていた。元もと喜怒哀楽を表に出すタイプでない。冷静だが冷たくはない、不動を評すればそんなところか。人に対し、いちいち腹を立てることもしない。だからこそ、皮肉屋の新倉ともペアを組めたのだ。

 不動は、あくまでも仕事に忠実という昔気質・職人気質の人間だった。しかし、嫁さんの出産が近くなるにつれ、不動も人の子か、と思ったのを覚えている。「そういえば、休みがちだったな。もちろん無断欠勤ではなく有給を消化していただけだ。嫁さんの出産準備とかいっていたが」しかし、そんな矢先……。

「仕事ではどうだった?」

「別に。いつもの通りだった。俺たち機捜は、何も起こらない限り、ルーティン・ワークだからな」

「なるほど、やっぱりな」山村は自分にいい聞かせるようにいう。一度二度とうなずく。目の前のグラスに入った水を口に含み、不味い、というとテーブルに置いた。だが、次の言葉が出てこない。

「自分一人で納得してるんじゃない。何か分かったんだよな。俺にも教えろ!」

 店の中にいた人間が一斉に静内を見た。静内は口をつぐんだ。

「お前、不動から頼まれれば協力するといっていたが、今回の一連の犯行、フォローできたか? 恵比寿、広尾、座間、麻布、吉祥寺、そして羽田。実行犯は不動一人。その場にいなくてもいい爆弾を仕掛けてもいるが、強力なサポートがないと無理だ」

「確かに。装備品の調達が問題だ。例え金があったとしても、俺には伝手がない」

「人も、だ。複数の標的の行動確認など一人でできない。しかも、不動が日本に戻ってきたのは一か月前だそうだ」

「日本にいなかったのか」

「ああ。レ・ラ・イントレピッド社って知ってるか?」

「レ・ラ……なんだって?」

「おフランスの会社だよ。PMCだ。不動はそこの共同経営者のひとりだったそうだ」

「PMCか、なるほど。有名なのか?」

「業界では」

「そうか。で、あいつは経営者か。まあ、人当りも悪くなかったし、なっても不思議はない。そこそこの収入はあるんだろう?」

「あった、だ。帰国する直前に辞めている」

「そりゃそうか。傍目から見れば犯罪者だもんな。会社に迷惑がかかるとなれば、そうするか……。そういや、俺、何を訊こうとしてたんだ?」

「知らねぇよ」

 そうだった。「お前、不動をサポートしている人間の目星がついているだろ?」

「なぜ、そう思うんだ?」

「お前の回りくどい感じからだ。それに、一人でうなずいていたじゃないか。ハムか? 八年前から不動を使っていたんだろ。今回も、不動を使って悪さをしているんじゃないのか? 他部署の人間を使うこともするんだろ、餌を見せるか、脅しをかけるかして。だが、帝都を追うってところが分からない。半グレは、組対の管轄だ」

「もちろん帝都そのものを追っているのではない。背後にいる組織がターゲットだ。ハムは部や課で動いていなかったんだ。エースだ。見込みだったので不動を使ったのだろう。だが、それがばれた。家族を狙ったのは、不動が正しく特殊部隊の人間だったからだ。不動本人を仕留めることができないと考えたんだと思う」

「捜査員の真似事をさせたのか。ふざけてる」静内に怒りがこみあげてきた。不動の真面目な性格に手を突っ込んで利用したんだ!「許せない!」

「どっちに向けていっている?」

「どっちにもだ!」大声に視線が集中するのが分かったが、静内は構わずまくしたてた。「不動の妹と嫁を殺した実行犯は帝都の糞ガキだが、元々は、その糞ったれエースが元凶じゃないか。殺人教唆だろ!」

「お前の考えに同意だ。というわけで、俺たちの仲間に入れ」頭が使える人間はいるが、動くことができる駒がいないのだ、と山村は思った。「恵比寿署の近田、特殊犯の鈴森、それと俺とお前で、帝都の背後にいる組織──便宜上〝謎の組織〟と呼んでいる──を叩く。同時に、エースの手柄を横取りしてやろうと思っているんだ」

