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snow white  作者: 小山 優
前章
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第六章 聖・ローマン・バチカン王国

 考えていた。

 場所はバチカン宮殿、その応接室だ。細工が施された家具が並び、壁には著名な画家の絵画が飾られている。それは、この国の栄光をあらわすようで、羨ましく見えた。

 王に会談の申し出をした自分は今、そこに待たされている。

――どうして、クライスがクーデターを起こしたのか。

 思考していたのは、精神論などではない。利害関係、始末の仕方、搾取、政治体制。現実的なものだった。

 クライスのクーデターがどこまで成功しているかは知らない。もしかしたら、私を捕えた後、女王側についた王族師団によって討ち取られているかもしれない。あるいは、復国同盟の誰かが計画の破綻と判断し、決起しているかもしれない。万が一にでも、腐った大臣の中からクーデターに反対している者がいるかもしれない。

 しかし、相手はクライス。自分の執事だった男だ。三日天下で終わるような革命を起こすわけがない。そのすべてを掌握していると考えていいだろう。

 だが、目的がわからない。

 フランスは死にかかった国だ。それを復国同盟でどうにか立て直そうとしていたのだ。しかし、名目上、そのトップで、かつすべての責任を引き受ける女王の自分が消えては、計画は頓挫する。

――私を処刑して、革命を完了するつもりだった?

 それでも辻褄が合わない。仮に自分が死んだとしても、大臣は居座り続ける。それでは何の責任を取ったのかわからない。

――ただ王になりたかった?

 それでは意味が分からない。復国同盟の者に阻止されるのは目に見えているし、早晩消える国の王に何の価値がある? すぐに民衆に革命で殺されるだけだ。腐ったケーキの取り合いをするようなものとなってしまう。

――身分が嫌だった?

 不本意であるが、考えられる。執事とは人の下にある職業だ。それが長年気に食わなかったから、私に反乱を起こした。だが、それでも訳が分からない。私が責任をとるときに、民衆の側に鞍替えすればいいだけだ。女王に虐げられた奴隷とはなんとも悲劇的じゃないか。数年も待てば可能だっただろう。

――違う。そういうことじゃないんだ、きっと。たぶん、私は根本から間違っている。

 状況を整理しろ。

 まず、フランスを立て直すのに必要なのは改革、あるいは革命。前者には政治的な駆け引きが必要で、後者には大きな軍事力が必要だ。今起こっているのは後者。

 革命で起こるのは、大臣の追放、政治体制の変更、トップの責任取り、民衆の奮起。

 今の状況は、大臣がほとんどの権力を握り、王に権限のない政治体制で、トップはクーデターを起こされ、民衆は力と団結の象徴を持たない。

 近くにあった紙とペンを取り、考えの内容を書いていく。図で表し、大臣の項にはたくさんの権利、王の位置にはそこから跳ねだされた自分を書き、民衆には何も書かない。

……本当に、これが今の状況か?

 自分が跳ねだされたのなら、誰が今そこに収まっている?

 それは跳ねだした張本人、クライス。王の位置にその名を入れる。

 では大臣の権利は?

 クーデター。それはある意味革命の一種で、政治体制や権力の場所が大きく変わることだ。

 大臣の権利を幾つか消し、それを枠外に書いておく。

 ふ、と見えたのが、どこにも収まっていない項目と、何も書かれていない枠組み。

 女王である私と、いくつかの権利が宙に浮き、民衆は何も持たない。

 何かが頭に浮かんで、ただ「権利」とだけ書いてあった権利の項目に「軍権」と書き、民衆の位置に移動させる。

 そこで、違う紙に革命の条件を書き出し、図と見比べる。

 革命に必要なのは、大臣の追放、政治体制の変更、トップの責任とり、民衆の奮起。

 列挙した言葉を、文にする。

『民衆の奮起により、大臣を追放し、政治体制を変え、トップが責任を取って処刑される』

 違う。単語を並び替える。

『政治体制が変わったことで民衆が奮起し、大臣を追放し、トップに責任を取らせる』

 図の、「民衆」、「王」の項目を見る。

――何かが出掛かっている。

『我が女王のために』

 私のために?

