更地のそこら中に停めて降りてくるのは、どいつもこいつも目つきの悪いガキども
14
午前七時を回ったばかり。飯田橋、外堀に面したとある一画は、再開発計画が進みほぼ更地になっている。おかげで、一棟だけ残る梶山ビルヂング──帝都聨合が地上げのために占有している古ぼけた五階建てのビルだ──だけが、やたらに目立つ。
飯田橋駅東口にある警視庁遺失物センター──梶山ビルヂングはここから、外堀をはさんで南西に五〇〇メートルの距離にある──の大会議室に指揮所は置かれ、隣の小会議室には組対三課の桜木、バックアップに回っている山村、静内、新倉、そして、神奈川から戻った北野がいた。
五人は、小会議室のテーブルの上に鎮座している、DELL製ディスクトップ・パソコンの二四型ディスプレイを囲んでいた。ディスプレイには、梶山ビルヂングの周囲に設置したカメラから送られてくる映像が映し出されている。ビルに向って、ゆがんだエアロパーツを付け、車高を落とした小汚い車の数かずが、爆音とともに集まっている。更地のそこら中に停めて降りてくるのは、どいつもこいつも目つきの悪いガキども。次つぎにビルの中に入っていっていく。
「ふん」北野の背後にいた山村が鼻を鳴らした。「北さん、下の小窓、右端のやつを出してくれ」
ディスプレイの下方には、小さな窓が六つばかりあった。指定された窓にマウスポインタを動かしクリックすると、白いパーカーを着た男がディスプレイに広がった。その男は、辺りを見回ししながらビルに入っていくところで、銃の形に膨らんでいるポケットを気にしている様子が見てとれた。
「しかし、お前のところの五課は、何やってんだ?」山村は、組体三課の桜木に向かって毒を吐いた。「いや、五課だけの問題じゃないか。マルBが金に困って拳銃を放出しているというから、マル暴全体でなんとかしてもらわないと話にならない。一般人にまで拳銃がいき渡るようになったら、こっちが忙しくなって仕方がないだろ。なあ、桜木」
「悪かったな!」桜木が山村をにらみつけた。
「連中は、不動が来ることを確信していますよね」不穏な空気を感じとった北野は話題を変えることにした。「不動がこの事実を知る、または知っている前提がないと、おかしいですよね。どう思います?」
山村が応えた。「不動の協力者が、帝都の動きを教えている。そのことを帝都側は承知している。チェスや将棋のような、完全情報ゲームってことだ。北さん、ガキどもは、何人ほどきているんだ?」
「三〇人は超えています。稲城の確認はできていませんが」
「確認なんか必要ない」と新倉。「いるに決まってるだろ。いなかったら、不動は引き上げるだけだし、そうすることはガキどもにだって分かる。連中は、稲城を守るというより不動を狩りたいはずだ。場合によっては、稲城を囮に使うかもしれないぞ」
北野は思った。そうかもしれん。そうかもしれんが、どうもこの新倉の殺伐とした考え、すかした言動は好きになれない。そりゃあ、頭がよろしんでしょうけど。
桜木がいった。「しかし、随分、多い。これだけの人数、不動一人ではきついぞ」
「相手は、素人だ。何人いようが関係ない。目についた奴を片っ端から殺していけばいいだけの話。三〇人なんて、あっという間。ターゲティングからシューティングまで二秒として、一分ちょっとでコトが終わる」
「いやにあっさりいうじゃねぇか。だとしても、そこまで大それたことをやるか、不動は一応、元警官だろ?」
「武装した人間に不動は同情しないよ。羽田の一件を知らないのか」
「莫迦にするな!」
「やめとけよ、桜木」山村がなだめた。「桜木、お前はどうしたいんだ? お前が現場の指揮をとっているんだろ。お前の考えが分からないことには、こっちは意見をいうこともできないんだぜ」
「不動を要撃するつもりなら、あきらめるんだな」新倉が被せてきた。「お前らには、不動の確保は無理だ」
「なぜ断言できる!」桜木は気色ばんだ。
「俺と不動が、警視庁第六機動隊特殊部隊狙撃支援班の同期だったからさ。論理的に考えて、不可能だよ。ガキどもの確保だけにしとけ、お前らは」