「分かった。加わる」

 返事が早い。論理より情で動くタイプの典型だ。

 静内がいった。「葬式にいたというのは、糞ったれエースか」

「ああ。多分、いたと思う。思い出したか?」

「いや。だが、思い出してやる」

 音声解析で静内はシロに極めて近いグレーだった。おそらく感情のゆれが器械に反応したのだろう。いずれ、こいつは完璧にシロだ。怒るときに怒る。考えるときに考えている。こういうことは、情に左右されやすいこいつには、いわない方がいいだろうなあ。怒りがこっちに向けられる可能性があるし、そうなっては面倒だ。

 静内と鈴森で、西条の代わりだ。悪くはない。悪くはないが、心許なくもない。やり方を少し変える必要が出てくる。どうしたものか……。

 しかし〝謎の組織〟は侮れないな。西条はすっかりマークされていた。

 〝すまん、山村。俺は降りざるを得なくなった。俺のパソコンに、家族の写真が送られてきた。しかも、いまのいま撮ったものだ。向いのマンションから狙っていたようだ〟

 いつでも殺すことができる、というメッセージだ。そりゃあ、降りるしかないだろ。俺でもビビる。

 Sは、警察内部のどこまで浸透しているんだ。俺の存在もすでに知られているのだろうか? 慎重に動かないとならない。なにせ、正体が分かっていないんだ、いるということは分かっていても。

 それでも、不動を操っている糞ったれエースが判明したのは幸いだ。さすがに、人相の確認まではいかなかった。静内も会ったことのない人間、しかも八年前、思い出すことは難しいだろう。それ以前に、葬儀場に静内と同じ時間にいたとは限らないし、そもそも葬儀にいったことすら分からない。

 だが、間違いない。この感じは奴──桂 丈太郎だ。俺を試しやがったな。


 北野と二人だけになると、新倉は部屋の端にパイプ椅子を四脚並べた。「何かあったら起こせ」といい、そこに横になる。コートを毛布代わりにして頭の上まで被る。速攻で寝息を立て始めた。

 ったく、徹夜のおかげで睡眠を欲しているのだろうけど、この状況でよく眠れるなあ。自由過ぎるだろ、あんた。

 北野は、監視カメラに戻っていたディスプレイに目を移した。廃墟寸前のビルの中で蠢いているガキどもを映している。

 別の窓を開いた。ズームしたカメラがビルの中にいるガキを捉えている。朝日が中まで照らしているせいで、よく見える。自動小銃の弾倉を外したり戻したり、それで窓の外を狙ってみたり、そして時々、複数のガキどもが見せる下品な笑い顔。声が聞こえてきそうだ。銃を手にしてテンションが上がっているのだ。いい気なもんだな、お前ら。もうすぐお縄になるというのに。

 だが、機動隊は本当に万歳させることができるのだろうか?

 銃撃戦になんてならないだろうな。不動はすでに立派なシリアルキラーだ。殺人に対する敷居は低くなっている。リアルな人殺しのシーンは、いくら同情できないガキとはいえ、あまり見たくない。

「ん?」

 ディスプレイに映るビルの周りをうろつく人影が気になった。長い髪をしている。女か? ズームしてみる。ズームしてもどっちか分からない。逆光だからだ。シルエットだと、男か女か判別不能だ。女でも、不動は容赦しないのだろうか。

 あれ? いま、何を思った、俺? シルエットだと、男か女か判別不能だ、か……。ちょっと待て! シルエットでは、稲城を特定できない!