『精々頑張ってください』

 何を?

――もう少し、もう少しだ。

「お待たせしました、ルクレツィア女王」

――しかし、思考の渦から解放された。

 声をかけてきたのは、応接室に入った、小綺麗に着飾った見掛けの良い男。

「お久し振りです。チェザーレ公」

 チェザーレ独裁賢王。聖バチカンを治める独裁者でありながら、その有能さで、国を欧州随一にまで繁栄させた男だ。

 チェザーレは、ゆっくりと従者も伴わずに目の前のソファーに座る。

「ルクレツィア女王。本日はどういった目的での来訪でしょうか?」

 原因を考えるのは後。今は対処法だ。

 名目上、今回は御忍びでフランス女王がバチカン王に会談を申し出た、という形を取っている。一応、こちらの身分は女王として使えるのだ。

 自分の目的は、クーデター鎮圧用の兵を貸してもらうこと。そのための交渉で、まず何を言うか。

「では単刀直入に言わせていただきます」

 いや、ここは普通に言えば良い。隠していてもしょうがない。

「兵を貸してもらいたい」

「何故です?」

 こちらの言葉を予期していたかのように、チェザーレから問い掛けがきた。

 これは、相手がクーデターのことを知っている可能性が大きい。そのことも話してしまって良いだろう。

「今、フランスではクーデターが発生しています。その鎮圧のためです」

「バチカンがそれに手を貸して、なんの利益があるのですか?」

 やはり予期していたかのように問われる

「……復権した暁には、いくらかの謝礼金や領土割譲にも応じます。諸外国に貴国の力を見せる良い機会でもあるかと」

 バチカンは十字軍に不参加。他国には軍事力の欠如と見る国もあるだろう。

「――少ないですね」

 当たり前か、と諦める。

「フランスは議会に権利が集中しすぎている。その中であなたが元の位置に戻ったとしても、扱える資金は少ないでしょう」

 軍事力も、小さいと見るのは大国ロシア帝政や超大国アラブ連合ぐらいだろう。

「ええ、それは解っています」

 では何を差し出すのか、とチェザーレは教師のように微笑む。

「その上で、フランスをバチカンの傀儡・属国としてもらいたい」

 相手の顔が少し驚く。

 属国になれば、議会は潰れるだろうが、女王である自分の権限もほぼなくなる。文字通り傀儡国家の誕生だ。

 だが、それでも今の状況よりかは遥かに良い。チェザーレ公の政治で民衆の暮らしも良くなるだろう。

 バチカン側から見ても、国土が二倍近くに増えるのだ。一時的な戦争バブルも発生するだろうし、復興景気も狙える。悪くない話だ。問題は、

「例えそれが成功したとして、いったいどれくらいの費用、損害がかかるのでしょうか?」

 戦需は、勝つからこそ、損が少ないからこそ生まれる。儲けるための戦争で国が傾いてはしょうがない。

「フランスは現在混乱中です。その中をつけば比較的簡単に制圧できます。しかも、国内には反政府勢力や、私に味方する一派もいるでしょう。十字軍で精兵を失ったフランスにそれらがぶつかれば、ことは容易いでしょう」

「具体的にはどのくらいの味方が?」

 具体的、か。そんなもの把握したことなどない。

「恐らく、数万人はいるかと思います」

 嘘はついてない。復国同盟で八千少し。他も合わせればギリギリ一万。一万も99,999も数万の範疇だ。

「数万、か。バチカンの自由戦力が大体、五万ぐらいだとして、」

 自由戦力五万。その言葉に目眩がする。攻撃用にその数が取れるなら、防衛には一体いくら回しているんだ。国力の差に憤った。フランス防衛軍は局所戦力で各一万二千だったか。

