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snow white  作者: 小山 優
前章
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第五章 英雄(囚人)

 湿った、暗い下の牢獄に高い足音が響く。

 冬場でも、囚人の命の保証はしてくれるらしく、牢屋の外には焚き火がついていた。

「おはようございます、女王陛下」

「最悪の目覚めだな、石の床は思ったよりも暖かかったが」

 起こしに来たのはいつものようにクライスで、しかし自分とクライスの間には鉄格子があった。

「まさか、お前がクーデターなんて起こしてくれるなんて思わなかったな」

 信じていたのに、なんて安い言葉は使わない。それを見誤った自分に落胆しているだけだ。

「僕にも思うところがありましたので」

 笑う顔が、いつもより暗い。

「どうです? 今の気分は」

「お前の顔を一発殴りたいな。柵がなければいいんだが」

 足と手に付けられた鉄球の重りが音をたてる。

「では、その気持ちを忘れず、精々頑張ってください」

 むかつくほどに綺麗な笑顔が浮かんで、牢屋の端に消えていった。

 どうするかなあ。

 落胆だとか、どうしてこうなったとか、言ってもしょうがないことは考えない。

 引き出しの中にまだ指示してない書類あったよな。あと納税確認の判も押してなかったし、昨日中に仕事終わらせておくんだった。

 少し現実逃避をして、周りを確認する。何か逃げ出せる手段はないか。

 床や壁は石畳でできており、壊すのは無理だが所々崩れている。窓はない。位置的には王宮の地下一階だ。向かいの牢屋には誰もいない。

 こりゃ参った。打つ手が何もない。

 魔法で壊せでもすればいいのだが、そんな技能はないし、バチカンの王族魔法は対人にしか影響しない。窓から助けを呼ぶのも不可能。唯一、掘って逃げると言う方法もあるが、時間が掛かりすぎる。穴から日の光を拝むより、処刑台の上で太陽を見るのが先だろう。

 なにかないか、と探して、寝る藁の中に古ぼけた杖を見つけた。

――使えないな……。

 杖は所詮魔法の補助具。伝説に出るようなものは別として、威力を増幅したりはしない。何より、杖の形式が古く、自分には扱えない。十年ほど前のものだ。

 部屋の隅に放り投げ、壁を調べていく。途中、鎖が音をたて、肝を冷やす。

 削れば剥がれるが、それだけだ。

 横を掘っても隣が見えるだけだろうし、後ろを掘った先の外は土だ。

「万事休す、か」

 呟いて、仰向けに寝転んだところで、

「ハッ、姐ちゃんもようやくあきらめたか」

 隣の牢屋から、男の声が聞こえた。

「誰だ?」

「しがないただの囚人、っつーことにしといてくれ。そっちのことは聞かない、だから俺のことも聞くなよ」

 女王が捕まっている、なんて言っても信じないだろうからな。

「ずっとこっちの調べる音を聞いていたのか?」

「おう。石の床が温かいとかの辺りからな」

 ほとんど最初じゃないか。

「それにしても、女王の執事がわざわざ見に来るなんて、よっぽどなことしたのか? 政治犯か革命家か?」

 聞かないんじゃなかったのか。「細かいこたぁいいんだよ」

「……少し、周りを見なかっただけだ。頑張りすぎた、とも言えるし、大事なことを忘れていたのかもしれない」

 答えると、何かを察したようにふーん、と返ってくる。

「……そっちは何して捕まってるんだ?」

「俺? なんかよ、ブリテンの戦争で暴れてたら、こっちの軍閥にスカウトされてよ。まあそこまでは良かったんだが、同じように雇われてた傭兵王と演習で手合わせしたら、張り切りすぎて謹慎喰らったんだよなあ」