 北野は、高揚していく自分に気づいた。狙撃ポジションは特定できる。不動を見つけられるかもしれない! 消去法で絞っていけばいい。

 朝日を背にするのでシルエットになってしまう方角、西からの狙撃はない。北は? 北からの監視カメラの映像をクリックした。ビルの窓も少なく、階段と便所のすりガラスの小窓が各階二窓ずつあるだけ、中を狙うことができない。北も除外だ。南は、玄関があり人の出入りがよく分かる。多くの窓があり、そこから中まで見通せる。東、窓の数も十分。しかも、順光でさらによく見える。

 不動は、南か東に陣取る? ……なんか、違うな。

 北園はスーツの内ポケットからメモ帳とボールペンを取り出した。空白のページを見つけ、それに十字線を引く。NWSE、と。真ん中がビルの位置とするだろ。NとWはない。北野はNとWの間を斜線で塗りつぶした。NとEの間は? 東の窓が見える角度からは狙えるから、NとEの間はグレーだ。Nに近づけば近づくほど、濃くなるよな。一方、WとSの間は、Wに寄れば逆行で狙いにくくなる……。北野は、メモを遠ざけて眺めた。なんだよ! 北東から南西にかけての一八〇度、最低でも狙撃可能だ。なにが、消去法だ。

 莫迦だな、俺。北野は、図を描いたページを破って丸めた。捨てようとしたが、ゴミ箱が見当たらない。仕方なくスーツのポケットに突っ込んだ。しかし、どこにいるんだろう、不動は。確率的に存在するだけ、と新倉はいっていた。存在するのは確かなんだ。だが、その存在を確認できなければ、存在しないと同じってことか。うーむ。

 俺だったらどうする? 俺が不動並の腕を持っているとすれば。

 まず、二〇〇〇メートル級の狙撃銃を使うよな。フィールドクラフトだっけ? 逃げることを考えれば、長い射程を持つ銃の方がいい。しかも、射程ギリギリから狙う。

 ところが、二〇〇〇メートルからだと目標に当てるのは至難の業だ、当たり前だが。どうすればいい? やっぱり、コリオリ力だよな。新倉には弾道計算ソフトを使えば関係ないといわれたけど、昨夜、初めて知ったそのコリオリ力が気になって仕方がない、莫迦のひとつ覚えみたいで嫌なのだが。まあ、俺だったら、コリオリ力を打ち消すことをするだろう。方角は、当然、東だ。西からは逆光で狙えない。

 なんか、いけそうじゃないか!

 北野は、エクスプローラーを開いた。グーグルマップで飯田橋周辺の地図を出した。ディスプレイだと分かりづらい。北野は、地図をプリントアウトする。メモ帳の縁を定規代わりにして、地図に梶山ビルヂングから東へボールペンで線を引いていく。一回ではまるで短かったので、それを三回、繰り返した。

 梶山ビルヂングから東へ二〇〇〇メートルだと、どの辺りだ? 御茶ノ水駅か。よし、ここから狙撃することにしよう。なんだか、楽しくなってきたぞ。俺も徹夜のせいで、変なテンションが入っているらしい。

 さて、次は建物の選定だ。北野は、ストリートビューで御茶ノ水駅周辺を歩き回る。

 ここか? マウスをドラッグし下げ、ビルを見上げる。随分、高い。地図を出し、ビルを確認した。三山ビルディングねえ。北野は、リンクしている三山ビルディングのホームページにいった。二八階建て、御茶ノ水でもっとも高いビルだとか。しかも御茶ノ水は、駿河台という場所にあるだけに、標高が周囲より高いということも書かれてあった。このビルのオーナー、どれだけ高いところが好きなんだ。狙撃には実におあつらえ向き。ガキどものいるビルを見渡すことができる。

 ここしかないな。ちょっといって見てくるか。どうせ、駄目で元もとだ。北野は立ち上がった。パイプ椅子の背にかけてあったコートを羽織る。

「どこにいくんだ」新倉の声がした。新倉は起き上がり椅子に腰掛けた。

 ちっ、気づきやがった。自分の考えを新倉にはいいたくなかった。否定され、莫迦にされるに決まっているからだ。「ちょっと……」

「ちょっと、か。だが、便所じゃなさそうだな」

 コートを着たからな。下手なウソをいったら、いろいろ突っ込まれた挙句、すみません、と下げたくもない頭を下げなくてはならない。「不動がいそうな場所を見つけたので、いって確かめてこようかと」というと北野は自分の考えを説明した。

