第七章 ルクレツィア=ボルジア
ルクレツィア・ボルジアとチェザーレ・ボルジア。
二人は先代バチカン王にして現枢密院最高議長アレクサンドル六世ことロドリゴ・ボルジア枢機卿の子供である。
二人には幼い頃より、国内の最高教育機関である『魔法学院』にて、帝王学や政治学、戦事学に護身術まで、様々な教育が施されてきた。
そして、片方はバチカンの支配者になり、もう片方はフランスに表向き政略結婚で、その実、友好国の財政を建て直すアドバイザーとして派遣された。
二人の間には一つの約束があった。
「政治の場に兄妹はいない」
すなわち、「自分達が政治家として相対する時はお互いをバチカン王チェザーレ、あるいはフランス女王ルクレツィアとして扱い、兄妹ということを考えない」。
それは、政治を学んだ者の、情に頼りたくないという意地であり、こだわりだった。
――だから、やりたくなかった。
「ルーシー、もう一度王位に戻るために五個師団ぐらい兵貸してほしいな~」
声を以前の数倍高くして、否、低く装っていた声色を昔のものに戻して、くねくねキャイキャイと少女のように腰をくねらせる。
本当は、可愛いものとか大好きだし、争いとか大嫌いだし、かっこいい王子様のキスでお目覚めとか夢見てたりするんだけど……
女王として、そんなことをしていれば尊厳が保たれないと、自分の中から切って捨てた。
「……つまり、ルーシーは妹として兄の僕に頼みをしたいんだ?」
「もちろん! 聞いてくれないと泣いちゃうかも!」
――まあ、これも仕事の話になるのだが。
「参ったなぁ……」
先程の通り、バチカンは独裁体制。かつ、連邦制である。一見矛盾しているようだが、仕組みは簡単だ。
かつて戦乱の中にあった半島を、教皇として神教のトップにいた人間が、武力と外交によって統一した。その後、教皇に服従を誓う形で領主達が決定された。こうして連邦制が出来上がり、教皇はやがて神教から独立した王となり、指名制で現在のボルジア家に引き継がれている。
ここで重要なのは、各連邦は独立した行政であるということだ。
上位組織である王政府の指示や方針に従ってはいるが、各自が別々の軍隊や税制度を持っている。もちろん国として独立も可能だ。
しかし、そうした場合、欧州随一の技術を持つ『魔法学院』の恩恵を受けられないばかりか、他の大国に侵略される危険性もある。それに、王政府の指令は兄の賢腕ぶりに代表されるように、非常に効率的で利益的。しかも自領が攻撃されればバチカンの力を持って援助をしてもらえる。援助をくれ、賢明な指示をもらえるという信頼に基づいて領主達は王に着いてきている。
では、その信頼が揺らぐのはどういう場合か。
例えば、隣国に嫁いだ王の妹に、クーデター対策への兵を貸さず、「妹すら助けないのに我々を援助してくれるものか」と領主達が不安を持ったとき。あるいは、信頼が揺らぐ行動だとわかっていることを行い、「王政府は無能なのではないか」という疑念を抱かせた場合。
つまり、交渉の内容は「フランス女王は何を差し出して援助をもらうか」ではなく「バチカン王が何を犠牲にして国を守るか」に変化した――自分にとって有利なものへと。
「お兄ちゃん、貸してくれる?」
元々大好きな兄だ。その言葉に演技はない。というより、今までが演技だ。どれだけ、声を掛けられた時に泣いて飛び付きたかったことか。
「――当たり前だよ。愛するルーシーの頼みを聞かないわけがないじゃないか」
大好き、と子供のように兄の頬へ口づけをして抱き締めた後、自分は太股の上から降りる。甘える時にドレスは邪魔だなぁ。
「じゃあ、貸すのはヴェローナのモンタギュー騎士団と王立師団でいいかな?」
「なんでも! お兄ちゃんのくれるものならなんでも嬉しいもん!」
兄がサラサラと羊皮紙に命令を書いていく。
「どれくらい時間がかかるかなぁ?」
「三日ぐらい、かな。急がせたらもう少し早くなると思うけど」
次いで、転送魔法が展開され、命令文書がヴェローナに送られる。やはりバチカン、作業感覚でテレポートが使えるとは。
「ありがとぉね。お兄ちゃん」
「妹のために全力を尽くすのは当たり前だよ」
兄の笑顔が少しおどけたものになる。
「まったく、こっちの首が飛ぶような提案してくるんだから、びっくりするよ」
「だってお兄ちゃんのこと信じてるもん。どんなことがあっても私を守ってくれるって」
大好きな兄は、ありがとう、と言ってこちらの頭を撫でてくれる。
「じゃあ、ルーシー。あとはここでゆっくりしていったら? 父さんも母さんも会いたがってたよ」
王様の役目は終了。あとは、軍隊が解決してくれた後に凱旋すれば良いだけだ。自分は将軍じゃない。だけど、
「私、フランスに戻る」
兄は、驚いた、でも優しい顔を作って笑う。
「……行っておいで。お前にも大事なものがあるんだろう? 厩舎にいけば馬を貸してもらえる」
国、責任、女王、民衆、そして幼馴染み。欲しいものはいっぱい。
「うん、行ってきます!」
それだけ言って、応接室から廊下に飛び出す。そこからは、ルクレツィア・ボルジアではなく、
「――女王の時間だ」
また考えていた。
否、正しく言うなれば、考えついていた。
モンタギュー騎士団と合流するため、ヴェローナに向かう馬の上。ローマ街道を颯爽と駆け抜ける。
何故クライスがクーデターを起こしたか。
『こっちの首が飛ぶような――』
兄の言葉で気づくとは、流石大好きなお兄ちゃんだ。いいヒントをくれる。
つまり、王になるということはクーデターで殺される位置に来るということだ。
フランスのその位置にいたのは自分。しかし、今はクライス。何を表すのかと聞かれれば、
――私の変わりに殺されようとしているのか!?
復国同盟の、あるいは民衆の革命の責任を取る者が自分からクライスへと変わった。
……そうやって私を守ろうと?
――どうして、捕まった牢獄の隣に、最強と吟われる人間が捕まっていたのか。それさえあれば脱出できるという杖が置いてあったのか。
『我が女王のために』
ふざけるな。
『精々頑張ってください』
それで幼馴染みを守った気でいるのか。
『昔は一緒に寝たものだろう?』
私がなんのために、自分一人が死ぬだけで済むようにしたと思っている?
――幼馴染みを守りたいのが、お前だけとは思うなよ。