「単純計算で、人数比は一対六以上、でこちらが有利。じゃあ、ルクレツィア女王。あなたはどのくらいの損害が属国化のために出ると思う?」

 防衛有利としても、局地戦ではさらに防衛隊の数は減る。対するバチカンは、兵粘さえ気を付ければ五万足す一万の兵力を集中運用できる。戦力比の計算でいけば、一の二乗対六の二乗、一対三十六。相討ちしたとしても、被害は三十六分の一。その上、フランスは新体制で指揮系統も揃っていないだろう。パリに攻めるまでに五回戦闘するとして、

「二万五千人ほどかと思います」

「じゃあ、失われる資産を二万五千とする。フランスを属国にした時に得られる労働力と、経済効果は最大でどのくらい?」

 ええと、フランスの労働人口は七十万ぐらい。バチカンの搾取率が三割として、二十万。経済効果は、単純に市場規模が二倍になるんだから、

「純労働力で二十万。経済効果で計八十万単位の収入があるかと」

 損害が二万五千なら、少なく見ても差し引き七十万。ボロ儲けだ。

「つまり、バチカンがフランスを属国化した場合、合計八十万の利益があるということでいいのかな?」

 頷く。なんの問題もないはずだ。

「じゃあ――バチカンがフランスを属国化した場合の損害はいくらなのかな?」

 二万五千、ともう一度言いかけて、違う、と言い留まる。

 属国にするのに掛かる(・・・・・・・)損害ではなく、した場合の(・・・・・)損害。

 併合で生じる事務経費、起こるであろうレジスタンス活動への対処費、混乱した民衆への広報費。そして何より大きいのが、

「――フランスは一体どのくらいの借金を抱えているのかな?」

 二百万。

 腐敗した官僚政治で生まれた損失が溜まり始めたのは二十数年前。二次関数的に借金は膨れ上がり、現在二百万。来年度にはさらに増え、自分の見込みでは三百万以上になるだろう。それは、バチカンの年収入数年分に相当する。

 初期投資でその借金を返したとしても、バチカンの国庫は空になる。さらに、赤字が一年で解決するわけがないので、何年かは数十万単位の援助が要るだろう。

 借金を踏み倒すのもひとつの手だが、それを行った場合、フランスとバチカンの国際的信用はなくなり、経済・治安ともに混乱する。二度目のクーデターが発生するのも近い。

 しかし、何年か統治し続ければ、確実に投資を回収できる。何倍もの利益をもたらすだろう。

「……何年か適正な財政管理を行えば、返せる額と思われますが」

 問題は、結果が出るまでの時間と、今冒すリスクに相手が納得するかだ。

「――一言で言えば、割に合わないんだよね」

 奥歯を噛む。

「ちゃんとした利益が出るのは恐らく十数年後。うまくいけばボロ儲け。だけどバチカンの財政は確実に悪くなる。そんな状態だったら、バチカンでも革命が起こるかもしれない。フランスでも独立運動が起こるかもしれない。そんな危険をおかしてまで得る価値は、フランスにはない」

 つまり、

「――交渉決裂だよ」

 黙って目を瞑った。

 なら、最後の手段に出るしかない。

「もうそちらから提案がないなら、ここらでお引き取り願うんだけど?」

 王の冠を黙って机に置き、胸元の留め具を一つ外す。

 今からやるのは、女王にはあってはならない――否、女性としても人としてもしてはいけない行為。

 その禁忌に触れる罪を前にして、兄や父に詫びを入れる。せっかく王とはいったい何か、政治とは何かを教えてくれたのに、こんなルール違反とも政治への侮辱とも取れることをしてすまない、と。

「チェザーレ公」

 ドレスを切り裂き、自分の股下で動きやすいようにする。

「ん? 何かな?」

 にこやかに笑う相手の太股に馬乗りになり、こちらも少しの笑みを浮かべる。

「今から、私をフランス女王ルクレツィアではなく、ルクレツィア・ボルジアという一人の女として扱ってくださいませ」

 吐息が相手の顔に掛かるほど顔を近づけ、耳元に口を寄せる。

 頬を上気させながら、相手の手を自分の胸元に近づけ、

「――ルーシー、大好きなチェザーレお兄ちゃんに助けてほしいの!」

――いろんなものをかなぐり捨てた。


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