「──なるほど。だが、主席主任さん、いくのはいいとして、万が一、不動に遭遇したときのことを考えているのか? 応援を呼ぶか? だが、そんな暇はない。不動は容赦しないぞ。あんたの銃の腕前は特殊部隊の人間より優れているとは思えない。それとも、説得するか? 特殊犯の交渉人、鈴森といったかな、ほどの交渉力がお前にあるか?」

 わーっ! 次から次へと……いちいちその通りだから、余計腹が立つ。

 新倉は続けた。「お前一人でいくことはやめておくんだな、死にたくなかったら」

「分かりましたよ!」というと北野は椅子に腰掛けようとした。

「おい、座るな」というと新倉は立ち上がり、毛布にしていたコートを羽織った。「『お前一人では』と俺はいったじゃないか。二人ならなんとかなるだろ。主席主任さんの推理力がどれほどのものか、確かめにいこうぜ。顔見知りの俺なら、不動を説得できるかもしれない。銃撃戦のことは……銃の腕前も不動に遜色ないと俺は自負しているが、ま、考えたくないな。そうならないよう説得するしかないか」


 Fr:不動 真

 Sub:稲城、帝都の儲けを着服するなどして貯めた金が、2,345,032ドルもあるとは驚きだったぞ。その驚きの口座データを、安部に送ろうと考えているのだが、どう思う? まあ、誰もいないときにでも電話を寄こせ。


 〝不動 真〟? SMSの受信ボックスを開いた稲城の背中に冷たいものが伝った。

 なんで、名前……あいつの名前なんてアドレス登録していない。それに、なんで俺の電話番号知ってるんだ? あと金。数字が、マジ具体的過ぎる。スマホの〝お気に入り〟に登録してあるプライベートバンクのサイトを開く。口座を確かめようとしたが、できない。暗証番号がはじかれる。何度やっても駄目。番号が変えられている? マジかよ!


 稲城から返事があった。なかなか返事がこなかったので、直接、電話しようとしていた矢先だった。不動はとぼけた。「どちらさん?」

「分かっているだろ! 金は、金はどうした!」

「お前のマンションにあるパソコンをハッキングして、いただきましたけど。それが何か?」パソコンもだが、お前のマンション自体も無防備過ぎだったぞ。おかげで生体認証に使う指紋も簡単に採取できた。

「俺の、大切な金だ!」

「三途の川の渡し賃は六文だ。いまの価値で約六〇円。手持ちで間に合うさ」

「畜生! 殺してやる!」

「すぐに開き直るのは、いま時のガキの悪い癖だ。無理だな。お前の選択肢は二つしかない。俺に殺されるか、安部に殺されるか、だ」

「ふ、ふざけるな!」

 不動は稲城の悪態を無視した。「お前、タイで仕入れた〝テリヤキ〟いわゆる粗製アヘンの一部をチャイナ・マフィアに横流ししているよな?」

「そ、それは……」

 なんだ? もう大人しくなりやがった。「しかも、テリヤキで儲けた金だけではなく、帝都の資金の一部も、チャイナ・マフィアと組んでハゲタカのごとく勝手に運用している。運用益は当然、自分の懐。だが、それだけじゃない。女を囲っているだろ。こいつは通帳見ても分からないけどな。一緒に南の国にでもいくつもりだったか、ええ? 嫉妬深い総長さんを裏切っちゃあ、まずいよな。生爪はがしたり、熱湯かけたり、生きたままチェーンソーで身体を切断なんてこともするそうじゃないか。死体はミンチにして海に捨てるんだっけ?」不動はせせら笑った。「ところで、男色家の莫迦総長、安部はそこにいないのか? いたら代われ。俺から直接話してやる」