「ガキどもはもちろん全員確保してやる。同時に不動もとっつかまえてやる。組対三課と所轄の人間が総出で街に散っているんだぜ。当然、不動にもガキどもにも気づかれないようにしているし、航空隊も空から監視している」
新倉は、静内に視線を移した。「お前はどう思う」
「隠れているプロの狙撃手を発見することは不可能だ。奴らは風景に溶け込む。富士の裾野における自衛隊との模擬戦のときはそうだった」
「特殊部隊制圧一班の隊長だった人間もそういってるぞ。ところで、神奈川で起きたカーチェイスのことは知っているか」
「不動の犯行は、すべて頭に入っている! いちいち訊くな!」
「そうか。だったら、不動が車に置いていった狙撃銃のことも知っているな。L96A1というイギリス製のそれだということも。狙撃手が愛用の銃を平気で手放しているということは、予備を持っているだろうということも、ちゃんと分かっているよな。ちなみに、L96A1の射程は、一〇〇〇メートルだ。これも、頭に入っているんだよな」
「一〇〇〇メートルだったら、発見は可能だ。カバーしている」
新倉は薄ら笑いを浮かべた。「間抜けめ。1000×1000×3.14を計算してみるんだな、小学生の算数だよ。三一四万平方メートルが捜査範囲なんだ。東京ディズニーランドが約五〇万平方メートルだから、その約六・二八倍の面積となる。その中にいる不動を、発見することが可能だと思うか? 千人の捜査員がいてもどうかと思うね。不動は量子よろしく、確率的に存在するに過ぎない。まあ、千人でカバーしたとしよう。しかしながら、狙撃銃の中には、射程が二〇〇〇を超すものもあるんだけどな。不動が持っていないとはいえない。その際、捜査範囲は、なんと、一二五六万平方メートル。これでも、確保できるといい張るか、桜木さん」といって新倉は声をあげて笑った。
桜木は黙りこくった。
グーの根も出ない、とはこのことだ。静内はひとりごちた。模擬戦で一〇〇〇メートル級の狙撃銃を使われたとき、文字通り、まったくお手上げだった。敵が見えないものだから、対処のしようもない。レーザーの赤い光の点が、自分も含め、次々と隊員の額を照らしていくのを眺めているだけだった。向こうの佐官に、実弾ではうまくいくとは限らない、と強弁をしてみたものの、狙撃手がいると分かっていて動いては駄目です。殺られるだけです、と一蹴されている。
北野は訊いた。「コリオリ力を考えれば、狙撃ポジションは、緯度に沿ったビルの東西の延長線上に限定されませんか?」
「いい質問だ、北野主席主任。よく覚えていたな。だが、結論からいうとコリオリ力は無視していい」
「え?」さんざん講義しておいて、それはない。
「羽田では違っていたんだ。南西から北東を狙っていた。おそらく不動は、弾道計算ソフトを使っている。昔は精度が悪くて使う気にはならなかったが、いまではかなり改善されている。距離は五〇〇弱だったかな。恵比寿と大体一緒だけど、見事に全員ヘッドショットだった」新倉が桜木に顔を向けた。「どうだ、不利な条件が増えていくだろ。まだ、確保できそうか?」
「ちっ、分かったよ!」桜木は頭をかいた。「やっぱり不動の確保は無理か。俺も何となくそう思っていたんだよなあ」
「はあ? どういうことだ」
「捜査方針が変更されたんだよ。帝都の糞ガキを一網打尽にする話が、不動の確保になったんだ」
「どういう理由で」
「そんなもん、決まっているじゃねえか。頭がすげ変わったからさ。ほんの数時間前まで指揮していた警察庁の西条とやらが、熱を出したんだと。まったくキャリア様は、ひ弱で困る」
「なんだよ、だったらお前は間抜けという訳じゃない。理性を持っているなら、いちいち喧嘩を売るな」
「売ってきたのはお前が先だ! 引っ込みがつかないだろ!」
ガキの喧嘩かよ、と北野は思った。新倉も変な褒め方しなければいいのに。桜木は褒められたことに気づいていないようだし。
山村が訊いた。「桜木、いま指揮しているのは、恵比寿署長か?」