 ヴァレンシュタインもさぞ迷惑だったろう。こんなところで身内の名が出るとは思わなかった。

「しかも、その謹慎中に抜け出して、手違いで民家ぶっ壊して、禁固半年。全く、災難たらありゃしねぇ」

 どうやったら手違えて民家を破壊するのかは知らないが、相当な戦闘好きだ。

「『ようやく』、と言ったが、お前は何か試したのか?」

「いや? 見ただけでわかるだろう、脱出は無理だって」

 諦めが良いのか、牢屋に慣れているのか。

「それでも、一応軍人なんだろう? 魔法で破壊してみたりはしなかったのか?」

 言ってから、普通は専用の拘束具があるか、と納得しようとして、

「俺なぁ、魔法制御が下手なんだよなぁ。補助具がなかったら暴発して自爆するんだぜ? もっと真面目に勉強しとくんだったよ」

 補助具があれば、か。

 ないものねだりはしょうがない、と思いかけて、

「……あるぞ、杖」

「な!? マジかよ!?」

 部屋の隅に投げ捨てた、古い杖を拾い上げる。

 仏道じゃないが、地獄で仏にあったな。地獄じゃなくて牢獄で、仏じゃなくて戦バカだが。

 鉄格子から手を伸ばし、隣の牢屋から出てきた手に杖を渡す。筋骨隆々の、ゴツイ手だ。

 隣から、何かをガチャガチャと動かす音がする。

「どうだ、逃げ出せそうか?」

「おう。なんとか、いけそうだ」

 これで少なくとも相手は抜け出せるな。

「もし良かったらだが、」

「ん? なんだ?」

 一人は逃げられても、二人で逃げる余裕はないだろう。

「助けに来てくれとは言わない。バチカンの家族に伝えてくれないか。宮廷で、『ルクレツィア・ボルジア』といえば通じる」

 恐らく、自分はここで死ぬだろう。それが裏切られた王の運命だ。

「兄に、いい人生だったと伝えてくれ」

 懐かしむように頼んで、だが返答が返ってこない。

「おい、どうした?」

 壁の向こうに問いかける。

「大丈夫なのか? 返事をしてく――」

「『ファイヤァァァ!!!』」

――ボンッ! ボガンッ!!

 景気のいい呪文の言葉が聞こえて、爆発音と破壊音が続く。

 視界の中では、戦闘バカがいる方の壁と鉄格子が吹き飛び、後ろの壁や天井が吹き飛び、床も半ば吹き飛んでいた。真上近くに昇った太陽が光輝く。

「ああ、すまん。なんか言ってたか? 魔法に集中してて聞こえなかった」

 男の声の方を見る。

「型式も古い杖だったから、一度使うだけで焼き消えちまったなぁ」

 傷ひとつない綺麗な筋肉質の上半身を剥き出しにした異国雰囲気の男が、黒くてボサボサの髪を掻きながら立っていた。年の頃は三十路頃。黒い目が珍しい。頬に一つだけ走った傷跡が目立つ。

「お前は……」

「お、あったあった。こいつがあれば何発でも使えるな。俺、魔力がありすぎて、この体が耐えられねぇんだよなぁ」

 男は、牢屋の前においてあった押収品の中から、自分のものらしい一組のグローブを見つける。

「一体……」

 何者だ、と続けようとして、男がこちらに向き直る。

「名乗り遅れた!」

 腕を組み、白い歯を見せてニッと笑い、

「俺の名はジャンヌ・ダルク。フランスの最強だ!」


 十年前、ブリテン島から侵攻してきたアイルランド帝国に対抗するため、イングランドとフランスが同盟したことがあった。

 アイルランド本島とブリテン島の半分を手中に入れたアイルランドに、イングランドは防衛のため、フランスは本国を守るために戦った。

 その中で、アイルランドがフランス領に上陸。カレーやノルマンディといった地域を占拠した。

 戦力をブリテンに派遣していたフランスは対処ができないでいた。

 そんな時、どこからか現れた若者が、神教のもとに兵を集め、敵を追い出し、フランスに勝利をもたらした。しかし、若者は、イングランド将校に裏切られ、処刑命令が出された後、突然行方を眩まし、ある噂ではブリテン島でアイルランド軍と戦っていると言われ、ある聖職者は聖人として天に昇ったと言い、ある国王は新大陸に渡ったと言った。

 それが、聖処女『ジャンヌ・ダルク』。


 これが、聖処女『ジャンヌ・ダルク』?

「カッー! 久しぶりのシャバは空気がうめぇなぁ!」

 目の前の男、ジャンヌは大きく延びをし、叫んでいる。

 この『男』が、ジャンヌ・ダルク?