 返事はなかった。いないらしい。いても、代わるなんていう訳ないけどな。「稲城、いますぐ外に出てこい。俺だったら、死んだことにも気づかないようにして、あの世に送ってやれる。本当は、羽田でそうしてやるつもりだったんだが、邪魔が入ってしまった。すまないと思っているよ」

「じょ、冗談じゃないぞ! やれるものなら、やってみろよ!」

「お前、まだ分かっていないのか。別に俺が手を出さなくてもいいんだぞ。いますぐ、安部にデータを送りつけてやろうか? クリックひとつで済むんだぜ」

 また無言になりやがった。考えているな。そうだ、ない頭でも考えれば答えが出てくる。どういう態度をとればいいのかも分かるはずだ。だが、逃げ道も用意してやらないと、開き直る。そうなっては面倒だ。

 不動は、語りかけた。「稲城、お前だって被害者なんだよな。お前は、安部に頼まれただけだということは分かっている。尻の穴だって、好きで掘られているわけじゃない」歯が浮くが、この際、仕方がない。「同情できなくはない、と俺は思っているんだぜ。なにせ、お前らは嵌められたんだから……」さあ、食いついてこい。

「嵌められた? どういうことです?」稲城は、です・ます調でいった。

 かかった!「お前、堂上って奴を知っているか?」

「堂上?……いえ」

「安部の上にいるお前らの儲けをパクっている奴だよ。一種のマフィアと思ってもらっていい。俺は、そいつを捜査していたんだ。後は、分かるよな? 捜査員の身内を標的にするのは、連中の常套手段だ。しかも、自分の手は汚さず、お前らのような下請けに出す」

「え、ええ……」

「本当に分かっているのか? お前らも同じ手に引っかかったんだぞ。そこにガキどもを集めたのは安部だよな。どうやって集めた?」

「仲間を殺した男をおびき出して始末するからと……」

「安部は、堂上にそうしろといわれたんだよ。そして、堂上はその情報を警察に流した。俺に伝わることも分かっていたんだ。大したもんだと思わないか?」

「つまり、堂上は裏切ると?」

「そうだ。賢いじゃないか、お前」と不動は心にもないことをいった。「帝都は、その堂上の機嫌を損ねたんだ。増長した帝都はいい気になって、マルBやチャイナ・マフィアに喧嘩をふっかけている。そいつらとも取引している堂上にとってはいい迷惑だ。とはいえ、同じ帝都聨合でも、ビジネスにあざとい奴らは来ていないだろ? 金づるになるそいつらは、堂上が引き取るつもりなんだ。どうだ、周りには安部を含め莫迦しかいないだろ? お前も、引き取られていたかもしれないのに、残念だったな」

「そ、そんな……」

「つまり、堂上は、飼っていても害にしかならない〝悪そうな奴は大体友達〟とぬかす莫迦どもを、まとめて処分することにした。他人任せの粛清さ。堂上というのは、本当に大した奴だよ。敵である俺も利用するんだから」不動は笑った。「俺が手を出さなくても、警察がいる。そこからは見えないだろうが、強武装の機動隊が配置についている。確保なんかしないぞ。好き放題だ。短機関銃や自動小銃を持っているなら、なおさらだ。拳銃の場合と扱いが違う。それを理解しているから、マルBは拳銃より強力な銃は滅多に使わない。知っていたか?」

「い、いえ」

「銃殺されればラッキーだ。下手に生き残れば、傷口に塩を練りこむような──お前ら、実践しているだろ──これでもかという暴力をふるわれ、障害が残って死ぬ以上に辛い目に遭わせられるぜ」

「そんなことって……」

「よくある話さ。機動隊には合法的に人を殴れる、殺れるということで入った人間が結構いるんだ、お前らの近縁種がな」不動は一息ついてからいった。「どうする? 助けてやろうか?」

「本当ですか?」

 ウソに決まっているだろ。「稲城、お前次第だ」

「一体、どうすれば……」

「安部を殺す手伝いをしろ。奴は俺の手で殺したい。お前だって、安部は死んだほうがいいと思っているはずだ。金も返してやる。いますぐ〝はい〟といえ。そうでなかったら安部に、いますぐメールを送りつけてやる、お前が女とやっている最中の動画を添付してな。分ったか?」