「いや、もっと上だ。組対部の御部長殿が御自ら指揮をお執りになさるとさ。とにかく、不動の確保を優先しろだと。そのため、ここいらの所轄と、組対部のあらゆる人間をかき集めるだけかき集めて街に放っている、千人なんていないが。あの糞女、部長が出てきた途端、大人しくなりやがって。捜査本部は恵比寿署にあるといって、西条と一緒に俺らをアゴで使っていたくせによ! 俺たちにSがいるんじゃないかと、自分のところの捜査員に行動を監視させることまでして、掌をあっさり返しやがった。もっとも監視は続いているがな」
「なるほど。だが、御部長殿のいうことを聞いていれば、最悪の事態を招くぞ」
「分かってるよ。だから、意見を訊きにきたんだけどな。結局、現場の俺たちが責任を取らせられるに決まっているんだから」
「そんな、ぼんやりした話をしている場合じゃない」山村は警告した。「不動は確実に稲城を殺し逃げる。問題は、その後だ。ビルにこもっているガキどもは、目の前で人が撃たれたのを見てパニックを起こす。そうなれば、手がつけられない。一人が撃ち始めれば連鎖的に広がる。帝都の糞ガキが銃──羽田のことを考えると、かなり高性能なそれを持っている可能性が高い。軽機関銃なんかも当然あるだろう──を乱射するに決まっている。複数の死人が出るな、こりゃ。ビル周辺の再開発地区に人はいないから大丈夫、なんて思うなよ。ガキどもがビルから銃を持ったまま散らばる可能性もある。辺りにいる捜査員と鉢合わせしないとも限らない。仲間を見殺しにする気か?」
「そんなことはしない!」
「だったら、不動に期待するしかないだろ」新倉が皮肉った。「羽田の状況を再現してもらえ。あのとき、不動は制服を助けようとして、稲城を殺すという目的を放棄している。だが、助けても、今回も、元警察官の犯行ということでマスコミが騒ぎ出すんだろう。洒落にならない位殺しているから捕まれば……。普通なら、罪に苛まれるが」
新倉を無視して山村が訊いた。「桜木、いま現在、ビルの配置はどうなっている?」
「監視要員がついているだけだ。ガキどもを刺激しないようにだとさ。少し離れた場所には、機動隊が待機している。鬼の六機だ。銃器対策部隊もついてきている」
「そんなんじゃ、宝の持ち腐れになるぞ。この瞬間にも、不動が狙撃するとも限らない。
北さん、ガキどもの動きは?」
「いまはありません。車の流れも途絶えています」
「大方、集まったということか。だとすると、頃合いだろ」山村は、桜木の顔を見た。「機動隊に準備させろ。ビルにできるだけ近づけさせるんだ。ただし、姿を現すのは狙撃直後だぞ。狙撃したら、現場が特定できる。そこに捜査員を急行させれば、不動もなんとかできるはずだ、大勢の捜査員がいるんだから。機動隊には発砲許可を出しておけ。いくら莫迦といっても、ガキどもは殺気を感じるだろ。そうすりゃ、万歳させることができる」
「あんたのいう通りかもしれない。だが、俺がお伺いを立てても、御部長殿は、耳を貸さない。どうやって説得──」
「──説得なんぞ必要ない。いま、ここで、機動隊長に直接電話しろ。御部長殿には後で、命令を聞き違えていました。連絡ミスでした、とかなんとかいい訳すればいいじゃないか。人の命がかかわっているんだぜ」
「分かった。そうする」
「そいつは随分と乱暴だなあ、山村」新倉が口を出した。「桜木、お前も簡単に納得するな。ミスではなくて不服従じゃないか、それ。発信源を特定されれば首が落ちるぞ。非通知でも割り出されるということは知っているよな? 北野、代われ」新倉は、北野を座っている椅子からどかし、自分がそこに座った。「ちょっと待ってろ」というと新倉は、キーボードを叩き、マウスを動かし出した。
「何をしようってんだ?」桜木が訊いた。
「待ってろ」ディスプレイに横向きの〝%〟付の棒グラフが現れ、100%に達すると新倉は〝OK〟をクリックした。その後、何度かインストールを繰り返すと、ディスプレイが突然黒一色になり、ロゴが浮かんできた。T、e……その次はなんだ〝凡〟から点をとったような字。ロシア語か? なんのソフトだろう。
新倉は、iPoneとケーブルとポケットから取り出した。ケーブルの一方をパソコンのポートに、もう一方はiPoneに接続する。