 アイルランド=英仏戦争は、私がこの国に来る少し前の話だ。


当時十六歳のジャンヌが生きていれば、今はこのくらいの外見だろう。

 ただし、それはジャンヌが男で、筋骨隆々の戦闘バカだったらの話だ。

 聖処女なんだろ? 女じゃないのか?

「で、姐ちゃん。どこに行きたいんだ?」

 王宮を遠く眺める丘の上。男は杖を貸してくれたお礼に送って行ってくれると言う。

「バチカンに行きたいな。縁者も多いし、何かと動きやすい」

 こちらの名前を聞き漏らしているのは幸いか。女王だと知られるのは何かと不都合だ。

「バチカンか。ローマまで連れてってやるよ」

 何故かジャンヌは腕や足を延ばし、柔軟体操をしている。

「二、三週間の距離になるだろうが、よろしく頼む」

「――三十分」

 相手の言葉の意味がわからず、「は?」と呻く。

「目標タイムだ。きっちり数えといてくれよ」

 疑問が解消されないまま、

「|『活劇と祝福の時間だ《It is a show time》』」

――呪文が始まった。

「|『準備はいいか?《Are you ready?》 俺の足(my leg)』」

 ジャンヌの足に、光の輪が展開される。

「|『準備はいいか?《Are you ready?》 俺の腕(my arms)』」

 次いで、同じものが腕からも。その間、ジャンヌのグローブが光り続ける。

「|『準備はいいか?《Are you ready?》 (me)』」

 背中。ジャンヌの、筋肉ががっちりとついた背骨から、身の丈ほどもある大きな光輪が広がる。

「|『観客は女が一人《Audience is the lady.》。|舞台は世界《Stage ia the world.》』」

 風が生まれ、ジャンヌが宙に浮く。

「|『舞台に上がれよ、観客《Come on,lady.》。|楽しむのはてめぇだ《You are the audience.》』」

 手が差し伸べられ、それを掴む。

「|『飛ぼうぜ俺!《let’s fly,me!》 |世界を感じようぜ俺!《feel the world,me!》』」

 地上に空気が打ち付けられ、自分とジャンヌの体が徐々に浮いていく。

「|『ショータイムだ!《let’s show time!》』」


 飛んだ。

 空を駆けた。

 風が走り回り、土が離れていく。

「す、ごい……」

 重力制御魔法の応用か? いやそれじゃ浮くだけだ。気圧を生み出している? 空気対流のコントロール?

「宗教魔法ってわかるか?」

 様々な疑問が浮かんでいたところに、ジャンヌからの問い掛けがきた。

「ああ……わかる」

 信仰心によってもたらされる奇跡。神教や回教のものが有名だが、自然崇拝や精霊崇拝のものもあると聞く。なんにせよ、信心深い者が、神を敬えばさえすれば使える魔法だ。洗礼用の光を生み出すといった小さいものから、異教徒の国を焼き滅ぼす大きなものまでたくさんある。

「今使っているのはそれの一つだ。カトリックの天使信仰。ウリエルだな」

 背中の光輪が天使の輪に見えないこともない。

「まあ、精々落ちないように気を付けろよ」

 また、速度があがる。

 髪が風になびき、目から水分が奪われる。

「三十分。数えといてくれよな」


 懐かしい、小麦やオリーブの香ばしい臭いが鼻をくすぐる。

 聖バチカン公国。その首都を遠くに見る平原に立っていた。

「到着、っと。タイムはいくつだ?」

 三十分どころの話じゃない。勘だけでも、二十分は切っている。

「お、ちゃんと成長してんなぁ俺」

 嬉しそうに草の上でジャンヌが跳ねる。

「……お前はこれからどうする気だ?」

「俺か? まずはフランスに戻って、傭兵王にリベンジだな。勝負がまだついてない」

 グローブの手を振り回し、準備体操をしている。

「――健闘を祈る」

「おう、ありがとよ――そっちもな(・・・・・)

 最後にそういって、ジャンヌが再び飛んでいった。

 そっちも、か。

 どうやらこちらの素性はバレていたらしい。ただの囚人にそんな言葉は言わないだろう。空気を読んでくれて助かる。

 自分の方は、

……まずは王宮だ。こちらの身を保護してもらわないと。

 草の上に、一歩を踏み出した。

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