「はい!」稲城は、莫迦みたいに元気な声で即答した。


 三山ビルディングは、飾り気も何もない機能を優先しただけの典型的なオフィスビルだった。エントランスに入ると、受付にいた警備員に北野と新倉は警察手帳をみせた。

「あれ? さっきも警察の方が一人きましたけど」と警備員。

「え?」まさか、不動なのか? 心臓の鼓動が高まる。

「なんだ、随分と早いな」北野の緊張を見抜いたのか、新倉が平静を装って応対した。「屋上にいきました?」

「ええ。張り込みさせてくれって。なんだか、大きなバッグを持っていましたよ。何が入っているんですか?」

 きっと狙撃銃が入っているのだ、射程二〇〇〇メートルの。

 新倉は「望遠鏡とか防寒具が入っているんです。光学機器の発達によって遠くからの張り込みが可能になりましてね」

「何か事件ですか?」

「それが、ただの訓練でして。お騒がせしています」

「なんだ。そういってくれば、よかったのに」警備員は不機嫌な顔をした。「警察手帳を見せて説明なしに『張り込みさせてくれ』『他言無用だ』でしょ。こっちは緊張しっぱなしですよ」

 新倉は聞こえるように独り言をいった。「あいつ、相変わらず冗談がきついなあ」

「えーと? どういうことです?」

 新倉は、二人分の弁当が入ったコンビニ袋を掲げた。「こういうことです」

「はい?」

「つまり、サボっていてもばれない。奴の荷物の中にも入っていたと思いますよ」

 ここに来る途中、コンビニに寄って新倉が買ったものだ。会計のとき、新倉は領収書を切った。せこいと思ったが、話のネタにするつもりだったのか。

「なるほど」警備員は苦笑いし納得した。

「天気もいいようですし、上で朝飯食わしてもらっていいですか?」

「構いませんが、ゴミは持ち帰ってくださいね」

「もちろんです。でも、他言無用ですよ」新倉は、右手の人差し指を唇に当てる、わざとらしいポーズをとった。

「そちらも内緒にしておいてくださいね。屋上が警察の食堂にされてはかないませんから」というと警備員は笑みを見せた。


 北野と新倉の二人はエレベーターに乗った。扉が閉まると、北野は最上階のボタンを押した。新倉の顔を見て興奮していう。「ビンゴでしたね! 不動が本当にいるなんて思いませんでしたよ!」

「お前、案外、鋭いんだな。なんで主席主任なのか分かったよ」新倉はコンビニ袋を床に置きながら「しかし、中途半端にできがいい奴というのは、実にはた迷惑な存在だ」

 俺のことなのか? 物いいがおかしくないか?「どういうことです?」

「知らず知らずの内に、地雷を踏むってこと」

 鈍い衝撃がみぞおちに起った。息がつまる。たまらず身体が前に折れた。足を払われる。身体が軽くなったと思った途端、背後から腕が伸びてきて首に巻きついた。足に支えがなくなっていたせいで全体重がその腕にかかり、頚動脈を圧迫する。駄々をこねる子供のように両手両足をばたつかせたが、もがけばもがくほど、しまっていく。苦しいじゃねぇか、莫迦野郎! だが、口を掌で押さえられ、声を出せない。

 どういうわけか、新倉の声が遠くから聞こえてきた。「……すまんな。少しの間、眠っていてくれ。大丈夫だ、死にはしない……」

 何いってんだ、こいつ。さっぱり意味が分からない……。目の前が暗くなっていく。同時に苦痛が薄れていった。それは、心地よいほどだった。


 屋上の鉄製のドアの脇に、ファイブセブンを両手で構え不動は立った。中から足音が聞こえたからだ。

 足音がやむと同時に声が響く。「不動! 俺だ、新倉だ!」

 新倉?「一人か!」

「ああ、そうだ」

 不動は左手でノブを回しドアを開けた。両手を挙げた新倉がいた。新倉の背後を身体の横からのぞき見る。誰もいないことを確認すると、新倉に屋上に出させてから、ドアを閉めた。「どういうことだ。予定にないぞ!」