「iPoneとかいう奴か」と山村。「新しいな、お前」
「まあな」新倉はiPoneのディスプレイを人差し指と親指でさすったり軽く叩いたりした。「だが、こいつバッテリーがすぐなくなるんだ。だから、ケーブルを持ち歩いているわけだが、役に立ったよ。──よし、できた。ほら」新倉は桜木にiPoneを渡した。「ケーブルは抜くなよ」
受け取った桜木が怪訝そうに訊く。「何をするんだ?」
「電話をかけるんだよ、機動隊長に。こいつはロシア版のSkype、〝Телефон нулю〟インターネット無料電話さ。安心してかけていいぜ。発信源が特定されないよう、中央アジア、中近東、中南米の、あまり聞いたことがない国のプロクシを経由する細工もしておいたから。権力を持っている莫迦の典型で、御部長殿は犬を連れてきているだろ? そいつの携帯番号分かるか?」
「いや」
「だったら、090から先は適当でいいいか。非通知よりマシだ」というと新倉は数字を打ち込んだ。「こいつの優れているところが、この通知機能だ。機動隊長の携帯に偽装した電話番号が通知される。さあ、犬になりきって電話しろ」
違法ソフトだろ、それ。北野は思った。聞いたこともないぞ。なんでそんなモノ知っているんだ。ネットサーフィンで見つけたか。だが、俺だったら絶対に手を出さない。
「おっと忘れていた」というと新倉は、インターネットからグーグルマップを出し、飯田橋周辺の地図を表示させた。「ここだ」とマウスの矢印で円を描く。「ここに移動させろ。ここなら監視カメラに入らない。すなわち御部長殿に移動が気づかれることはない。分かったか?」
機動隊長は、高慢な御部長の、鼻持ちならない犬を演じた桜木に不快感を表したものの、隊を動かすことに反対はしなかった。
「これで香典が激減したんじゃないか」桜木が電話を切ると新倉はいった。
桜木がiPoneを新倉に返しながらいう。「すげぇな、お前」
「お前の演技もなかなかだった」新倉は、受け取ったiPoneからからケーブルを抜き、USBポートからもそうすると、背広のポケットに突っ込んだ。「後は、不動だな。耳のいい奴を配置して、狙撃してきたら銃声のした方向を割り出せ。運よくその方向に捜査員がいたら不動を確保できる……かもしれない。十分だろ?」
「ああ。狙撃前であろうが後だろうが、現行犯で不動を確保するのは無理ということは、とっくに承知してるよ。いずれ助かった、いろんな意味でな」じゃあな、というと桜木は部屋から出ていった。
新倉は、インストールしたソフトすべてをゴミ箱に放り込みすべてを消去した。iPoneのそれも、指でディスプレイをタッチし同じことをする。「終了と。よほどのことがない限り、ゴミ箱をあさられることもないはずだ。ここでは何もなかったし、何も起こらなかった。だよな、山村」
山村はうなずいた。「しかし、たかが電話で大騒ぎだ。ネットの時代は、実に厄介なものではあるな」
「なんとかと一緒で使いようさ。所詮、道具だ」
なんで新倉は機捜にいるんだろう? もっとぴったりの部署があるような気がするが、と北野は思った。ところで、俺は、どうなんだ? 俺は、捜一でいいのだろうか。
「さてと」山村は伸びをした。「後は不動が来るのを待つばかりだ。しばらく時間がかかるだろうから、その間、朝飯にでもいっておくかな」
は? 北野は訊いた。「この瞬間にも、不動が狙撃するとも限らないんじゃ……」
「ぼんやりしている桜木を焦らせたかったから、そういっただけだ。不動は神奈川から県境を越えてくるんだぞ。あちこちで検問しているのに、そう簡単に来れるものか」
それもそうか。検問を避けなければならないし、検問のおかげで渋滞しているだろうからな。車を使うとは限らないが、電車でもやっぱり時間はかかる。
山村は立ち上がった。「静内。朝飯に付き合え」
「あ、ああ」
「どうした?」
「いや、なんでもない」新倉の奴、底知れない。俺はこんな奴と付き合ってきたのか。恐怖すら感じるではないか。
「北さん、新倉、俺たちが戻ったら、今度はお前たちで飯にいってくれ。いくか、静内」