「その作業着、案外似合っているな」新倉が薄ら笑いを浮かべていった。

「そんなことは、どうでもいい! 何しにきた!」

「いま流行りの想定外とやらに遭遇してしまった。お前がここにいることが、ばれた」

「何だって!」

「落ち着けよ。ばれたのは、一人だけ。そいつは弁当を抱え便所で眠っている」

「説明してくれるんだろうな」

「その眠っている捜査一課の主席主任に、特定されたんだ」狙撃のことを訊かれたので教えてやったら、学習したとのこと。特にコリオリ力が余計だったという。

 ちっ、不動は舌打ちした。「自慢げに講義するお前の姿が目に浮かぶよ」

「すまなかったな。だが、いずれ合流するつもりだったから、いいタイミングだったよ。それに、お前も、素人でも分かるようなところにポジションとるな」

 開き直りやがって。「時間の猶予はどれ位ある?」

「朝飯にどれだけ時間をかけるかによる。山村と静内が出かけて三〇分。食い終わって帰ってきて、すでにここを突き止めていると仮定しても、ここまでやって来るのに最低一五分はかかる。しかし、お前、いつ着いていたんだ。早かったじゃないか」

「検問は、その都度、警察手帳を見せればいいだけだし、情報は常に入ってきてるから行動開始もオンタイムだ。なんでそんな当然なことを訊く。何かあるのか?」

「山村が、お前が来るまで時間があるといったんだ」新倉は嬉々としていった。「意図があったんだよ。訊きたいか?」

「いまはいい」長くなるに決まっているんだ。不動は屋上の東端に向かい、そこにあった山型になっていたブルーシートをめくった。ビーンバックの上に銃が立てかけてある。

「マクミランTac‐50スナイパーライフル。アフガニスタンで二四三〇メートルの狙撃を成功させた奴だな。初めて実物を見た」新倉は銃身に取り付けられている黒い筒に気づいた。「こいつ、サイレンサーなんてあったっけ?」

「最近アクセサリーが出始めている。目標が二キロ先でも、敵が近くにいないとは限らない。そいつらから見つけられないようにするためだ。ただ、こいつの場合、完璧にサウンドサプレッサーといった方が正解さ。単に、耳障りな高音がカットされているに過ぎない。ところで、観測手ぐらいやっても罰は当らんだろ」

 マクミランの右わきに、三脚に取り付けられたフィールドスコープがあった。「立っている者は親でも使え、ってか」

「そういうこと。ヘリが巡回している。周囲の警戒も怠るなよ」

「分かっているよ」新倉は、フィールドスコープの後で腹ばいになり、接眼レンズをのぞきこんだ。「おー、ビルがよく見える。距離はいくつだ?」

「一九五六・三二三メートル」いまどきのレーザー距離計は、小数点第三位まで測る。

「どうやって稲城を狙う? かなり俯角になっているぞ。建物の中は狙えない」

「いいから、黙って見ていろ」不動は被っていたキャップを床に置くと、腹ばいになり小刻みに動きながらポジションをとる。「──ほら、出てきた」

 レンズの先に、腕を組んだ男と男が現れた。そいつらはおもむろに向き合い、唇を重ねた。「おいおい、何てモノ見せるんだ! レディなんとかじゃないが、レズでもゲイでも差別しているつもりはないんだが、目の当たりにすると、非常にきつい」

 向かって右側の稲城が膝まずき、左側にいた安部のジーンズのベルトをはずす。ジーンズがコンクリートの床に落ちた。迷彩柄のブリーフを下ろす。案の定、安部の屹立するモノを稲城は咥えた。

「お前じゃないが、吐きそうだぜ」新倉は訊いた。「だが、よく屋上に出てくることが分かったな」

「命を保障してやるし、金も返してやるし、ついでに報酬も出してやるといえば、屋上に連れ出しイチモツをしゃぶるぐらい平気でやるさ。それに、稲城にとっては大して難しい要求じゃない。いつもやっていることだからな」スコープの向こうで、稲城は頭を前後にリズムを刻み動かしていた。「さて、そろそろやるぞ」

「あいよ。あの気色悪いを見せ物に、とっと幕を下ろしてやれ」

 不動は、右手でボルト・ハンドルを前後に操作し超抵抗力.50口径標的競技弾を銃身に押し込んだ。その手を開いて閉じる。それを二度、三度繰り返した後、グリップを握る。左手で床尾を下から支え右肩に押し付ける。

「待て!」人差し指をトリガー・ガードの輪の中に入れようとしたとき、新倉が警告を発した。「人が来た」

 安部が後を振り向いた。稲城が頭を動かすことをやめた。安部は何事か叫んでいる。視界が限られている不動は訊いた。「どうなっている?」

「安部の部下らしい男が、出入り口から出てきた。二人の行為を見て顔をそむけたところみると、こいつは正常のようだ。『気色悪っ!』だとさ。声は聞こえてこないが──向こうも声は出していないだろうけど──このくらいだったら読唇術できる。他にも何かいっているが、ちょっと分からない。お前のことかもしれない」

「かもな」安部の口がパクパクしている。怒鳴り散らしているのが分かる。その間、稲城は安部のイチモツを咥えたまま。稲城が口を放そうとすると、安部は稲城の後頭部を右手で抑えつけた。

 新倉がいった。「よし、邪魔者は引っ込んだ。いつでも、いいぞ」

 安部と稲城が行為を再開する。ところが、膝まで下ろしたブリーフがひっかかったのか、安部がバランスを崩す。なんとか立ち直ったものの、二人の身体は時計回りに九〇度回転した。稲城の後頭部がこちら向きになり、安部が正面を向いた。目を閉じ恍惚の表情をしている。

 もう動くなよ。不動は、床尾のチークピースに頬を密着させた。何度か、息を大きく吐いて大きく吸った。最後に肺に空気を溜め込むと、それゆっくりと少しずつ吐き出していく。脱力するんだ。重力に身をゆだねろ。コンクリートの床と一体となれ。改めて、輪の中に人差し指を入れた。

 闇夜に霜が降るように──。

 床尾が右肩にめり込んだ。火薬が燃焼するくぐもった音と、銃の中から発生する金属のぶつかり合う音が辺りに響く。高音域がカットされているので耳障りな程ではない。とはいえ、決して小さな音でもない。グリップから右手を放し、ボルト・ハンドルをつまんで引くと薬莢が排出された。次弾を装填する。安部と稲城は相変わらず行為を続けている。そのままだ! 目標到達までは、三秒強。銃口初速は八二三m/secだが、目標到達までに弾は減速する。くそっ、長い!

 スコープの中で、音もせず稲城の頭が破裂した。

 ほっとした。不動は、肺の中の空気をすべて吐き出した。

 ところで、安部は生きていた。コンクリートの床の上に仰向けに倒れ、両腕を振り回しながら、空に向かって何事か叫んでいる。とはいえ、血まみれで内臓もごっそり飛び出ている。稲城の頭を貫通した弾が安倍の下半身をも引き裂いたのだ。

 お前は、犯行に直接加わらなくてもガキどもを手配した本人だし、ガキどもの暴走を知っても止めようとしなかった。要は、教唆だ。よって罰を受けろ。しばらくすれば血がすっかり抜け、文字通り昇天できるはずだ。それまで我慢しろ。

「〝one shot, two kill〟か。まんま〝kill two birds with one stone〟だな。いいもの見せてもらった」新倉は感心したようにいった。「ところで吐かないのか?」

「克服したよ、人前では吐かないようにな」

「人前では、か」



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